猫神サマの棲むトコロ!

 

 

 沢田家の裏手には小高い山がある。
 山の中には古ぼけた神社がある。
 戦時中に半分が焼けた。戦後の混乱で放置されて、やがて再開発のために山を潰そうという話になった。老婆は、老人介護用のベッドに横たわる。
 骨と皮だけの手がぶるぶるしつつベッドサイドに伸びた。
「そして、そしてぇえええ……!!」
 カッと見開いた瞳は常軌を逸脱している。沢田綱吉は正座を崩して仰け反った。
「ひ、ひぎゃあ?!」
「あー、へいよ。ばーちゃん、落ち着け」
 獄寺隼人は、咥えタバコをブラブラさせつつ、ベッドサイドの円柱を押した。介護用のベッドを操作するパネルの上でである。がっちゃん、駆動音と共にベッドの上半分が飛び上がった。老婆は満足げに鼻腔を膨らませる。
「隼人、ナイスフォロー。……そしてぇ!」
 ビシリッと沢田綱吉を指差した。唾が飛ぶ!
「村は未曾有の恐怖に襲われたんだァぁああ!!」
「ぎゃあああああ?!!」
 内容よりも老婆の迫力に恐怖して綱吉が叫び返した。
「それだけ?! その演出のためだけに今までずっとビクビクしてたんですか?! ばーちゃん死んじまうよそんなことばっかしてたら!」
「心臓よえーくせに怪談話になると張り切ンだからよ」
 隼人は頬杖をついてタバコを噛んだ。綱吉がハッとする。
「あ、あの、俺はその時にどうやって鎮めたかを聞きたくてココに!」
「六道神社の周りには注連縄があるだろ?! おえらい先生に……理慕御先生と名乗られたが……りぼおん先生だよ、ともかく、一人の天才が神さまを鎮めてくださり、アレを張っていかれたんだ。以降はあんたも知ってるとおりに年一回の祭りと貢物で何とかワシらは――」
「リボーン先生ってヒトは今どこに!」
綱吉は正座して身を乗り出した。老婆は、途端につまらなさそうにして首を振る。自分で介護ベッドのパネルを操作した。
 がっちゃん。ベッドが水平に戻る。
「行方なんぞ知らん。すぐに消えてしまわれた」
「そ、そんなァ。手がかりとか何か残ってないんですか」
「綱吉さん、この頃どうかしたんスか?」
 アロハシャツ姿の隼人がうめいた。気だるげに胡座を崩して、紫煙を吐き出す。畳の室内は広かったが、冷房は行き渡っている。綱吉は、ぎくりとしてこめかみの汗を拭った。
「いやまぁちょっと気になっただけなんだ。ウン」
「急にヒーババなんかと……。春ごろから様子が変っス」
「う、ウチの猫がよく六道神社に遊びに行くから。妙なウワサの尽きないところだから心配でさ」
「奉りの責任者が言うのもアレっスけど、ただの迷信にきまって、」隼人の言葉は続かない。老婆が介護ベッドから飛び起き、髪を鷲掴んで、ガクガクガク! と高速で揺さぶった。
「テメーまだンーなこと言ってンのか! シメるぞ!」
「なっ! いてぇ!」
「跡取り! 跡取らんか!」
「アアぁ?! 放せよ凶暴ババア!」
「うどわぁ?! まっ、隼人くん! タンマ! 根性焼きはマズいって!」
 背中に抱きつく。と、直後、綱吉は体に電流が流れたように硬直した。
「!」
 畳、襖、純和風の部屋の壁に鏡が貼ってある。鏡の中には一匹の黒猫がいる。背筋を伸ばして座り込んで、綱吉の真後ろに控えていた。
 チリンッ……、と、鈴音を感じて、綱吉は隼人の胴体に抱きついた。
「ひええええっっ……。ろ、六道神社守らないといけないと思うよオレはッッ!」
「つ、綱吉さんまで何言うんスかぁ?!」
「ホラな! 組長サマの息子も言ってンだろ! 跡取れ!」
「く、組長の息子って言うのやめてくださぁい……」
 綱吉はおずおずとうめいた。古くからこの町に住む住民は、全員が沢田組の構成員だった。
 振り返れば、鏡の中には何も居なかった。

