うさぎの時間が来る2:5
くちゃ。
向かって右側の奥歯を使い、咥内にいれたものを咀嚼しながら青年がほくそ笑む。わずかに赤く濡れた口角を舌で拭った。
「さすがにいい味してますね」
「あぐゥアアアアアア、ア、ア?!」
ベッドの上では少年がのたうち回っている。骸は紳士的ですらある喋り口だ。
「人間は愛するものの左手のくすり指に指輪を贈るという……」
「ア、ア、ア、ア、ア、ア、ア………ぐあっ……!!!」
反対の手で綱吉はベッドシーツを握りしめていた。第一関節まで白くなるほどに力をこめて、肘をガクガク揺らしながら悶えていた。左手は骸が手首を握っているせいで自由にできない。
「あぎゃああああ! はなせ! はなせえぇえええええ!!!」
死に物狂いで暴れても骸の力には敵わなかった。
綱吉は愕然として涙がしたたる両目を見開かせる。
「なくなっちゃいましたね」などと笑顔でのたまう青年はどうでもよくて、何が、自分の体に起きた現実が信じられない。
「?! あ、アァアアア?!」
噛み千切られた薬指はなく、指の付け根からぼたぼたと鮮血が流れていた。綱吉の腿に赤い斑点を作っていく。
湧きでる痛みは途方もない重みを持って意識のすべてを押し潰した。絶叫をあげずにはいられない熱痛で、気が狂うようだ。
「ひあああ! ひあ――っ!!」
次第に本能が全身を支配する。綱吉が自由な右手でもって骸に殴りかかった。骸は余裕の笑みを浮かべてまだ指を噛んでいる。
「…………っっ!!」
骸の前髪の一部を鷲掴みにしながら、綱吉が体を大きく痙攣させた。全身を丸めて哀れに打ち震えさせている。
ごく。小さく音を立てて咥内の肉を飲乾すと、骸は綱吉に賞賛を送る。
「おいしい……。さすが。僕が見込んだほどの家畜ですよ。綱吉。いい子だ」
「あぐぁ……ッ」
呑込みきれずに、唾液を垂らしながらも綱吉が頭を振る。骸が乱暴にその大きな手で頭を撫でてくる。
「やめてぇ!!」
クッションの渦のさらに奥に体を逃がし、悲痛な絶叫をあげた。
「許してえ!! 痛い!! ゆ、びが、あ、あぁあああっっ!!」
「美味しかったって言ってるじゃないですか」
「あぁああああああああ!!」
ばふ! 肩を押さえた手に体重がかかり、呆気なく、押し倒れた。綱吉に馬乗りになると骸は千切ったばかりの左手の薬指の痕に――頬を寄せる。うっとりと謳う。
「怖いですか? 痛いですか? 我慢できませんか?」
「っぁう、あ、ら、める……なぁ……!!」
べろりと疵痕を舐められて綱吉が四肢を痙攣させる。痛みは頂点を越して麻痺の領域に到達しつつある。左肩から先の感覚はほとんどなかった。
痛みが脳天を突き刺す。ぼろぼろと涙がこぼれた。
「ひどっ……、ひあっ、あっ、いた……いたァアアッッ」
「…………クフフ」
綱吉を見下ろしながら骸が悦に顔を歪める。
「存分に苦しんでいいんですよ。それだけ、君の体は旨みを増す」
「…………ぁっ」
絶望から喉がしゃくれた。
限界まで目を剥き、硬直する少年に影が差す。
六道骸はゆっくりと沢田綱吉の唇を舐めた。口角から流れ落ちていく唾液をすすり、舌を差し入れ、口中に残るものをずるずると呑込んでいく。
捕食されている――。
その事実が頭に焼付いた。ぁ。掠れた悲鳴がキスの最中にも漏れる。
(し……ぬ)
呼吸すら止まる激痛が起る。薬指に端を発する痛みが今はそこここから起きて体中を喰われた後の気がした。だが骸の体を遠のけようともがく、そのために両脚を動かしているし、右手も動かしている。まだまだ食べれる箇所はいっぱいあるのだ。痛みは終わらない。気絶したくなるほどにくらくらと絶望が意識を溶かしていった。が。
ぷは。骸がようやくキスをやめた。
急いで酸素を吸いこみ、綱吉は呼吸を整える。その鼻先を舌で舐めながら骸は次にここを食べようかとうそぶく。
霞んだ視界を目一杯に見開かせた。
「――――」
喉に悲鳴がひっかかる。
痛い。怖い。死にたくない。すべてが一緒くたになって、僅かに残った思考回路の途中につまっている。
左手首を強引に引っ張られた。骸が口を開けている。喰われる――、凝視しながら、綱吉が魂を搾った断末魔をとどろかせた。
ギャアアアアアアアアアア!!!
と。
断末魔に何かが混じった。
「!!」
骸が目の色を変えた。だあん! 状況を理解する前に、骨にひびが入るほどの衝撃で息が止まった。青年に突き飛ばされた綱吉の痩身は宙に浮かぶと壁に激突した。
落ちた先は、硬い砂利の上だった。
うっすらと目を開ける。懐かしくも馴染みの薄い景色が広がっていた――幼稚園だ。綱吉が通っていた幼稚園の敷地内である。昔はうさぎの厩舎、今は、鳥の住処となった小屋の前で、四肢を投げ出していた。綱吉はぜえぜえとしながら辺りを見回す――早朝なのかモヤがかかっている。空気が冷たい。六道骸の姿はない。
「た……。助かった……?」
裏返った掠れ声で呟きつつ、目を閉じる。
激痛と疲労と心労で限界だった。気絶した綱吉の頭よりさらに奥、厩舎からすこし離れたところで、極端に背の低い人影が佇んでいた。
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