架橋の下側で待ち合わせ






架橋の下で奴隷が売られる。この都市でそれを知るものはマトモな精神ではないしマトモな稼業をしていない。そこで売られる者は従順であることを躾られる。少女も少年も見目麗しいものが好まれる。彼女らが、じつは、孤児院から売り飛ばされた者たちであると知っているのは奴隷商人と奴隷当人たちだけだ。また売られる。今度は自分かもしれない。その恐怖に僕は無縁だった。ぼくは力があったから、常に自分に幻覚をつかってすごした。万人の目に醜く映るように。どうして、こんなにいいのに売れないんだろう? 商人たちが不思議がるのが愉快で、僕の唯一の楽しみだった。……だった。

 

その4

「骸ちゃんはホンットになんて美しいんだろう。美しいわぁ!」
「ありがとうございます、マダム」
足組みしつつ、六道骸はにこりと微笑んだ。その首には赤い首輪が巻かれている。鎖は、ない。ただその右手には鞭が握られていた。片足が踏むのは他の奴隷の少年である。マダムの趣味はいささか変わっているが、むしろ気が合うので骸は歓迎していた。
「もっと愉しんでいいのよ。骸ちゃんが欲しいものは何でも買ってあげるからね」
「そんな……、恐れ多いですよ。マダムの慈悲だけで僕には充分です」
すらすらと心にもないことを告げる。六道骸は金持ちに飼われたペルシャ猫の気持ちがよくわかる。奴隷として、いくらか、転々と渡り歩いた。気に入らなければ幻想を駆使してその屋敷を落ちぶれさせるだけだった。
(どうしもようなく醜いだけなんだがな。つまらない)
もっとペットで遊んでちょうだい、と、請われて、骸は適当な言葉を選んで足元の少年を甚振った。これもまた決して楽しくは無かった。むしろ後悔していた。選べ、と、いわれて、咄嗟に彼を思い出したからだ。そのまま感傷に浸って、つい、似たものを選んでしまった。
「この程度で音をあげるなんて……。いつまで経ってもお上手になれないなら、僕だって容赦しませんよ。手が滑って君のかわいいお顔に傷がつくかもしれないですよ?」
「そうね、それもいいわね。やってもいいのよ、むくろちゃん」
「マダムもああ仰られている。さて、どうしましょうか? マダムに許しを請うべきだと思いますがね?」
鞭をしならせる。骸の足の下で少年が動いた。震えながら頭を下げる。マダムがにやにやとしながら扇子で顔の下半分を隠す。骸は少年の尻を蹴った。
「謝罪は行動で示すものですよ。奉仕なさい」
こういう遊びは得意だ。天性に合っている。
涙してマダムの足元に齧り付く少年を横目にしつつ骸は鼻腔でため息をついた。買われていった彼を見送って、もはや二年が過ぎる。いっそこの少年が本当に彼なら、
(……ああ。そうしたら、連れて出て行くだけですか……)
膝をたてて、窓辺を見遣る。オッドアイが見開かれた。
「マダム。席をはずします」
「えっ?!」
興奮の絶頂にあった貴婦人が頓狂な声をあげる。奴隷も、現実にかえったように目を見開かせた。骸は構わないと思ったので無視をした。この屋敷には、もう帰れないかもしれなかったが、見間違えでなければ。彼だ。
「――、孤児院?」
帽子を被ったスーツ姿の男性。
彼を買い上げていった筈の男だ。影から追いかけて、たどり着いたのは古い教会だった。骸は思わず襟首を抑える。貴婦人につけられた赤い痣が残っている。黒いシャツの襟首までを閉めてから、覗き込んだ。
神父の隣に黒尽くめの少年がいた。オッドアイが色めき立つ。黒いロングコートをまとって首から大きな十字架をかける彼は、首に、ぐるりとした傷痕を持っていた。中に入ると彼は目を丸くする。骸には、わかっていた。
「君は、だから怯えていたんですね?」
「お、まえ……。あそこをでたの? 幻想を解いたの?」
「? ボンゴレ殿?」
神父が怪訝な顔をする。綱吉はハッとした。
真っ直ぐに綱吉を見据えて、骸は腕を組んだ。引き下がる気はしなかった。それなら、いっそ、綱吉を憎むことすら可能なのだ。首に十字架を下げて孤児院を訪れる黒服の男、を、骸はよく知っていた。
綱吉は神父に頭を下げつつも骸に駆け寄った。苦渋の面持ちをする。
「リボーンに見られてたりしない? あいつ、一度見たやつの顔は忘れない」
「帽子の彼ならばここに入るのを見たきりですよ」
上階を窺って、やがて、頷いた。
綱吉は首から十字架を外して外にでた。公共公園に辿り付くと、コートも脱ぐ。その下はごくありきたりな柄シャツで、そうすると平凡な男性だった。骸はまじまじと綱吉が片手にするコートを見遣る。
「……ごめん。これが、仕事なんだ。孤児院から子どもを買い上げるんだ」
十字架を覗き込みつつ、うめく。骸はその十字架に覚えがある。
「運び屋のシンボルをつけられるくらいの重役なんですか」
「父だよ。最初の運び屋がね、……頼むから、そう言う目で、オレを見ないで」
苦しげにかぶりを振る。骸は両目を窄めた。再会のとき、酷く怯えていたのは、自分が売り飛ばした子どもが待合室にいたから、か。
(なんて醜い)と、咄嗟に浮かんだ感想で、骸は自分に驚いた。
あれだけ焦がれた相手なのに、あっさりとそんな感想が漏れる。正体を知ったからか。
「君を買っていった男は?」
「リボーン。オレの相棒で、先生。オレが、ちゃんとこの稼業を継げるか、監督するようオヤジに雇われてるんだ」
