墓標に赤いめかくし







話 ひとりとひばり








 目隠しの赤色だけが見える。脳髄を揺さぶる波は全身をスミまで焼く。
 近頃は、さまざまな体位を試すつもりらしく、ひっくり返したり腕だけ捻られたりされていた。人形遊びのようだ、脳裏で戦慄き――泡だったよだれのついた唇を、限界まであけ広げていた。
『……ッ、アァ――……!』
 いつか、ヘッドフォンで聞かされたような女の声。
 よく似たもので唇を震わせていると、気がついていた。女のように抱かれながら女のように悲鳴をあげて。長くのびる悲鳴に艶をまじらせて。ひどく滑稽だと綱吉は思う。
誰にも見られたくはない。自分でさえ知りたくはなかった、(こんな動物みたいな自分がいるなんて)。この姿を見ているのは、友人であるはずの誰か。彼はゲームとして自分を犯しているのだ。
(誰だ。オレ、自分がこんな人間だなんて知りたくなかった)
(女の子みたいにアンアン言ってトモダチを変な目でみて)
『男に抱かれて気分は?』声がした。
 六道骸が脳裏に立っていた。
『いつまでそういえ』
(うるさい。うるさいうるさいうるさい!!)
『ああ、じゃあ後でツナん家いくわ』
 気兼ねのない一言で、全身が硬直していた。
『久しぶりだもんなァ。もーちょい、待てよ。あとすこしで取引きも終わる』
「ディーノさん。これから……?」
『ああ。じゃあ、あとでな!』ブツと通話が切れた。
 複数の漫画がカーペットに散乱していた。
 ランボだろう。勝手に入って、勝手に遊んででていったのだ。ハハと俄かに口角を笑わせながら、綱吉は、今度こそカバンを落として立ち尽くしていた。
 視界が震えている。そのまま、リボーンを注視した。
「リボーン。何か言うことは」
「今までと同じだ。ボンゴレとして裏切り者を見つけてみせろ」
「……どうして、その人は裏切ったんだ?」
「それも特訓の内側だ。自分で考えて、――処遇を決める勇気をもて」
「わっかんないよ。勇気って――疑問があるならディーノさんに聞けってこと? あ、あんなおぞましいことするわけが――」
「バカだな。人は毛皮を変えればネコにもクマにもなれる。……まあ、考えな」
 リボーン! 半ば泣くように叫ぼうとして――、階段をあがる足音に気が付き、呑みこんだ。扉を開けるなり、奈々は胸を張った。
「ツッ君。学校は? ――きゃっ?」
 エプロンを抱くような格好で、仰天する。
 青白い顔が振り向いたからだ、綱吉に飛びついて、額に手を当てた。
「最近、どうしたの? ずっと調子が悪いじゃない。病院に行くなら、付き添ってあげるわよ」
「母さん……」すごんでみせるような口ぶりで奈々が言った。
「横になってなさい。何も考えないで、寝てるのがいちばんいいのよ」
「風邪だといいわね」言葉を付け足しながら、ニコリ。眉を寄せて頷いた。しかし、シーツを握りしめる指に気がついて、見下ろすあいだに、鳥肌がたった。
 ――アアッ。そんな甲高い悲鳴をあげながら、もがくように掴むことが多かった。突き上げられるたびに体の芯が震えて、全身が戦慄いて。綱吉は愕然として自らの腕で自らを抱いた。
(ちがう。ちがうちがう!)ぞくぞくした。その瞬間は、たしかに。
「? 寒いの? ……なら、布団に入らないと」
 ――肩に手がおかれる。そして、やんわりとベッドに押し倒されて、綱吉が絶叫した。そうして彼は服を脱がしにかかるのだ。殴るような勢いで腕を振りあげる。小さい悲鳴でハッとした。
「ツッ君……?」目をまん丸にして、奈々がぶたれた手の甲を抑えていた。彼女の手の腫れと自らの手とを見比べて、ようやく綱吉は正気を取り戻した。あっ、と、短く悲鳴をあげて背筋を丸める。
「どうしたの……? そんなに気分が」
「いやっ。ち、ちがう。大丈夫……。寝ぼけてた」間髪をいれず、付け足した。
「忘れ物、取りに来ただけなんだ。学校に戻る」
「ツッ君?!」呼び声を押しきり、家をでた。
 風の荒い日で、青の面積よりも白の面積のが多かった。雨の予感が辺りにおもく垂れこめて、綱吉の心をも覆い隠していた。カバンを忘れたことに気付いたのは、校舎を前に、
