これもひとつの平行世界
(一満の桜がごとく!)




 硝煙弾雨の中を駆け抜ける。
 予測された未来だ、だが昔は拒んでいた。
 あ、と、小さくうめいて青年は両目を閉じる。ビシャアアッと、生暖かいものが噴きつけた。血煙が目鼻から靴先までを濡らしていった。
「雨……、降り……」
 パチりと、目を開ける。傍らに人影があった。
 同じように血を浴びて、黒いスーツをさらにドス黒く染めては異臭を放つ。山高帽子の裾には、カメレオンが舌をひょろひょろだして血を鬱陶しがるような仕草をした。
「死体を蜂の巣にすンな。弾の無駄使いだ」
 人影は背の低い美少年だった。
 陶器のような白肌に、まだらな赤い飛沫がこびりついている。
 青年は、彼の両手にあるマシンガンを見つめた。片方は少年のもので、片方は、青年自身のものだ。両手を見下ろしつつ、頷いた。
「またやったのか。リボーンが止めてくれたの?」
「ハン。全滅くらい見分けてくれるとありがてーんだけどな」
 ありがとう。囁いてから、不安げに首を傾げた。
「当たらなかった?」
「ばぁか。オレがダメツナなんかの弾に当たるわけねー」
 肩にマシンガンの銃身を引っ掛けてみせた。昔はちんちくりんの赤ん坊だったが、いまや目を見張るほどの美少年だ。その美少年が、馴れた手つきでスーツケースに銃器を仕舞いこむ。ボンゴレ十代目たる綱吉にとっては、既に見慣れた光景だが、常人にとっては我が目を疑う光景だろう。リボーンは家庭教師でもあり家族でもあった。ちょっと微妙な関係でもあった。
 綱吉は、いまだ爆音が響きわたる白塗りのビルを見上げた。
「そろそろ隼人にダイナマイトを控えるよう言った方がいいよね? ビル倒壊するよ、あれじゃ」
 血塗れのまま携帯電話を取り出す。短いコール音のあと、返事をしたのは山本だった。
『おっ。ツナ、無事か?』
「うん。そっちは?」
『獄寺が逆ギレして大変だったぜ。もー、近くにヒバリと骸もいんのにダイナマイトぶっ放しちまってよ。今の損害、半分は獄寺とヒバリがやり合ってだしたもんだ』
「へえ……」
 半眼になりつつボンゴレ十代目はビルを見上げた。
 視認できるほど東側に傾斜している。日の出前に特攻をしかけたため、今になって朝日が街並みの置くから顔をだしていた。傾いたビルの置くから朝日が昇る。
 いささか破滅的な光景にウンザリとして、沢田綱吉はボンゴレとしての命令を下した。
「もういい。作戦終了だ。コロネロが了平を救出した――」
 ぶつんっ。唐突に、携帯電話の機体そのものを打ったような音がした。山本とは違う声が電話口にでた。
『ボンゴレですか?』
「骸か。山本は」
『他なんてどうでもいいでしょう。医者の手配を頼みますよ。どっかの管理不行き届きな駄犬のせいで怪我しました』
「誰が?」いささか胡散臭そうに綱吉が眉根を寄せる。
 電話機の向こう――つまりは倒れかけたビルの内部から、彼が性格悪くもゲームをしかけてきたことはわかる。
『もちろん僕が。まあ、駄犬も怪我してますけど。責任取ってくれますよね』
「まさか……。怪我はそいつの責任だろ。避けてみせなよ。それくらいの爆撃だっただろ?」
『クフフフフ。手配、お願いしますよ』
「言う割りには元気そうな声してンじゃねーの」
 すぐ傍で嘲りが聞こえた。リボーンだ。ボンゴレの反対側から、携帯電話に耳を押し付けている。綱吉は中腰になったままでウンウンと頷いた。声だけは変わらぬ調子で告げる。
「医者のことだけはわかった。で、命令聞いてよ。作戦終了、撤退します」
 はいはい、了解。
 小さな返事と共に、通話が切れた。
 綱吉は傍らのリボーンを振り返る。頭一つ分、綱吉も背が小さい少年はカメレオンについた血を拭っていた。もはやビルを振り返ることなく、綱吉は死体を避けて道を引き替えした。
 やや離れたところで、怯えきった様子の部下たちが畏怖の眼差しを送っていた。
 血の雨降らし、ブラッディ・レイン、そんな異名がある。
 綱吉は堂々たる足取りで血塗れのまま部下の前に立った。日本人であるためか、個人としての資質か、背はあまり伸びなかった――、代わりに尻尾のように後ろの襟足を伸ばしてみた。
 その襟足をくるりと翻しつつ、綱吉は部下の顔ぶれを見渡した。片腕を広げる。部下たちがギクリとしたように肩を縮こまらせた。
「――ごくろうさま。君達には特別な慰安を後であげるよ。撤退だ、五分でここを引き揚げる」
「は、はいっ!」
