とこしえの竜雷 2
その山は下界の入り口となっていたために生命が寄り付かない。
目覚めてすぐ、綱吉はその事実を悟った。天界から地上に通じる穴があるように、下界にも地上に通じる穴があると聞いたことはある――、しかしこんな場所にあるとは。
(知らせなくちゃ。この大地を攻略することが、そのまま闇に蠢くやつらを封じ込めることになる)
首を両手で抑えたまま、深呼吸を繰り返していた。
(それに、骸……。こいつの首をとれば、恐らく結界も。結界の加護さえなければ父さんやリボーンたちが戦える)
深呼吸を繰り返せば、咽返るような瘴気の中に僅かな神気が混じっていることがわかる。まだ、新月ではない――、しかし新月は近い。この機会を逃せば、帰れなくなる。
「うぐっ……」
眼前にあるのは、地上に生えるはずがない植物だった。綱吉の身の丈よりも二倍ほど大きい。シダの茎が綱吉の頭上を覆い隠していた。
空は突き抜けるように高い場所にある。雲はない。しかし、黒い。その上暗い。不気味な植物が臆病風を呼びそうだった。綱吉は、ことさら強く奥歯を噛み合わせた末に叫んだ。
「何の、つもりかっ、知らないけど、舐めるなよ」
両手を離せば、首輪があった。
表面はつるつるとして、硬く、冷気を持っている。
「……可愛くないですね。このブタドリ」
速攻で呟いたのは、眼帯をつけた骸だった。
乱雑に掴んでいた前髪をさらにキリキリと強く握り締める。綱吉の眉間がこれ以上ないほどに寄りあい、ついに、手がでた。
「はな、せっ」
「相変わらず無礼ですし」
「がッ?!」前髪から手が離れたが、返すついにで頬を張られて綱吉は横倒しとなる。彼は、フン、と、つまらなさそうに鼻を鳴らして腕を組んだ。
その傍らには全く同じ容姿をした六道骸が、もう一人いた。慈愛すら感じさせる微笑みが辺りを包みこむ不穏な空気にそぐわない。
彼の右手の中、ジャラジャラ音を奏でるものは鎖だ。弛むことなく、綱吉の首輪へと伸びている。虜になった格好で、綱吉は二人の少年の前に膝をついていた。
ぜえぜえと肩で息をしていた。囚われたことを知って以来、綱吉は精神的な摩耗が大きい。何もせずとも息が荒くなった。
「集団で拷問するため? やっと檻からだしたと思えば」
「おや。不満でしたか? すいませんね、次からはもっとマシな場所を手配しましょう」
「そういうことじゃない! 何のつもりだ……。オレをどうするんだ。おまえらの睨んでる通りだよ、父さんたちは大陸への侵攻を考えてる……でもオレは天界でも民間人だった。機密は何も知らない!」
「…………。だ、そうですよ」
ほら見ろ、と言わんばかりに眼帯付きの骸が肩を竦めた。
もう一人の骸は、にこにことした笑みを崩さずに綱吉を見下ろす。そ、と、穏やかに伸びた腕が綱吉の胸元に触れた。
「…………!」
「薄いですね。なるほど、鍛え上げた体ではない」
綱吉の両手が土を握りしめる。口調は穏やかだったが、時折り、嘗め回すような目をする相手だった。
「わかったら――」
「でも、別にそんなこと期待しているわけじゃないんですよね」
「っ?!」
ハァ、と、ため息が聞こえた。
眼帯付きの少年のものだ。だったが、綱吉は驚愕に眼を見開かせて自分の体を見下ろした。
骸は、実にさり気なくシャツの前を引き裂いていた。
「なっ……」
「おやおや。そんな顔をして。天使っていうのはどの程度純潔なんですか? ええと、綱吉くん……でいいんですよねこの個体は」
「そうです」
腕組みしたままで骸が頷く。
「なっ、何するンだ。何……。触んないで!」
肌を探る手のひらに、綱吉は心底から鳥肌をたてていた。骸の手を振り払って、庇うように両手で体を隠す。
骸は依然としてニコニコとしていて、動揺した様子はない。もう一人、眼帯をつけたほうの彼は、冷然として綱吉を観察していた。声が震えだしていた。
「……――下界のヤツらは薄汚いって父さんの話、本当なのか……?!!」
「またまた。見えるところでやるか、見えないところでやるかの違いだけ」
