群青


3.
「ツナ君、昨日はどうしたの?」
 両脇で、獄寺と山本が憮然として焼きそばパンに噛みついた。綱吉の口元にバンソウコウを見つけて、京子が瞳をさらに丸くする。
「え、っと。早退して」
(骸にボコられて保健室送りに……)
 口ごもると、助け舟をだしたのは獄寺だった。
「おい。おまえA組だろ。何でC組にいんだよ」
「獄寺くんたちもA組でしょ。わたしは誘いに来たんだもん」
 綱吉の瞳に、怯えの色が混ざった。懐に硬いモノがある。昨日、保健室に迎えに来たのは赤子で、彼は労わりの言葉もなく鉄の塊を差し出した。小型のオートマチック・ピストル。もはや、綱吉の周囲は安全ではない――、むしろ、周囲にいることの方が危険だった。
「あの。ごめん、やっぱり来週はいけなくなっちゃったかも」
「ええ? ランボ君も楽しみにしてるのに」
「ご、ごめんね。ほら、ハルもいるし……、ビアンキに代わりにいけるか訊いてみようか?」
 眉を寄せたが、京子はすぐに気を取り直したようだった。気をつけてね、と、どこか意味深な台詞が別れの言葉になった。
 山本が、親指をペロリと舐めた。
「カノジョ、どこまで知ってんだ?」
「さあ。オレは何も話してないよ」
「付き合ってンの?」ぎくっとしたのは、他ならぬ獄寺だった。
 強張った面持ちで振り返り、ぶんぶんと首を振る。綱吉にはよくわからなかったが、獄寺としては京子と付き合うのはダメらしい。慌ててる人間が近くにいると、案外、本人は冷静でいられるもので、綱吉はメロンパンに齧りついた。天井を上目で見つめる。
「さあ……。ランボやらイーピンつれて出かけたりはするけど」
 子供たちは、今では京子の家に預けられている。話を聞いたり様子を見に行ったりする内に、連れ立って出かけるようになっていた。
(ああ。何で、こういうときに骸が思い浮かぶんだろう)
 彼が京子を気にするだろうことは、なんとなく悟れた。
 しばらく京子から遠ざかっていようと、決めたところで教室の扉が開け放たれた。駆け込んできた茶パツの彼は、興奮して唾を飛ばした。
「おいっ。倉本、入院してるって!!」
 ガタンッと綱吉がイスを蹴った。
「やっぱあいつがテスト休むなんておかしかったじゃん。昨日の朝だって! 両腕のホネ折られて、知らない兄ちゃんにボコボコにされたって、今、本人から電話が」
 教室中がざわめいた。チッ、と、あからさまに舌打ちして獄寺が胸ポケットへと指を伸ばす。神経質に、四角い出っ張りを爪で掻いた。そこにタバコがあることは教室の誰もが知っていた。
「憑依か? 自己申告って……。アイツ、狂ってやがる」獄寺がボソリと呟く。肝が丸ごと凍りついたように、綱吉は着席することも出来ずに呆然とした。呆然と、茶パツの少年を凝視する。
 次に――、次に狙われるのは、彼だと直感が告げていた。
「本宮! 今日は山本が一緒に帰りたいって!」
「は? 何で?」
 カバンを肩にひっかけて、本宮は怪訝な顔をした。
 ホームルームの終了後、獄寺と山本はすぐにC組へと飛んできた。綱吉の背後に控えながら、山本は気さくに片腕を挙げてみせる。
「おまえ、サッカーファンなんだって? オレは野球派なんだけどよ。最近、サッカーの魅力ってどんなもんだろうと思っててさ」
「ふ〜ん」(山本、ナイスフォロー!)
