cards joker
「あいつはまだ名前も名乗らないのか」
古びた羊皮紙をめくる手を止めて、きつね色した髪の少年がふり返る。炎の瞳に刺青付きの少年が映った。
「メイドの当たりはいいそうだ。だがブキミだとも言っていたな。黙ってコッチを見てきてるときがあるんだと」
Gは、ジョットの執務机に腰掛けながら組み足をぶらりとさせる。赤毛を掻き上げた。
「いいのか? ボブレーの一件じゃ誰が手引きしたかわかってねーんだぞ。オレ達に情報をリークした裏切り者がいる……、ホロの情報だ、確かだぜ」
「ボブレーは結束の固さが厄介だったが……。ヘビが紛れたことで、統率を欠いたな」
冷静に、先の戦いを分析する。ジョットは夜を写しているガラス窓へ目をやった。顎の下では手を組ませる。
「……真実は、わからないが……。ホロも、マルコも、それにあの青い髪の男も一人では何もできまい。ボブレーは死んだんだ」
「マルコか、あっちの青か、どっちだと思ってやがる?」
「さぁな」
ぶっきらぼうに目を反らして、ジョットは三日月を視界に挟む。
「……俺は、人を疑うのは嫌いだよ」
け、甘ちゃんすぎるぜ、Gは楽しげにイヤミを言う。
それらのやり取りを窓の端から覗き、唇の動きだけで理解しながら、外では男が壁を昇っていた。館は成金にありがちな無駄に豪勢な造りで、バルコニーが多く、暗躍はしやすい。
(まったく同感)
蔦をよじのぼり、深青の眼球をまるごとそっくり眼瞼で覆う。小一時間もせずに目的の部屋を見つけた。
「き、きさまは?!」
ベッドでは小太りの男が目を剥いた。
「裏切りものッ――」窓からの侵入者に向かって叫びかけて、しかし唇はその形で硬直する。袖から獲りだした針が、男の喉に刺さっていた。倒れかける上半身を片腕で支え、いかにも親切そうに、ベッドに寝かせた。
つつつ、指では、針を喉元まで埋め込んでいく。
「神経毒です。一時的に体の自由を奪っているだけですから、ご安心を。マルコ」
首の後ろに手をやり、そこから別の針を抜きだした。
「こちらが、心の臓を止めるお薬ですよ」
「…………ッ!!」血走ったまなこが、にんまりしている男を射抜く。目元はイヤミがちに色を混ぜ始めていた。
「ヌフフッ。仕込んでおくのは当たり前ではありませんか。見張りのメイドは今ごろは夢の世界で淫夢とでも戯れているでしょう。あなたは死神への献上物だ。ラストダンスはほんの一瞬ですからね……」
にやにやしながら、痺れきっている男の舌を摘みだし、針の中に僅かに入っている無色の液体を注入させる。
「な……ぜ……。っ……」
ぴ、針は、元のように後頭部裏の皮膚に埋め込んである筒に戻した。毒液がかからないように男の舌で丹念に針を拭ってからだ。後ろの髪を掻き上げながらニヤついていた。
「なかなか居心地がいいので、あなたにべらべらと喋られては困るのですよ」
びくっ、びくびく! 男の体が不規則に揺れ、体を躍り上がらせる。
「開幕ですね」酷薄に目を細めて見せた。と、寝巻きの胸に手がかかった。マルコがしがみついてくる。もはや苦悶の叫びもあげられないが、だが、苦しみは感じられる。笑みを深めて抵抗を愉しんだ。
「踊りの相手に私を所望しますか。よろしいですよ、んー。ふふ、ぬふふっ!」
男の顔面を踏みつけながら、息絶えるまでの十分間をただ見つめて過ごして、それから部屋を出て行った。夜はよく晴れていた。
心臓発作との報せは、翌日に受けた。
「マルコは仲間だろう? すまなかったな。医者の診療では足の怪我だけを診てもらった……」痛ましげに顔を伏せて、ジョットはベッドの前に立っていた。ベッドに収り、クッションに背中を預けつつ首を左右にさせる。
「いいえ。マルコは、心臓が弱かった。環境が変わって発作が起きたのでしょう。気にしないでいい」
「しかし……」
「運命はかくも奇妙というだけですよ。この私がボブレーファミリー最後の生き残りになるとはね!」
「お前は、あそこで何をしていたんだ?」
「作戦担当です」しらっと言ってのけてから前髪を指で持ち上げる。下から、ボンゴレ一世に許しを請う眼差しを向けた。
「マルコの死は、残念です……。しばらく一人にしてくれませんか、ジョット」
「ああ、お大事に」
ジョットは、目礼をして踵を返す。だが二歩も行かずにふり向いた。
「ちょっとした質問に過ぎないが――」
「?」歯切れの悪い響きに、青い瞳を丸くさせる。少年は気のせいでなければ照れていると見受けられた。
「……あのときは、済まなかった。医者に聞いたんだが顔を下向きにして叩いてやればそれでよかったらしいぞ。少々、焦っちまった……いや……」豪傑にそぐわない態度だった。不慣れなものの初々しさがある。
