群青


2.
「なん、で。ここに――」
 曖昧に微笑んで、骸が綱吉の手首を掴んだ。
「大体のことは終えたので、綱吉くんはどうしているかと思いまして。僕たち、あの日以来会ってないじゃないですか」
 視界が明滅する。自力で立てずに、塀に寄りかかった。骸はまじまじと綱吉を眺める。
「お、まえ……。よく帰ってこれて」
 綱吉は途方にくれていた。確かに髪は伸びたし背も伸びたけれど。
 曖昧な笑みを貼り付けたまま、左右で色の違う瞳を瞬かせる。どうあっても、かつて同じ屋根の下に住んでいた少年だ。赤い背面に『六』の文字。瞬間的な痛みが胸を焦がした。綱吉は、信じられずに喉を震わせた。
「……本当に、骸なの?」
 直立不動のままで骸は目の前に立っているだけだ。
 だけだったが。こんな、絶望的な威圧感が伴う人物だったろうか。
「エストラネーオの研究所がそのまま残っていましたので、有効利用させていただきました」
「今まで、イタリアに……? 何をして」曖昧すぎる笑顔とも言えた。
 何を考えているのか、綱吉には見当すらつけられなかった。彼が、どういうつもりで、わざわざ自分が一人でいる時に姿を見せたのか。
「詮索するんですか? 構いませんけど。ちょっとした特訓です。あのままの私で君達に勝てるとは思わなかったですから」
 飄々と、数年前と変わらないシニカルな語り口で、骸。
 綱吉はゆるく首を振った。何を言ったらいいのか、言葉が見つからない。衝動に任せて吐き捨てた。
「骸さん。もうやめてよ。キャバッローネを潰す気でいるんですか」
「どうして僕の仕業だと思うんですか」
 オッドアイが、驚いたように見開いた。
「おまえしかいないじゃないか。ルッソーニさんを殺して、オレの左目まで奪って、次はディーノさんを標的にするつもりか」
 今年に入ってから、キャバッローネが関わった仕事はことごとく警察に摘発された。内部の誰かが密通しているのは明らかで、ディーノはイタリアマフィア全体の不興を買っている。
「おまえには憑依能力がある。それを使ってるなら、ディーノさんが部下を一人も処分しようとしないのも……、理屈が通る」
 そうした苦境にあるというのに、いまだにキャバッローネは部下の誰一人にも処分を下さない。
 骸が綱吉へと一歩を詰めた。さりげなかったので、反応が遅れた。
 慌てて後退り、骸を睨みあげる。
「そんなに怨めしいの? あの頃は――、うまくやれてたと思ったのに。どうしてここに帰ってきたんだ、骸さん!」
 オッドアイに冷ややかな色が灯る。また、一歩を詰め寄られた。綱吉は忌々しげに両目を寄せた。目の前の少年を、一切恨んでいないというなら確実にウソだ。
(何で。クソッ。皆、どうして酷いことばっかりやるんだ! 骸だけじゃない。リボーンもそうだし獄寺くんも山本も!)ズキズキとする。視界が、眩んだ。
「マフィアなんてなりたくないっていつも言ってたじゃないかッ。なのに……っ。なのに!」
 骸は四十度ばかり首を傾げた。訝しむように目を窄める。
「なのにどうして……っ。何でこんな時にっ。骸さん。やめてよ。来ないで。今、ほんとにいっぱいいっぱいで――」
「綱吉くん? どうしたんですか。興奮してますよ」
「してなっ……。興奮なんかしてない」
 喉を鳴らすのが聞こえた。多分に軽蔑が篭もっていたために、綱吉は目尻をヒクつかせる。誰のせいで。いや、誰がそうさせるのかと荒々しく叫ぶ声がする。
「何とも、何と、もっ。思ってないのか、まさか。母さんはッ。とっ、時々まだ骸の名前をだすよ。アンタが何したか知らない、しら、知らないからっ」
「そうですか。君、それ以上を喋ると舌を噛むんじゃないですか?」
「アッ、う……。う」前屈みになった末、綱吉が膝を折る。
  二年前。赤く染まった部屋、それを見たのを最後にして左側の視界はなくなった。
(もう、左目には視力が戻らない)
 溢れてくるのは、絶望と怒りだった。綱吉は左目を強く抑えた。できるなら、骸を見たくもないし彼に見つめられたくもなかった。全身が心臓になったようにドクドクとしていた。汗が噴き出る。宥めるような手つきで、背中を撫でる指がある。