*****

「あー。あのババァ、超うぜえ。今時、本気で祟りなんつってるのテメーだけだっ。アホらしー! 綱吉さん、絶対に中学卒業したら町でましょね」
「高校出てからは? アルバイト先も見つかりやすいんじゃ」
 綱吉は学生カバンを肩にかけつつ苦笑した。
「あ、ああ……。六道神社があったんだ」
「?! 綱吉さん、この頃、ホントに変スよ」
 獄寺家の玄関に二人は立っていた。獄寺隼人は訝しがりながらサンダルを引っかけ綱吉の見送りに立つ。
「ひいじいちゃんのこともあるし、最近、考えることが多くて……」
 綱吉は、ポケットに両手を仕舞いつつ引き攣った。声が渇いている。隼人は渋面を作る。
「ひいジジィのことなんて綱吉さんには関係がねえ」
「そう思わない人だっているよ」
 一人の少年――の姿をした得体の知れないものを思い出して――、ため息をついた。隼人は口を引き結ぶ。きょろり、と、辺りの林を見渡した。
 沢田の前々代によって祟りが起きたというのはこの町での定説だ。記録には残らないが人々の記憶に残り口に昇る。それだけで、一族が没落するには充分だった。
「オレは開発に賛成ス。オヤジも姉貴もクソくらえだ」
「いや、やっぱり開発はすべきじゃなかったよ」
「……綱吉さん?」
 獄寺隼人は眉間を皺寄せる。サンダルの底でタバコの火を揉み消した。
「綱吉さんは沢田十代目ッスからね。オレのカシラぁ、綱吉さんス」
「……そんな器はないけどね」
「ンなーことないッス! 綱吉さんなら東京を掌握できるっス! 魑魅魍魎だらけの東京を一掃するんス!」
「どこの世界のトーキョーだそれは!」
 思わず両手をワナワナさせつつ、思い出した。先程の鏡の中に見たものを。
「ごめん! 隼人くん。この後に行くところあるんだ!」
「どこに行くンスか」
「秘密!」
 隼人が面を喰らう。それを置いて走り出した。肩越しに手を振って、門の隣に置いていた自転車に飛び乗る。
 獄寺隼人の家は丘の上にあるので、車輪が回りだすとすぐに下り坂になる。綱吉は、下町にある自宅に自転車だけを止めて隼人の丘とは反対の方へ走り出した。沢田家の裏手にある小山だ。
 石で出来た階段をあがる。
 半焼けした神社は木々に挟まれていた。緑に埋没したよう見える。鳥居に貼られた注連縄をくぐって、綱吉は境内の真ん中に進み出た。
「これだけは言っておく……」
 木々は返事をしない。風が柔らかくなって綱吉の肌に吸い付いた。
 神社は、小さい。赤く塗装された木柱と焼け焦げた木柱とで、かろうじて倒壊を防いで建っていて、綱吉の目には今にも潰れそうに見える。
「別に骸さんを殺そうとか企んでるワケじゃない……からな!」
「当たり前ですね」
 今度は返事があった。ザワザワザッと神社の上部で枝葉が揺れて、人影が落ちてくる。膝丈までのブラックジーンズと半袖シャツをルーズに着こなして、左右で色の違う瞳を持って、そしてえらく現実離れしたものを付けた少年がそこにいた。彼は綱吉の真前に立つ。
「…………っ」綱吉は固唾を飲む。
 右は赤、左は青の瞳を細くして、少年は、えらく現実離れしたもの――、耳とシッポをヒクつかせた。神経質に。
「理慕御との再会なんて冗談じゃない。殺してやりたい」
「おまえ、どうやって封印されたんだ?」
 好奇心でつい口にする。少年が剣呑な顔で耳を倒した。
「す、すいませんでした! 言わなくていいです!」
「フン……。それより、君がここに来たなら供物を持ってきたんでしょうね。誰の慈悲でたった今も生きていられるんですかぁ?」