「お前が気にしてないならいいんだがな。Gに言わせればオレは向こう見ずな所があるそうだ」
言い訳のように付け足して、ジョットは首筋を指の先っぽでカリカリ掻いた。不器用でぶっきらぼうで、この子どもが精神的にまだ未成熟な地点にあるのだと報せてくる。
奇妙な驚きは、このときになって腹の底から湧き上がった。勇気のように勇ましく、困惑するほど香ばしかった。
「ジョット」
知らずに呼び止める声に未練が篭もっていた。ハタとしても、既に、彼は足を止めて言葉を待っていた。
「…………。初めてだったんですか?」
「いや。違う」
「では思い人と?」
「…………」黙るのは若いマフィアのボスの方で、しかも彼は拗ねた目つきになった。
「さーな」
乱暴に、吐き捨てていく。
ジョット。気がつけばまた呼び止めていて、ジョットはドアノブに手をかけたままで肩越しにふり向いた。
「では俺も言わせてもらうが、喋るなよ。特にコザァートには! Gにもだ。からかうスキを与えたらあいつらは煩いんだからな!」
ムキになってくるボスは、場違いな微笑みが――目を見開かせていた。両端を吊り上げて三日月を寝かせた唇となる。場違いな微笑みがあって、彼は意表を突かれている。
不意に、思いだしたように早口でうめいた。
「お前、ここを出て行く気はしばらくはないんだろう? 不便だから名前ぐらいは教えておけよ」
まだ奇異な微笑みを保っていた。底のない泥沼に浸りながら、思いがけない深さに歓喜していた。
(火を点けるのが、うまい男――、これだ。このファミリーは伸びる!)
長らくこの世界にいる身には、特に牙を磨いて虎視眈々と頂上を探っていたタイプの人間には、ジョットの資質がわかる。まだ若くて美しい、少女のような美少年は、人を惹きつけてやまないカリスマを持っている。
消えかけた筈の野望の火が、再び灯っていく――、その感覚に歓喜しながら、だが控えめな声で尋ねる。
「子どものごっこ遊びでマフィアなんてやっていたら、いつか、一族諸共皆殺しに逢うのではないでしょうか? あなたは変わった人ですね。そういうのは、いちばん、嫌がるタイプだとお見受けしますが?」
「当たり前だ。ファミリーは、守る。村も守る。俺は守るものが多いんだ」
少年は誇らしげに胸を張った。
「ワガママなんでな」
眼差しこそ冷たさを帯びるが、秘めたる熱情は並大抵のものではなかった。新しいおもちゃが美しすぎて、どう扱っていいのか困惑している……、その惑いすらも歓喜だと思った。
「我が儘、ですか……。変わった人ですね、やはり。あなたは。例えばメフィストフェレスがファミリーを守ると誘惑したら、あなたは魂を悪魔に預けるんですか? それほどに高貴な我が儘ですか?」
「それくらいなんでもないさ」
――ドアノブを廻しながら、肩越しにクスッとイタズラな微笑みを寄越してくる。廊下は光で溢れていてジョットはきらきら光る。声がした。
『こちらに、おいで』死線で出会った筈の獲がたい美女の誘惑――、悪魔の囁きだった。だが。
(いや、これは)意志でしかなかった。ようやく自覚する。あの悪魔の声は、姿は、すべてが自分の意志で創りあげたものだ。
(私の、声だ。わたしの望み)
『はやく――』甘ったるく噎せ返るような匂いをさせて全身を包んでくる。かろやかで淫猥な誘いが骨の芯を冒した。熱病だった。
「なるほど。あなたは、いいボスになるでしょうね」
「ああ。なってみせるよ」
『はやく地獄に堕ちてきて』目を開けているのに幻想が見えるようだった。ジョットの傍らにかぐわしい闇が立っていて、これからの甘美な時間を誘いかけてくる。きっと溶けるようなひとときだろう、確信する。
(地獄に……)眩暈に任せて夢想しかけるが、だが、去るかと思われたジョットはひょっこりと顔を戻してきた。本当にな、前置きしてから困ったふうに言う。
「お前は、まだ名乗らない気か?」
「……――――」
ふ、口元が綻んでから頭を左右にゆるく動かした。窓辺に白い光が降ってくる。
「デイモンです」
『はやく……』もう一人の自分が悶えている。彼が何もかも失って、たった一人で死と絶望にさ迷うときこそ、己が手を差し伸べる刻だと悟る。そのためには。傍にいなければ。
「デイモン?」鸚鵡返しにジョットが不思議がる。密かに賭け事を好んでいるのも思いだして、付け足した。うっそりと微笑んで俯けば悪魔に生まれ変われた気分がした。
「あなたのデイモン・スペードです。ドン・プリーモ」
11.3.15
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