墓標に赤いめかくし







夜 いざ、突入







 その朝は風紀委員が遅刻の取締りをやっていた。
「風邪か?」その一言だけで、特に咎めはなかった。三十分ばかり遅れて登校だったが、顔が青白くげっそりと生気をなくしていたからだ。
 体育の時間はもとより、トイレでさえ獄寺が傍を離れなかった。
「十代目! 今から帰るんですか?」
 ビクンと跳ねて、肩に乗った腕を振り払った。
(撒けてなかった、か)微かに手のひらが震えていた。
「? 十代目?」
 顔をキョトンとさせるのは獄寺隼人だ。綱吉は視線を反らせた。
 校舎の窓には空の青みが反射していて、光の筋が当たった一辺はきらめいていた。
「ちょっと。用事があるから、……母さんの用事で、買い物」
「夕飯の買だしッスか。ご一緒します」
 当然のように頷いて、獄寺は下駄箱に腕を突っ込んだ。
「いいよ。一人でいけるから! その、ダイナマイトの仕入れとかはいいのっ?」
 しまった。すぐさま胸中で呟き、綱吉は自分のスニーカーを引っ張り出した。獄寺は、目を丸くして、紐靴を結ぶ少年を見下ろしていた。
「バッチリ済ませてますけど……。一週間前に」
「そっか。じゃあ、いらないんだ」
(くそッ。もっとうまいコト思いつけよオレ――っ)
「あっ。そうだ、ビアンキが途中からくるって!」
「ほげぇっ?! じゅ、じゅーだいめ!」
「うん、わかってる。獄寺君がこられなくて残念だよ。じゃあね、また明日!」
 有無を言わせずに駆け出して、しかし、グラウンドにでた途端に呼び声が聞こえた。
「ツナー! 今から、帰りかっ?」
「山本」ユニフォーム姿の少年たちが、ツナの目の前を過ぎった。校門をでて、校舎の周辺を走りこむつもりだろう。列の最後尾までくだってきて、山本は右手をあげた。
「今日、そっち行っていいか? 五時ぐらいになる。この前ツナが遊びたいって言ってたゲーム」
 口角をはなやかに笑わせる。山本の額にはスポーツマンらしい汗の粒が浮かんでいた。
「いとこが持ってたから借りて――」
「ごめん。今日は、行くところがあるから」
 あいまいな笑顔で返して、綱吉は校門へと駆け出した。
 ツナ? 不思議がるような声が追いかける。
 振り返らずに、ランニングにはげむ野球部員を追い越して、角を曲がった。ドシンとぶつかる音と衝撃で、綱吉は、噛みしめていた歯のあいだにスキマを生ませた。
「は、ハル。に。ランボ」
「ひゃは。ツナさん! うわー、久しぶりですね!」
 ツナー! 叫ぶと同時に、ランボが綱吉の腹にタックル……いや、抱きついた。
 よろめきつつも、綱吉は乾いた笑いを返した。
「め、面倒みてくれてんの? ありがとう」
「いえいえ! ハルは未来の奥方ですからね〜」
 ニコニコと嬉しげに目を細める。
 何いってんだか、と呆れながら綱吉も笑い返そうとした。
 けれど、一陣の風で黒髪が揺れ動いてドキリとした。後頭部でまとめられたポニーテールが、さらりと少女の首筋を掠める。弾かれて、自分の首筋を抑えていた。女の鳴き声が聞こえた。
『アアンッ。イイのぉ……』感極まった泣き声。
 ペトリと誰かの舌がうなじに乗る。そして舐めまわす。
 誰かの。自分でない、誰かの。裏切り者が。獄寺と山本が脳裏を過ぎり、瞳孔がひらいた眼差しをハルとランボに向けた。
「はわ……っ? ツナさん。気分でも悪いですかぁ」
 驚いた声に、ヘッドフォンから聞こえる嬌声が重なった気がした。
 女は喘ぎながら腰をくねらせ、足を開いていたのだろう……。
 ウワァ! 叫んで、綱吉が頭を抱えた。
「ツナさんっ?!」
「う、うわ。どした?! ランボさんの鼻くそに毒なんかないぞっ?!」
 ランボが慌てて綱吉から遠のく。
 人差し指の先にある黒い塊は、こっそりと、つけてやろうとしたものである。
