架橋の下側で待ち合わせ






架橋の下で奴隷が売られる。この都市でそれを知るものはマトモな精神ではないしマトモな稼業をしていない。そこで売られる者は従順であることを躾られる。少女も少年も見目麗しいものが好まれる。彼女らが、じつは、孤児院から売り飛ばされた者たちであると知っているのは奴隷商人と奴隷当人たちだけだ
また売られる。今度は自分かもしれない。その恐怖に僕は無縁だった。ぼくは力があったから、
常に自分に幻覚をつかってすごした。万人の目に醜く映るように。どうして、こんなにいいのに売れないんだろう? 商人たちが不思議がるのが愉快で、僕の唯一の楽しみだった。……だった。

 

その1

これまた、ムカつく子供が入ってきたものだと少年は思う。彼は特別に美しいわけでも体付きが扇情的なわけでもなかったが、目立たずに隅で丸くなってばかりいる鈍臭い子どもであったが、特別に腹が立った。特別に美しいと自負する少年にまったく興味を示さないからだ。目を合わせることもない。美しさを脇に置くとしても、待合室での態度を見れば誰がこの中でのリーダーであるか一目でわかろうものを。
その子どもは挨拶もなく、何をいうでもなく、口を開けるのは硬くなったパンを商人から渡されたときだけだった。
「足りないんですよね。それ、くれます? お腹空いちゃって」
それがはじめての会話だった。少年から話し掛ける、それ自体が、いくらか少年のプライドを障るものだ。だから六道骸はとびきりの笑顔で沢田綱吉に笑いかける。
「そんな、とろとろ食べてて。僕、欲しいなぁ。くれませんか?」
「え……?」
沢田綱吉は物怖じしたように骸を見上げた。
「くださいよ」
にっこりとして、しかし有無を言わさずに手を差し出す。
困惑したように瞬きして、しかし、綱吉はパンを骸へと渡した。骸は短く礼を告げて立ち上がる。そうして、真っ直ぐにダンボール箱に向かってパンを投げ捨てた。
肩越しに振り返ってニヤリとしてやると、沢田綱吉はショックで目を丸くしていた。
(ここで僕に気に入られないとどうなるか、見せしめもかねてわかってもらいましょうか)
骸は意地の悪い笑いを堪える。ここでの扱いは、実に単純だった。美しいものが貴重がられる。美しくないものは適当な扱いを受ける。だから、実のところ、骸は柔らかいパンも食べれるし温かいスープも呑める。食べ物には困っていない。
標的を絞ると、毎日のように同じことをくり返す。沢田綱吉はみるみるとやつれていった。
「…………」両膝をたてて背中を丸くして、身動ぎもせず、思い出したように水を飲む。
「骸さま、そろそろ死ぬんじゃないですか?」
骸の忠実な側近が言い出した。
しばらく、考える。骸が綱吉に強烈なイビリを行い始めてから二週間が経っていた。骸の行動に触発されて、今では誰もが沢田綱吉を無視している。
「千種は、僕が舐められたままでもいいんですか?」
側近は黙り込む。骸はため息をついた。待合室と名のついた奴隷の収容所は、広い。どこかから隙間風が吹く。夜な夜な、橋の下に連れ出されるので、自由な時間は太陽が空に昇っている時間だけだった。
天井から吹き込む光を見上げる。
数時間後、昼食として渡されたパンをもって沢田綱吉の元へと向かった。
彼は、乾燥した唇を震わせながら、目を合わせないままで唇よりも乾燥してるパンを足元に置いた。骸は迷いなくそれを踏みつける。
ビク、と、肩を跳ねさせて、しかし綱吉は膝の間に顔を埋めるだけだった。
「僕の足を舐めてみなさい。それができたら、僕が踏んでるものも食べていいですよ」
「…………?!」
綱吉が顔をあげる。限界まで目を見開かせていた。