 死傷者の回収に向かう者、車を連れに戻る者の背中を見つめつつ綱吉は肩で息をした。彼らが何を見たのか――、推定してみると憂鬱になる。
(だめだ、やっぱり正確に思い出せない。記憶ってぼろぼろだなァ……。別に困らないけどさ)電話越しにコロネロと連絡を取っているところで、電波を察知されたらしく敵陣に見つかった――咄嗟にライフルをだした。そこで記憶はブチンと途切れて、あとは顔面で血煙を受け止めたことだけだ。
(血の雨……、ブラッディ・レイン――、鉄の、痛み)
 ずく、と、心臓を掴まれたような衝撃が走る。綱吉は思考を止めた。敵もなければ味方もない。動く標的に銃口を向けて、人とわかったならば蜂の巣に仕立て上げる……、そんな狂気の塊に変貌する。この症状には医者ですら匙を投げた。
(あー、仕事仕事。了平を助けられてよかった。なんかあったら申し訳なさ過ぎてもう京子ちゃんに手紙も書けないよ。ただでさえ半年くらい生身で会えてないのに)
 足音に振り返れば、リボーンが背後にたっていた。ドス黒く変色したスーツのまま、血飛沫のこびりついたスーツケース片手にスラリとした痩身を晒している。
 不意に興味が湧いて、綱吉は鋭利な輝きを灯す黒目を見つめた。
「今日のオレ、点数つけるとしたら何点?」
「ん? ……七十一点ぐれーかな」
「了平を救出したのに辛口なのかよ」
「日の出前に撤退する、って作戦だったろがボケめ」
 美少年は背後で白く燃える太陽を指差した。ウグと喉をつまらせるのは綱吉だ。リボーンは、黒目に物憂げな光を灯した。
「銃裁きは相変わらず見事だったがな。弟子としてもボスとしても、申し分ねーよ、テメー」
 語尾になるに従い、声が細くなる。ボンゴレは両目を瞬かせた。
「でも、あいつとしばらく接触してないんだろ。筋でわかるぜ」
「? どういう意味?」
「そうでもしなきゃテメーがあんなことできるわけねえってことだ、すまねーな。オレも大概非人間で」
「はあ……?」「まあ、ある程度しか許さねえけどな」
 ぶつぶつとリボーンがうめく。綱吉は、不可解だと思いつつも部下の呼びかけに返事をした。とりあえず、一端は屋敷に戻るのだ。





 ブラッディ・レインには見境がない。いつから芽生えた狂気であるのか、綱吉には見当のつかないことだったが……。馴れたものだった。
 有力マフィアのボスとして君臨してから数年が立っていた。
 名前も知れたし、良いことも悪いことも同じくらいやってきた。今回のこれは、悪いことかな。思いつつ、病室に持ち込んだバラの花束を花瓶に移し変えているところだった。
 信じられない思いで、綱吉は金髪の少年を見返した。
「きょ、恭弥がボンゴレを抜けるゥ?」
 うーむ、と、唸り声をあげてコロネロは頬を掻いた。緑色の軍服にヘルメットのスタイルは相変わらずだ。迷彩柄をした水色のバンダナが、金髪に映えてキラキラとして見えた。
 了平救出後に病院で落ち合うのが彼らの約束だった。
「噂話だぞ、コラ。……やっぱり初耳なのかよ」
「あ、ああ――」綱吉は曖昧に頷く。
 部下同士の噂話であるなら、綱吉の耳に入らないのは当然だ。彼等はボンゴレ十代目を敬愛すると共に酷く恐れている。近くにいると、規格外的な実力をもつ幹部以外の人間はほとんど暴走した綱吉によって殺されるからだ。
「スカウトが来てるらしーぞ」
 ムッ。ボンゴレ十代目は眉根を寄せた。
「ウチの経理に変な色気出そうって? 冗談じゃないね、どこのファミリーだよそれ」
「政府筋」
「ぶうっ?!」
 花瓶に水を入れようとして、綱吉がヒクヒクとする。
 割って入った声ははリボーンだ。リボーンは、扉の前に立ったままで病室を見渡した。窓辺で花瓶にバラを差すボンゴレ、了平が寝込むベッドの向かいでイスにつくコロネロ。
 見舞いのボクシング雑誌を了平の上に放ってから、壁に背中をつけた。ゆっくりと腕を組む。彼がここに来ることも約束のうちだった。
「まあ、何でもアリだな。雲雀恭弥の有能ぶりは誰が見ても明らかだ。元からアイツ、風紀とか正義とか大好きだからな。打診がくるのも理解できる」
 綱吉は、弱々しくうめくと共に窓の外を見上げた。
「こ。この国の政治も腐ってる……」
「だからこそイタリアンマフィアがいんだろーが、ボケ」
 頬杖をつきつつ、つまらなさげにコロネロが吐き捨てた。その水色がかった瞳は、ベッドの上で寝込む了平を見下ろす。。
「様態は?」コロネロに向けてリボーンが問いかけた。