「いやっ……。なんでもない。なんでもないよ。オレ、ちょっとでかけてくるから、ランボを頼むな」
「はぁ……」「ハルなら安心だし」
「はわ! はい! 任せてください!」
 頬を赤くして、ハルが頷く。
 朱色にそまりながらの、晴れやかな笑顔だった。それを少しだけ高い位置から見下ろしながら、綱吉は山本にみせたのと同じ曖昧な笑顔を浮かべた。
(オレ。……いつもみたいにできない。みんなを疑ってるんだ)
(だめだ。一人で見つけなくちゃならないんだから……っていうか、いえるわけないし)
(心当たりは、ある)(ああいう、妙な、変な、気持ち悪いことしそうなやつ)
(タイミングもばっちりだ)「オマエなんだろ、六道骸!!」
「で?」辿り着く頃には太陽がくだってきて、橙光をナナメに打ち出していた。
 元は白色だったろう壁をグレーに変色して、さらには橙色に染まりながら、黒曜第一中学校はそびえ立っていた。手当たり次第に声をかけるうちに、一人の生徒が三階にある生徒会室へと綱吉を誘った。そこにいた三人の少年は、揃いの首輪をつけていた。
 一人は、今にも帰ろうとカバンを肩にひっかけて扉の真前にあった。彼とぶつかる形になって、綱吉は部室に足を踏み入れていた。
「――だから、もうゲームは終わりだ!」
「ハァ? わっけわっかんないの。柿ピー、わかる?」
「……的を得ない」カバンをおろしながら、千種がうめく。
 骸は奥の窓辺に佇んでいた。会長のものと思われるデスクで足を組みながら、綱吉へと査定の眼差しを向けている。
「君は僕らを――いや、僕を疑ってるんですか?」
 コクリと頷けば、骸は大口を開けた。
「クハハハハッ!!」額を抑え、首輪を揺らしながら、窓の外へと視線を投げる。校舎の隣にある公園には人影もなく、オレンジの光に浸食されていた。
「面白いことをいいますねっ。わざわざ一人で乗り込んで、ソレ?」
「僕が……。この六道骸が、君を、抱く?」
 下唇を噛んだ。からかいも嘲りも露骨に強調した口ぶりだった。
 バカにしきった眼差しを投げつけて、骸が続ける。
「途方もない。第一、その論理には重大な落とし穴がありますよ」
「えっ?」指摘されて、綱吉は素直に目を丸くさせた。
 それが骸には気持ちのよい反応だった。ニィと笑んで、片腕を虚空に凪がせた。
「リボーンが裏切り者といったんでしょう。なら、敵はボンゴレファミリーのなかに――あるいは、近しい人間の中にいる。今はまだ味方だからこそ、裏切ることができるというわけです」
「骸たちもボンゴレにはいったんだろ」
 戸惑いながらも首輪を見つめた。鎖を通すための輪がくっついて、鈍く光っていた。
「くははっ……。殺しますよ? 僕らは加入した覚えはない」
「オレらはパシリだびょん」「黙れ、犬」
 つっけんどんに言い捨て、ペン立てを投げつけた。
 ギャンッと短く叫ぶ声があがるも、確認もせず、綱吉を見据えたまま骸は膝のうえで両手を組んだ。そのゆったりした仕草には綱吉をカチンとさせるものがあった。
「信じられるか。アンタたちなら、汚い手だって平気でするじゃないか。ボンゴレに――オレに、復讐するつもりで手をを貸したんじゃないのかっ?!」
「待った。骸様は……そんな下賎な人じゃない」
「じゃあなんだよ。高貴? ウソだ」
「お前如きに骸様の何がわかる」
 不快もあらわに、千種。 骸は、舐めるような眼差しで綱吉を撫でた。
「性教育に裏切り者、ですか」ニッと唇が三日月を描きだす。
「マフィアも君も相変わらずどーしようもないことばっかりやってますねぇ」
 眉根は八の字を描いているので、真なる感情を読みとることはできなかった。声音の弾み具合から、面白がっていることだけは確証できたが。綱吉が叫んだ。
「オマエらだってろくなことをしてないじゃないか……!」
「君は、どうしても僕がやりましたって言ってもらいたいようですね」
