第7話 目隠しを、
リボーンはベッドの上であぐらをかいていた。
ここ数日。特訓が始まって以来、リボーンの様子はおかしかった。普段よりも口数が減り、部屋をでようとしない。――綱吉にもその意味は、ぼんやりとだがわかっていた。つまり、いつに何を訊きにきてもいいように。自分が居場所を把握できるように、部屋から動かずにいるのだ。
夕焼けがナナメに差し込む部屋で、横顔をオレンジに燃やしながらリボーンは顎を引いた。
「その様子だと、決めたらしいな」
「ああ。決めた。……骸を使ってまで、オレにどうしてほしいんだよ。おまえは」
「オレはカテキョーだぜ。すべてはテメーが学ぶためだ」
焼けたオレンジで横顔が隠れていた。
「今日の夜は『来る』日だったな?」
「――気になってたんだけど。オレが、間違えたらどうなるんだ?」
小さな黒目が上向く。その目尻の上げ方は、まるで笑うようだと綱吉が胸中でうめいた。
「ファミリーに裏切り者がいる。……冤罪をかけた。どうなる」
脳裏をヒバリと骸が横切った。
彼らはそろって殺すといった。そして、実際、マフィアとは――。
「……――冤罪は許されない。相手の命にかかわる」
「そうだ、その通り。つまりは、わかるな? 失敗は許されないってことだ」
若干の沈黙をはさんで、リボーンがピシャリとした声で言った。
「やる前から失敗したときのことを考えるな。ヘマを招くぞ」
「リボーン……」力のない呼びかけだった。
しかしリボーンは満足して、したような声で、呟いた。
「今夜がヤマだな。決めてみせろ」
「……とりあえず、シャワー浴びる」
制服を脱いで、パサパサになっていることに気がついて、綱吉がうめいた。つぶてのように降ってくるものを浴びながら綱吉は瞑目した。リボーンの言葉の意味を考えていた。
(オレが学ぶため、か――……)
「ツナ! どーしたんだ、さっきはすぐ行っちまって」
風呂上りにリビングへと行けば、奈々の隣でディーノがせんべいを齧っていた。その両脇にはイーピンとランボ。左腕と右腕にぶら下がって、遊んでいた。
「雨に濡れちゃったから着替えてたんですよ」
「あめぇ? おいおい、カサは差さねーとダメだぜ。濡れちまうのって気持ち悪ィだろ」
いつかに見たのと、同じ笑みだ。綱吉はキュッと唇を締めた。そして眉を寄せた。――六道骸が、よくするような、感情の読みとれない笑顔を浮かべている自覚はあった。
「? ツ――」「じゃじゃーん!」
「今晩はディーノ君もきてるし、ツッ君にも滋養をつけてもらおうってことで、焼肉よ! じゃんじゃん食べてね!」具材をしきつめた鍋をもって、奈々が台所からでてきた。
「おおぉぉ、大丈夫だママン。ランボさんが食い尽くしてやるぞ!」
「食い尽くすなって」
ディーノがゆるい裏拳を叩き込む。
おおげさな悲鳴をあげて倒れるランボに、イーピンがクスクスと笑い声をあげた。綱吉はくすんだ眼差しでそれらを見つめた、が、かぶりを振って、ニコリと笑顔をみせた。
「じゃ、リボーン呼んでくるよ」
「よろしくね〜」
(夜だ。夜に、言おう)
どうせ相手はやってくるのだ。
その現場を抑えたほうがいい……そうでなければ、簡単に言い逃れができてしまう。そこまで考えたところで、綱吉はフッと目だけで嘲った。
(なるほど。ずいぶん教育が進んでるわけだ)
食事を終えるとディーノはホテルに帰るといった。綱吉は止めなかった。覚悟を決めれば速いもので、夜の八時にも満たないうちに布団に潜っていた。
「ツッ君、本当に具合が悪いのね」とは、奈々の弁である。
ベッドの中で眠らずに、ただじっとする。そうしてから数時間が過ぎたところで、綱吉は、唐突にハンモックに影がないことに気がついた。
(……? リボーン?)
