これもひとつの平行世界
(一満の桜がごとく!)
玄関を出るところで、綱吉は呼び止められた。
その青年も病院の玄関からでてきた。稲妻模様の分け目の後ろ半分は、後頭部に巻かれた包帯によって覆い隠されていた。簡単に、シャツとスラックスのみの格好だ。
綱吉は苦々しい眼差しで青年を見つめ、自らの襟元を正した。別のスーツに着替えたが、まだ身体には血の臭いが残っている。この男はそれを嗅ぎつけることに長けていた。
「骸。怪我は大丈夫だったの?」
「はい。おかげさまで。弾が掠っただけです」
骸は笑顔で自らの左側頭を叩いてみせた。
「今、精密検査の途中だったんですけど……。君が見えたから出てきちゃいました。屋敷に帰るんですか?」
頷くと、骸は綱吉の隣にたって後についてきた。
「? 検査は?」
「もういいんです。君とリボーンたちがここで落ち合うって話してたから、僕もここに来たかった」
「……骸、ワザと弾に当たったの?」
「…………」骸がにやにやと歯を覗かせる。
する、と、綱吉の腰に手がかかった。
「わかりましたよ。今日も、戦闘中に意識が――、トンだでしょう?」
「おまえ、オレのこと、とことん嫌ってるのか大好きすぎるのかどっちかだよねえ」
病院の前にはベンツを止めてある。そこに行くまでの辛抱だと言い聞かせて、綱吉はジトりと骸を睨んだ。だが、相手は平然としている。楽しげに、唇が蠢くのが見えた。
「僕と君以外のすべての人間に――」
「? むくろ……」
視界が急激に狭まった。
骸以外のものが、緑もコンクリートも病院の門も何もかもがブラックアウトするような――、奇妙な感覚だ。虚脱した身体を受け止めつつ、骸が言葉をつなげた。
「血の洗礼を」びく、と、綱吉が短く痙攣した。
「う、あっ。う――」
瞳は開いているが、光がない。
半開きになった唇を見下ろしながら、骸が口角を歪めた。
「このところ暗示をかける機会がなかったものでね。そろそろ、人形に愛撫を施さなければならないと思ってたんですよ、ボス。いい子にしてましたか?」
頬に添えられた手を綱吉がぼんやりとした瞳で見つめる。そうこうとしている間に、骸が病院の前に停車していたベンツの窓を叩いた。
運転手の交代を告げ、綱吉を助手席へと押し込める。
「さて、じゃ帰りがてらに聞かせてもらいましょうか」
ハンドルを握りつつ、骸。車内には二人しかいない。ボンゴレ専属の運転手が、外から奇妙そうに綱吉と骸とを見つめるが――、車体が動き出すと、すぐに見えなくなった。
「何人殺しました? このところ、身に起こった変化などありますか?」
「う……、よ、にん。一人、は、部下。頭カッとして……、わかんなく、て、撃った……殺して、きた」
ひくひくと戦慄きつつ、綱吉が骸の肩に手をかけた。
辛抱が効かないとでも言いたげな手つきだ。
「…………」骸がブレーキを踏んだ。ぜえぜえ、呼吸を荒くしながら、ボンゴレ十代目は縋るように骸の両目を見つめていた。じぃっ、と、貪るように見つめつづける。
「そうですね。その調子です」
くすりと妖艶な微笑みが骸を彩る。
猫の顎でも撫でるような手つきで、綱吉の顎を愛撫した。虚ろな眼差しが切なげに歪む。しかし、綱吉は骸の両目から視線を外さない。
(この目。血――、赤い――、血の雨……。降らせないと……。オレとこの人以外、血だらけにしないと……。雨……、ああ、雨が降らない。乾いてる。苦しい)うつらうつらとした思考だった。
キイイイィィ、と、耳鳴りがする。まるで催眠術か何かにかかってでもいるような――そんな気分だった。呆けた両目を、ただ無心に見つめてくる綱吉の瞳に見入りつつ、骸が喉を鳴らした。
「今度、適当なものを連れてきてあげますから……。狙撃の練習しましょうね。もっと頑張ればリボーンも殺せるかもしれない」
「はい。……はい、骸」
「いい子ですね。大丈夫ですよ」骸は綱吉を自らの膝の上へと乗せた。車内の席上で男二人が向き合って座るのは苦しかったが、綱吉は自ら股を開いて骸に跨った。
「何があっても僕と君だけは残りますからね。ねえブラッディさん……。そう、僕の目を見て――、苦しいでしょう? 乾くでしょう?」
「うん……。乾く。乾く」
骸が綱吉の髪を梳いた。(……だから、血が欲しい)
相手の胸に顔を埋めつつ、綱吉が切なげに目を細める。この感触だ。それにココにある眼光。これが無いと。満足げに喉で笑い、骸はブラウンの頭髪の中へと顎を埋めた。
「君は素質がありますよ……、そう、そうして忠実な人形でいるなら、優しくしてあげますからね……。ク、クフ」
胸でつぶれる青年に、懐から取り出した拳銃を握らせる。綱吉はぼんやりした眼差しのままでそれを握りしめた。これを使えばいいんですよ、と、囁き声が木霊する……。
(かわいて、かわいて……、干乾びそう)
途切れがちな思考の中で、綱吉は目を閉じた。気持ちがいいのと、気持ちが悪いのがブレンドされたような奇妙な心地だ――、しかも、自分ではない誰かに強引にやられているような。眼をとじていても相手の眼光がある。怪しく光る度にゾクゾクとして背筋が反り返った。
(…………――――、う、ん?)
