とこしえの竜雷
常に暗雲とした雲が覆う土地だった。空からでは何も見えない。誰かが、潜り込む必要があった。
彼の頭上で輝いていた天の輪は、地中深くに埋め立てられた。本来の名前も捨て置いて、彼は『沢田綱吉』を名乗ることにした。
『ボンゴレ。地を這う虫のような仕事だ、だがお前が適任だ。行け。探れ。そして、必要あらば排除しろ』
「……はい、父さん」
綱吉は胸の前で十字を切った。
と、不意に、最後まで旅立ちに反対していた友人たちの顔が思い浮かんだ。特に一風変わったあの人が反対した。人間が着るようなスーツに身を包み、リボーンと名乗る彼は神への直訴すら行った。
(会いたかったけどね)
今ごろ、リボーンは反論の罰として幽閉中だろう。
(そりゃオレもこんな仕事は向かないけど。……でも、決まったことは覆らない。やるしかないんだ)
ジャケットが荒んだ風に揺らされる。ブラックレザーのグローブに、体にフィットしたスラックス。毅然とした面持ちで前へと進む少年は、この土地に住むものにはない神々しさを帯びていた。
(この闇に溺れた大地を我らの領土にする――、そのためには結界を解かないと!)
大陸に入ったときから、気になることがあった。一箇所、異様に瘴気が濃い場所がある。背後で稲妻が次々に光る、丸々としたハゲ山だった。
不吉な予感が、ツメをたてて胸を掻き毟る。固唾を呑んで、綱吉は拳同士をぶつけた。
(チャンスは一度。二千百回目の満月の夜――、闇を破って光が差し込む。それから、新月が来て月がまた消えるまで。それが帰るチャンス)ほどなくして、ハゲ山の中腹に立っていた。
人影めいたものが視界に踊る。
と、綱吉は高くその場で跳躍した。ビシャビシャッと足元の沼は光弾の直撃を受けて破裂する。泥の雨が振ったが、その雨すらもつづけざまの攻撃で吹き飛ばされた。
ブーツの裏で乾ききった大地を踏みつける。綱吉は、着地と共に叫び声をあげた。
「出会い頭に攻撃するとは何事だ! あなたを倒す準備がオレにはある!」
「ほう。ヒトにしては興味深いことを言う」月明かりの下に細長いシルエットが立っていた。
男性は綱吉もよりも頭一つほど背が高い。右目に眼帯をつけて、悠々と腕を組んでいた。白襟のロングコートが、風に殴られてバサバサはためく。
「ヒト、名前は?」
「沢田綱吉。そっちは」
「六道骸……と同類は呼びますね」
「骸は――、ここに住んでるの? ただの旅人にこの仕打ち、ワケ有りだと見受け――」
「……遠回りに言うのはやめにしませんか」
にや、と、男は嫌悪感を込めて囁いた。
「君からは神気がする」
白手袋をつけた指先が、つつ、と、男の唇をなぞった。にやっとした笑みは、満月の下では淫靡な光沢を返した。
「殺しにきたんでしょう、ヌシを。我ら闇の軍勢に落ちた大地、取り戻したいんでしょう……? 神の軍勢は」
綱吉はしらっとして告げた。
「何を言っているんだ」
「ああ、ツナヨシ……、結界の中でも君くらいの神気を放つものは初めて見るんですけどね、僕。くふふっ」
吟味するように、左の青い瞳が真っ向から視線を返す。
(ばれてる? いや、疑ってる。オレが本当にヒトかどうか)
数秒後、綱吉は考え違いをしていたことに気がついた。彼は、攻撃のチャンスを窺っていただけだ。
びゅるんっと大地の下から細いツタが突き出した。綱吉の腹部を強く殴打する。吹っ飛ばされたと同時、哄笑が響いた。
「くふふっ、旅人だとか、どうでもいいですよ。我が領土に足を踏み入れたことを後悔なさい。死んで詫びろ!」
細いツタが寄り集まって、巨大な鉾へと変化する。
きらっとした光がまたたいた。眼帯の少年が目を見開かせた。両手に生やした炎を噴射して、――綱吉は空中を飛んでいた。
「――悪いなっ。隠し玉もなしにこんな場所に来るわけないだろっ?!」
瞬間的に骸の頭上まで飛んで、両手を振りかぶる!
「っっ天罰だ!」
「っ!」骸が自らの襟を合わせて後退りをする。
それが恐怖の現われか、何かの合図かは綱吉には判別がつかない。しかし、両手の炎を振り下ろしたのと同時に、彼が冷静に呟く声は聞こえた。
「天使か?」
――どおんっっ!!