穏やかだった声がわずかに邪気を混ぜる。骸は、両目を薄く細めて綱吉へと腕を伸ばした。自分に降りかかる運命が、いかなるモノであるか――、そうした経験が無い綱吉にも理解できる。
ぼんっ、と、両手に炎が灯った。
ほとんど同時だった。様子を見守っていたはずの少年が微かに唇をめくりあげる。綱吉の絶叫が辺りに響いた。
「うがぁあああっっ!!!」
「骸、生きたまま血を飲む予定ではない?」
炎に包まれた両手は地面に縫い付けられていた。植物が硬質化して、ナイフのように鋭く尖っている――それが両手の甲を貫く。身を捩って悶えるのをニコニコとしたまま眺めつつ、骸が頷いた。
「かわいそうじゃないですか。それ」
「……では、どんなつもりで?」
「…………。君も来たらどうですか? 思ったとおり、綺麗な肌をしている……」
体温のない両手が綱吉の胸元を辿り、首筋に辿り付いた。仰け反って逃れようとすれば、目尻から溢れたものが顎まで垂れた。骸がぴちゃりと音をたてて涙を啜った。
舌で転がすあいだ、僅かな沈黙が産まれる。長嘆と共に綱吉の右手に触れた。
「うっ……」
びくびくと腕が震える。
右手、左手から植物の剣を引き抜くと、骸はそれを背後の少年へと渡した。冷淡とした眼差しは、すでに冷酷といっていい色を浮かべて綱吉を見下ろしている。
「この期に及んでまだ可哀相とかヌカす気じゃないでしょうね。怒りますよ」
「君が乱暴なんですよ。血がどんどん溢れる……、泣いてますし。かわいそうだ。こんなにかわいいのに」
両手を抱えて蹲る綱吉に慈愛の眼差しが向けられる。
骸は、ナデナデと頭をやさしく撫で付けてやった。
「なっ……ん、なんですか、あ、あ」
すすり泣く顔を覗き込んで、だが骸は綱吉の両手をいささか強引に握りしめた。唇を寄せ、舌をだして傷口をなぞる。
「うあっ」
「かわいそうにね。震えてる」
「ぐっ……い、痛い。離してっ……」
口元に真っ赤な血を貼り付けたままで、骸は顔をあげた。つい、と、親指で唇に付着した血を拭い取る。そのまま、親指の腹を綱吉の頬になすりつけた。いびつな血痕が白い肌に浮かぶ。
「君は今から僕らのものです。可愛そうな綱吉くん……。僕は君の声もスキですね、先ほどの悲鳴、掠れた具合が堪らなかった」
「?!」両目を剥く綱吉に、やはり骸はニコニコしてみせた。
「血の色が似合う。最適だ」
(な……に、に)
恐ろしさのあまり声がでなかった。
綱吉の全身が独りでに震えだす。諌めるように、骸が鎖を手繰って綱吉を胸元へと引き込んだ。
と、眼帯付きの少年が思い出したように呟いた。
「退屈しのぎが欲しいと言っていたな、あなた」
くすくす、喉が笑っているのが綱吉にも伝わった。手足が急激に冷えて、両手の痛みが鮮明になる。目眩がするような頭痛と吐き気が、一瞬で全身を支配した。
「う、あっは……。いやだ!」
体に血を塗りたくりつつ、骸は楽しげに笑い声をあげた。
愕然とする綱吉の視界を、白味を帯びた影が横切る。自らの眼帯に触れながら、彼は胸の前に口を寄せた――、一瞬のあいだに肌が噛み切られていた。
「僕は血の方が欲しいですけど。力になる」
「うあああああっっ……」
「いつでも嬲ることができるというのは悪くありませんが。致死量の飲血はダメだと言うつもりなんでしょう、どうせ」
「はい、もちろん。かわいそうじゃないですか、そんなことしたら」
眉間を皺寄せつつ、彼はペロリと自らの唇をなめる。
綱吉は頭を垂れた。猛烈な目眩の原因が、痛みではないことに気がついている。絶望だった。どうしようもないほどの絶望が、肩に圧し掛かって、全身を締め上げて息を止めようとしている――。平然と、淡々と交わされる会話が鼓膜を破って心臓に食い込んだ。
「どこまでやるんですか?」
「今日は初めてですから。慣らすくらいで……僕らの大きさに」
労わるように骸が背中を撫でる。そうしながら、もう一つの手が下肢へと伸びる。上から布地を撫でまわす――と、そこで異音がした。二人の少年は、嬲る手を止めてパッと顔をあげた。
「来ましたね。揃った」
