猫神サマの棲むトコロ!
「……原典は、もう無いみたいね」
司書に告げられて、綱吉は肩を落とした。
「一冊も? 全国の大学にもネットにもですか?」
「無いですね〜。相当古いみたいだからね」
綱吉の手には黄ばんだ和紙がある。ぼろぼろで、左右に引っぱれば簡単に千切れてしまいそうだ。司書は、物珍しげに和紙に綴られた文字を眺める。
「ふるいわね。家にあったの?」
「そうですけど、ありがとうございました!」
沢田家だとわかると面倒だったので、綱吉は図書館を出た。和紙を丁寧に畳んで鞄に戻す。
「全滅か!」胸ポケットからメモ帳を取り出した。文献一覧にバツ印をつける。校舎の窓から差し込む日は明るく、クリーム色の用紙は白く光る。
廊下を少しも進まないうちに、笑い声がして悪寒が走った。綱吉は半眼で振り返る。校内に貼られた鏡の向こうに、少年の影が浮かび上がった。
「む、骸さんっ。だからこれは――」
『隠さなくてもいいですよ。残念でしたね。それ、読めたんですか?』
「骸さんは知ってたのか?」
『当時、君の祖先が理慕御と連絡を取ろうとしたときの覚え書きですよ』
「どええええ?!!」
ギョッとして綱吉が鞄を抑える。
「マジですか?! これにその方法がっ!!」
「まぁ、言ってあげるなら、僕はそういうこと許さない」
「え?!」
声が近くなった。綱吉が目を丸くする。
チリンッ、と、鈴の音色が響く。鏡の中から黒猫が飛び出した。綱吉の鞄に頭突きをして、横倒しにする。
猫はサッと黄ばんだ和紙を咥えて駆け出した。
「あ、ちょおおお?! ナニすんですかオレの夏休みの成果!!」
資料を探すために、沢田一族と関わりが深い山本一族や笹川一族の家を訪ねて回ったのだ。綱吉は急ぎ駆け出した、が、
「!!」廊下を曲がった途端に、硬い胸板に弾き飛ばされた。
「つ、綱吉さんっ?」
「! 隼人くん。今、ここに猫が通らなかった?」
「ネコ? いいえ」
綱吉が目を丸くする。六道神社に逃げられた! 即座に踵を返すが、獄寺隼人は神妙な顔をして引きとめた。
「待ってください。今、探してたんスよ」
「い、急ぎの用事なの? こっちも急がないと破られるか燃やされるかするって!」
「誰の悪口ッスか、それ」
滅多に怒ることのない綱吉が顔を赤くして青筋をたてている。物珍しげにしつつ、隼人は後ろ頭を掻いた。
「綱吉さん、最近、めっちゃ六道神社に興味あるじゃないスか」
「?! ウ、ウン」
「だから興味あるんじゃねえかと思って。今年から、祭りは中止になるみたいですよ。今日の町内会議で決まるみたいです」
焦っていたのがウソのようだ。心臓が遅く鼓動する。
綱吉は血の気を引かせてうめく。
「なんで?」
「金もないし人手もねーからだそうで。時代ってやつじゃないですか」
「…………。お、教えてくれてサンキュ」
一呼吸をおいて、心臓がバクバクし始めた。六道骸はどうする? どうなる? 午後の授業を待たずに、綱吉は自転車置き場に走っていった。
六道神社はしんとしていた。注連縄をくぐっても、しんとしている。
「骸さん! 聞いたか?」
「聞こえてくるんですよね。自分に関わることだと」
見れば、神社の屋根の上に人影がある。六道骸は、自分のしっぽを右腕に巻きつけたまま、つまらなそうに綱吉を見下ろしていた。左手で和紙を摘んで、ひらひら揺らしている。
「君にすりゃ僕を祓う必要もなくなったってところですか」
「そ、それっ……。古文書返してください」
「いやですね」
くしゃりと、掌で潰す。
綱吉は悲鳴をあげた。和紙がみるみると腐って塵と化していく。
「ひ、人ん家の歴史にナニすんだぁあああ!!」
「ふるいものは、忘れられる。それが理。君も忘れるといい」
半眼で神社を取り囲む林を見回す。昔は、ここも森だったと骸は言った。