二つの剛球が眼帯の少年を直撃した。
だが、悲鳴をあげたのは綱吉だった。炎を両手から離した瞬間に、鈍い衝撃が全身に染み渡っていた。墜落した末に、細長いものが腹に生えたことを――ツタに、腹を貫かれたことを悟る。
「な、……?!」
深い緑色が、まるで血管のようにどくどくと胎動している。毟り取ろうとして手を伸ばし、しかし綱吉は硬直した。
「くく、はは。小癪なマネをね。さながら炎の天使ですか」
「?! ま、さかっ。ありえない! 瞬間的には5000度を越えるのに!」
「残念。僕、高温には馴れてるんですよね……」
溶け出した大地が、土石流のように綱吉を包囲する。
少年が着ていた衣服は全て燃えていた。すらりとした裸体は、均整がとれていて美しくすらある。輪郭を月光に晒しながら、彼は、右目を抑えて仁王立ちをしていた。
脂汗が滲みでる。肩で深呼吸をしながら、腹を貫いたツタを握り締めた。……抜けない。
「なるほど? 羽音もたてずに天使が飛来するなど有り得ませんが……今の君の力ならありえそうですね」
「来るな……。燃やすぞ」
ツタを両手で握って、綱吉が叫ぶ。
「この山には雷が絶えない。なぜだか、わかりますか」
骸がひたひたと素足で歩み寄る。綱吉はさらなる驚愕で呼吸を止めた。目の前の男は、髪の毛も肌も、どこも解けていない。綺麗な裸体だ、さらには眼帯を失った右目から――ツタが伸びている。
骸はゆっくりと手のひらを外した。
「正解は、ここの主が雷の化け物だから」
眼球があるハズの場所には、深緑色のツタが根を張って住み着いていた。かすかな胎動をする様子は、別個の生命体のようにも見える。
「だから雷を呼ぶ。雷って、空中放電するじゃないですか。その結果、落雷が起こる。どれくらいまで温度上がるか知ってます? ときには10000万度も越える」
「……――まさか、骸?」
(それじゃ、おまえが山の主ってことに――。大陸の中でいちばん瘴気が強いこの場所の――、あるじ?)
右手で愛しげにツタを撫でながら、六道骸は微かに微笑んだ。
「無礼ですよ、あなた」
空間が爆発したように感じていた。鼓膜が破れるほどの轟音が炸裂する。それは空中放電が起こったのと同じ音だったが、骸に何をされたのかを綱吉が理解するのはずっと後になる。
「――――っっ」
黒焦げとなった体が声もなく傾く。
「炎を操る身でも、こういうのには弱いみたいですね」
戯れのような指使いで、骸は自らの右目から飛び出たツタを撫でた。時折り、きゅっと強く握りしめる。そのたびに激しい音と光が辺りを照らしだした。中心に取り残された綱吉が、膝をついたままで背筋を仰け反らせていた。
「……どれくらいで肉体が崩壊するんですか? 天使っていうのは」
骸の口角が嗜虐に酔って吊りあがる。
パァンッとした音と光。
七回目の空中放電の末に綱吉が昏倒した。体が断続的な痙攣を繰り返し、指先は死んだように動かない。骸は、気軽に歩み寄ると綱吉の前髪を掴んで持ち上げた。
ツタがしゅるしゅると目の中に戻り、骸は右目を閉じた。左目だけがジッと綱吉を見つめる。
「失神程度で逃れられるなど思わないことですね」
ぱちぱち……、と、静電気がけたたましく鳴りかけたところで、
「そこまでにしたらどうですか?」
声がした。少年が一人、沸騰した大地の上に立っている。
「数百年ぶりのお客さんですよ。接待くらいしましょうよ」
笑顔で告げながら、眼帯を差しだす。
骸は眉間にシワを寄せた。つまらなさそうに、手中の少年の首を鷲津噛む。ギリギリと締め上げれば、綱吉は苦悶するような呻き声をたてた。
「……それに、かわいそうですよ。それじゃ」
「いつから見てたんだ? 骸」
「ワリと最初から」
悪びれたふうもなく、少年。
顔立ち、背丈、すべてが六道骸と全く同じだった。深緑色のジャケットと、迷彩のシャツは一本の雑草すら生えない場所では異質だったが。
彼は、綱吉に歩み寄ると、その額を人差し指の腹でつうっとなぞってみせた。やんわりと骸の手のひらを掴み、指を外していく。
「何よりカワイイ顔してるじゃないですか。好みでしょう? 僕らの」
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