スクールHIGH!
二日目・開始
ふあ……、と、あくび混じりに登校した六道骸は、教室の入り口に立ったまま硬直した。片手で引き戸を抑えたままだ。
がっちりと出入り口を塞いだが、文句を言うものはいない。皆、六道骸の後ろ姿を見るなり――その独創的な髪型と、制服の下に迷彩柄のシャツを着込んでいる彼は遠目でもすぐに判別がつく――反対側の戸へと向かった。
だが、骸は普段ならしないことをした。
そそくさと後ろを通り過ぎようとした生徒の襟首を、鷲掴む。
「ちょっと。あれは?」
鋭い声で告げて、顎をしゃくる。
雲雀恭弥が、イスを跨いで背後の生徒と喋りこんでいた。淡い茶色の髪をした少年が、機嫌をうかがうようにしつつも会話をしている。
骸には、珍しいを通り越して奇怪な光景に見えた。
「転校生……? なぜ恭弥が?」
知らない! とばかりに生徒は首をふる。骸はつまらなさそうに目を細めた。
「使えないですね。もう行っていいですよ」
「ひぃいいいっっ」
転げるように逃げてく背中には目もやらず、骸は教室に入った。じろじろと雲雀と転校生とを見つめる。と、転校生がふりかえった。雲雀は、気がつきながら無視。それくらい骸にもわかっていた。
「こんにちは。ウワサの転校生ですね」
「あ、はい……。よろしくお願いします」
言いつつ、綱吉は、まじまじと骸の迷彩柄のTシャツと両耳のピアスの群れを見つめていた。やがて唇を引き結び、瞳だけで戦慄する。綱吉は遠慮がちな会釈をした。
骸がジッと検眼を向けること数秒、雲雀が声をかけた。
「骸。怯えるようなことしないでくれる」
「僕は挨拶しただけですよ。恭弥、僕に彼を紹介してくれないんですか?」
頬杖をつきつつ、雲雀は、測るように骸の両目を見上げた。骸の目は、片方がアカで片方がアオ。オッドアイというやつだ。
「沢田綱吉。前まで黒曜町に住んでたんだって」
「へえ……。気に入ったんですか?」
「そう。ちょっかいかけるなよ、これ僕のエモノ」
こだわりナシに言い捨てる雲雀だが、その瞬間クラス中がどよめいた。沢田綱吉も、不穏な単語に口角を引き攣らせる。
「エモノですか。君がそんなこと言い出すなんて、よほど面白いことがあったんですね」
「骸は興味持たなくていいよ」
ちらりとオッドアイが綱吉に一瞥を向ける。
「どうやら僕ら、趣味は違うようですよ」
やや呆れたような声色だ。そうなの? と、油断のない返事をしたヒバリだったが、それきりで骸との会話を終わらせた。
「綱吉、それで前の学校では委員会に入ってたの?」
「帰宅部でしたよ、ずっと……」
「僕は風紀委員入ってるよ。どう?」
「お、お誘いはうれしいけど、まだ学校慣れてないし……」
「……早速、下の名前で呼んでんですね」
骸が口を挟む。雲雀は、ぎらりとした目つきで振り返った。
「なんで骸そこの位置なの」
「僕に怒られましても」
沢田綱吉の隣には六道骸が座っていた。
反対側は、窓だ。綱吉は俄かに顔色を青くさせる。骸は、とぼけた声とともに掲示板を指差した。先日のホームルームで発表された席順が貼りだされていた。