 ガッツポーズを握る綱吉だが、獄寺は憮然としていた。
 山本と本宮が連れたって教室をでる――何でおまえ、剥き出しのバット持ってんの? と、至極まともな疑問に、山本はニコニコとして「護身用」と答えた――。
「あの笑顔パワーはマジで本物だよね……」
 そうか、と、なんとなく納得させられてるクラスメイトを見送って、綱吉は額の汗を拭った。獄寺がうめいた。
「オレは十代目をお守りしますからね」
「ダメだよ。お願いだから」
 眉間に深々としたシワをつくれば、獄寺が黙りこむ。京子は、綱吉の注文に素直に応じた。深い理由を聞かないことが、逆に綱吉を不安にもさせたが。
「……十代目。ホントにリボーンさんに電話したんスね」
「したした。すぐ、迎えに来てくれるよ」
「信じますよ。オレいつも信じてますけど。ほんっとに本気でいつもより信じてますからね」
 ウソじゃないってば。困ったように囁いたが。(ごめんね)胸中だけで謝罪して、綱吉は二人を見送った。夕日が窓ガラスを染める。机に腰掛け、十分も待つと教室には綱吉だけが取り残された。
「いつまで、一人で待ってればいいの」
 ぽつり、呟く。楽しげに笑う声がした。
 扉が開いた気配はなかったが、骸は教室の中にいた。廊下側の窓に背中を預けて、挑発するように腕組みをしている。昨日と同じ格好で、漆黒を着込んだようにも見えた。
「君が、僕のために罠を作ってくれるなんて光栄ですね」
「どういうつもりだ! 昨日の――あのときには、もう……、何を考えてるんだよアンタは!」
「君のことを」
 苦笑しながら、骸は薄く瞳を開けた。殺気とも、怒りともつかないものを色違いの瞳に秘めていた。彼は綱吉の左目を見つめた。
「――その、目。よく同じ色の義眼が見つかりましたね」
 一瞬、歯を剥き出しかけたが、しかし眉を吊り上げるだけに抑えた。
「リボーンが知り合いを紹介してくれた」
「いい出来だ。義眼だとわかっていないと気付かないですよ」
「……骸さん。そんなこと、今はどうでもいいよ」
 苦渋に満ちた呟きにすら骸は楽しげに微笑んでみせた。
 迷いもなく歩み寄り、ビクンとして後退るのにも構わず腕を伸ばす。
「今日は落ち着いてるんですね。ねえ、何年も会えなくて僕は寂しかったんですよ。あの頃は毎日会えていたから、少し懐かしくもなった。君は?」
「っ。やめてくだ、さ。わかんないよ。骸さん!」戸惑うが、後ろに下がろうにも窓にぶつかっていた。夕日が、街並みの彼方に消えていこうとする。
「あの頃は、兄さんができたみたいで嬉しかった。でももう違う。骸さん、やめて。もう何言ったって手遅れなんだからやめて!」
「ええ。わかりますよ。要するに、君は僕を丸ごと忘れようとしていたんですね」
「!」
 ぞく、として硬直する。
 少年は笑っていなかった。昔と比べると背丈が伸びた、襟足も伸びた。肩口にかかった髪の毛を払いのけてから、骸はもう一方の手で綱吉の頬を撫でさすった。
「……そんなことはさせませんよ。ねえ。大事なものを思い出させるために帰ってきました。綱吉くん。綱吉くん、君、ルールをすっかり忘れているんじゃありません?」
「ル、ルール?」近視の距離で、骸が頷く。
 仄かな笑い。口唇だけに張り付いた為、奇妙だった。
「追いかけてこないと、死人が出ると……。僕は確かに言ったのに」
「…………?!!」
「ねえ。この二年、君は何をしてたんですか?」
 ギリ。頬にツメが立てられて、引き攣るような痛みが起きる。綱吉は、戦慄きながら背中に体重をかけた。笑んだままで、骸が膝を乗せてくる。体重をかけられたが、ここで倒れたら、それこそ何をされるのか綱吉には想像がつかなかった。
「そ、な――。本気で言ってんですか?!」
 必死になってカーテンにしがみ付いた。ガチッと、頭上から止め具が擦れあう音。
「どうして嘘をつかなけりゃならないんです。ねえ、綱吉くん。今回は特別に手加減してあげたんですよ……」
「あ、あいつらはただの友達で――」
 アフィアとは関係ないのに。唖然とうめく唇を見下ろしながら、骸は憂鬱げに微笑んだ。綱吉の額を掻き揚げた。両目がよく見える。
「君と関係があるならそれで充分だ。次は無い。次は、確実に殺す」
「何、言ってるんですかアンタは」
「昨日、帰ってきた理由を訊きましたね。君に心から強く認識してもらうためですよ。僕と、僕たちのルールのことを。君には左目だけじゃ足りないみたいですから」
 心底から驚愕して、綱吉は骸の腕を振り払った。
「む、昔の骸さんはそんなんじゃなかった。――無関係なヤツを殺すとか言うような人じゃなかっただろ! お、お願いだから。少しでもあの頃を覚えてるんなら」
 綱吉の心臓は張り裂けんばかりの脈動を繰り返していた。
「お、おれのことを、少しでもホントに好きなら」
 ぼろ、と、頬を伝うものがある。
「やめて」強く、噛みしめながら語りかけた。
「……………」
「もう、やめてください」
 腕は解いたものの、まだ骸との距離が詰まったままだ。緩く首を振る綱吉の顎に、人差し指の第二関節が押し付けられた。
 体温の薄い、柔らかいものが綱吉の目尻を辿る。