と、夢うつつな世界に突如として冷や水が混じった。
上に引っ張られたような、奇妙な気分だ。朝のまどろみに似ている。定期的に振動があった。手足が揺さぶられている――。と、不意にハッとして、ボンゴレ十代目は飛び起きた。次の瞬間、
「どわあぁああああ!!!」絶叫するほどに驚いて、慌てて六道骸の腕から転げ落ちた。
「なっ。あ、あれっ。いつの間にココに?!」
なぜだか、横抱きにされて屋敷を歩いていたようだ。周囲を不安げな顔をした部下たちが囲っている。
「あ。起きました?」骸は平然としていた。頭には包帯を巻いたままだが。
「ボス、大丈夫ですか」
「疲れが貯まったんスね」
「つ、疲れ……?」呆然とうめいた――、ところで、嫌気に満ちた呻き声が届いた。部下たちがザワりと僅かに動揺する。骸が片眉をあげた。
「何してるの。こんなとこで」
両手に書類を掴んだ雲雀恭弥が胡乱げな眼差しを一団に送りつけていた。たじろぐ周囲を無視して、ずいずいと廊下を進む――、目の前を通り過ぎていく。あああ、と、綱吉は内心で断末魔をあげた。これは大チャンスだ。色々と骸に問いただしたいことはあったが!
「ま。待って。恭弥! 話があるっ」
「……――君が?」
不思議そうな話をしたが、ヒバリは頷いた。
ヒバリの第一声は実に簡単な内容だった。その一言だけで、事態は解決したともいえる。雲雀恭弥は中学生の頃から背が伸びた。スラリとした身体を、ストライプ付きのブラックスーツに収めていた。
「はぁっ? そんなの一ヶ月くらい前に断わったよ」
「…………」(こ、コロネロぉおおお!!)
いや、この場合は噂話をしていた部下たちか!
内心でこのやろうと思いつつ、綱吉は営業的な笑顔を浮かべた。引き攣っている。
「あ、そォなんだ」
雲雀は会議室の壁にもたれて腕を組む。じ、と、冷眼を送ってくる。
「いや、あの。そんな噂話がある、っていう、ね。ホラ、それなら、引き止めなくちゃと、思って……」
「へえ。まぁ、君たちあんま細かいこと考えないもんね」
手にした書類をハタハタとさせつつ、ヒバリ。綱吉は会議室のイスから立ち上がると頭を下げた。
「変なこといいだしてすいませんでした。ありがとう。じゃあ、業務に戻っていいです」
ヒバリは顎だけで頷いた。――と、何かに気がついたように綱吉を振り返る。
「恭弥?」彼の黒目は、綱吉を通り越して背後にある窓を見つめていた。彼は心ここにあらずといった様子で呟いた。
「桜……。なんで?」
「え」見れば、窓の向こうに大量の桜が舞い落ちていた。見覚えのある金髪が陽光を浴びている。キャバッローネファミリーのボス、ディーノだ!
「ディーノさん、どうしたんですか?!」
「おっ。ツナ! いつ帰ってたんだ?」
すぐさま窓を開け放てば、青年は喜色満面の笑みを返した。
会議室は一階にある、彼は挨拶も後回しにして「外に出ろよ!」と笑いかけた。
「そ、そうじゃなくてっ。桜なんて――、うわ、昨日までなかったよな?!」
「今朝持ってきたんだ。まー、ここの屋敷がモヌケの空だったから勝手にやってるけど。あ、幹部の救出成功したって? おめっとさん」
「あ、ああ、うん。はい。大体は予定通りにバッチリ」
ディーノは監督官でもあるらしい。メガホン片手に、桜の上場所について指揮を飛ばしている。ボンゴレ邸の庭師たちは、喜んでディーノやキャバッローネの部下に混ざって桜の木を植えていた。
「あー……、オレが世話してるバラが……」
バラは桜の花びらに埋没していた。よくもこれだけ、と、言えるほどに庭が桜だらけだ。
「いやさ、ジャッポーネってチェリーブロッサムで花見すンだろ? ずっと前にツナたちがやってるのに混ぜてもらったじゃねえか……。いつか、コッチでもやりたいって思っててよ」
「ああ、ありましたっけ、そんなこと」
窓枠に頬杖をついて、ボンゴレは桜を見上げた。
はらはら。仄かなピンク色が散らばっていく。どこか、血を連想させたが、もともと桜には死体にまつわる噂話も多いのだ。根本には桜が埋まっているから、花びらが赤く染まるのだとか。綱吉は悪戯っぽい気分になって口角をにぃっとさせた。
(でも、綺麗だな)その様子にディーノは気を善くした。
綱吉の腕に手をかけて、鼻先を近づけてくる。深めの、黄色い瞳だ。女を誘うかのような手つきで、ディーノが綱吉の頬を撫でた。
「花見、しよーぜ。ジャッポーネ出身のボスさんよ」