「僕は後ろの座席にしろとしか命令してませんし」
「命令? 骸、また金にモノいわせたわけ? そういうやり方、僕あんま好きじゃないんだけど」
「恭弥みたいに年がら年中暴力で売ってる人間じゃないんですよ、僕は」
「取り締まるよ。風紀委員を舐めてる」
「おや。じゃあ、君以外の全風紀委員を買収してみますか」
朗らかに微笑み、骸が腕を組む。
イスの背もたれに、何気なく体重をかけたように綱吉には見えた。しかし、一呼吸を挟んで、雲雀の拳が今しがた骸の顔があった虚空を殴る。
言葉がでない綱吉をおいて、雲雀恭弥と六道骸は互いに目を睨みあった。
「……やってみれば?」
ニイ、と、雲雀が口角を吊り上げる。
骸も同じように口角を吊り上げた。両足を組んで、片脚をぶらぶらと泳がせる。
「やりませんよ? どうせ、一日で締め上げなおしちゃうでしょう?」
「フン。半数は何をやっても揺らがないよ。もう完全に僕の下にした」
「そこまでやりますかねえ」
口調は多分に愉悦を含んでいた。くつくつと、陰湿に肩を揺らした末に六道骸は綱吉を振り返った。すでに完全に顔面から血の気が引いて、不良少年たちを前にして胸中で恐慌を起こしている。
「ねえ? 君もそう思うでしょう」
「…………は、はっ?」
「恭弥に食われますよ、君」
「骸の言うことなんか気にしなくていいよ、綱吉。耳腐るから」
くすくすと笑いつつ、骸は気だるげに伸びをする。そのまま、骸は机の上に足を乗せた。いささか顎を俯かせて、瞳を閉じる……。眠るつもりらしい。
「綱吉。それでさ、……綱吉?」
「…………」
両目をうつろにさせつつ、綱吉は呆然としていた。
大きく道を踏み外しているらしいことはわかる、わかるが、周囲を見渡しても、もはや誰も綱吉と目を合わせようとしなかった。手遅れだ。その日の下校時間には、最後尾窓側には『暗黒デルタ地帯』なる通称が広まっていたが、他に友人のない綱吉では知りえない事柄だ。
「リボーン……。ヘルプミーな気分なんだけど……」
夕方を過ぎて夜になる頃に、沢田綱吉はぶつぶつとうめいていた。弟に助けを求めることは、この冴えない少年にとって日常的なことである。
ことである、が、今回のコトの原因はリボーンなのであり、助けを求めるのは筋違いというやつである。綱吉にはそこまで考える余裕がなかったが。
「オラァ! 金融業を舐めんな?!」
「ひいいっ。ごめんなさいごめんなさい!」
夕方の綱吉には考える余裕どことか息をする余裕もろくになかった。
「うっ、っ、くるしいですっ。ウチの弟がごめんなさい――っっ!!」
カバンを抱きしめたまま、綱吉は襟首を鷲掴みにされていた。
向かい合うは二人の大男。片方はサングラスをかけていて、もう片方は咥えタバコ。咥えタバコが、これ見よがしタバコを摘んだ。
ぶはあっ、と、綱吉の顔面目掛けて煙を吐きつける。
「引越しぐらいで逃げられると思うか! オラ、金だしな。今日もメシ食って学校きたろ? 食費でも何でもいいから有り金あるんなら全部だせっつーんだよ!!」
「…………っ、そ、それはさすがにっっ」
死んじゃいます……!