僅かに言いよどんで、しかし綱吉はうな垂れた。
ベンチに腰かけて、顔面を抑える。
「大分前、本当に死にたくなった。死のうとしたら、見つかって、売られる子どもと一緒に売り飛ばされた……。それでおまえに会ったな。オレは、怖かった。家のやつみんな大嫌いになった。でも、その後は、もっと……。リボーンに買われて、仕事を引き継げるよう教育されて、どんどん売り飛ばしたけど、あんなに怖い思いさせてるのかと思うと。オレは」
叫ぶかと骸は思う。だが、綱吉は全身をぶるぶるさせるだけで、しばらくすると脱力して足を伸ばした。両手で十字架を掴んで、ベンチの背もたれに身を預ける。骸はその隣に腰かけて、襟首のボタンを外した。
「今、僕はこういうことを仕事にしてるんですけど」
「…………。それで? 奴隷商人をからかうのは、もういいの?」
「それはかなり前に飽きたんですよ……」
ぷちぷちと前のボタン全てを外す。綱吉はぎょっとした。
「何してるんだ?!」
「君を抱こうかと思って」
「は、はああぁっ?!」
ベンチから跳ね起きる綱吉である。上半身を肌蹴ると、骸はシャツを綱吉へと渡した。相手の内股に片足を潜りこませる。くい、と、捻ると呆気なく綱吉の膝が折れた。ベンチに倒れこむ体を抑えて、柄シャツを引っぺがす。
「?! い、いやだっ! 何す、し、信じられなっ……!!!」
「架橋の下で待っています」
「?!」
柄シャツに着替えて、足元に落ちたコートを拾う。沢田綱吉は愕然として骸の奇行を見つめていた。服の上だけを綱吉を取り替えた。骸はくすくす笑いながら自らの首筋を撫でる。綱吉が、ゆるく握り締める十字架を撫でた。
「できそうですね。この、尖った部分を使って、僕に傷をつけられますか?」
「な?! に、を、言って……。なんのつもり?」
問いかけながら、しかし綱吉は既に目を腫らしている。ぽろぽろと泣き出していた。
「いいから……。これは、僕が君にあげたものでしょう?」
首をぐるりと回る傷口をたどる。ツメでたどる。傷は肌に沈着していて、茶色く変色していた。みにくい。醜い傷痕だと思い、愉快になって骸はくすくすとした。
綱吉が震えながら骸の首筋を撫でる。つ、と、肌の内側に十字架の尖端がもぐりこんだ。
笑みを浮かべたままで一文字の傷口が走るのを見守る。それが綱吉の限界だった。十字架を落として、肩を落として、ぐったりとする。息が荒くなっていた。
「や、だっ……。オレは、カタギに、なりた……。おまえじゃダメだ。おまえといると辛かった」
「でも君は僕に傷をつけた。……ほら、血だ」
首から流れ出したものを掬い取って、綱吉の口元へと突きつける。
躊躇うので、にこりとして咥内へと突き入れた。
「っ!!」中でぐちゃぐちゃと掻き回してやりながら、笑みを深くする。耳元でささやきかけた。忘れないで。架橋の下で、待っているから。
「待ち合わせをしましょう。明るいあいだに。待っていますから」
「ひ、とのはなし、とことん聞かないな……! そんな。だって、どうするっていうんだ。その、あと、オレは、逃げたいけど。それにいっぱい売っちゃった」
咽ながらも綱吉が口角を拭う。綱吉は途方にくれていた。その額に口付けて、すぐさま上列の歯を立てて、肌を抉りながら骸が含み笑う。
「幻想を使う気がしなかったんですけど、こういう事情なら話が変わる。よかった。君も、醜い。僕と同じくらい醜いなら汚すことに躊躇いはありません」
「…………? 意味が、よくわから、なッ」
グリッ、と、実際に抉れたのは右手の薬指だ。両手とも骸に握られていたが、さりげなくツメが肌を抉りこんでいる。額に口付けた動きが目くらましのようなものだった。骸はくすくすと肩を揺らしつづけていた。
「僕に、任せてください……。待ち合わせは?」
綱吉が下唇を噛んだ。ちらり、と、自らの靴先を見下ろす。
「昼間に、いけばいいの? おまえが待っているのか?」
「ええ。でも君も待っているんですよ。僕らは、互いに互いの鎖を持つんです。ご主人様になってあげますから……、僕のご主人様にもなってくださいね……」
首筋に顔を寄せる。傷痕を舐めながら、ふと、六道骸は思い出した。
「ところで君の名前は? 知らないんですが」
「オレもおまえの名前を知らないんだけど」
困ったように綱吉がうめく。骸は両目をしならせた。奴隷に名前を名乗る習慣はない。確信したのは、本名を教えたあとで、綱吉が何度か名前をささやいた時だった。この人は愛していける。
「それじゃ、また後で」
骸の黒シャツを着て、十字架を睨む横顔に声をかける。
「……うん」綱吉は複雑そうに首を縦にする。骸は笑った。すでに幻想はしかけてある。いかに彼が深刻ぶろうと、思い直そうと、結局は架橋の下に来るしかないのだが。骸以外の目には綱吉は骸骨のような醜い痩せ男に見える筈だ。もはや手段を選ぶつもりがない骸だが、しかし、気付かれないならそれに越したことはない。
「…………。うん。架橋の下で」
綱吉は吹っ切れたように頷いた。それに越したことは無い、と、くり返して、骸はにこりと微笑み返した。

 


おわり




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