「手ぶらで登校?」と、尋ねられたときだった。
「あっ、そ、その……――ごめんなさい」
「わお。謝ってすむなら風紀委員はいらないよ」
 ジャキリ。軽やかな金属の摩擦音。
 風紀委員長は、トンファーの切先を綱吉へと突きつけていた。
「校則違反だ、沢田綱吉」
 けれど鼻先で鈍く光るものを見ても綱吉の反応は薄かった。唇を震わせているが、それだけで、茶色い瞳はボンヤリと違うものを見つめている。
「…………?」ヒバリは、眉を顰め――しかし彼という人は常がそうであるように、今回も例外ではなく――あげた手を何もなしでおろすことはなく、ぱあんと平手で頬を殴った。
 反対側にあった塀にぶつかり、ズルズルと屈みこむ。目尻から濡れたものがこぼれていた。
「……いくらなんでも、あの人だけは、酷いことしないと思うんですけど」
「はあ?」呆れた声で呆れた顔をして、腰を屈めたのは、蚊が飛ぶほどにか細く薄いセリフを聞き取るためだ。綱吉は、右の頬を塀に押し付けたままでうめいていた。
「だってそうゆう人じゃない。憧れてて、本当に。だってディーノさんは、オレを弟だっていってくれて、――」
(わかんない。裏切り? ……あっ、あのひとに、オレはあんな女みたいに甘い声だして股開いて、なんて考えただけで目眩が――裏切り? どうして。わかんないよ!!)
 ポタポタとコンクリートに円形のシミができていく。
 ふたつ、みっつ、……六つ、八つ。
「う……っ、あ、うわあああ」
 その場に蹲り、綱吉が絶叫をあげた。風紀委員長は要領を得ないといいたげに眉間を皺寄せ――まだらに降りだした雨を見上げて、鼻腔を膨らませた。長いため息だった。
「よくわかんないけど。また面倒を作ってるみたいだね」
 考えるような間のあとで、襟首をムンズと鷲掴む。泣きじゃくりながら、綱吉は校舎へと引き摺られ、最終的にはソファーへと放り投げられていた。
 応接室だ、ヒバリは静かに言い放った。
「どうせ泣くなら、そこで泣いたら?」
 ガクランを脱ぐと綱吉の上へと放り投げ、奥へと引っ込んだ。一枚だけのタオルをもって、自らの頭を拭く。少しだけ濡れた。
「今朝方、草食動物を相手にしてたら時間をくっちゃってね。遅れて検問してたら君がきた。……三限が終わるまではココにいるけど。沢田、君はどうするの」
「……邪魔じゃ、ないなら……」
「そう。邪魔だけど。いたいなら、居れば」
 乱雑にイスへと腰をおろし、デスクに向き直る。
 綱吉はぼうとヒバリを見つめた。喉はいまだにヒクヒクと振るえているが、予想外の返答だったのだ。あのヒバリが――、そんな、気遣いのようなものをみせるなど。
(そうだ、ヒバリさんも裏切り者かもしれないんだ)
 思った後で軽く後悔をした。ほんとうに、いやな人間になったものだと。
(でもヒントはディーノさんを指してる。 ――ディーノさん、は――……)
 思考に霧がかかったようだった。手足ともに、指先がかじかんでいて、脳裏を巡るのは金髪の青年とリボーンと夜のあいだの記憶だけ。ぼろぼろと零れるものを、隠すために両腕をあげた。
(だめだ。考えすぎてもドツボにはまる)
 綱吉は、暗鬱とした心地で目を閉じた。
(考えるな。夜と同じ。考える必要も悩む必要もなくて我慢してれば)
(がまん?)何かの書類を広げているらしく、カサカサと紙の擦れあう音色と、ペンを走らせる音色とが聞こえた。目蓋の向こうから、黒いものが伸びてきて首筋に絡まる。キスのような、愛撫のような甘さがあって綱吉は身を預けた。
 ぎしりとソファーが軋んで、横たえた体も沈み込む。
(がまんは……、少し違う)スゥと微かな寝息が鼻腔からもれていた。
(何も考えない。考えないようにすることを、何て、いうんだろう……)
 ものの十分で綱吉は目をあけた。
 全身をビッショリとしていた。自分がどこにいるかを把握しきれずに首を巡らせ、ヒバリを見つけるなり、声を荒げた。
「オレっ、なんか言いましたかっ?」