 子供をあやすような口ぶりで囁き、千種と犬へと目配せする。
  顰めツラのままで顎を引き、千種は犬の肩を押した。扉が閉められるか、閉まらないかの内に骸が続ける。「確かに君の気持ちもわからないではない」
「裏切り者が僕ならば、――傷つかないで済みますもんね。沢田綱吉くんは」
「……わかってるのは、そいつが男で、ものすごく悪趣味なやつだってことだけ」
 挑発するつもりで、語尾はわざと強調した。が、少年は、さもおかしげに肩を揺らした。ヒョイと身軽な仕草でデスクにあずけていた腰を引きずりおろす。
「つまり、悪趣味なことをされたわけですね。具体的には何を?」
「とぼけるなよ。アンタなんだろ……!」
「いいえ? それより、男に抱かれて気分は? 気持ちイイですか?」
「そんなわけないだろっ」
「ほう。いつまでそう言えるんでしょうかねえ」
「どーいう意味だよ!」「見たところ、ボンゴレはそうしたことに経験がないようですんで……。どう考えていようが、肉体とは没しやすいものだということですよ」
 ニヤニヤとした笑みを崩さず、意味ありげに囁いて、綱吉へと歩み寄る。
 警戒に肩を固める綱吉だが、目前に両手が差し出された。暗緑の制服。袖から延びる手には、黒い手袋が嵌められていた。
「さて。これが、僕でない証拠ですよ。君に触れたのは指でしょう」
「……? そうだけど。手袋なんて」
「そう、外せる。――外してごらんなさい」
 動かないので、綱吉は骸にかわって、手袋をズルズルと引っぺがしにかかった。
 そして、絶句した。
 焼けただれた皮膚があった。
 十本の指には、……ツメがない指が、七本。肌の内側から溶け出したように、手首へ向けて皮膚がずり落ちていた。深々とシワが何本も浮かぶ。醜悪で、歪つで、人間のものとは思えなかった。率直な感想だった。骸はニヤっと目尻で嘲った。
「ファミリーの研究所で負ったものです。細胞自体が死んでますから、ツメが再生することはない」
 キュ、と両手首まで手袋を嵌め直す。
「さらには、」器用に右目だけを閉じてみせた。
「この赤い目に視神経に繋がっていない。つまり視力がないわけです、だからこそ人間道が使える……、眼球がひっくり返せる」
 ウッと喉にこもった呻き声。綱吉は眉を寄せていた。
「…………」青目の奥を瞬かせて、骸が綱吉の片腕を取る。ギリギリと手首を締め上げていた。
「まだ足りないというなら脱いであげましょうか? あとは左の脇腹に大きいのがあって――、ココ」
 ずるずると手のひらがくだって、股間でとまった。
 恥部に押し当てられたと悟って綱吉が腕を解こうとしたが、骸は、その上から自らの手のひらを被せて遮った。綱吉の手でもって、揉み解すように蠢かす――イヤガラセだ! 口角を引き攣らせ、胸中で叫ぶ綱吉だったが、実際にその通りだった。
 骸は鬱蒼と微笑んでみせた。狂気じみた光が赤と青の双眸にあった。
「……男性機能に問題はありませんが、勃つときに痛みが伴う」
「わかりました!」躍起になって、腕を解こうとしていた。
「せっかくの僕のヌードなのに。他に見れる機会はありませんよ」
「んなっ。だ、誰が見るかッ」
「無実は信じていただけました?」
「ええ、はいっ。――指で触ることもありえないし、暗がりでは正確にモノが見えないし、たやすく――……、お、オレに、いっ、いれたりとか、できない。そう言いたいんでしょうっ?」
「ご明察」ニッコリとしたが、目つきは鋭かった。
 精一杯に目尻を吊り上げ、綱吉は両手をブンブンと振り回した。
 いつの間にか両手首を握られていたのだ。
「放してください。うたがってすいませんでした! 帰りますッ」
「……君、敵の本拠地に突っ込んでおきながら無傷で帰れるとでも思ってんですか?」
 冷水を浴びせられた心地だった。ハッとして振り返れば、扉が開いていた。
