少年が二羽

 

 


「ムゥ君、こっちに寝かしましょうか?」
 洗濯物を持ってきた母さんが、ムゥを抱いて布団に入ってたオレを見てそう言った。顔の絆創膏をまじまじ見ている。
「大丈夫だよ。っていうか、ヒバリさんどこでも行くから、オレが持ってるのがいちばん安全だと思うんだけど」
「まア、たしかに。ヒバちゃんは神出鬼没ですもんねえ」
 母さんが、本棚の上で丸くなってるヒバリさんを見上げた。
 叱ったのが効いたのか、それとも単に拗ねてるのか、背中を向けたまま動かない。滅多にないことなんだけど、母さんは面白がるみたいに唇を笑わせた。
「はやく仲直りしてね、ツッ君。ヒバちゃんもムゥ君と仲良くしましょうよ」
 ヒバリさんの尻尾が揺れた。
「お休みなさぁい」
 同じ言葉を返しながら、ごろり、寝返りをうつ。
 扉が閉まる音が聞こえた。漫画を見上げて仰向けになった格好だ。
 ムゥは胸の上でもぞもぞと動いていた。自分も寝る体勢を整えようとしているみたいだ。
「わっ、くすぐったいってば……!」
 パジャマがめくれたとこにムゥが潜り込んでくる。
 こいつは人の体温が好きみたいだ。体を竦めたところで、軽やかな音がした。ヒバリさんが本棚から降りたんだ。
「喧嘩はダメだからね、ヒバリさん」
 頭の上で気配がする。目線をあげれば、彼の黒目とぶつかった。
 何かを訴えるような。怒ってもいるような。微妙な色合いで、ハテナを浮かべてる間にムゥが襟元から顔をだした。ヒバリさんの目の色が変わる。
「ちょ! この状態で暴れられたらマジで危ないから!!」
 ウナァー! うめくような叫び声でヒバリさんが後退りする。
 そのままベッドの足元に着地した。よかった、どうやら襲うつもりはないようだ。フウと胸を撫で下ろして、漫画を枕もとに置いた。とてもじゃないけど、楽しく読める気分じゃなくなってきた。すぐ下にムゥの顔がある。ムゥは満足そうに黒目を細めてみせた。
「変な位置を気にいるねえ、ムゥは……」
 手を伸ばして、電気を消した。
 パジャマに潜った毛玉を潰さないように、左を向いて目を瞑る。
 ムゥが体を寄せる感触がした。人肌が好きらしい。前のところでどんな扱いをされてたのか知らない、ウチでは大切にしてあげたい。抱いてると、そんな情感がひしひしと湧きあがった。ムゥの毛並みは艶やかで、すっごく暖かい――。
 音がなくて空気も静まり返っていた。
 規則正しい呼吸で胸が上下する。
 どれくらい経ったことだろう。声が聞こえた。
「起きてるだろ」
「……起きてません」
 誰かが布団を鷲掴みにした。
 それを押し留めたのは骨ばった手のひらだ。
「よしてください。綱吉くんが起きるでしょう」
「僕相手に茶番を打つのはやめてくれる? ほんっとに、君は腹が立つよ」
「そっくり返してさしあげますよ」この低音は、すぐ近くから聞こえる。まるで耳元で喋ってるみたいに。「狙ったように僕の気を逆立ててくれるじゃないですか。いくらなんでもフェアじゃないですよ。あの姿のときに狙うとは!」
「は。よく言うね。そういうことが十八番なのは、僕より君だろ?」
 背中に汗をかいてきた。ひそひそした応酬は、怒気と嫌味と嫌悪をたっぷり含んでいて一瞬即発のムードだ。オレの体を包んでた腕が、それに気がついたのか、汗を拭うように背中を撫でた。
 スゥ。辺りの温度がさがった。誰かと話してる誰かが、……怒ってるんだ。
「汚い手で触るな。綱吉から離れてくれる」
「彼が自ら寝所に招待してくれたんですよ。受けずにはいれますか?」
「ただのウサギだと信じてるからだよ。可哀相にも、ね」
「ちなみに、恭弥君は一緒に寝たことは」
「あるよ。ていうかね。そこの上が僕の席なんだけど?」
