群青
5.
千種と犬とが、それぞれ獄寺と山本を振り払って窓辺に齧りついた。夜の帳の中、必死になって目を凝らす。何度も骸の名前を呼んでいた。
力の抜けた両腕から、ポロりと拳銃が落ちた。
「あっ、ああ、うわああっ……」
「十代目!」急ぎ、獄寺が駆け寄った。
「大丈夫ですか。十代目。十代目?!」
「っ、た。撃った。今――、…った。オレが!!」
両方の瞳から涙が溢れてくる。左目がゴロゴロと揺れて叫んでいる。何が。何が起きたのか。膝を折れば、獄寺が即座に綱吉の体を支えた。
「でもオレは助けられました。沢田さんに!」
(でも。でも、オレは――)「いや、だよ。こんなのいやだ」
泣き言のように綱吉が呟く。顔面を覆っても、止め処なく涙が溢れる。ひ、と、咽ながら綱吉は強く首を振った。(殺した。オレが。殺し――、骸さんを。この手で!!)
声が蘇る。ずっと、昔に、何年も前に聞いた声。
骸のことを本気で嫌いだと思ったことは、あの頃からなかった。(きっと、)今だって。
右目が痛いと、嘆いた姿。星の名前を教えてくれた横顔。すべてがごっちゃになって脳裏で蠢いている。痛いくらいに両目を硬く閉じて、再び頭を振って、綱吉は獄寺の肩を抑えた。それを支えにして、立ち上がる。
「行っ。い、てくる。行かなくちゃ。オレが。オレがいかないと」
「十代目?!」「ツナ!!」獄寺と山本が声を重ねた。山本は、今すぐ窓から飛び降りかねない骸の従者二人を取り押さえるので手一杯になっていた。
校舎を飛び出して、一面の夜空を一瞥して辺りを探る。
闇に紛れて、周囲のものがよく見えない。綱吉は校舎を振り返り、植え込みの上を探した。
――少年は、四肢を投げ出したまま下生えの上でぐったりとしていた。腰の高さまで伸び、がっしりと枝を張った植木だ。綱吉は急いでその中を突き進んだ。虫が飛び立つ気配がした。
「骸さん! ご、ごめ、なさ――っ、骸さん?!」
「……つなよし、くん……?」
揺さぶられて、薄っすらとオッドアイが開く。
止まっていた呼吸が、やっと再開できた気分だった。綱吉は、脱力して骸の片腕に縋りついた。ポキポキと枝が折れた音がした。
「よかった……! い、生きてた」
「どうしてここに」不思議そうに、骸が綱吉を見上げる。
綱吉は応えられなかった。また、涙が溢れ出した。眉を顰めたままだったが、骸は、自分の安否を確認する方を優先したらしかった。
そろそろと自らの胸を弄り背中を窺い、――三発当たった、と、低く呟く。
「防弾チョッキがなけりゃ致命傷ですね」
綱吉が眉を寄せた。骸は、苦々しく、真っ赤に染まった左腕を見下ろした。
「関節部を貫通か。なかなか、射撃の才能がありますね」自虐的にうめき、口角を吊り上げる。
必死になって骸の肩を掴んでいた。綱吉が強く訴えた。
「リボーンのところに行こう。まだ、きっと、まだなんとかしてくれる。いい方法を考えてくれるよ」
オッドアイを驚かせて、骸が息を呑んだ。初めて綱吉を見たかのような目つきだった。 正面からその眼差しを受け止めつつ、喉をしゃくらせた綱吉だったが。
骸が、忌々しげに呟いた言葉でまた呼吸が止まった。
「ほんっきで怒らせたいんですね。君も変わった趣向を持ってる」
「む、くろさ……?」「黙れ。理解できませんよ」
左腕を動かしかけて、骸が痛みに口角を引き締める。伸びてきたのは、右腕だった。顎をつかまれ、抵抗するヒマもなく綱吉は押し倒されていた。