「臓器に損傷はなし! 骨が折れただけだ!」
「うおっ? 起きてのかテメー」
 仰け反るリボーンに、了平はニッと歯を白く光らせた。若干、犬歯が欠けている。
「これしきなんてことはなかったぞ!」
「まあオレの訓練の賜物だな、コラ」
「その通り! 極限であれば死ぬことなどない! 雲雀にもオレから説得してやろう! ボンゴレファミリーに留まれと言うくらい容易いぞー、この極限パワーをもってすれば――」
「い、いやいや。恭弥に半殺しにされかねないよそれ」
 ボンゴレが口角を引き攣らせる。リボーンとコロネロが同時に綱吉を見上げた。物言いたげな瞳だ。えっ、と、今度こそ青年は訝しがった。
「そら、恭弥は引き止めるよ。でもリボーンがやればいいだろ?!」
「オレ、正式なファミリーじゃねーし」
「じゃあ、コロネロ……。まだ雲雀さんと気が合ってる方だろ」
「あのムスッとした日本人だろ? 勘弁しろ。それにオレ一応は部外者だぞコラ。来週にゃマフィアランドに帰る」
「え、あと三日じゃん……」綱吉が肩を落とす。隙を見つけたといわんばかりに、金髪の彼はニヤニヤと口角を吊り上げた。
「寂しいのか、オイ。たまにはツナからオレんとこ来ればいいんだぞ」
「馬鹿ネロ。色ボケ。十年ほどやることが遅ェ」
 ごうっとリボーンの背後で炎が吹き上がった……ように、見えたが、綱吉は気付かないフリをして額を抑えた。リボーンとコロネロが事あるごとに張り合うのには馴れた。目下の悩みはどうやら雲雀恭弥にの離脱問題になるのか――、と、意識を飛ばしかけたところで、顎を抑えてうめきだした。
「つーても、オレ、あんま会話ないし。何をいっていいのか」
「お前がいないとファミリーが動かない、とか、口説いてやればいいんだろ」コロネロと睨みあっていたが、思い出したようにリボーンはボンゴレ十代目を見返した。
「テメーが女にしてるのと同じやり方だ」
「あ、な〜んかイヤな言い方、それ」
「じゃあオレがテメーにするのと――」
「だあああああっっ!!」奇声をあげて身悶え、慌てて了平の耳を塞ぎに飛び込んだ。だが、当の了平は両耳を塞がれてもキョトンとして綱吉を見上げている。
「? なんだ、仲良きことは素晴らしいぞ」
「あ、ああああ。そうなんだけど……、ううう」
 綱吉の背後ではコロネロが嫌そうに眉間にシワを作っていた。膝の上に肘を置いて、頬杖をしたまま低くうめく。
「ねちっこい男とかイヤミな男は嫌われるぜ、リボーン」
「ハン。教師と弟子の仲に口出しすンじゃねーよ。とっととマフィアランドの警護でもしてろってんだ」
「ほーお。じゃあ、ツナ。おい、おいって、ブラッディ! テメー、オレに教えられたことあったな。じゃあオレの弟子でもあるぞコラ!」
「…………」すうっと美少年は両目を細めた。
 危険信号だ。コロネロが肩から掛けていたマシンガンを振り下ろし、リボーンは両腕を振りかぶって二挺の銃口を突きつけた。
「あ、危ないっ!!」
「うおおお! 極限だなっ?!」
 了平を突き倒し、ベッドの下側に転がり込む。
 ドガガガガッ!! 壁に銃弾がめり込む音が続く。自らも戦おうとジタバタ暴れる了平を死に物狂いで押さえつけつつ、綱吉はハッとして動きを止めた。
(結局、オレが恭弥の引き止め役になるのォ?!)
 ――ここ半年くらい、ろくに喋っていない気がした。顔は合わせるが、相手も口数が多い方ではないし、綱吉も中学時代の思い出があって気安く声をかける気にはなれないでいる。
(…………。何考えてるかわかんないもんなぁ)
 そもそも、綱吉には雲雀恭弥がなぜボンゴレファミリーに入ったのかがわからなかった。リボーンとは確かに仲が良かったが――。彼は、誰より群れることを嫌っていたのに。
「りょ、了平さん!」銃撃音を聞きつけた部下たちが飛び込んできたのか、病室はますます泥沼の様相を醸していた。マフィア経営の病院でなければ即警察を呼ばれるだろう。
「なんだ?」悲鳴の最中、了平は自分に覆い被さるボンゴレ十代目を丸い瞳で見上げた。
「雲雀恭弥ってどういう人間なんですか?」
「ああ。アイツは見たままだぞ。非常にわかりやすい!」
「……な、なんて言って引き止めるべきだと思う?」
 少し言葉を変えると、青年は、考えるような落ち着いた眼差しを向けてきた。
「大丈夫だろう。アイツは、お前が好きだぞ。沢田綱吉」
「…………ええ?」
 疑わしげに首を傾げる。病室に、看護婦の怒声が響きわたった。



>>つづき へ






>>>もどる