「――――っっ」
 奥歯を噛んだ。綱吉の肌がゾクゾクとして鳥肌をたてた。
「やめろよっ!! アンタなんか――」赤目と青目は感情めいた光を乗せず、無感情のままで綱吉を見下ろす。言われた通りに顔を離したが、骸は、唇に付着したままの涙の粒をペロリと舐め取った。汚らわしいとばかり、綱吉は躍起になって両腕に力を込めた。
「アンタなんか嫌いだっ。大嫌いだ! 自分のことしか考えてないっ――、酷いことばっかする!」
「……はは、くははははは」
「何がおかしい!」
「おかしいですよ、そりゃ」
 囁いて、骸が再び腕を伸ばした。
 身構えるが、ほとんど意味が無かった。払いのけようとした腕を逆に捻り挙げられ、そのまま、窓の方面に持っていかれるとしゃがれた悲鳴が口をつく。関節がおかしくなりそうだった。
「京子とどこまでいきました?」
「なっ――」意味が理解できず、綱吉は戸惑った。
「キス? 肉体関係まで持ちました?」
「何……。何で、……なんで京子ちゃんが?」
 蒼白な面持ちをジィと見下ろし、やがて骸は結論に達したらしかった。安堵したように、
「それなら、いい。人に汚された君は見たくなかった……。よかった」
「――――」本気で囁いているように見えて、綱吉は絶句した。
(なに……)足が竦んだ。首筋を撫でる吐息が、熱を孕んでるように思えた。骸の言葉が、睦言のような甘さを含んでるように思えた。
「綱吉くんは、時々、殺したくなるくらい憎たらしいことを言いますよね……。いつか、その口を永遠に塞いであげましょうか」
「ちょっ――、む、くろさ。っつ!」
 捻られた腕を、さらにあらぬ方向に曲げられて悲鳴がこぼれた。淡々と囁きながら、片腕で綱吉の胴体を抱きしめた。
「どうしてわかってくれないんですか? こんなに……。君だけを。苦しいくらいなのに」
「やめっ。はなし、てッ」
「京子を抱きたくなりますか? 僕は、君を抱きたくなりますよ」
「…………ッッ??!」
 雷のようなもので綱吉の背筋が貫かれた。
 驚愕で瞳を濡らせば、静かに見返してくる骸が見える。彼は、反応を窺うようにして微動だにせずに立っていた。
 ぁ、と、喉が戦慄いた。並々ならぬ執着心を持っているらしいことは分かっていた。いた、が。それが、そうしたものに行き着くとは、想像すらできていなかった。綱吉には信じられなかった。
「……冗談ですよ。声もでないんですか?」
 ミシ。再び、関節が軋む。率直な痛みと、ショックとで視界が霞みだす。
(冗談? 今のが?!)どこか信じられなくて、綱吉が上目で睨みつける。その睫毛に口づけ、骸は両目をしならせた。口づけたままで、小さく囁く。
「そうですね。僕をないがしろにしてくれた罰でも、あげましょうか」
「っつ、う」腕を解放されて、綱吉がしゃがみ込む。肩の根元に気が遠のくような激痛が残った。鎖が擦れあう金切り音。見れば、骸は折畳式の金属棒を連結させ、自らの身長よりも長い槍を完成させていた。それとほぼ同時、
「十代目ェ!!」
 後方の扉が、蹴破られた。
「やっぱリボーンさんに連絡入れてないじゃないスか!」
「間に合ったのか?」
 獄寺の後ろから、山本がバットを抱えて教室に入ってくる。
「久しぶりですね」骸が飄々と呟いた。
「六道骸……! てめえ、よくも」
「おっと。オレらも居たりすンだぜ」
「!」前方の扉をスライドさせて、現れたのは二人の少年だった。綱吉がうめく。獄寺と山本も渋い顔をした。骸の従者、千種と犬だ。
「思ったよりも遅かったですね」ポケットから携帯電話をだして、骸。
「早い方が良かったんですか」千種がボソリとうめいた。つまらなさそうな色を灯して、オッドアイの少年は首を振る。犬が獄寺を指差した。
「隼人がモタモタしてたから遅れたんだびょん」
「キョーコが詮索しよーとするからだ! クソッ。テメーら……。揃いも揃いやがってよくもおめおめ顔を出せるな!」
「ビアンキ、元気?」
「知るかッ」獄寺は強くかぶりを振った。
「よう」「ども」
 山本と千種の会話は、それだけだった。
 静かにお互いを見つめる。先に視線を外したのは山本で、バットの先を骸へと向けた。
「オレはこっちにお礼したいな。ツナの左目、高くついてンだ」
 いまだに動悸が治まっていないが、綱吉は眉を吊り上げた。千種と犬と合流して、骸が黒板を背中にして立ちはだかる。
「結局、アンタはオレの言うことなんて全然聞いてないんだ。好き勝手に皆を傷つけるさせるわけにはいかないからな」
 やっとの思いで、綱吉は声音をしゃんとさせた。動揺を獄寺たちに悟られたくなかった。今しがた、骸にかけられた言葉も聞かれたくなかった。恐る恐ると、胸元を辿る。
 そこには拳銃がある。けれど、結局、綱吉は違うものを手中にした。小言弾が無いのでイクスグローブは使えない。懐から取り出したのは、一本の鞭だった。
「それなら。容赦できませんからね、オレだって!!」





>> 4. へつづく 


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