「うっ、あ」バキッ。ひときわ大きな枝が折れて、綱吉と骸の体が下生えの中へと潜り込んだ。土の上に叩きつけられて、綱吉が喉を震わせる。
「僕が今まで何のために――、何のために動いて――、生きてきたと思って。わからないんですか? いい加減にわかれよ! ただ僕を憎むだけだろうが!!」
「な……。に、憎む?」
険悪に口角を歪めて、骸が頷く。
「憎たらしくって殺したくなるくらいに。そうだ。僕が君を憎んでるくらいに憎め!」
顎が軋みだす。常軌を逸した眼差しが目の前にあった。骸が、ぜえぜえと息をしながら右手で綱吉のシャツを引き千切った。
「……なに、して……?!」
全身が竦む。骸は完全に逆上していた。
「決まってる。確かに、抱く気はなかった。さっきまでは。君は僕の気を変えさせるのが上手い。いや、狂わせるのが上手いのか……怒らせるのが上手いのか」
「い、いやだ。やめて。そんな気で来たワケじゃ――」
「僕が望んでるのはこういうことなんですよ?! 貴様の生ぬるい自己満足は聞き飽きてるんだ。それじゃ僕は満足しない。君は僕を愛しもしない――、憎んで。せめて憎みなさい。殺してもいいから!!」
絶句。の、後に、やって来たのは恐怖だった。綱吉は渾身の力で腕を振り上げる。
骸の下から、僅かに抜けた。すかさず、出血を続けていた左腕を掴んだ。
「ぐっ」「ご、ごめんっ」
血塗れの腕を、さらに力を込めて握り締める。
ぐしゅっと真血が溢れだした。骸が恨みがましく綱吉を睨みつけ、しかし、体をどかそうとはしない。右手で綱吉の後頭部を掴むと、ありったけの力で地面に押し付けた。
「っ?!」土が目鼻に入りかけ、慌てて息を止める。
「君を捻り倒すくらい片腕でも出来ますよ……!」
そのまま、だ。体重をかけられ、もがいても頭を動かすことができない。
(なッ……?!)綱吉の体が震えだした。土に呼吸を阻まれ、気が遠くなる。四肢から力が抜けたのを見計らって、骸は破ったシャツの破片を唇で咥えた。右手と歯を使うだけで、綱吉の両腕を結びつける。事を終えると、綱吉をひっくり返した。
「――――ッッ、はっ、ぁっ」綱吉は大きく胸を上下させた。夢中になって酸素を吸いなおす。
が、口を開ければ、付着したままの土が落ちてくる。咳き込むと、骸が自らの袖でもって綱吉の顔面を拭った。
「あ、……はっ……」根深く、暗いものがじりじりと綱吉を縛り付ける。
僅かな焦燥を瞳に示しつつ、骸が手のひらを下降させるのを見守った。
胸板を滑るその腕は、綱吉に感じ取れるほど小刻みに震えていた。舌が首筋を舐める度、じゃりじゃりとした感触が走る。構わずに丹念にうなじを舐めて、首周りを唾液で濡らすと、骸は呼吸を整えた。喘ぐような、やたらと急いたような息が、しかしなかなか収まらない。
防弾チョッキがあったとはいえ、着弾のダメージがゼロになるわけではない。左腕は弾丸が貫通しているし、未だに鮮血を溢れさせている。
「痛いん、でしょう。やめ、てください。骸さん。こんなことしても意味ない!」
腹立ちまぎれのオッドアイが綱吉を睨む。骸は、緩く首を振りたてた。ベルトの止め具を外しただけで、強引に下着ごとズボンを引きおろす。
「自分の心配でもしたらどうですか。こんな、衛生面最悪のところなんだから」
「――――っう」土の冷たさが肌に染みる。
自らの指を軽くしゃぶり、骸は遠慮なしに下肢の入り口に指を突っ込んだ。
まとめて、二本。綱吉が背筋を仰け反らせる。
