群青


7.
 風が吹く。屋上の荒涼としたありさまが、そのまま自身の心中のように思えて綱吉は口角を笑わせた。その微笑みに意味はない。
  けれど、それで骸は我に返ったようだった。
 驚いた表情のまま、綱吉を見つめる。疑うような、窺うような色をしていた。風が吹く。前髪が、ばらばらと顔面にかかった。かかったが、骸は微動だにしなかった。
「それ、は……」
 やがて。骸が、喉を震わせた。
 視線がついと綱吉の胸元まで落ちる。
「君が認識してるような、愛……に分類されたりしますか?」
「さあ。よくは、わかんないけど……」
「それはまた……。何とも頼りない……」
 うめきながら、骸は目尻をひくつかせる。不意を突いたように、ぼろりとしたものが零れでる。一粒だけだったが、風に煽られて頬を通って顎まで通り、ポツ、と、骸のスニーカーにシミが落ちた。
「…………。愛してます。綱吉くん。本当に」
 考えるようにしながら、骸が呟く。
 静かに聞いていた。空へと、視線が上向いた。青い世界だった。けれど、直に終わる。それとともに、恐らく、自分自身も終わるのだと予感がしていた。
(ごめん。リボーン、やっぱり、さ……。オレは。オレは、そういうのは、向かない。ううん。なりたくないんだ)
「骸? 大丈夫?」
 発作的に、くつくつと笑いだした少年がいた。左手で、自らの額を抑えて、骸も空を仰いだ。綱吉には、わざと痛みの残る左腕を使っているように見えた。綱吉は自らの左目を撫でていた。
「それが、君に出来る最大級の……。僕に、与えうることの出来る最大級のもの、ですか。君の一生を棒に振ることが。僕と共に死ねるというのが」
  風が、二人を撫で上げていた。骸はにこりと笑った。眉を寄せながら。
「ありがとうございます。君以外に、僕はもう何もいらない……。真なる意味においても。僕は、もう、この世界の何もいらない」
「……骸?」
 綱吉の言葉が揺れる。
 銃口を向けたはずだ。はずなのに。
 静かな微笑みがあった。骸が、照れたように嬉しげに両目を細める――、口元を綻ばせる。それは、けれど当たり前のように、一瞬の内に反転した。
「でも、いやですよ。それじゃ君の死に顔が見れない」
「っ?!!」刺すような声と共に、ヂィッと焼け焦げたような熱痛が駆け抜ける。起点がどこか、わからなかったが、腕が勝手に肩を抑えていた。
 掠めたものが銃弾だとわかるのに、数秒がかかった。
 骸が、銃口から煙を噴かせて微笑んでいた。
「な、にを――。骸さん?!」
「君が言うことは、やはり、僕が望むものと少し違っているッ」
「っ――――っ?!!」
 声が、でない。骸が腕を振りかぶっていた。
  拳銃は――、まだ、手中にある。直感の赴くまま、綱吉も両腕を振りあげた。
 ダァンッ。二度目の銃声が響いて、屋上の床に穴を打ち込んだ。
「そのうすっぺらな、愛情なのか友情なのか判別しがたいものは確かに嬉しい。でも――、諦めるのが好きですね君は。犯されてもまだわかりきってない――、馬鹿が! しかし、君はある意味では非常に聡明だ! 死ぬというのは……ッ」
 興奮したように骸が叫ぶ。顔面の真横、フェンスに穴が空いていた。綱吉の放った弾丸だ。骸がニィと口角を吊り上げた。
「殺すというのは、僕らの最期に相応しい! そう。綱吉くん。確かに君を抱いた。一つになった。でも、それは刹那的な意味に過ぎない。君は確かに僕のものになったけれど、所詮、そんなものは僕の思い込みがある故だ!」
「骸! アンタは何を言ってンだよ?!」
「綱吉くん。あなたを殺してあげようと言ってる。僕が」
 ぎくりとした。反射的に、出口の方面へと足がたたらを踏んだ。
「僕には僕の道もあるんですよ……。天命がある。そしてこの世界が憎い。だから、君を殺す。殺して、その後に人類全てを根絶やしにしてやろう」
「お……、おかしくない?! それ!!」
「どうして。それが僕の天命なのに。それに、ハナから君の理解は求めてない。僕らは、もとからとことん意見なんて合ってなかったでしょう?」
 笑みすら浮かべて、骸が引鉄に力を込めた。
「っ!」前方に体を投げ出し、寸でのところで避けた。
 フェンスから体を離して、骸は完全に迎撃の構えに入っていた。
「…………ッッ、ッ」綱吉の腕が、震える。銃口が震える。
 ぼろ、と涙が零れた。(何で。何で、こんな。そんな)
「あっ、ぁ、――アンタみたいなやつっ。う、生まれてこなけりゃ良かったんだ! オレの前に――こなければ!」
「奇遇ですね。僕も、そう思いますよッ」
「うづっ!」
 体を転がしたが、間に合わなかった。床にへばりつきながら、綱吉は頬を抑えた。
 赤い線が走った。すぐ脇に、銃弾がめり込み煙をふかす。
「立ちなさい。脳天をぶち抜きますよ」
 超然としたまま骸が言い放つ。
 怪我のためか、興奮のためか、彼も息があがっていた。額を汗が伝う。
「そ、れは……っ」綱吉が奥歯を噛んだ。ぎらりとして、骸を睨みつける。
 もはや。もはや、泣いていられる場合ではなかった。目尻の涙を強引に拭って、腰をあげた。リボーンに教えられたことを、精一杯に思い出そうとしていた。
「オレ、の。オレのセリフだぁあああっっ!!」
「大体ね、君は僕をなんだと? 綱吉くんと一緒にされちゃ困るんですよっ。僕が少女じみたセンチメンタルな情愛に身を焦がしてるとでも?! 僕は、君が欲しいんですよ――。その全部が!!」
「だから、アンタのそーゆーのは憎んでるの間違いだろって言ってるだろお!!」
 ダァンッ。撃っても、骸に当たらなかった。銃口の動きを読んでいるらしかった。ひたりと、その銃口を見据えたままで骸が瞳を見開いた。
「どっちだっていい! 些細なことですよそんなもんは――。綱吉くん。キャバッローネの死体が何人欲しいですか? お望みのままにしましょう。ディーノの死体でもいいさ!」
 弾丸が尽きた。綱吉が、舌打ちをして骸に向けて駆け出した。
 ニヤリと笑い、骸は、足元のリュックを蹴り上げた。
「ぐっ!」綱吉の顔面に命中し、たたらを踏む。骸は、躊躇うことなくがら空きの腹めがけてグリップを叩き込んだ。視界が明滅したところで、側面から蹴りを叩き込まれて体が吹っ飛んだ。屋上の床に、背中を擦り付けながら、綱吉は必死に両腕を突っ張らせた。
 まだ、手はある。胸元から鞭を取りだした。
「ころ、させない。殺させないっ。誰も!」
 くすくすと笑いながら、骸が侮蔑で両目を歪めた。
「君の、その妙な博愛主義みたいなのは耳障りですね。叩き潰してあげたくなる……!!」
  がちゃ、と、引鉄が音を立てる。銃口が綱吉を睨む。放たれるプレッシャーが異常なくらいに膨張する。綱吉は後退ったが、(負けられるか!)下唇を噛んで、駆け出した!




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