cards joker
「動かなくていい。腹に資材が刺さっていたんだぞ。腕も骨が折れている。しばらくは我が館で休むがいい、客人よ」
ベッドに来た彼は、それだけ告げて踵を返していった。彼は館ではあのマントをつけておらず、スリーピースのジャケットだけを脱いだベスト姿でうろついていた。
「待ちなさい」
「不満が?」
扉で、メイドと共に去ろうとした少年が立ち止まる。「用件があれば、ベッドの脇の呼び鈴を鳴らせ。メイドがくる――」
「そうではなくて。私に何をさせる気でしょうか。あなたの目的は」
唇をクスッとさせて、彼は少年らしく声をはずませた。
「案じるな。敵の敵は、味方にならないかな? と、俺には前から疑問だったんだ。俺は怪我人を保護しただけだぜ」
「しかし、ボブレーの館にいた私を……」
「お前だけじゃないぞ。他にも、生き残った男を休ませている。傷が癒えた後に館を出るもよし、留まるもよし。個人の採択に任せよう」
微量の電気が体内を通っていった。欺瞞の渦を抜けてきた身には信じられない言葉だった。
(この子ども――、田舎の出だ)なかば勘で読み取って、彼の若さ故の無鉄砲さと優しさとを秤に乗せる。秤の反対には打算が乗った。こちらはとっくに幼年期の葛藤を終えた男だった。それこそ物心ついたときから腐っていなければならなかった。
(盗みもしたことがないような純情な顔をして、私達の食い扶持を潰していたと?)
愕然とする。同時に、傷めている内臓が焦げる。焦躁と悔しさが入り交じった辛酸が苦く咥内に広がった。
少年は、自らの行いの正しさを確信している――、態度でわかる。
誇らしげに胸を張り、片腕を広げる。
「ボンゴレファミリーは、自由だ! 好きにしていいんだぜ。ただし、元の悪党に戻るなら手加減はしないからな。そのつもりでいてくれ」
「……私は、あの館に招待されていただけの身です。彼らの仲間ではない」
「そうか。それは失礼を。まぁ、怪我の原因は俺達の襲撃なんだ。ゆっくりしていってくれ」少年は颯爽と踵を返した。ジョットさま、メイドが愛おしげに名前を呼んで後を追いかけた。彼は館でさぞや人気があるのだろう。
(なるほどな)ぐぐ、ぐ、鋼鉄で出来ている筈の己の心臓が軋むのを感じる。誰もいなくなった客室で深青の眼差しをしならせた。
「確かに魅力のある男だ……」
個人的には、彼は、嫌いなタイプではなかった。ジョット・ボンゴレは。
そうして一週間ほど観察を続けてもジョットはシッポを見せなかった。言葉通りの善人らしかった。
(『いいぜ。やってやろう』――、安請け合いの激しい少年)厚いガラスの向こうで、スリーピースのベスト着の少年が、赤毛の少年と話し込んでいる。
マフィアの若ボスという立場はともかく、気心の知れる仲間の前ではジョットは単なる子どもだ。十五歳だとメイドに聞かされた。
(『コザァート。この前の賭けは俺の勝ちでお前も納得しただろうが、』――ガキの会話。まったく有益でない)
唇の動きを読み取るのは初歩の処世術で、苦ではないが他愛のない会話に興味がなかった。
気力を温存するべきだ。浅く息を吐いて、ふくらかな枕に背中を預ける。だが、まだ窓の外に目をやっていた。
「…………」
実に、十代の少年らしい……、子どもに見えた。
たまに少女めいたあどけない表情もする。はやく、と、悪魔の呼び声を喚起させられた。あの誘惑を思う。
(まるで、メフィストフェレスのような……。快楽と絶望のはざまから秘め事を交わすかのような、……毒だ)
思いだしてみても。甘美で。かろやかで鮮やかで、記憶に刺さる薔薇の棘である。
そう感じるのは、やはり、あの悪魔が優しく我が身を包んでくれたからだろう。あの瞬間には、確かに、悪魔が救いの手を差し伸べていたのだ。
「……」自然と、唇に指が差しかかる。
悪魔の手を振り払ったのは男自身ではなく。ジョットだった。
音もなく唇を交わし、汚れを吸いあげていった。その行為に関しては言ってこないということは、彼には人命救助の一環だったのだろう。
外では、けらけら笑っている。
ボスとしての淑やかな振る舞いではなく、年相応の友人との語らいだった。木箱に腰掛け、木漏れ日の中にいて、シモン・コザァートと賭け事を巡る密談を続けている。青い果実に思えた。
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