「…………っっ」
 その手つきがイヤに鮮明に脳裏まで浸入する。
 シャツ越しに、皮膚越しに、浮き出た背骨をなぞる指先。慰めの為に触れているとは思えず、綱吉は両腕を突っぱねた。骸は素直に腕を降ろしたが、皮肉げに口角を吊り上げて見せた。
「興奮しすぎですよ。僕と会えて、そんなに嬉しいんですか?」
「――ンなわけがないだろ?!」
 骸は取り合わなかった。心底から不思議そうな声で、
「君、まだマフィアにならない気でいたんですか? 僕はもう覚悟を決めたのに? ……そういうウジウジしたところ、嫌いだって昔に言いませんでしたっけ」
 と、言ってから腕を組む。綱吉は首を振る。大分、全身の熱が収まってきた。怒りが全身に浸透しきったせいかもしれなかった。
「……何のために、ここにきたんですか」
「理由ですか? 君がここにいるから、としか」
「そんなの理由にならないよ!」
「なるんですよ。僕には」
 なかば棒読みで、だがきっぱりと言い捨てる。
 一瞬、怯んでいたが、綱吉は数秒も挟まずに言い返した。
「キャバッローネがお前を追いかけてるって知ってるんだろ? オレんとこだってもうアンタを歓迎できないよ」
「そんなことはどうとでも――」
「どうでもよくないっ。アンタ見てるとどうしたら良いかが余計わかんなくなるんだよっ」
 顔を顰め、骸が歩み寄る。強く頭を振り回した。
「だから、来ないで下さい。やめて。骸さんが生きてるのは良かった。でも、だからってオレにはもう何もできない。行ってください。オレの前にもう現れないで!」
 骸が、耐えかねたような苛立ちを声音に混ぜた。
「いつでも被害者でいようとしますね。別にいいですけど――少し誘ってるみたいだ」
「何を言って……」綱吉が顔をあげる。が、骸の両目を見て、咄嗟に後悔をした。彼は綱吉を見下ろしながら、けれど綱吉を見ていなかった。どこか虚ろに、独りごとめいた呟きをこぼす。
「――やっぱり、まだ足りなかったんですね。綱吉くん」
「む、むくろさん?!」危険だと直感が告げた。
「徹底的に教えてあげたつもりなのに。そういう鈍感なところ、好きだけど嫌いですよ」
 声を潜めながら骸が綱吉へと焦点を戻す。素早かった。顎を鷲掴まれたと、綱吉が認識した途端に背後へと叩きつけられた。校舎を取り囲んだ塀が、ガァンッと鈍く音を立てる。
「――――っっ!!」
 視界の明滅。間をおかずに、右頬に強烈な熱が生まれて吹っ飛ばされた。
 顔面から道路に落ちて、視界も思考も真っ白に消し飛ばされる。顔面がもげたような痛みが収まらない内に、骸が後ろから襟首を掴んだ。いまだに拳を解いていない。薄目を開けて、それに気付いて綱吉は手足を震わせた。
 うっすらと見える校門も、桜も。校庭を周回する生徒たちも、全てが別世界のように思えて、助けを求めるという選択肢が霞んでいく。冷徹な瞳がある。口唇だけを笑わせていた。
「受け身も取れないとは、話になりませんよ。ま、予想通りですが。……なんで、泣くんですか?」
「オレがっ。バ……、バカだった」
 神経質な仕草で、骸が片眉を持ち上げる。
「君はいつでも僕の本質を見誤っているよう思いますがね。その左目、どこの誰が潰したか理解できてるんですか?」
「アンタだっ!」
「それがわかるのに、どうして……」
 嘆くように空を見上げて、しかし、骸は校庭を振り返った。
 慌てて駆け寄ってくる人影が複数。
「何をしてんだぁ、そこ!」
「ツナ、ケンカか?!」
「……、まあいいでしょう」
 呟きと共に骸が背中を向けた。ほとんど同時にゾッとしたものが綱吉を揺さぶる。肩越しに振り返った骸の眼差しは、蒼い眼差しは醜く歪んでいた。
「一つだけ。君は、やっぱり友達を選んだ方がいい。今のゴミどもは馴れ馴れしすぎて不快だ」
 総毛立つほどの冷気。抑えつけようとした怒りが、それでもしっかりと浮き彫りになっている。綱吉が絶句している内に、骸は立ち去った。




>> 3. へつづく


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