「きっと僕はこの土地で一番古い。わかっていましたよ。僕がまだ生きていられるのは、おサカナさんがおいしくて君が精気にあふれているからだ。信仰心無き世界では僕らは生きてゆけない」
「…………?! あれ? 信仰心が無いと、って。祭りがなくなったら骸さんは死ぬの?」
「一日に一回君の精気を取れるなら生きられるでしょうね」
「オレが死ぬわっっ!!!」
綱吉は、ぜえぜえとして猫神を睨んだ。
「な、何か考えてンですか? 骸さん」
この神が死を受け入れるとは思えなかった。六道骸は含んだ笑いをする。
「見てろ」ごくスンナリと、眼差しに暗さが走った。
綱吉の背筋に悪寒が走る。
曽祖父の時代に、六道神社の祟りによってこの地域一帯は一ヶ月も雨が止まらなくなって村が地崩れに呑まれたと聞く。
「骸さん……。やめてください。オレの体だってあげたしサカナだってあげた! そうだよ、サカナだよ。毎日サカナを持ってきてあげるから!」
「それ、ただの嗜好品なんですけど……」
耳を伏せつつ骸がうめく。その口角が引き攣っている。
「冗談で済む話じゃないんですよ。それではね。沢田綱吉くん。少しのあいだですが楽しかった」
骸が立ち上がる。同時に猫神の体から光が解いて広がった。ジーンズとシャツと、人の作ったものが繊維レベルで解けて夕日の中に溶けていくのだった。綱吉は目を見張る。最初に出会った頃と同じ、小袖のついた黒着物に草履を合わせた格好で、六道骸は空を見上げた。瞳孔を縦に伸ばして八重歯を見せている。
神社の周辺が唐突に暗くなった。綱吉はゾッとして自らの胸を叩いた。
「やめてください!!!」
耳と尾がぴくりとする。黒い毛並みが逆立っていた。毛並みは顔や首に侵食して猫神を巨大な猫に変えようとしている。
「――待って。待ってくださいっ。なんとかするから!」
ざわ、と、木々が動揺した。骸はオッドアイを神経質にぴくりとさせる。
怖気づいたが下唇を噛んで堪えた。
やがて、骸の顔が元の人肌に戻った。黒い獣毛が耳と尾だけに残り、あとは、つやつやとした人の肌になる。
「どうやって?」
冷めた問い掛けに、綱吉は眉根を寄せた。
「黙ってみててください」
「…………ほう」
尾をゆらりとさせて、猫神は姿を消した。
ほとんど同時に綱吉も踵を返した。神社の階段を駆け下りて、自転車に跨って坂道を昇る。獄寺隼人の家が会議の場になっているはずだ。
「獄寺くん! 家にいれて!」
玄関を叩いて、すぐに、中から戸が開いた。綱吉はぎょっとする。獄寺隼人の曾祖母が杖を手にして玄関に座り込んでいた。開けたのは、彼女だ。
「お、おばあちゃんっ……?!」
「久しぶりに、鏡にお客さんがきてね」老婆の声が掠れている。よほどのショックがあったようだった。
「あれは組長だったよ。後生だからあんさんを手伝ってやってくれって」
皺だらけの手が、杖を硬く握り締める。
「じゃないとまた祟りだとさ。あー、うれしいねえ。ほんに、いっつもアタシたちのことばっかり考えるオトコだったんだよ……。後生だから、て、あんた死んどるがな」
ぜえぜえとして胸を抑え蹲る。
「しっかりしてください!」
慌てて、その体を壁にもたれかけさせた。
だがすぐにハッとする。廊下の奥からざわめく声がした。
「すぐに戻ってきますからね」
老婆が、弱々しくも手を振った。
「綱吉くん?」隼人の母が盆に水瓶を載せていた。廊下を歩く彼女を追い越して、すぱぁん! と襖を両手で左右に割った。会合の連中がぎょっとする。隅には獄寺隼人もいた。隼人が正座を崩して中腰になる。
「つ、綱吉さん?!」
「――――っっ、」四十歳から五十歳まで、町の大物が集結している。綱吉は肩で呼吸しつつ、足が震えるのを懸命に堪えて叫んだ。
「ま、祭りを中止にするって聞きました……!」
「おまえ、沢田ンとこの」
