うさぎの時間が来る2:4







「ちがう!」
 なかば条件反射で叫んでいた。
「これは現実だ!」
 痛む頭を手で抑えて、驚きに黒い瞳を丸くしている六道骸を睨みつける。
「頭がすごく痛い! あの時、本当に怖かったんだ。死にたくないって思った……だから夢の中でのオレはいつも頭に怪我してない。でも今はしてる。夢だって思いたいけど現実だ、何を企んでるんだ? 骸?! お前――」
 躊躇った後で、綱吉は、決定的となる不信を露わにした。
「大昔に会ったあのウサギだな?!」
 骸が黒目を細くしならせる。
 機械的な発声の仕方をした。色のない声だ。
「なぜそう思うんですか」
「お前が夢だっていうから。夢で男の人に食べたくないって言われたんだ。お前によくにた男だった。あの男――は――」
 頭痛が酷くなる。綱吉はハッとした。どうして忘れていたんだろう。
「オレを襲ったやつと同じ男だ!」
「襲った?」
「きゅ、急にキスしてきた暴漢ヤローがいたんだよ!」
 喚いて綱吉が壁に逃げる。怒りが胸を焼く。
「お前……似てるっ」
 まんじりともつかない眼差しで綱吉を見返していたが、骸は、くすりと余裕の笑みを漏らしてみせる。
 世間話に興じる時と同じくのんびりとした態度で、人差し指をたてた。
「でも目の色が違うでしょう。彼は僕の一部ですけど君を愛した馬鹿なウサギに感化された部分なんで僕とは違う」
「むくろ?!」
 綱吉の悲鳴が裏返る。
 六道骸が立ちあがった。先程の病人ぶりがウソみたいだった。腕組みをして、超然とした態度である。
「茶番はここまでですかね。君はそうとう頭がゆるいようですから永遠にだませそうだったのに」
「…………?!」
 クラスメイトにして友人たる少年の変貌に頭がついていかない。
 扉に飛びついたが、しかし、ドアノブが回らない。
 骸はクスクスと耳障りな笑い声をたてる。
「おかゆが美味しかったのは本当ですよ。君の臭いがしてた。いわばこんぶで出汁を取ったようなおかゆでしたよ」
「わからんたとえをするな!!」
 半泣きでツッコミする。懸命に、青い瞳の骸が言った言葉を思い返した――、きっと――彼は味方なのだ。
 目の前ではみるみると骸の影が伸びる。
 綱吉が唖然として呟く。
「あかいお目々の……お兄ちゃん?」
「綱吉」
 腰の下まで伸びる長髪の青年が、ニコリと薄く笑いかけた。
 夜の深淵を肩にかけて垂らしたような男性だった。実際には先程の骸と同じでTシャツにブラックパンツというラフな恰好であるが――、ハンパでない存在感だ。黒かった瞳が今では右側が赤く、左側が青く変貌している。身長も伸びて、少年から大人へと変態したよう見える。
「……彼に助けを求めても無駄ですよ」
 やさしい微笑みを浮かべながら彼はオッドアイを窄める。
「迷惑してるんですからね。君の呪いのせいで僕の内部が僅かながらに分断された。抑え付けるのは簡単ですが、ことあるごとに、反抗してくる分子を抱えるのは面倒臭いんですよ」
「……呪い? オレが?」
 扉に背中をつけつつ、警戒しながら気になったワードを拾う。骸は神経質に前髪を掻きあげる。
「ミミに力を与えたでしょう。ミミが混ざった雲はインドネシアで雨になった。僕と混ざってしまった」
「???」
「昔。この国の妖怪もあらかた喰えたし帰ろうかとも思ったんですけど。僕の中のミミが喚いたのはその頃だった。君を助けろってね」
「ミミが……お前の中にいるの?」
 頷きはしたが、骸の鋭利な眼差しはそれが全てではないと物語る。
「もう消化してる。君は何年も前に食べた牛肉の元になったウシが今も自分の中で生きているとは考えますか? 考えないでしょう。それと同じ。ただミミには呪いがかかっていたから僕の意志を少し奪われた」
「のろい」
 くり返してみて、確信した。
「おま、自分に都合が悪いから呪い呼ばわりしてるだけだな?!」
「当たり前だ!」
 キッパリはっきりと青年が言う。
「この一週間はほんっとうに最悪でした! せっかくのゴハンが逃げないからよかったものの」
「ごはん?」
 思いもよらない単語に、綱吉の勢いが弱まった。逆に骸の勢いがぐんと増す。
「そうですよ。君は僕が長年保存してきた貴重な食糧だ――、こうなったら――食べるしかないでしょうね」