腰に片手を当てて、尊大な態度のままで骸は少年を見守った。少年の目尻が見る間に濡れていく。やがて、彼は苦しげに体を起こした。のろのろとした動きで右足の下へと顔を寄せる。
ぺろ。親指のツメに冷たいものが触れる。骸は眉一つ動かさない。
うな垂れつつ、綱吉は舌を伸ばした。つつつ、と、足の付け根までを舐めとって、そこからはみ出したパンのカケラを口にする。ぐりぐりとパンを踏み嬲りつつ、骸は口角を吊り上げた。
「情けないですね。ここに来るものは人間以下ですが、君は中でも最低だ。ブタ以下ですよ。口をつけたからには食べきりなさい。それが、僕に対する礼儀です」
無言のままで綱吉は足の指を舐めあげる。ぽつ、と、冷たいものが落ちて骸は足の指を動かした。綱吉の顎を持ち上げる。目尻から溢れた涙の筋が、いくえもの線を作って顎を濡らしていた。
「……いい気味ですね」
ぞくぞくとして呟く。沢田綱吉は、奥歯を噛んだ。
「……加減にしろ、いい加減にしろよ、おまえ!!」
「?!」
バッと骸の足にタックルをして、綱吉がマウントポジションを取る。六道骸が驚いている間に、その頬に一撃が命中した。苦しげにぜえぜえとしながら、涙しつつも綱吉が叫ぶ。
「何なんだ、何でみんなしてそんなにオレをウザがるの?! 悪かったなダメツナで――、仕事もろくに、できなくて、でもだからって売り飛ばさなくてもいいのにっ。ひどいっ。死にたかったのに!! なんで楽に殺してくれないんだよどいつもこいつも!」
頬を赤く腫らしたまま骸が絶句する。オッドアイが、呆気に取られて綱吉を見上げた。
「おまえも……っ、放っておいてよ! ざけんな! ざけんなよ!」
「――僕に、恥をかかせましたね」
ようやく正気を取り戻して骸がうめく。
一呼吸で身を起こして綱吉の額に頭突きした。形勢が逆転する。マウントポジションを奪われて、綱吉は両手を投げ出した。拳を振り上げたまま、思い出したように骸がうめく。
「せっかく全部食べれたらこれをあげようと思ったのに」
まだ柔らかいパンを持ってきたのはそのためだ。忠誠を誓えるなら、飼ってやるつもりでいた。
骸は残虐に口角を吊り上げた。
「ん?! んぐっ!! な、あ!」
「やっぱり食べさせてあげますよ。ほら!」
「ン?! 〜〜〜〜っっ!!」口に強引に捻じ込まれて綱吉の指が地面を掻く。パンは柔らかい。隙間なく咥内を埋めて、綱吉が顔色を真っ青にした。骸は笑いながらその鼻を摘む。
死に物狂いでパンを呑みこむ。それに一分ほどかかった。何かを求めるように腕を伸ばして、綱吉はしきりに咽込んだ。骸のこめかみから汗が一筋流れた。腰をぐいぐいと相手に押し付けて、ため息をつく。
「水は、用意するの忘れていましたね……」
綱吉の顔面を抑えると、口付けた。
咥内で溜め込んだ唾液を流し込んで、顔をあげるときには銀糸が互いの唇を繋いだ。骸は、くつくつと肩を揺らす。綱吉は咽ながらも再び泣き出していた。あ、あっ、と、言葉にならない嘆声を上げつづけている。少年の体のラインを確認しながら、骸は呼吸が落ち着くのを待った。綱吉はぐったりとして沈黙するようになった。
「明日も、食べさせてあげますよ。よかったですね。もうそれ以上はやつれませんよ」
カリ、と、頬の皮膚をかじってから立ち上がる。綱吉は放置された。
骸はいつも定位置を占領している。陽の当たらない場所だ。そこに戻ると、側近が慌てた様子で駆けつけてきた。
「骸さま、大丈夫でしたか?!」
「ええ。……ああ、千種。彼に水をやっておいてください」
興味をなくしたような物言いだが、骸は、肩越しにぐったりしたままの綱吉を指差した。


架橋の下側で待ち合わせ 2につづく




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