上半身を持ち上げる――ときに、目を剥いた。
ベッドの足元に人影があった。毎回、気がつかない間に忍んでくるその男は、闇に紛れながらも腕を伸ばした。
「――――っっ」
キュウと赤い目隠しをまわされる。
赤く翳った視界のなかで、腿に触れるものがあった。布団の裾から忍んだその指は、徐々に上昇して付け根に触れる。綱吉は眉間を顰めた。一瞬、悩むような間があったが、叫んだ。
「やめてください……っ。ディーノさん!」
影が動きを止めた。畳み掛けるようにくり返す。
「わかってるんです。ディーノさんなんでしょうっ?」
暗闇に包まれた室内で、影が動きを止めた。
時がとまったような、緊張に濡れた時間の経過……の、あとで、両頬を挟む手のひら。影は、ゆっくり、言い聞かせるように。楽しげに、告げた。
「はずれ」
ディーノではない。
聞き覚えはある。……綱吉は肝を抜かれた心地で、問い掛けた。
「ヒッ?! バ、り――?!」
「そう。僕だよ」頬を掴む片手が離れ、綱吉の腕を掴む。
確認させるように、ヒバリは自らの顔へと触れさせた。造形を確認するように手を動かし――、鼻のかたちは、たしかにヒバリのものだった。そして声も。
「な、んでっ。えっ――……?!」
「綱吉の負けだね」
上機嫌に囁く。同時に目隠しが外された。
――両頬に、手を置いたままで。後ろから、別の誰かが手を伸ばしてきたのだ。すうっと全身の血が遠のくのを感じながら、顎をあげて後ろに佇む影を見上げた。
「ディーノ……さん」
「裏切り者はひとりとは限らない」
「ハハ。さっきはごちそーさん」
「ど、して。二人とも」
丸くなった瞳に溢れるものがあった。
ディーノが薄く微笑む。そうして、唇でもって涙を掬い上げた。
「ワリィな。今回のコレ、持ちかけたのはオレなんだ」
混迷に眉を顰め、キツく寄せられた眉間に舌を這わす。動物が赤子をあやすように、丹念に、舐めていった。
「そういう目に、実際に会う前に。ツナは根がやさしーから惑わされやすいと思ったし……誰かにやられるまえに、やっておきたかったんだ」声のトーンを落として、そのまま続ける。
「オレには気がついたんだな。ヒント、ちゃんと見つけてえらいぞ」
頭をクシャクシャと撫でる。その仕草が、あまりに、普段と同じで涙がでそうだった。ヒバリがつまらなさそうに呟くのが聞こえた。
「けっこう、僕もわかりやすくしたのにね」
「ゼラニウムか。ちょっと、難しいだろ」
「ラテン語で『鳥のつる』。わざわざ枯らしてあげたんだけど……。花言葉が、」
別の声が、割り込んだ。「尊敬と信頼!」
ぱっとディーノとヒバリが顔をあげた。
扉が開かれていた。六道骸が、ぜえぜえと全身を揺らして立っていた。大きく上下するたびに首輪が揺れて、煩わしげに首を引いていた。肩にはリボーンが乗っている……。
「ツナ君……」綱吉に乗るヒバリとディーノを見て、少年は眉根を寄せた。
「遅かったようです、ね――」
「六道」「黒曜の?」
目を丸くするディーノに対して、ヒバリはベッドをおりた。
しかし、制したのはリボーンだった。
「コイツは伝令にきただけだ。今となっちゃ無意味だけどな」
「――君が、口でいってくれるなら間に合っていた」
「口出ししないルールだ。オレにメールすんじゃなくてツナにメールしろ」
「メール番号など知るか!」
吐き捨てる骸に、綱吉が顔をあげた。
ヒバリが片手で胸を押し、制する――。黒目は、剣呑に骸とリボーンを注視した。
「赤ん坊、僕らの勝ちだ。約束は守ってもらうよ」
「ああ、わかってる。お前らも、守れよ」
「やくそく?」ディーノは早くも話に加わることを諦めたらしい。キスの雨をよけながら、綱吉が訝しんだ。しかし声は真上からした。ディーノだ。
「ツナの愛人になるか、ツナを愛人にするかって話だ」
「あ、あい――?」
あまりに近くで喋るために、お互いに、息を吐くたびに互いの睫毛を震わせていた。
「言っただろ」ヒバリが言った。
「愛だの恋だのは愚かだって。……でもこれは本能だからね。欲求はあるものだよ、だから、それなりに気に入ったものを愛人に据えておく。こういう世界に身をおいてると、これがセオリーになってくるんだよ。いちいち気にしていられないからね」
「よーするに」ディーノだ。ニコリとした目尻とは反対に、口元の笑みには邪なものが、混じっていた。
「二対ニの勝負で、オレらが勝ったの」
「あ、愛人って――」