 人差し指が突きつけられる。爪までが綺麗に手入れされていた。
「ついでに君の飼い猫もね」
 口角がひくひくっと痙攣する。
 白猫のキョーコを探し、注連縄をくぐって六道神社に入ったのが春先の出来事だった。つまり半年前だ。神社の中を引っくり返し、猫がいないことを確認したところで六道骸は姿を現したのだった。
 骸は、鼻をクンクンとさせて頭を傾けた。
「サカナを持ってきたわけではない、ということは、あれでしょう」
「ああああの、オレは、骸さんが変に勘ぐってないかと思って誤解を解きに」
「誤解じゃないでしょ。僕のこと煩わしく思ってるクセに。まぁ、僕も君のご先祖に対して似た気分ですよ。クフフ」
 言葉尻を甘くして骸が腕を伸ばす。
「この時代的に言うとウザイですか」
「どっからまたそんな言葉を……」
 妙に現代被れした猫神を前に、綱吉は完全に怖気づいていた。最初の出会いで、問答無用で捻じ伏せられ征服されたことで恐怖心が刷り込まれてあるのだ。
「まっ……、い、一ヶ月に一回だろ!」
「退屈って瞬間は一ヶ月に何百回も来るんです」
 骸が前髪を掻き揚げる。同じ手つきで綱吉の前髪も掻き揚げた。体を寄せて、鼻をひくひくさせて耳朶に近づける。首と首を擦り付けるようにしながら、六道骸は沢田綱吉の体を抱いた。
「にゃ」猫舌が耳朶の裏川を舐める。
「綱吉くーん……」
 鼻にかかった声を洩らしつつ、シャツを下へ引く。綱吉はへたんとその場に尻餅をついた。相手は神だ、逆らうことなどできなかった。
「んうっ。あっ」
 制服のネクタイが外され胸が開かれている。猫神のすべらかな掌がその上を滑る。
 耳をピンと立たせて骸は自らもシャツを脱ぎ捨てた。綱吉の胸とあわせて、臭いを練りこめながら、
「んにゃー。君も動いて」
「うっ……、うう! つ、爪は立てないでっ……」
 骸の指先は鋭利だ。背中に大量の引っ掻き傷ができることが綱吉の悩みである。銭湯に行けない。
「少し汗を掻きましたね? 緊張したんですね。でも今日は早い時間にきてるから……精気を多少取っても……」
「や?! やだってば」
「選択権があるとでも思うんですか」
 六道骸が顔をあげる。綱吉の顎を掴んで固定した。
 オッドアイと強く視線が交差する。
「!」地肌をがっちりと重ねたままだ。突如として肌が熱くなる。綱吉は目眩に襲われた。
「あッ……。あ」力を無くし、もたれかかる体を胸に抱えながら、六道神社の化け猫はくすくすとした。オッドアイは鈍く白光を放つ。目覚めてこの片、沢田綱吉の精気とサカナのみを食べて命を繋いでいる。
 綱吉が目覚めたのは夕方過ぎだった。鳥居に上半身をもたれて、足を投げ出している。目をあげればすぐのところに注連縄が張ってあった。
 六道骸の姿は無い。境内は静まり返っている。
「……痛っ。った、あ、あんにゃろお、人が気絶してる間にーっ!」
 下肢に湿った厭な感触がある。おまけに酷く体がだるい。綱吉は恐る恐ると体を起こし、額を抑えた。六道神社の神に憑りつかれてから、こんなことが何度あったかわからないのだ。
 山の向こうに最後の夕明かりが沈んでいく。眺めつつ、綱吉は決意をした。
 六道神社の六道骸。猫の神さま。放っておいたら、多分、いつか自分がどうにかなってしまう。
「いててっ……。くそ、いっぱい出しやがって……。これ、妊娠とかないよな!」
 家に帰るまでに、また一苦労しそうだ。

 

 

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