「オレは反対です!」
ざわめきが走る。早口になりそうなのを抑えて、綱吉は必死に一字一句を口にする。
「あの注連縄を外しましょう。あんなものがあるから怪しげで人が来ないんだ。自然がきれいな場所なんです。観光名所にもできるかもしれない。汚いならきれいに直しますからっ」
「ろ、六道さまが怒るぞ」
年長の老人がうめく。綱吉は首を振った。
「形が変わっても続けていくことに意味がありますッ! 奉りましょうよっ。みんなで!」心臓が痛いくらいに鼓動する。固唾を飲み込み、六道神社の方角を指差した。「六道サマは歴史だってある――そのために苦しめられてきた人だって――」またもざわめきが起こる。綱吉は眉間に深い皺を寄せた。かの神に最も苦しめられたのは他ならぬ沢田家である。
「楽しい思いとかした人だって――、支えにしてる人だって、いるんですっ。その思いを重んじて欲しいンですッ!」
和室に座り込んでいた面々が暗い顔をする。
その中で、獄寺隼人が立ち上がった。雷に打たれたような顔をして、
「綱吉さん……」涙ぐむ。隼人は、部屋の奥であぐらを掻く男性へと向き直った。
「おい、クソオヤジ。聞いたか。十代目がああ言っておられるんだ!」
「隼人……」
「ゴタクを並べるのはよせよ! 神社の後継ぎはオレだろ? オレが決めていいんだ! オレは綱吉さんに全部懸けてンだっ!」
「隼人くん」綱吉の目尻が潤みを帯びる。隼人は一同をぐるりと睨みつけた。硬く拳を握る。
「綱吉さんはやっぱり器が違ェ……。オレぁ、十代目に付いて行く」
「おまえら、祭りを取り仕切れンのか?」
町長が苦い顔でうめいた。綱吉と隼人が互いの顔を見る。数年前には町を出ようと約束を交わした仲だ――、どちらからともなく頷いて、室内がまた喧騒に包まれた。
だが、何を言われても綱吉は諦めるつもりがなかった。自分の望むものを決めてしまえば、不思議と、これからの困難も受け入れる気持ちになれた。
*****
「最期はアッサリなんだな」
獄寺隼人は、喪服姿で隣を歩いていた。綱吉も喪服である。
「気持ちのいい人だったよね……。平気なの、隼人くんは」
「ああ、まぁ、人っていつか死ぬもンスよ……。なんで玄関まで歩いたんだか。綱吉さんがくるからって、何だそりゃ。エスパーババァだとは知らなかったです」
「エスパーババァ」意外な響きだったので繰り返してみる。しばらく互いに無言になった。
祭りの執行を若い者に任せると話が決まった。その夜に彼女は様態を悪くして一日と待たずに逝ってしまった。
最後の会話を思い出して、綱吉は眉間に皺を作る。
「綱吉さん」
別れ道の前に、隼人が背筋を正した。獄寺家に繋がる丘の上を前にした道だ。
獄寺隼人は銀髪をワックスで撫で付け、きちんとした正装をしていた。
「明日、祭りについて話し合えますか」
「うん。隼人くん。その件なんだけど、ごめんね。オレから約束を破っちゃった」
「いいんス。オレらにはきっとこれが宿命なんだなって思いました」
「……そっか」
綱吉は、背後を振り返った。
でこぼこした街並みだ。真っ直ぐ水平に敷かれた道路が無い。山に侵食されようとしているのか、山を侵食しているのか、線引きが怪しい。
故郷だもんね。小さく呟くのに、隼人が頷いた。
「にしても、ムカつきますよ。あのクソババァ、オレになんっつたと思います? 神社継いでやるって言ったらザマーミロですよ! 信じらンねーッッ!」
「はははッ!」
隼人を別れた後で、綱吉は徒歩で家まで帰った。自分の部屋に戻ると喪服を脱いでパーカーとスラックスを掴み、財布を取ってすぐに出る。
商店街で秋刀魚を二匹購入して、六道神社への階段を昇った。
境内はスッキリとしていた。鳥居の注連縄が外され、草刈が施されて、切られた雑草が神社の傍らに積んである。
