墓標に赤いめかくし







話 ガラスの亡霊









「タオルとかってないんですか、ここ」
「お、まえ。何でここにっ?」
 愚問だとでも言いたげな、呆れた眼差しを投げて骸は綱吉の右手を取った。握った、ではなく、まさに『取った』と形容するに正しいやり方だった。
「あるいはカサ。ちょっと歩きますから」
 左右に分けた前髪から、つうっと雫が垂れていく。
 口をパクパクとさせていると、骸は片眉を持ち上げた。
「雲雀恭弥は戻ってくるんですか?」
「し、しりませんけど……」
「見つかると面倒です。さっさと行きますよ」
「おい。カサは?!」
「無いなら無いで」
 けぶる校舎をあとにした。
 ずんずんと住宅街を抜ける骸だが、綱吉はゆるく抵抗をみせた。
「ちょっと。わけが、わからねーよ!」
「裏切り者は見つかりました?」
(そうだ、コイツは知ってるんだ)
「めぼしはついてる」
「ほう」はぐらかされたことに気がついた。
 しかし、綱吉は文句を言うのをやめた。諦めた、と言った方が正しい。
 手をつないだ中学生が、カサも指さずに歩く。片方は堂々と首輪をつけている。
 好奇の対象としてうってつけだった。逃げ出さないように腕を取っているのだとはわかるが、実際に逃げるつもりなので抗議はしなかったが。いくつもの視線を注がれて、綱吉は、空いた片手で何度も目蓋をこすっていた。まだ腫れている。
 二十分ほど歩いた後に、寂れた教会の前に立っていた。
 綱吉はしきりに辺りを見回す。隣町に入った――ここは、骸の領域ということだ。引き攣る綱吉に、少年はクスリと笑い返してみせた。
 いまだに雨は降りしきり、二人とも、全身がびっしょりと濡れていた。
「あの。オレ、これから人と会うんですけど……」
「そうですか。この教会は無人です。かなり前に廃棄されたものなのでしょうね。僕と千種と犬、三人で日本へやってきて、最初に住んだ場所ですが、掃除が大変でした」
「…………」綱吉の都合には、耳を貸さないということだ。
 顰めツラに構うこともなく骸は中へと足を踏み入れた。続いて、綱吉が素早い瞬きをする。
 天井まで――五メートルは距離がある。いくつもの窓が壁に張り巡らされ、もっとも高い位置には色とりどりのステンドグラスがはまっていた。濡れた髪を煩わしげに払いのけながら、骸は、正面に据えられたマリア像の下へと足を運んだ。
「引き渡すように頼まれたものが、あるんです」
「オレに?」ガタンッ。音がして、骸は床板の一枚を持っていた。
 足元には、板と同じ形の穴ができている。目で、覗けと命令していた。
 綱吉はぶるりと体を震わせた。
 雨で濡れたため、寒さのせいではない。
「リボーンだよな?」「他に誰がいると」
 平坦に言い捨てる骸の前を、こわごわした足取りで横切る。
 そして、目を剥いた。そこには履きだしたままの拳銃があった。――十丁は転がっていて。大型のライフルに、機関銃のものとおぼしき連結した弾薬まである。
 途方に暮れて骸を見上げると、彼は当然のように頷いた。
「これはすべて今日からボンゴレのものだ。好きにするといい」
「な……んで。なんで?!」
「よかったじゃないですか。日本で自由に扱える武器が手に入って」
 イヤミが多分に込められていた。ゆっくりと、片腕をあげる。
「あそこの奥。小さな懺悔室があるんですけど、そのイスの真下に穴がありますから。獄寺隼人が使うようなダイナマイトもあります。ああ、機関銃もそこに――」
「どうして、こんなものをオレに? ――今のタイミングで!」
「さあ。裏切り者のめぼしは、ついているんでしょう?」
 愕然として、綱吉が骸を振り返る。
 いつかに見たような顔をしていた。唇だけを笑わせて、眉根を八の字に寄せて。
「あのガキからの命令は、今すぐツナに武器をやれ。それだけですから。まあ僕だったら――」
 クッと嘲るように喉を鳴らす。
「裏切り者は、殺しますけどね」
「きいてない。そんなこと、やれなんて一言も――!」
『八つ裂きにするよ』と、ヒバリの声が聞こえた気がした。
「僕に言われても。とにかく、どうぞ」
 床板を放ると、骸は手近にあった拳銃の一つを取り上げた。
 四十五口径のコルトガバメントだ。
「せめて一つは持たせておけ、ということですから」
「……本当に、パシリやってんですね」
 厭味のつもりで、綱吉。しかし、眼差しは途方にくれて手渡されたコルトガバメントを見下ろしていた。クスと喉を鳴らして、骸はこの場所を覚えておけと告げた。
 未だに、雨は降り続いている。止むまでの雨宿りを提案したのは綱吉だった。
(もう、ディーノさんはきてる頃合だ)
(……裏切り者は撃てって、そういう、意味なのか?)
 わからなかった。ヒバリが言った言葉ではないが、考えるための時間がほしかった。
「……僕は、付き合う義理は無いんですけどね……」ぶつぶつと囁くのは骸だ。
 それでも小部屋へと引っ込み、数本のろうそくを抱えて戻ってきた。ろうに火を灯しながら、うめく声があがった。