 いつの間にか、ガクランを抱え込んで毛布の代わりにしていた。
 ヒバリは、綱吉が寝る以前と同じ格好で――右肘をデスクに立て、手のひらに顎をのせて、気だるげに書類のページをめくっていた。
「焦るような夢でもみてたんだ?」
 背後には窓があった。
 と、と、と。リズミカルに雨粒がガラスを鳴らす。
 綱吉は、佇む真紅に気がついて背筋を凍らせた。夢の中で、ディーノに赤い目隠しをつけられたのだった。そして膝を割られ、両足を百八十度に広げら――伸びてきた唇とキス。
 オレンジのフレーバーシガーが香った。
 喉の震えを自覚しながら、うめいていた。
「ヒバリさん、その、枯れた花」
「コレ?」デスクの上辺に鉢植えがあった。
 小さいが、大量の花をつける種類の植物だ。一本の茎の先で、小さな赤が、円陣を組んで身をよせあっていた。花弁はそろってこうべを垂らして、自らを弔うように沈黙している。
「人からもらったものだよ」
 うっすらゆっくりと双眸を細くして、ヒバリが続ける。
「……水をあげなかったら、枯れた。つまらないね。花なんて」
 いかにもな、理不尽すぎるコメントだ。
 けれども綱吉が口を開くより早く、首が傾げられた。
「沢田も花? ……下品な例え方だけどね」
「えっ?」「寝言。なかなか、過激なこと言うんだね」
 歩み寄るヒバリを恐れの篭った眼差しで見上げた。キツネのような顔で笑っていた。
「いっちゃうとか、もっと強くとか。沢田の趣味? 相手の?」
 ボヤくような口ぶりに反して、黒目は興味深げに真上でまたたく。
 顔に陰がさし、綱吉は眉間をシワよせた。白シャツ一枚の立ち姿だったが、そのシャツの表面はデコボコとしていた。当然、余分な肉によるのではない。筋肉の隆起だけでそうしたラインを生み出しているのだ……。ヒヤリとして、息をのんだ。クスクスとした笑い声が、ふってくる。
「どっちにしても悪趣味だけどね」
「ヒバリさん」茶色い瞳が左右に揺れる。
 丸くなった瞳には涙が滲んでいた。まさか、と、呟く声。
「やめてください。――オレをそういう目で、みな、いで」
 ふっ、と、ハルが思い浮かんだ。
 彼女の黒髪が首にかかる。その瞬間に、たしかに、ヘッドフォンから聞こえた女の声を思い出したのだった。一皮剥いてしまえば、この小さな少女も、あんなふうに鳴くのだと――。
 ブンブンと頭を振り回し、綱吉は両手を強く握り合わせた。
「スキモノみたいに言わないでください」
(ハル。ハル、ごめん。そういう目でみてごめん)
「色々と思いだすんです。そのたび、に、自分が凄く薄汚く思えっ……。もう、これ以上」
(これ以上? なにをいってんだよ、ああ、もう)
 こめかみがズキズキとしてきた。
「――あのさぁ」
 不服げにつぶやくと、ヒバリは綱吉にガクランを被せた。
 ズリ落ちたものを直したのだった。やはり、つまらなさそうに唇をひしゃげながら、言った。
「誰が今、沢田を抱くっていったの? 勘違いも甚だしいよ。一応、慰めるつもりでココに寝かしてやってるんだけど」
「え……?」
 ヒバリは、鼻をフンと言わせた。
(本気で心配……を?)
「あ、の」「なに」
「ソファー、貸してくれてありがとうございます」
「……礼をいうのが遅すぎじゃないの」
「ヒバリさん、聞いていいですか」
「もし、大事な……」言葉を切ったのは、笑顔がチラついたからだ。
 その質問を口にするだけでも、根のいる仕事だった。金髪の青年は、一切の翳りなく晴れやかな笑顔を浮かべている。
(でもあの人はマフィアのボスなんだ……。そんな、かげりがない、なんて、言えないんだ)
「尊敬してる、大事な人が裏切ってたら、どうしますか?」
 ヒバリは声で笑った。
「八つ裂きにするよ」
「理由は? 聞かないんですか」
「聞く。でもどんなのでも八つ裂きにする」
「……どうしてですか?」
 平然とした面持ちのまま、ヒバリが顎を引いた。
「裏切りの事実が変わらないからさ」
「つらくないんですか。その人は、本当に大事なんですよ」