「うあっ。たっ。ああああっ?!」両足で土を掻くが、体内への侵入を阻める兆候がない。必死に腰を揺らしても、二本の指がしつこくついてきて中をくじり続けた。
「……っ……」少年に覆い被さりながら、だが骸はぐったりとしていた。
暴れる綱吉の体に、まったく加減なく自らの体重を乗せる。そうして、胸の上で忙しい呼吸を続けていた。ぐちゃぐちゃと二本の指だけを暴れさせる。
「アッ、ひ、あッ……、っっァ!」
「ああ。ここ、ですか」男性の体内にも性的な急所がある。
わずかに口角を吊り上げて、骸が重点的にその一角を掻き揚げる。足で激しく砂を掻いて、やがて、綱吉の体がピンと張りつめた。上に乗ったままの骸が浮き上がるほどの力。その一瞬後、くたりと少年の体が弛緩して、骸は目を細めた。綱吉の胸に、強く頬を擦りつける。
「すごい。心臓が跳ねてる……。気持ちよかったんですね」
喉をぜいぜいと言わせながら、虚ろな瞳で綱吉が呟いた。
「ひ、ど――。い。骸さ。も。やめて」
「そんな、蕩けた顔しながら言われても興奮するだけですよ」
吐き出されたものを己自身に塗りたくりつつ、骸が眉を寄せる。思い出したように付け加えた。
「肋骨がいくらか折れてるみたいだ……。ははは、ははは」どうして、そこで笑い出すのか。綱吉が呆然とする。下肢に滾ったものが押し当てられて、全身が緊張した。
ギシ、と、脳髄まで響くような痛みで腰が魚のように跳ね上がった。
「うあああぁぁあぁッッ!!」
骸が体重をかけた。沈み込んだ綱吉の体に、ほとんど圧し掛かるようにして結合を深めていく。根本まで詰め込んだ――、ところで、綱吉と骸は共にハッとして顔をあげた。
「……!」「――!!」
骸が、呆然と名を呼んだ。
「千種。犬」
「あっ……、あ」
涙で視界を霞ませつつ、無理やりに横を向く。下生えの、さらに中にいるために容易には見つからない場所だが――、馴染みの声を聞いた途端、綱吉の思考が吹っ飛んだ。
「ごっ。獄寺くん! 山本! 助け――っ」
チ! 舌打ちして、骸が強引に綱吉の口を塞いだ。
右腕は綱吉の腰を支えていて動けない、必然的に左腕だ。
「っっ――」奥歯を噛みしめ、骸が眉間を皺寄せる。
「十代目?! 十代目ェ!!」
「おいっ。今、声――」
「わかってる!!」
「んむっ。んんんん!!」
「綱吉くん。落ち着きなさい。この状況を見られていいんですか?」
「んっ?!」中を抉られて、腰が跳ね上がった。途方のない痛みがぶり返す。全身から脂汗が噴き出た。横を見れば、すぐ、そこに友人たちの足が見えていた。
「犬! 骸さまは?!」
「いないびょん!」バタバタと少年二人が駆けていく。
待てよ、と、山本が叫んだ。獄寺はもはや十代目としか叫んでいない。彼らの足音が通り過ぎ、ほどなくして静寂に立ち戻った。動きを止めたままで、骸が辺りを窺う。
その体の下で組み敷かれたまま、綱吉は泣きじゃくっていた。もはや、どちらに転んでも歓迎すべきものではなかった。
「あ、ああ。あっ」咽ぶ綱吉を静かに見下ろし、骸は自らの左腕を横目に入れた。すでに滴るほどの出血が起きている。綱吉の口周りには、赤い手形がくっきりと残されていた。
綱吉の口中には、やはり骸の血と砂利。
最悪だ、と、綱吉は何度も胸中で呪詛を囁いた。骸が、動き出した。
「あうっ……。あっ、ああ、あっ」
「綱吉くん」やや上擦った声で、骸が睦言めいた響きで名を呼んだ。
「つな、よし――」打ち付けるたびに、綱吉はあられもなく泣き喘ぎ、首を反らせる。片腕だけで腰を押さえつけ、抽送を繰り返していた骸がもどがしげに自らの左腕を引き寄せた。