「おやおや。なら、僕の付け入る隙はありますね。ベッドの中がムゥの席ということでどーです?」
 チャキッ。鋭い金属音。
 ……どこか、聞き覚えがあるような。
「その冗談、面白いね。笑ってあげるよ」
 内容と声とがあってない。
 身も凍るような声で、笑いの一ミリもかけらも微塵もない言い方だ。昼間に乱入してきた男の子が浮かんだ。……ああ、声がすごく似てるんだ。喋り方も。
「クフフフフフ……」
 鼻を通したような声で笑いながら、誰かがオレの髪をすく。
「いいものを見つけましたね。君を追いかけることにして正解でした」
「綱吉は僕のものだ。ツマミ食いも後食いも許さないよ」
 誰かがくすくすと笑う。
 頭皮がツンのめった。髪に絡んだ指が、グッと手をグーにさせたようだ。
「半径百メートル以内に入れば、君といえども匂いを残す。海外まででていく覚悟でしたが、まさか堂々と日本の首都にいるとは。追手がくるとは考えなかったんですか?」
「本気で僕が生きてるとは思わなかっただろ」
「……ええ。この目で見るまではね」
 く、と小馬鹿にしたように鼻を鳴らす声がした。
「老人どもの頭じゃ放っておかれると思った。的中してるんだろ?」
 話す相手――ベッドのなかの誰かが頷いたらしい気配がした。少年が喉を鳴らす。
「とんだ母親どもだ。六道、いるのはわかってたよ。兎の匂いがしたからね」
 特に君のはわかりやすいから、と声が続ける。
「くすんだ埃っぽい匂い。風には腐臭が混じりいる。まさか綱吉に拾わせて入ってくるとは思わなかったけど。ムゥだって? ハ、センスのない名前」
「まんま本名な君に言われたくありません。君なら骸なんて名のウサギを拾いますか?」
「わお可愛くない名前」「でしょう」むくれたようなニュアンスで、相槌をかえす。
 しばし途切れた会話の後に、 例の……、声に覚えのある方が質問をした。
 何らかの感情が込められていた。 表面は悪意に似てるけど、それだけでないものが奥に隠されていた。隠そうとして、少しはみ出ているような響きだ。か細くて左右にブレていた。
「六道ウサギが、祠を留守にしていいの?」
「おやおや。恭弥君は故郷を忘れる男かと思っていましたよ」
「捨てたことと忘れることは違う。僕は捨てただけだ」
「里を突破するのは、骨が折れましたけどね……」ヒュッと空気が冷える。少年が何かを返すよりも、それをピシャリと遮断する声のがはやかった。
「と。あわせてあげてもいいんですけど。はぐらかされませんよ?」
 鼻頭に吐息がかかった。確信じみたものが多分に含んで、声が続ける。
「君が里をでても生きていられるということは、何か、老人どもに代わるエネルギーの配給元を見つけたということ。この子供……、沢田綱吉がその秘密の中核ですね」
「そっちこそはぐらかしてるんじゃないの。君の目が六になったことと関連がある?」
「あいも変わらず、自分の欲求に素直ですね。吐き気と目眩がしてきました」
「外出もできなかった六道がここにいる。五で何をしたの」
「デリカシーがない。ヒバリ、深く聴くな。話したくない」
 布団が中から持ち上げられた。隣にいた誰かが身体を起こしたんだ。
 隙間から吹き込んだ冷気で、体温と一緒に意識も噴き上げられた。体が覚醒をはじめる。
 うっすら、目を開けたところで指先が見えた。月明かりを被って青白い。
「ダメだよ。朝まで寝てて。六道、屋根に」
「くふ。言われなくても」
「……だれ?」
「おやすみ」
 何かが千切れるような音がした。
 意識が瞬きの間に底まで叩き落される。
 指の隙間越しに二つの影が見えたけど、輪郭まではわからなかった。

 

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