「バカだね。放っておいたら――」少し躊躇うような間のあとで、言い切った。「もっと辛くなる。お互いにね。だから、とっとと切り裂いてあげるべきなんだよ。そんな歪んだ関係は」
 歪んだ関係。その言葉を繰り返して、綱吉がうめいた。
「なんだか、ヒバリさんらしいですね……」
「そう? ――回りくどいことは嫌いだからね。だから、今は少しフラストレーションが溜まってる」
「え?」
 ヒバリは時計を見上げた。
 もうすぐ三時間目の終了を告げるチャイムだ。
「授業にはでるの? 僕は、さっさと帰ることを勧めるけど。思うに沢田。君には時間が必要だろう。――独りになって、じっくり考える時間」
 目を丸くしながらも、綱吉が頷く。
 その通りだと、思った頃にヒバリの手が頭に置かれた。
「コントロールができないのは致命的だよ」
「……? どういう意味ですか」
「さっきみたいに、泣き出すのは無様だっていうこと」
 ぐっと吐息を噛みしめる。顔をあげれば、ヒバリの鼻が目の前にあった。
 モノを言う前にヒバリは少年の鼻先へと噛み付いていた。ガジりと、確実に一噛みをしたあとで、ヒバリはゆっくりと告げた。目と目の間の距離はわずか五センチ。
 互いの眼球に、互いが映っていた。
「いつか、スリッパで僕を殴ってくれただろう……。許さないよ、そんなことしておきながら、その体たらくは。大事なひとが裏切ってる? それがどうしたっていうの。ソイツと他の全てを天秤にかけて――それでも、ソイツのが重いって? まるで恋だね」
「こ……?」微かな怒気に綱吉が震える。
 しかし目の前で膨らんでいく怒りよりも、強烈な勢いでもって引きつけられるものがあった。ヒバリの口ぶりは、まるで。(まるで……、特訓の内容を)
 鼻先へと運んだ指は、すぐさま払われた。
 茶色い瞳と黒の瞳のあいだには、如何なるものの介入も許さないというように手荒に。黒目に映る綱吉は、怯えながらもヒバリから目を離せずにいた。
「いいことを教えてあげる」
 黒目が、静かに炎をゆらしていた。
「愛と恋なんて、愚か者のすることだよ」
「そして君は愚かでいる時間などないはずだ」
 ――なめらかに、木琴が叩かれた。キンコンカンコンと、耳に馴染んだチャイムである。ヒバリは踵を返した。 扉に手をかけ、……振り返る。
「もう言われてるかもしれないけどね。勇気を持ちなよ。告げる勇気も、受け入れる勇気も」
「ヒバリさん!」すでに、ヒバリは扉の外へと踏み出していた。
「知ってるんですね?! ――裏切り者は誰なんですか!」
「なんのことだか。赤ん坊に聞いたら」
 後ろ手をヒラヒラとさせて、風紀委員長は応接室を後にした。
 独りになって、遠のいていた雨音がやたらと強く鼓膜を打った。まるで、体を根元を直接打ち付けてくるようだ――と、思いながら、綱吉は拳を握り締めた。
「……応援、してくれてるんですか……?」
 答える声はない。立ち尽くす間に四時間目の開始を告げるチャイムが鳴り響いたが、動かなかった。とてもではないが授業にでれる心地ではない。ヒバリは考える時間がいるだろうと言った――。ディーノが家にやってくるまでに、もうさほど時間はないだろう。
(聞いてみよう。とにかく、ディーノさんに聞いて)
 と、心持ちが決まれば、急に周囲が色をもって目に映った。
 雨音が室内を満たしていた。綱吉はカサを持っていない。空模様を確かめるべく背後へと目をやった。そして、綱吉は後退りをした。窓枠に足をかける人があったのだ。
 腰を屈めて応接室を覗き込んでいた彼は、物思いに沈んだ目つきをしていた。綱吉と目があったのに気がつくと、眼球だけを上向かせ、カラカラと窓ガラスをスライドさせた。
 頭髪は艶めいていて、青色が目に痛むほど鮮やかだった。
「こんにちは。――ちょっと、用ができたんですけど」
「……ろ、くどう……?」
 全身がぬれそぼった彼が、長いあいだ、外で待ちつづけていたのは明白だった。
(待つ。何を)それも明白だった。綱吉が脳裏でわなないた。
(ヒバリさんが出て行くの、を)

 

 

つづく

 

>>第6夜 ガラスの亡霊 へ

>>もどる