「あっ。ぐ――」「ひあっ?!」
痛みによる悲鳴と、痛みだけでない悲鳴とが交差する。
両腕を使って抽送をしながら、骸が眉間に深々としたシワを作る。額に脂汗を浮かばせ、顎から垂らしながら両腕に力を込めた。ぶしゅ、と、左側から飛沫があがった。
「い、やっ。あああ!!」それを目の端に止めて、綱吉が絶叫する。
もはや、それが骸の血であるのか自らの血であるのか、判別がつかないほどに錯乱していた。
「っ、あ、痛――っ。く、くく、ははは」
薄ら笑いが少年の口角に張り付く。見開いた瞳に、狂気が滲んでいた。
「痛い……。気が狂うくらい痛い。でも、気持ちいい……」
「うあっ、あっ、ああうっ」
「わかりますか。う、っ、両方、とも。両方とも君がくれたもので。ぼくに。君から、僕に」
恍惚として囁きつつ、骸がますます眉間を皺寄せる。綱吉は悲鳴をあげた。ひときわ強く突き込まれた、その次に、体内を蹂躙した圧迫感が一気に引き抜かれた。
「はああぅッ」刹那的にポイントを擦り上げられて、綱吉の腰が浮き上がる。
ばっ、と、顔面に生暖かいものが飛び散った。
「…………?!」
忙しない呼吸。薄目を開けば、骸が呆然として自分を見下ろしていた。目眩を感じているのか、その頭部がゆらりと傾いた。綱吉の顔面すら潰すかたちで、前倒しになる。
ぜえぜえと、荒っぽい互いの呼吸だけが聞こえた。顔をべちゃべちゃにしたものが、やたら粘着質に自らの頬にへばりつくのを感じながら、綱吉は脱力した。水に浸かったかのように、どんどんと体温が下がっていく。意識を失いかけていた。
「くふふふ、ふふ、くく、くくく」骸が、忙しない呼吸の中で薄く笑いだす。
「ぅはあッ!」二度目の行為に呆気なく突入されて、綱吉の四肢が痙攣する。感じるところをダイレクトに突き上げられた。骸が、壊れたようにしきりに笑いだすのが綱吉の恐怖を煽る。
再び、どこからか喚き声と足音が聞こえた。性急に最後の悦を味わい、少年はのそりと体を起こした。右腕だけで抱えられて、綱吉が青褪める。
「……な、にする気っ……」声がガラガラだ。ぞぉっとしたものが全身を満たす。骸は、呼びかけを無視して下生えを掻き分けた。グラウンドは見渡す限りは無人だ。頭上に星空がある。
「や、やめて。いやぁ……、いやだっ。むくろさん?!」
「はは、くははは。ははは……」
笑うだけで、骸は隠れようとしなかった。
闇の中から人影が現れる――、彼らは、一様に絶句した。青白い顔で、勝ち誇ったように笑みを浮かべる骸にも、血だらけになった彼の左腕にも。胴に片腕を回されて抱えられた綱吉の、顔面に飛び散った白濁にも、無残に晒された肌にも、そこに散らばるものにも剥かれた下肢にも。
「ツナ?!」「十代目……?」
獄寺と山本が愕然として声音を震わせる。
「クハハハッ。はは、ははは。ははは。こういうことですから」
必死になって身を捩るが、後ろ手が拘束されて思うようには動けない。うあ、と、絶望に悲鳴と涙が零れでた。骸は打ち震えながら言い放った。ゆっくり、確認するように、念を押すように。
「もうこの子は僕のものだ。忘れるなよ。君たちも綱吉くんも。そう、綱吉くんに関わる下衆共全部! くは、ははは、ははははは!」
血で濡れた左手で自らの額を抑えつけ、骸はタガが外れたように笑いつづけた。
>> 6. へつづく
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