弱々しくうめき、綱吉は涙目の視界を持ち上げた。
「請求はリボーンにしてくださいってば……。そういう話になったでしょお?!」
「チッ。テメー、あのガキから債務回収ができると思うか?!」
サングラスの痩身男がうめく。思わず、綱吉は呼吸を止めた。
「そ……れ、は。まあ、がんばってください」
「ホラな?! ムリだろ! アリエネーだろ?! そういうわけだ、オラ、テメーの母ちゃんの職場に金返せって電話かけるぞ!」
「ぎゃあああっ?! やめてください! ウチ、母子家庭でリボーンまで外国行ってほんとキツキツで金銭的余裕なんてなんてあるわきゃないんですっっ!」
こんなことなら、雲雀恭弥が一緒に帰ると言い出したとき、素直に受け入れていればよかった! 彼ならこんな連中にも対抗できそうだ。
盛んに後悔する綱吉だったが、後悔後先たたずとはよく言ったもの。
べしっ、と、コンクリートに投げつけられて綱吉は悲鳴をあげた。
「か、勘弁してくださいぃ……っ。ほんと、貧乏なんです。ムリ! ウチに余分なお金は百円だってありませんから!」
「それは……。ペットボトルどころか缶ジュースも買えないですね」
平坦な声が背後から聞こえた。
「えっ?!」
ポカンとして顔をあげる。
六道骸が、肩からカバンをかけたまま、まじまじと綱吉の尻を見つめていた。
「な、なんだよ。知り合いか? 金あるのか?」
綱吉は、放り投げられたままの格好で這いつくばっていた。両手両足を地面につけて、尻だけを高く掲げる。猫がノビをするような姿勢だ。両目には涙が薄っすらと滲んでいて、日の光をうけて目尻が光っている。その眼差しには、色濃い憔悴があった。
綱吉の瞳と、彼の尻とを交互に見下ろしながら、六道骸は考えるような顔をした。
「金……。そうですね、ありますね」
「なにっ」
二人組みが顔を明るくした。
「ちょっ……と、関係ない人ですよこの人は?!」
ギョッとするのは綱吉だ。
「やめてくださいよ。話は俺にだけ――」
慌てて立ち上がろうとして、しかし、悲鳴をあげた。ごくさりげなく、骸が綱吉の尻を掴んだ。
「ほう。庇ってくれるんですか? 転校生クン」
「なぁっ? な、な……どこ触ってんだよ?!」
ぞぞぞっ。鳥肌が浮かび上がり、綱吉は慌てて起き上がった。即座に骸との距離を空ける。骸は、尻を掴んだ手のひらをわきわきとさせつつ、モノ足りなさそうに綱吉を睨んだ。
「恭弥と一緒に帰ったのでは?」
「こ、断わったんだよ。…………?」
骸のオッドアイが奇妙な光を見せる。その光を乗せたまま、骸は二人組みを振り返った。
「この子があなたたちに借金したんですか? 場合によっては肩代わりしてあげてもいいですが」
「んなぁ?! な、に……。やめろよ、そんな義理ないですよ!」
「それなら、作ってください」
にこやかに骸が綱吉を振り返る。
一瞬、意味が理解できずに綱吉が硬直する。ぶわ、と、冷や汗が全身から滲みでたのは何かの合図のようにも思えた。骸は、作りものめいた笑顔で二人組みを振りかえる。
「で、いくらに?」
「あ、ああ。ざっと、五百万……」
「って――、借金したの俺じゃないです! 俺の弟!」
チッ、と、確かに骸が舌打ちするのが見えた。
「おや残念。では、はい、商談決裂。消えてください」
「んなぁっ?! なんじゃそりゃ! おいガキ、大人を舐めンのも大概に――」
「テメーのサイフおいてけ!」
喚きだした二人組みには侮蔑の眼差しを向けて、骸はサイフを取り出した。やめてよ、と、叫びかけた綱吉を手振りだけで制止する。取り出されたのは紙幣ではなく、名刺だった。
ポイ、と、気軽に男たちの足元に落とされる。
咥えタバコの男が名刺を拾った。……がくん、と、アゴを落として、悲鳴をあげた。
「ろ……。六貝金融――――っ?! あの六貝?!」
「僕は火消し担当なんですけどね〜。人を陥れるほうが性に合ってますから。ま、一応、祖父の薦めのとおりに名刺くらいは持ってるんですが……。君たちは、どこのものですか?」
