架橋の下側で待ち合わせ






架橋の下で奴隷が売られる。この都市でそれを知るものはマトモな精神ではないしマトモな稼業をしていない
そしてそこで売られる者は従順であることを躾られる。少女も少年も見目麗しいものが好まれる。彼女らが、じつは、孤児院から売り飛ばされた者たちであると知っているのは奴隷商人と奴隷当人たちだけだ
また売られる。今度は自分かもしれない。その恐怖に僕は無縁だった。ぼくは力があったから、
常に自分に幻覚をつかってすごした。万人の目に醜く映るように。どうして、こんなにいいのに売れないんだろう? 商人たちが不思議がるのが愉快で、僕の唯一の楽しみだった。……だった。

 

 

その3

「ご飯、一緒にどうですか」
思いつかなかったので適当でありきたりな文句を使ってみた。骸の出現に綱吉は怯えていた。硬いパンを握り締めて、目線を泳がせる。ただ年月は彼を少し成長させている。
「また踏むのか? おまえは変わんないな。いやな、やつだよ」
「褒め言葉に聞こえる僕が悪いんですかね? はてさて。柔らかいパンはお好きですか」
綱吉が動揺する。壁に身を寄せて、首を振った。
くす、と、口角をしならせて骸はパンを千切った。一欠けらを口に含んで、首を伸ばす。沢田綱吉はぶんぶんと派手に首を振った。骸の肩を抑えるが、終いには骸が綱吉の後頭部を掴んで引き寄せたので無意味だった。
「や、だって……!! やめろよ!!」
「殴りますか?」
「!」
そうして、その後に起きたこともすべて綱吉の記憶にある。顔色を失う少年に笑みを深めて、骸はゆっくりと唇を重ねてやった。誘うように顎の下を撫で回す。綱吉は、軽く震えながらも口を開いた。
「…………。それよりもおいしいでしょう?」
横目で硬く乾燥したパンを見遣る。綱吉は口を抑えたままで青白い顔をしていた。
「味なんか、わかんな……。こういうこと、やめてください……」
「これよりもっと激しいご主人様だったのではないんですか」
何気ない調子で骸が尋ねる。綱吉がパンを落とした。それを、拾ってぺろりと舐めてみる。乾燥していて、まずい。どれだけ古いものなのだろうかと思う。綱吉は膝のあいだに頭を埋めた。
「ほんとに変わらないな! やめろよっ……、どうせすぐに別れるんだから、また。オレに構わないで。放っておいてくれよ」
「僕は、購入されることはありませんよ」
「え?」
「特別な力があるんです。こんなふうに」
頬に手を当ててみる。その仕草につられて綱吉は骸の顔を見た。途端、ダンッと後頭部を壁に向けて跳ね上げる。悲鳴があがる前に骸が綱吉の口を抑えた。キスだった、が。
「んんんんん?!!!」綱吉は心の底から拒絶していた。骸は笑みを深める。この世のものとは思えない醜い男性――、頬の肉が削げ落ち、鼻がもげ、片目は潰れている。ニキビとシミだらけで舌もぶつぶつしている。そんな男にディープキスなんてされたら一生の傷になるかもしれない。
「っ、っっ!!」
ボロボロと涙を零しつつ綱吉が悲鳴を耐える。
キスの合い間に幻影を解いて、骸はくすりとした。自らの口角を舐めて唾液を拭う。
「やっぱり、楽しいですね。きみは。思えば君は最初から僕なんてどうでもよさそうだった。何がそんなに深刻なのか知りませんが、自分のことしか見えなくて他を考える余裕がないから、ずっと僕を無視してたんですね。嫌いじゃないですよ」
過去の話だ。綱吉は青白い顔で呼吸を整えていた。その両眼に、怨めしげな光が灯る。
「おまえに、オレの何がわかるっていうんだよ……!! 放っておいて」
「いやですね。ねえ、僕にも体を開いてくださいよ」
「放っておけってば!!」
綱吉が顔面を抑える。これを捻じ伏せてもよかった。奴隷の待合室なので、彼らの目はあるが、骸はそれを気にするほどデリケートではなかった。この状況でもやるやつはやるのだと長く居続ける骸は知っている。
「ここで、僕に逆らうとどうなるんでしたっけ?」
「やだっ、て、言ってるのにィ……!!」
両目が赤く腫れていく。綱吉が本格的に泣き出したので、骸は笑みを深めた。なかば冗談であったが、こうなると真にしてやりたくなる。パンをかじって、再び口付けた。抵抗はあったが、何度かくり返す内に綱吉は大人しく与えられたものを呑みこむようになった。
また、楽しくなるかもしれない。骸がそう思い始めた矢先でもあった。つまりはその夜だった。
架橋の下で奴隷が売られる。その下準備だ。