骸の肩をおりていた。リボーンがうめくような声で、答えた。
「こんなカタチは正直なとこ不本意だが。……負けたからには仕方ねえ」
「オレはどうなるんだよ……?」
「安心したら」ヒバリは囁き、ベッドに膝をついた。
「今までと同じだよ。綱吉は、僕らをかわるがわる相手にすればいいだけ」
「そのかわりオレらはオマエを全力でサポートする。そういう約束だからな」
ディーノの指が首を辿る。何を言えばいいのか、もはや、綱吉にはわからなかった。
「泣いてるの?」からかうようにヒバリが言う。
首をふって、綱吉は腕をあげた。
にじんだ視界を隠すためでもあったし、彼らに。顔を見られないようにするためでも、あった。ディーノが笑って腕をどけようとした。
「ツナ。それじゃ、キスできねーんだけど」
「ああ、もう解禁? バレるまではやらない約束だったけど」
「だろう。……愛人をどうやって可愛がろうが、オレらの勝手だよな?」
「そーだな」リボーンはハンモックに這い上がっていた。
ゴロリと寝転がり、パジャマに着替えをはじめる。綱吉は襟首に手をかけられていた。
「? 綱吉、君、手ぶら? なんだ。いざとなれば、君と殺し合いもできるかと思ってたのに」
「……持たなくてもいいと、思ったんだろ」代わりに答えたのはリボーンだ。
「親交があって損のない相手だ、――しっかり相手してやれよ」
投げやりに言うと、リボーンは体を横たえた。腰を抱えあげられながら綱吉はうめいていた。
「お……。おまえら。ひどいよ」
「君はこれからそういう世界に住むの」
ヒバリの声は、どこか嬉しげに聞こえた。
その黒々とした瞳と、ディーノの底の見えない眼差しに射抜かれながら――目を閉じようとしたが、差し出されるものがあって、瞳を上向けた。ベッドの脇に骸が立っていた。
ベッドの下に落ちた赤い目隠しが拾い上げられていた。
「…………」差し出す本人が、どんな顔をしているかは、闇に馴れた綱吉の目にも判別がつかなかった。けれど、空気の震えがかすかに伝わった。骸と目があったらしい気配がした。彼は頷いた。
「これが欲しいんじゃないですか。あなたならば」
「目隠し、いるの?」疑わしげに、ヒバリ。
「別につけてもいいんじゃねーの? 色っぽいし」
ああ。くすんだ声を胸中で呟いて、綱吉は目を閉じた。
(何も考えないようにするんだ。我慢じゃなくて)
四本の腕が体の上を滑る。言い聞かせていた。あの、先輩と兄弟子ではなく。裏の世界に通じる少年と青年が、目の前にいるのだ。その事実だけがあるのだと。
(見ないフリ。そう、感情を凍らせる)
――そのため、には。
「……欲しいです……」
っきゅ。 切れはし同士が後頭部で結ばれる。
伸びてきた指先は黒く濡れていた。ろうそくを灯したときにはオレンジに濡れた。
亡霊が脳裏をよぎる。ゆらゆら、蠢くように、やがて背後から揺さぶられていた。――ただ、視界には赤が広がる。誰も部屋を出入りした気配はなかった。喘ぐ自分だけが異様なものと思えた。
目隠しのしたから、幾筋もの涙が、頬を伝っていた。
おわり
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あとがき(反転
お読みいただきありがとうございました。
今までの連作とは書き方・構成を変えています。このためか、ちょっと、自分でふしぎに思うことがあるお話でした。骸氏がさりげに白かったり、ヒバリさんとディーノさんが黒かったり、何気にこのメンツを同時に書いたのが初めてだったりしました。ほぼ三日間で完結となりましたが、急ピッチで進めた余波がそこここに見られる仕上がりになっております。…精進したいと思います。
この後の綱吉さんは立派にボンゴレ十代目をやると思います。
右腕と左腕がヒバリさんとディーノさん…? かもしれないですね。リボーンもいるので、最恐です。骸さん一派はパシりを続けているか、綱吉さんが約束を破った、あるいは約束を遂行して(最初に撃つ)、十年後のボンゴレファミリーには在籍してない可能性もあるなァと思っております。
お付き合いいただけて嬉しいです。少しでも――あ、しあわせ感じられるような話ではないですね。
少しでも萌えを(笑)感じていただけたらありがたいです。ありがとうございました!
06.2.8
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