底から這い上がる蛇のした

 


 第一印象などというものがなかった。
 ただ、動物めいた本能で、目を合わせてはいけないと悟った。
 少年が不自然に視線を反らす。それて、彼は、少年の存在に気がついた。青と黒の混濁した頭髪を揺らして一歩をつめる。
 その動きを敏感に感じ取って、少年が一歩をさがる。小さく開いた唇は、悲鳴をあげようとしたのかもしれなかったが、次の瞬間に起きた出来事で両端まできつく引き結ばれた。唇の真下にえくぼが浮かんで、そのさまは痛みを耐える顔つきに似ていた。
「な、なんですか……?」
 掴まれたのは右の二の腕だ。
 彼は、人間味のない眼差しを少年に与えた。
 右目は赤く、左目は青い。高く通った鼻筋に薄く張り付いた唇に、ゆるやかな三角を描く顎のライン。精巧にできあがった顔立ちだった。肌に吸着させたかのように着込んだ上下の黒から、体つきも申し分ないのだと推し量ることができた。少年はごくりと固唾を飲む。
 帽子がわずかにズリ落ちた。赤いウサギのシルエットはコンビニエンスストアのロゴである。
 少年のシャツは白と赤とのストライプで、白いスラックスから伸びたサスペンダーが左右の肩に引っ掛けられていた。
 ゆうっくりと、彼は口角を持ち上げた。
 握られたままの腕からは体温が伝わってこなかった。
 皮製の、黒い手袋で熱が遮断されているためであるが、しかし少年には彼自身に熱がこもっていないためであるよう感じられた。
「お、お客さま……」少年が眉根をすり寄せる。
 彼は、ますます口角をあげた。
 きつねのように目を細くさせて、腕を掴む力を、強く。強くさせる。
「何か、探してるものでもあるんですか。わかんないなら教えますよ」
 彼は首を振った。ニッコリと満面の笑みが続いた。先ほどの、能面のような印象が掻き消されて、もとの顔立ちと相成って華が咲いたかのような色鮮やかなものだったが、少年はゾクリと背筋を粟立たせた。外の、視覚でえられる情報を信じてはいけないと戦慄いてささやく。ささやくものは、自らの内側にある動物めいたもので少年は密かな現実逃避をした。深夜のコンビニエンスストアに定員はひとり、客はひとり。彼は、縛めた腕を離さないままで逆側の腕を伸ばした。
 少年に確認させるよう、緩慢にしなやかに。
 ヘビがエモノをぐるりと取り巻く動きに似ていた。
 緩慢で、しなやかで、たしかな意図を持ってして、そうして彼の指は少年の首筋に噛み付いた。
「…………っ?!」
 緩慢に五本の指が喰いこむ。
 緩慢に喰いこんで緩慢に締め上げる。
 目を見開く少年の唇が震える。悲鳴はこぼれなかった。
 次第に口角に泡が浮かぶが、それに気付くと彼は嬉しげに微笑んで首をだした。
 ペロリと。真っ赤な舌が少年の目に移る。丹念に舐め取られていくのを感じながらも膝が折れた。
 重力に引かれてしなだれるまでは追いかけてこなかった。少年は深淵に横たわった。意識は、まばらに、残っていた。薄汚れた床板に頬を押し付ける。皮製の、黒いブーツが目の前にあった。
 ニコリとした顔が上にあった。彼は肩で笑っていた。
(ああ、殺されるのか、オレは)
 ぼんやりと少年が自覚する。
 少年の名前は沢田綱吉だ。
 唇の周りを指で辿りながら、彼はその名を口にした。
 ヘビのようにしわがれた声。ケモノのように底光りする瞳。まるで悪魔のようで、悪夢のような現実だ。綱吉は目を閉じる。しかし、彼は指を伸ばして、覆い被さった目蓋を無理やりにひっぱって、綱吉の両目を見開かせた。
 彼が唇で何かを喋る。ヘビのようにしわがれた声だ。ケモノのように底光りする瞳。
『――――……、―――。……?』
 感覚全てが遠のいていた。人差し指と親指で無理やりに眼球を覗かれたままの格好で綱吉は四肢を投げ出す。うっとりとした笑みすら見せて、彼は、綱吉の指をとりあげて、人差し指の、爪先へと口づけた。
『…………』
 笑みが彼を鮮やかなものにする。
 黒に覆われた蛇に人の体温を与える。
 愛しげな手つきで綱吉の顔を撫でると、彼は、無造作にその体を担ぎ上げた。彼の肩から両手と両足をぶらりと投げ出しながら、思うことは、
(よかった。これで……、マブタ離してくれたから、目、閉じられる)
 その二言だけで意識を収束させた。壊れるときには容易く壊れるものなのだ。人というのは。

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