するすると草同士が擦れあっている。
「…………!!」
ギクリとして腰を浮かせていた。
植物同士の隙間から、いつのまにか小さなヘビが――無数のヘビが顔をだしている。しゅるしゅると威嚇するように赤い舌が覗く。眼帯をつけた方が、両目を細めて蔑むような顔をした。
唐突に、――綱吉のうなじから背中にかけて、湿った感触がした。
「あっ?!」
「おや。なんだ、やっぱり生きてるじゃないですか。死体処理に呼んだワケじゃないんですね」
振り向けば、一人の少年が逆さ吊りになって浮いていた。六道骸と、同じ顔だ――、他の骸よりも格段に顔色が悪い程度の違いだ。
「君たちが珍しく僕を呼ぶから、上等の死体が手に入ったかと思ったんですけど」
「残念ですか?」
依然、穏やかな声で骸が問い掛けた。
「僕を呼ぶのはいつもそういう用事じゃないですか。まあ、残念ですけどね。新鮮な死体がこの頃見つからなくて……。ああ、わかりました。この子を殺すんですね? 今から」
(死体?)顔色の悪い少年は、よくよく見れば浮き上がってはいなかった。巨大なウワバミに体を引っかけているのだ。ぐりんと回転して天地を直すと彼は鼻をひくひくとさせた。
先ほど、綱吉の肌をさすった手のひらを冷ややかに見下ろす。
「こいつ、天使ですね……? 何させるんですか。生きた天使なんぞに触ってしまった」
ごしごしと、破れたシャツに平手をこすりつける。
眼帯をつけた彼は、顔に飛び散った綱吉の血を拭いつつうめき返した。
「君と会うのは二年ぶりですけど……、相変わらず、死体しか受け付けないんですね」
言われた彼は、どうでもよさそうに頷く。
「僕にしてみれば生身を愛でる気になる方が……。体温に触れると吐き気がしますよ。この子たちの方がよっぽど」言葉と共に、ウワバミに頬を擦り付ける。
くすくすと笑って、骸は綱吉の頭を抱きこんだ。
「や、めっ……」
「ああ。また泣く。泣かないでください、僕まで悲しくなりそうだ」
穏やかに微笑みつつ、骸は自らの分身二人を見上げた。
「思うのですが、僕ら三匹でこの下界を支えきれるものでしょうか? この綱吉くんがやって来たように……天界のものは僕らを地上の大陸から追い出すつもりだ。ヒト喰いをやめれば僕らの力が落ちるのは自明の理。僕は大陸の支配をつづけたい。あなたたちは?」
「もちろん同意しますけど。いまいち、真意の見えない物言いするんですね」
眼帯の反対側の瞳が、怒ったようにスウッと細くなった。一方で、背後に大量のヘビをつれている方の骸は、無言のままで首を縦にする。
赤目と青目は、依然として凪いだ海のように静かだったが、骸はきらりとした光を瞳に混ぜた。
「…………そう。なら、天の力を食らってみるのはどうですか?」
「! 本気ですか」
ウワバミから降り立つところだった少年が、ゲッとばかりに眉根を寄せた。
「吐きますよ。というか致死量ですね、それは」
「僕らの中でも君は突飛ですけど――、嬲るだけで充分じゃないんですか? オモチャとして機能してくれれば十分じゃないですか。もともと食い殺すべき相手だ」
「そんなに驚くことでしょうか? 確かに綱吉くんの力は光のもので僕らとは相容れない……しかし、この子は火を使う」
にっこりと満面の笑みと共に、再び、骸が綱吉の頭をナデナデとした。会話の内容についていこうと必死になっていたため、今度は素直に撫でられつづけた。
「僕らは雷。互いの能力を媒体にすれば……」
ひそひそと、当人を目の前にして会議めいたものを続ける三匹の魔物を見上げていた。綱吉は、停止しかけた思考を強引に動かそうと躍起になっていた。顔色の悪い少年がひたすらごねている……。
(このままだと、)
殺される……よりも最悪の展開を迎えそうだ。直感が告げていた。
(新月。まだ微かに父さんたちの気配がある。逃げなきゃ。逃げなきゃ、オレがみんなに破滅を運びかねない!)そうでなければ、自害するかだ。
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