袋を高く掲げる。と、
ヒュウッと風が吹いて、神社の屋根から猫が飛び降りた。くるんっとバク転すると、着地の頃には人間の少年――ただし頭には耳を生やし尻から尾を伸ばしている――に変化する。黒衣を着ていた。
ビニール袋を後ろ手にして、コホンと息をついて、猫神の反応を伺った。
「そういうことになったよ。六道サマ」
「…………」
六道骸は、六道神社を背中にしたままで腕を組んだ。瞑想に入るように目を閉じる。
「驚きますね」
「だめか? ここがもっと賑やかになれば楽しいと思うんだけど。骸さんだって」
「わかりますよ。より多くの人が来て、供物を差し出せば――僕とて、より多くの力を吸収できる」
尾を振りながら、骸は鳥居に向けて歩き出した。
「見てください。理慕御の封印がめちゃくちゃだ。昼間にはたくさんの人間がここに来た……。久しぶりで、びっくりしちゃいましたよ」
「む、骸さん?」
「注連縄にも草木にも意味があって、それらを複合させた陣こそ僕をこの場に押し留める封印なんですよ」
咎めを目的とした口調ではなかった。六道骸は、鳥居から出たまま、尾をふるふると左右に振って道を戻ってきた。
「僕がなぜ力を欲しがるか聞かなかったですね。今の腐った世の中を一掃するため太平洋プレートをいぢりたかったんですが」
「だぁあああ?!」
思わず骸に掴みかかる綱吉である。
「ま、意外と、棄てるべきものじゃなかったみたいですね。君も人間も」
やんわりと綱吉の手を襟首から解いて、骸が中空に浮いた。耳をピンとさせて、尾を立てる。綱吉は、ぎくりとして骸の手を握り返した。
「――骸さん?」
「少し、眠ります……」
猫神が目を閉じる。綱吉は焦った。この横柄な神が、このまま消えていくよう見えた。
「骸さん、オレ、楽しかった」
「そりゃあよかった」
「おまえはオレたちに支えられて生きてたんだ。オレたちもおまえに支えられて生きてきたんだろ? 残すから。この場所を未来に残すよ」
「…………」
「さよなら。忘れないよ!」
「…………。別に死ぬ訳じゃないんですけど」
猫神がひくっと神経質に口角を引き攣らせる。綱吉も引き攣った。
「あ。なんだ。てっきり……殊勝だから」
手を放すと、六道骸は、ふよふよと宙を浮いたまま不服げに首を傾げた。
「なんですかねー。君はあと五年くらい祟ってあげたい」
「ぁああああ?! そ、そうだっ! サカナ! ほら、骸さん。おまえが消えてもお供えするよ」
ジッとビニール袋を見つめ秋刀魚のシルエットを見つめる。骸は、微かに白歯を見せた。泣き笑うような、奇妙な顔つきだ。
「君は、僕の第二の故郷ですね」
「第二?」
「第一は六道輪廻。僕はね、もともとは死国の使いなんですよ」
それが地上に関わりすぎて戻れなくなったのだという。綱吉は六道骸の体を見た。透けていく。
「いつまで寝てるんだ? おまえ、オレたちの邪魔になんないように寝てるつもりなんだろ?」
「あー、君が意外と馬鹿じゃないってのはもうわかりましたから……。綱吉。多分ね、僕の役割は終わってるんですよ。沢田綱吉。君を祟るのもやめてあげます。この神社も好きにしたらいい。君たちに任せることが、きっと六道神社にとってスバラシイことなんだ」
眠りというのが、具体的にどういう状態なのか綱吉にはわからない。
「骸さん……」しかし告げられた内容は、動揺するのに充分だった。死ではないと骸は言うが、苦しげに唇を噛むのを見るとそれに近いものだとわかる。
猫神は苦渋の面持ちで告げる。
「僕はここにいる。けれどここにはいられない」
凛として、自分の胸に両手を当てた。
「だから僕自身を解くんですよ。構成してる物質を全て風に混ぜる。君の頬を撫ぜる風が、僕の一部になるということです」
「そ……、そうしなきゃならないんですか?」