「うーん。ディーノさんって、オレのツボ突くの上手いよねえ」
くすくすとしていると、背後に人の気配を感じた。
すぐ後ろのヒバリがいる。眼を丸くして、じっと桜を見つめている。自忘しているような、呆けた目つきだ――、そんな目つきは初めて見る。
綱吉がまじまじと見つめていると、ヒバリは我に返ったように身震いした。探るように綱吉を見返す。その様子がどこか真に迫っているよう感じて、綱吉はポロリと声をかけていた。
「花見するって言ったら、恭弥も来る?」
(そういえばこの人も数少ない日本人仲間か)ヒバリは、綱吉にとっては意外すぎるほどあっさりと頷いた。どこか神妙な面持ちで桜を見つめながらだった。
その横顔にはギャップがあった。冷徹で凶暴な人、と、そんな認識しか持たないボンゴレには新鮮味のあるギャップだった。小首を傾げて、綱吉は疑問を口にした。桜を見つめる。
「恭弥って、何でずっとウチのファミリーにいるの?」
「…………。大事なものがあったから」
「? 過去形?」
ヒバリは答えなかった。ただ、一言だけ告げた。
「僕はここから離れない」
頑なですらある眼光をしていた。
雲雀恭弥は、桜を睨みつけると踵を返す。ディーノも綱吉と同じに不可解だと言わんばかりの面持ちを浮かべた。こそり、ボンゴレに耳打ちする。
「気難しそうな男だな、あいつ」
「うん……。そうなんだけどね。でもいい人だよ」
綱吉は少しいい加減なことを言った。――と、怒号が聞こえた。
「盗み聞きってタチ悪くない?!」
「あっ」雲雀が腹立たしげに歯軋りしていた。
扉を支えにして盗み聞きをしていたのだろう。いくつもの人間が折り重なって会議室のカーペットの上に倒れていた。一番上にいた六道骸は、サッと素知らぬ顔で人の山からどいた。
「おい、コロネロ、話が違うぞ」
「あ〜〜、人伝てのハナシってのはダメだな、こら!」
一番下にいるのがコロネロだ。どけ、テメーら! と、リボーンやら山本やらを蹴り飛ばす。山本はへらへらしながらヒバリに笑いかけた。
「なんだ、ホントただの噂だったのか。よかったよかった」
「……っ、君らねえ。噛み殺すよ!」
「おー。ヒバリ、よく断わった」
美少年がグッと親指をたてる。ヒバリは文句をいいたげな顔をしたが、扉の向こうにはまだ大量の黒服男たちがワラワラしてるのを見てため息をついた。額を抑える。
「あのねえ……。まったくさァ。僕、群れるの嫌い」
「でも花見にはくるんだろ?」
ヒュウッと口笛を吹いて、山本。目の上に平手を当てて、愛しげに桜を見つめていた。
「行く」ぷいと顔を反らしつつ、ヒバリが乱暴に告げた。
それを見つめつつ、窓の外からディーノに頭を撫でられつつ、ボンゴレ十代目はゆったりとした声で宣言することにした。今朝、ひとつのヤマを越えたばかりだ。こんな休息も悪くない。
「じゃあ、明日は隼人と了平を呼び戻そう。桜って夜も綺麗だし――、ライトアップ頼める?」
窓の外の庭師に向けてだ。彼らは――なぜだかキャバッローネファミリーの連中も混ざっているが。ともかく、庭師たちもキャバッローネファミリーもボンゴレファミリーも歓声と共に拳を振り上げた。
「よし、決定だ。明日はボンゴレファミリーで花見!」
綱吉は腰に手を当てた。その拍子に、襟足が尻尾のようにクルンッと丸くなって胸元にぶつかった。一部では死者すら冒涜するといわれるボンゴレファミリーだが、一方では、あそこまで能天気なファミリーも珍しいとか言われていたりする。
日本直輸入の桜が、風に煽られるたびに枝葉を躍らせていた。綱吉も嬉しげに手を叩いた。
「久しぶりだなぁ! なぁ日本酒かってこようよ!」
かつては拒んだ未来ではあるが、いざ、直面しているとそれなりに愉快なこともあるのだ。楽しげに買い物の計画を語るボンゴレ十代目に、数分後、リボーンが厭きれて拳銃を振りかざした。
「計画の相談だけで日が暮れっちまうぞ! ンなにうれしーかテメエ!」
「ちょ、撃つなよ?!」
青褪めつつ、ボンゴレは頷いた。
「ああっ……、そうだよ、当たり前じゃないか!」
ひらひらと窓の向こうで桜が散る。
会議室では、各々の席にファミリーが着席していた。議題は明日の花見について、である。雲雀恭弥は、あくびをしながらも窓の外を見つめていた。静かな眼差しだった。
おわり
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