 二人の少年は帰宅したのではなかった。千種の手にはヨーヨーが握られ、犬の人差し指の先には動物の牙。アニマルチャンネルだ、クルクルと回して遊んでいた。
「お、まっ。おまえら嵌めたな?!」
「くははっ……」至極楽しげな、甲高い笑い声が起こった。
「君をみてると吐き気がする。何でそんなに能天気なんですか」
「ボンゴレに逆らっていいのかっ? 首輪! 爆弾が――」
  骸が眉を顰める。シニカルな笑みを零して、首輪と首との隙間に人差し指を突っ込んだ。
「本気で恐れるとでも? こんなのものを」
「なっ?! だ、だって、ンなとこで爆発したらゼッタイ死――」
「人の一生などそんなものです。爆発がおきれば運がなかったということ」
「お、お前……」綱吉のすぐ後ろに千種と犬とが迫っていた。
 骸の合図を待っているのだ。
 後ろ目で気にしながらも、綱吉は諭すように告げた。
「リボーンには言うなよ、それ。アイツなら本当に爆発させかねないんだから」
「ほう?」奇妙な声をだして、手首への圧迫感だけをギュウと増大させる。
 眼差しには毒と冷気が同居していた。必死になって見据えようとする綱吉だが、背筋を這い回るものはヘビのような湿り気をおびていた。
「腕を放せ。オレになんかあったら、リボーンは首を飛ばすと思う」
 骸はガンとして腕を放さない。 綱吉は、やはり、諭すように告げた。
「アンタたちが死に急ぐことはないだろ。まだ若いんだし、早まったことはするな」
 ブッと噴出したのは犬だ。まるで幼稚園児に言い聞かせるような口調だったからだ。
 オッドアイが半眼になった――表情ひとつ変えぬまま、憎悪も嫌悪も浮かばぬままに掴みかかる。肌がよじれるほど強く顎を鷲掴みにされていた。刹那の行動だ。両手で絞め殺さんばかりに。 血の気が一瞬で遠のいて、綱吉は慌てて、自ら骸の両手首に飛びついた。
 うめくような、声で、鼓膜がふるわされた。
「疑惑をホントにしてあげても、――それ以上お説教するなら、おかします」
 ――茶色い瞳が大きく見開かれる。喋ることによって生まれる振動を肌で感じていた。唇が、擦れあっているのだ。掠めるようなそれはほんの数秒で、骸はパッと両手を開いた。
 そうして綱吉を囲むように腕をひろげる。ぐるっと周囲を睨みつけた。
「今のはそういう意味じゃない。千種、犬」
 ヨーヨーが綱吉の鼻先でカーブした。
(な……、なんだ?!)状況についていけず、目を丸くして綱吉が骸を見上げる。
 すでに彼は離れていて、ソファーからカバンを取り上げていた。ふたつだ。一つを犬に投げつける。犬は繰り出しかけた拳を持てあまし、壁を殴ろうかと本気で悩んでいた最中だった。
 不服げにうめいたのは、千種だった。
「チャンスだと思いますが。いいんですか」
「ええ。興が削がれました」
「な、に。ちょっと。骸?!」
「何ですか。僕はそちらの件とは無関係。わかったんでしょう?」
「いや、そうだけど……、?」眉根を寄せる綱吉だが、指は自然と唇を辿っていた。
(さ、触った? よ、な?) と、背中に視線を浴びた。犬だ。
「骸さん、ボンゴレにキスしたれしょ」
「さあ」上目で明後日をながめて、骸。
 ギクリと強張る。犬は物いいたげな半眼をやったが、それだけだった。骸はクフりと喉を鳴らした。
「まあ、べつに、欲しいと言うなら、改めてしてあげますけど」
「あっ、ああ! テレビがみたい! 帰ります!」
 全力で駆け抜ける。背中から、存外にノンビリとした呟きが聞こえた。
「じゃ、僕らも帰りましょうか」なぜだか綱吉にもわからなかったが、
(嵌められた……!)と脳裏で叫ぶ声があった。

 

 

 

つづく

 

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