「古いものは去る。君がどっかから持ってきた古文書と同じだ」
「でも骸さんは生きてるじゃないか!」
骸は浅く笑った。綱吉は慌ててビニール袋を突き出す。秋刀魚が二匹、中で丸くなっている。
「そんなのおまえらしくないっ。これだって食べたいだろ? 骸さんっ。行くトコないなら――、ウチに。そうだよ、ウチに来ればいい!」
夕日に向かって叫ぶ気分だ。猫神の体が透けるから。猫神の頭から生える二つの黒耳だけが、ピコッと綱吉の方を向いた。
「ウチにおいでよ」
綱吉が腕を広げる。サカナを置いて、歩み寄るが、骸は逃げなかった。
そのオッドアイを細く引き絞る。
頭に耳が生えてシッポも生えた異形の神なので、たまに化け猫とかいわれるような神サマなので、この瞬間に両目がネズミを前にした猫のように凶悪に爛々と光っても、まァ、自然なことだ。綱吉はそう思うことにした。
真前に降り立った神さまは、耳と尾をまっすぐにして、静かに頷いた。
*****
チャイムが鳴ったので、母に代わって綱吉が出た。母は朝食を作っている途中だ。玄関は白い光であふれて、扉を開ければ小さい等身がある。綱吉はギョッとした。
思わず腕の中の黒猫を強く抱く。
「チャオッス。リボーンだぞ」
スーツ姿の赤ん坊が、ぴしっと平手を立てて挨拶をした。
「で、でえええ?! お、おまえがぁあ?!」
「たいじしにきてやったぜ。どこだ? 化け物は。おまえだろ? アイツをどーにかしろって思念、ばっちしとどいたぜ」
「これがリボーン先生……。あの伝説の」
ショックを受けつつ、じろじろと見下ろす。黒猫が首を伸ばした。リボーンの臭いを嗅いで、オッドアイを縦に引き絞る。
フゥッ……と、唸り始めたので、綱吉は急いで黒猫の目を手で塞いだ。
「いや、いいんです。確かにオレだったかもしれないけど」
「どういう意味だ?」
「退治しなくていいんです」
赤ん坊は綱吉を真っ直ぐに見上げた。
尾を使ってべしべしと少年の腕を叩いて、黒猫がにゃあにゃあと鳴いた。リボーンは、ぴょーんと跳ねて、猫の鼻目掛けてデコピンをした。
「みゃああ?!」
「う、うわっ! ちょっと?!」
「まぁ、別にいっけどな。オレは忙しいんだからあんま呼ぶなよ。そいじゃ」
山高帽子を被りなおし、スーツケースを握り直してリボーンが踵を返す。
それを見送る。見えなくなったところで、
『あ、あんっのクソ児童……!』
黒猫が忌々しげに綱吉の袖に爪を立てた。
「あんな外見だったんだ。へええ……。世の中、わかんないなー」
『綱吉くん、舐めてー。痛い』
肉球で鼻頭を抑えつつ、猫が耳を前に倒す。綱吉は呆れて両腕で猫神を締め上げた。
にゃああっ。黒猫が手足をばたつかせた。
「調子に乗らないでください。スキあらばオレから精気吸うだろ」
六道神社を離れた今、六道骸はほとんど猫の姿でいる。人間姿を取るのは、一週間に一回くらいで人間でないと出来ないことをするときくらいだった。
『つれないこと言っちゃって……』
肉球でふにふにと綱吉の親指を押す。
ぴくりと、眉根を震わせつつ、沢田綱吉はドアノブを掴んだ。
「そういう誘い方は反則ですからっ。猫の姿の方が実は借り物なんじゃないのか?!」
にゃ〜。不満げな鳴声が途切れる。バタンッ! とした音と重なった。その頃の綱吉の日課は、毎朝、猫と共に学校に向かうことだったので、黒猫は腕の中をすり抜けて玄関に留まった。白猫のキョーコが二階から降りてくる。
二匹が鼻を擦りつけ合うのを肩越しに見つつ、綱吉は思うのだ。
「わがままなペットが増えたと思えば……。まあ、かわいいよな」
六道骸もきっとそう思っている。とは感じるので、そこはまぁ問題といえば問題だ。
終!
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