「無いよりはマシでしょう。ボンゴレに付き合って風邪を引いたなんて、笑い話にもなりませんよ」
 マリア像の下で向き合っていた。灯火がゆらめくたびにステンドグラスを照らす光もゆれて、一斉に揺れだすその姿は亡霊が蠢くようでもあった。
 骸が、ゆっくりとそれを言ったのは、雨音がにわかに遠のき始めたときだった。
「で。撃つんですか?」
「……わからない」
 スゥとオッドアイが細くなる。
 彼の言葉を待つことにしたのは――、きっと、この少年がマフィアを心底から嫌っているのを、知っているからだ。綱吉は胸中で呟いた。確信をこめて。
(本当に、本当の意味でマフィアを嫌ってるのは)
(オレのまわりでは――この人だけだ)
「骸……、さん。言ってください。オレに、言いたいことがあるんじゃないですか」
「…………。君が、撃つというなら」
 静かに、しかし、ハッキリと骸は言った。
「軽蔑する。結局、君もただのマフィアじゃないですか」
 ろうそくの火が揺れる。赤と青の瞳の上での揺れて、茶色い瞳の上での揺れて、マリア像の上でも揺れて、ステンドグラスの上でも揺れた。
 骸の首には首輪がある。処刑人に植え付けられただろうそれには爆弾が取り付けられており――見えない鎖で、見えない柱に、くくりつけているのだ。綱吉は眉間を皺寄せた。
 ゆらゆらと、大勢で揺れる光と影がまぶしかった。
(一斉にゆれて、亡霊みたい)
 同じことをくり返してから、頷いた。
「どっちの意味で頷いてるんですか」
「――裏切り者でも、オレは撃たない」
 ぽろりと、握りしめていた拳銃を落とす。
 ガチャンと金きり声がして、切り裂かれた空気が動いて灯火をゆらした。綱吉と骸を取り囲む光の群小は、ゆらりっと左右にブレた。わななく、ように。
「リボーンにはオマエから言ってよ。怖いから、直接は言いたくない」
「それはまた。でも、いいですよ。拳銃までいらないんですか?」
「ただの中学生だし。持ってるほうがおかしい」
「なるほど」ニコリ。その目の笑い方は、綱吉が見た今までの中で一番やさしいものだった。
 床板の下にコルトガバメントをしまい終えると、骸は、綱吉を見ないままで告げた。
「千種と犬の手前、こういうことはあまり言わないが覚えておいてください。――君が、もし殺人をするなら」振り返った眼差しは、至って真摯なものだった。
「最初の一撃は僕に与えなさい」
「は、はあ……?」
「そうしたらボンゴレファミリーに反旗を翻します」
「う、撃ったら死ぬんじゃないか?」
 骸はこれには答えず、光を浮かべ始めたステンドグラスを見上げた。
「そう思うなら、殺さないように、することですね」
「む、骸……?」「おや。さん付けはやめたんですか?」
 手早くろうそくを片し、五分の間に元のような空間にさせていた。何もなくて、廃墟も同然の、使われていない教会に。
 この頃には空は完全に晴れ渡っていた。
 ステンドグラスを通して、いくえもの、色のついた光が降りしきる。寂れたなかに差し込む光は、一筋一筋が天上からの慈悲のようで、この世のものとかけ離れた美しさがあった。ホウとため息をついて見上げる綱吉を横目に、骸が呟いた。
「ヒバリは信用しない方がいいと思いますよ」
「…………?」
「ゼラニウムがあった」
「ぜら?」疑問符をつける綱吉に、骸は静かに返してみせた。
「あの、赤い花です。あの男が花など愛でるように見えますか」
「それは……。どうだか。枯らしちゃうなんて、すごくヒバリさんらしいと思うけど」
「らしい? 何をもって、ツナ君はそれをいうんです」
「何をもって、って……」すぐさま帰ってきた詰問に、綱吉は舌を巻いた。
「わかんないよ。オレには、そう思える。例えば骸、人をたくさん殺してきたオマエが、オレには人を殺さないことを期待する」――いささか驚いたように、骸が眉を跳ねさせた。
「……らしいって、思う人もいるし思わない人もいる。そういうものだろ」
 教会をでて、――太陽がずいぶんと低いところにあるのに気付いて、綱吉は舌を噛んだ。
(ディーノさん、帰っちゃってないといいけど)
「ボンゴレ」並盛町を見据える綱吉とは、反対の方に体を向けて骸が言った。
「念のために、探るべきですよ」
(それじゃ、まるで本当にオレを心配してるみたいだけど)
 思う綱吉だったが、口にはしなかった。骸が怒るだろうと考えたからだ。が、すでに、骸は怒ったように二つ目を半眼にさせていた。
「……じゃあ、頼まれてくれますか?」
「ええ。いいですよ」勿体のつけた口調。
 だが即答だ。眉を顰める綱吉に、骸が付け足した。
「ボンゴレのパシリですから」
(骸さんが、自分でそう言ったの初めて聞いた)
 それが別れの挨拶だった。骸が背を向け、綱吉も背を向けた。家に帰り着いたのは夕方だった。玄関には見慣れない黒の革靴がある。――ディーノは、まだいるのだ。
 

 

 

 

つづく

 

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