少年が二羽

 

 


「おっかしいな。でかけたのかな……?」
 本棚の側面を覗きこんで、ベッドの毛布をはいで、窓から屋根を見上げてみたりしながら、バスケットを跨ぐ。バスケットは母さんから渡されたものでムゥが収まっていた。ケージを買うまではここに住んでもらうつもりだ。
 ムゥは丸い目で辺りを眺めていた。やがて、オレもその隣に腰を落ち着ける。
 黒猫はやっぱりいない。珍しいこともあるもんだ。
「先に食べちゃっていいか。はい」
 ビニール袋からニンジンをだして、ムゥに差し出す。
 ムゥの口がもごもごして指先に振動が伝わる。手渡ししたまま食べてもらえるとドキりとした。ネコもかわいいけど、ウサギもかわいい。
「ムゥは毛並みがいいな〜。すっごい、さらさら」
 空いてる方の手を滑らす。指どおりもいいし艶やかだ。
 ヒバリさんもツヤがいいけどムゥも負けてはいない。二匹……、あ、ウサギは一羽か。一匹と一羽とも真っ黒だけど、艶があるだけ光って見えるから、並ぶとすごい綺麗だろう。
「ヒバリさんってのはね、ウチに住んでる猫なんだよ。ムゥの先輩にあたるかな。気難しいけど、すごくしなやかで」四本足ですらりと立つ姿を思い出した。
「ダメダメなオレには似つかしくないくらいの、すっごくカッコイイ猫なんだよ」
 前歯が止まった。ニンジンが動かない。
「もういいの?」
 目を見張ると、ムゥは黒目をきらきらさせてオレを見上げた。
 眉を顰めたところで、ガタンと窓から音がした。
「ヒバリさん? ――って、うわあああ!」
「案の定、きてくれたみたいじゃない」
「だ、誰ですかアンタは!!」
 見たことのない少年が窓辺に足をかけていた。
 全身黒の服をきて、黒髪で黒目。見事に黒づくめな彼は土足であがりこむ。
「な、なに――っ? 不法侵入っ? 泥棒?!」
 武器になるようなものは――っ、ない。
 机に放ったままだった携帯電話が目に付いた。
「君に危害は加えない。そこのに用があるだけだよ」
 阻むように立ち塞がりながら、袖口から細い金属棒を取り出す。 トンファーだ。見る間に組み立てて両腕に添え、少年はつかつかと歩み寄ってきた。向かうのはムゥだ! ぎッと、鋭くムゥが鳴いた。
「ちょ、ちょっと。何する気だよ? やめろよ!」
 無造作にトンファーが振りあげられる。
 咄嗟にムゥを抱き上げていた。忌々しげに舌を鳴った。
「あのね。邪魔するなら話は変わるよ。こっちにそれを寄越して!」
「だ、誰だか知らないけど動物を殴るのはよくないよっ。そんなのに殴られたらムゥは死んじゃうだろ?!」
「殺してあげてもいいんだけど」
「ギャー―!!」
 扉に向かって手を伸ばしたら、後ろ襟首を掴まれた。
 ベッドに放り投げられる。トンファーが見えたので、ムゥを抱いたまま体を丸めた。ぶるぶると全身が震えていた。トンファーが鼻の先に突き刺さっていた。浅いため息みたいな、長い吐息が耳を掠める。
「大人しく渡してくれる? 僕だって好きでやってるわけじゃないんだ」
「いっ……」すぐ上には、動物みたいにギラついた両目があった。
「いやだよ……。殺されるってわかってたら、差し出せるわけないだろ?!」
「綱吉はわかってない。それの本性は――」
「みっ!」
 ムゥが鳴いた。
 毛を逆立てて、腕の中から少年を睨みつけている。
 奇妙な違和感でくらりとした。綱吉? この人、初めて見たけれど。
「あなた、オレのこと知ってるんですか……?」
 少年は軽く目を見張らせた。トンファーが浮き上がって、窓辺へと後退る。
 ムゥがギィギィ鳴きつづけている。木魂するうちに笑い声みたいに聞こえてきた。少年はトンファーを下げたけど、眉間に大きくシワが寄っていた。
「それ、どうあっても放さない気?」
 また違和感があった。
 どうして、そんなに緊張した声音をだすのか。
「はなしませんよ。殺す気なんでしょう?」
 頭をふって、少年が窓に足をひっかける。
 飛び降りようと――したけど、間際にムゥへと振り向いた。
「骸。何をする気か知らないけど、今更おそいよ。もう僕のだから」
 黒い影が青空へと躍り出る。そのまま空に浮き上がるみたいに見えた。
 ものすごく身のこなしが軽いんだ。鳥みたいに。あっという間に体が沈んで、窓辺にかじりついたけど、もう見えなかった。変哲のない歩道が見えるだけだ。
「な、なんだったんだよ。今の……」
 ずるずると窓枠に体重を傾ける。
 胸元から何かが喚く音がした。ムゥだ。うっかり潰してた。
「はは。ごめんごめん、む――う?」間近でムゥを見て、ふっとさっきまで気がついてなかったものを見つけた。
 右目に、くすんだ線みたいな痣があった。
「ろく……? 六の字?」
 眼の網膜についてるみたいだ。
 ごしごしと目を拭ってあげても取れない。
 ムゥはくすぐったがるように首をふって、オレの手を逃れていった。
 ぴょんぴょん、跳ねて部屋を横断する。一直線にバスケットへ戻った。目当てはニンジンのようで、自分からバスケットに収まって口をもごもごさせている。
「どう見ても。ただのウサギだけど」
 あの人、ムゥに何かの目的があったみたいだった。
 殺すのが目的? こんな、ふつうのウサギを殺す為に人の家に勝手にあがりこんで? それに、帰った理由もよくわからない。本当に、なんだったんだろう?
「まさか、ムゥを捨てた飼い主? ――イデッ」
 と。頭を傾げたところで、脳天が踏みつけられた。
 覚えのある重み。するんと落ちてきたのは黒い毛並みのネコだった。
「ヒバリさん! どこ行ってたんだよ」
 抱こうとするオレの手を逃げて、ヒバリさんはダッシュでムゥのところへ――って、おい!
「うわあああ!!」
 バスケットが飛び跳ねて、黒い塊が飛び出した。
「ヒバリさん、それ襲っちゃダメだからー!!」
 ――結局。一匹と一羽を引き離すのに、たっぷりした引っ掻き傷と噛み傷をこしらえるハメになった。ウサギって噛むものらしい……。

 

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05.12.4

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>つぶやき(反転)
いろいろと奇妙な事態になってます。
謎の少年! って正体バレバレです。パラレルなのでかなり好きに書いてます。
そしてウサギの鳴き声はえぐいらしいです。