馬車の裏に沢田綱吉を連れ込んで骸はくすくすと笑っていた。オッドアイは意識せずとも色情を混じらせて妖しく光る。今日も首輪をつける。箱から既に首輪を二つ取ってきた。赤いものだ。
「嫌だって……、いっ……、さ、触るの、いやだ」
馬車の車輪に腰をかけて、綱吉がか細くうめく。その首にぐるりとした赤い線が走っていた。骸は人差し指のツメで何度も同じ個所を引っ掻いた。口角をナナメにして、頬を赤く染める。ツメ先に血が付着すると即座に舐め取った。
長くは遊べない。架橋の下で売り物にならなくてはならない。首の傷口に沿って首輪を撒きつけて、普段よりもキツく締め上げる。綱吉が両手で骸の顔を押しのけようとした、が、その指を齧るだけで骸は容赦しなかった。
「ぐっ、くっ、い、息がっ」
「僕がまたキスで酸素あげますよ」
ギリ、と、仕上げに締め上げて手を離す。綱吉は緩めようと手を伸ばす。鎖を思い切り引くと綱吉が足元に倒れこむ。ゾクゾクとしながら、骸は腰を折った。綱吉の耳朶を食んで愛撫する。
「……君にも、幻想をかけてあげましょうか。ずっとここにいられるように」
「!」綱吉が顔色を変える。
「いらない」
存外にはっきりした声だった。
いささか、興を削がれて骸は目を丸くする。架橋の下について、少しもしない間に、彼が強固に拒んだ理由がわかった。薄っすらと、ではあるが。骸は静かに綱吉の後ろ側へとにじり寄る。
「反省はできたか?」
一人の青年が綱吉の向かいに立っていた。
「帰るぞ。テメーの巣はもっと汚ねえブタ小屋だ。みっちり鍛えなおしてやる」
「…………」綱吉は目線を下にする。
「ご主人サンですか?」
自然な態度を装って割り込む。青年は目深に帽子を被ったスーツ姿だった。骸の出現に、口を引き結ぶ。骸は綱吉を庇うようにして立った。架橋の下には冷たい風が吹く。橋の上には夜空が広がる。
「誰だ? こいつは」
「…………。友達だよ」
骸が目を丸くする。綱吉が前にでた。
きゅっと口を引き結んだままで、青年に向けて鎖を差し出す。赤い首輪に繋がった鎖だ。骸は咄嗟にその下にある傷口を思い出す。刻み付けたはずのものが、思ったよりも簡単に抜け落ちることに愕然としていた。
「行くぞ、ツナ」
「……うん」
「待ちなさい。君は望んでなかったでしょう」
口が独りでに動く。驚いている時間はなかった。綱吉は、ぎくりとしたように眼差しだけで骸を非難する。黙って、放っておいて。その意思が暗にこめられていた。
(――なぜ? なんで? ぼくなら助けてあげることだってできる)
手が伸びた。綱吉の肩に触れる、その直前で止まる。できるのに。唇の中で、小さく、囁く。
(悲鳴さえあげてくれれば)願っていた。たすけて、その一言さえ発してくれたら、助ける決意をするのに。骸が迷うあいだに、青年が綱吉の鎖を握った。じゃらり、と、闇夜に響かせて、引いていく。
(一言。言ってくれたらいいのに。本気で? がまん? なぜ?)
声が、した。気持ち悪いな。あんなに醜いのに、涙はでるらしい。闇色のドレスを着た貴婦人たちが遠巻きにして囁き交わす。骸は自分にかけた幻想を思い出した。
(なんて醜い。ぼくは、なんてみにくいんだろう)奴隷は見目麗しいものが好まれる。奴隷は売られていくもの。商人を手玉に取るのが楽しかった。唯一の楽しみだった。骸は静かに目を閉じた。
これだけ醜くてもまだ泣けるのか。六道骸は母も知らなければ父も知らない。孤児院をでるときでさえ、そんなことは感じなかったのに。
(醜すぎて、涙、が)捨てられた。当たり前だとはわかっていた。捨てられたことに文句は言えない。彼には彼の事情があることもわかっている。
けれど、楽しかったのに。その思い出だけが残るので辛くなる。空が白んできたら市場が閉じる。うっすら、別れの言葉をささやいて、骸は自分にかけた幻想を解いた。
ざわり、と、ざわめきが広がる。突如として現れた美しい少年に感嘆が漏れる。さらにその目尻からは銀色の光るしずくが流れていた。誰に買われても、何がどうなろうと、捨てられたことは忘れられそうになかった。それがまた醜い我が身を焼いてゆく。右目が、赤い右目が軋む。
(どうせなら僕に傷をつけさせたら良かった)
月を見上げる六道骸の背後で、競が始まった。


架橋の下側で待ち合わせ 4(終)につづく




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