「……い、いやっ……、名乗れるほどのモンじゃないですぜ」
「そんな固いことは言わずに。僕が相手してあげますよ」
骸は満面の笑みを浮かべていた。午前中、気だるげに眠りこけていた姿とは別人に近い。迷彩柄のシャツを掴んでめくると、骸はバラフライナイフを取り出した。ベルトに仕込んであったものだ。
「で、消えますか? 二択ありまして、僕の前からか、この世からか」
「む、骸さまの前から!!」
震え上がりつつ、男が叫ぶ。咥えタバコがコンクリートに落ちる。綱吉は、呆れたような視線をやりつつも、呻き声をあげた。会話においてかれ気味だ。
「そ、そんなにすごいの?」
「バカッ! 六貝っていったらヤクザマフィア何でもござれの大大大御所だ!」
怒鳴ったのはサングラスの男だ。それが捨て台詞でもあった。突如として踵を返し、一目散に走り去る。まるで夕日の中に吸い込まれていくようだ……、と、綱吉が現実逃避するくらいに、現実離れした光景に見えた。
彼らが逃げ去った後で、骸は放り捨てられた名刺を拾った。
「あ、ありがとうございます」
おずおずと告げる。 骸は、奇妙に両目を細めてみせた。微笑んでいるようにも見えるし、怒っているようにも見える。
「そんな気軽に泣きそうな顔をするもんじゃないですよ」
「……ご、ごめん」
「…………」
骸が、今度はしっかりと笑った。
歯を見せて綱吉へと歩み寄る。するりとうなじを撫でられて初めて、綱吉は骸の指が首筋に潜り込んだことに気がついた。
「? さ、触らないでください」
「やだな、ゴミがついてたんですよ」
ニコニコとした笑顔は崩さず、骸は背筋を伸ばした。顎に指の関節を当てたポーズで、思案するようにじろじろと綱吉の爪先から頭のてっぺんまでを見る。
「……さっき、僕を庇おうとしました?」
「ええ……? あ、ああ……。すいませんでした。ウチの弟が借金してて。取立てがキツくて、前の町から引越ししたんです、ウチ」
「ほう。そういえば貧乏だって叫んでましたね。ああいう、恥ずかしいことを叫ばないほうがいいですよ。みっともないから」
「……そ、そりゃすいませんで……」
ひくり、と、綱吉が神経質に眉根を動かした。
オッドアイが含みのある眼差しを投げる。
「完全に従順ってワケじゃないんですね。……甚振りがいがありそうだ」
面と向かっての言葉に綱吉はポカンと口をあけた。目の前で独り言をしゃべられた心地だ。綱吉は後退りをした。だらだらと脂汗が頬に浮かぶ。
「ああいう底辺の金融に引っかかるとは迂闊でしたね。でも、僕ならどうにかできるかもしれませんよ。君に、義理を作るつもりがあるなら付き合ってあげてもいいですけど?」
呆気らかんと言ってみせる六道骸だが、その両目には獰猛な猛りが宿り始めていた。綱吉は、カベ伝いに骸との距離を空ける。泣きそうな顔をしていた。
「え、遠慮する……。それじゃ。できれば、このこと皆に言わないでください」
「ああ、構いませんよ。僕と転校生クンの……沢田綱吉、でしたっけ。僕と綱吉くんの秘密ですね」
ばいばい、とばかりに骸が手を振った。
その薄ら笑いが怖いんだ! と、内心で絶叫しつつ、綱吉は大急ぎで家路についた。夕日がまぶしすぎて目に痛い。きっと、取立ての彼らも同じ心地にちがいない。
沢田家のリビングでは、リボーンが新聞の競馬欄を熱心に見つめていた。
「お。チャオっす。どうだ? 学校。今度は友達できそーか」
海外渡航費を一日でも早く母親に返済すべく、躍起になっていることを綱吉は知っているが……。それでも、リボーンの後頭部を小突かずにはいられなかった。
「前のトコがまだマシだったよ……! 今の学校、戦場みたい。雰囲気が!」
「アア? なんじゃそりゃ」
競走馬の名前にマルをつけつつ、リボーンが呆れた顔をした。
二日目・終了
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