「ぎゃぁああああああ?!」
 じゅる、と、口元を拭いながら歩いてくる青年に綱吉が狂乱する。
「あの青い眼の骸は意識をカットして隔離しておいた。しばらくは出てこれませんよ」
「い、いやぁあああだあああオレたち友達だろ?!」
「食糧バンクが偉そうなクチきくんじゃありませんよ」
「みぎゃああぁあああ?!」
 骸の勉強机にかじりつくと、その上にあったものをがむしゃらに投げつける。だが彼は顔面に直撃しても平然としていた。まったく痛くないらしい。
(化け物!!)ぞっとしながら綱吉は心中に叫ぶ。
「もう少し大きくなってほしかったんですけどね。まぁいいですか」
「お……オレの成長を待ってどうするつもりだったんだ」
「単純に食べる量が増えるでしょう?」
 しごく当然だ、とした態度に、悲鳴を搾りだした。
「ぎゃああぁあああ!」
「まあ、太った人間はね、脂肪が多すぎて僕にとってマーベラスじゃあないんですよ。ちょうど君の体型が好みなんです」
「お、おま、ファーストフードとか甘いものとか放課後に行くと超不機嫌だったのって!」
「太るでしょ、君が」
「こらぁあああ?! て、ア!」
 手首に冷たい指先が絡みつく。ダアン! と、衝撃と共に床にたたきつけられた。即座に首に手がかかる。骸は、甘い声音で死を誘った。
「綱吉。こっちですよ」
「ぐ……う」
「食卓はやわらかい方がいいでしょう?」
 親切そうな言い方で、ゆっくりと、綱吉をベッドに座らせる。
 丁度、少年型の骸がしていたようにクッションに頭をあずけて頭を高くして腰掛ける。骸が正面から綱吉に覆い被さった。
「い……いやだ。食べないで」
 両目を潤ませて嘆願する。骸の両眼が爛々と光る――
 その時、綱吉の体が俄な発光を始めた。
 ほたるの光のように、白くゆるやかに明滅していく。
「あ……?」
「――――。自覚があるのかないのか知りませんけど、元々、相当力がある家系みたいですけどね? 君は」
 やわらかな光を帯びた綱吉の頬を撫でながら青年はベッドに片方の膝をたてる。同じ側の腕を伸ばして、手をつくと、身を乗りだした。
 かぷり。優しくあごを噛むと、ぺろぺろと肌を舐める。
「ヒッ! こ、言霊が――あるって――」
 混乱しながら綱吉は死に物狂いで暴れた。引き剥がすべく、彼のTシャツの背中を引っ張る。
「はなれろ! やめろ! オレの前から消えろこの友達甲斐のないバカ男!」
「く、くくく、ちなみにその光はこの状況を打開するべく搾りだされているんだと思いますよ。綱吉くんはまったく使い道がわからないんだ。ばかですね」
「と、とけろーっ! 光にあたったそばから解けちゃえ!!」
「酷いことを言う」
「今から友人喰おうとしてるヤツに言われたくなぁ、いっ、いぃっっ?!」
 ちゅ。二度目のキスで悲鳴が濁る。いや正確には三度目か五度目か――。
 絶望と怒りで目の前を赤くしながら見上げれば、いつぞやの青年が、余裕綽々の面持ちでこちらを見下ろしている。
「はるか古代、中国では苦痛こそが最上の調理法であったと言います。生きながらにして蒸し焼きにするとか鉄板でのたうち回らせながら焼き殺すのですよ」
「…………!!!」
「苦痛を与えられたエモノは筋肉を引き締める……よくしまった美味しい肉は好きですよね? 綱吉も……」
「や、やだ……」
 泣き声が混じる。うさぎの悪魔はそれすら悦ぶように口角を吊り上げた。鋭く尖った八重歯が見える。
「あと数年は観察しつづける気でいましたが……仕方がない。とっておきの苦悶をみせてくださいね」
 左手を骸が手に取った。
 アン、と、開いた大口に薬指を吸いこむと怪しくクスクスと鈴音を奏でる。ピク、ピク、神経質に綱吉の指先が痙攣する。
「ここからに……しましょうか……」
 オッドアイは綱吉の表情をかたくなに見つめる。
 本当に、苦しみ悶えるさまを愉しんでいるのだ――。それを痛感して、綱吉は言葉をつまらせた。喋る度に喉が裂ける気分だった。
「や、め、ま、まって」
 左の薬指の内側に、べっとりと舌がくっついた。
 骸の喉の奥に指先がついた。あたたかい粘膜は奇妙に冷たく、彼が、人間以外の生き物であることを教えてくる。苦しさはまったくみせずに薬指を根本まで咥えた――、
 浅く笑んだままで、骸が両眼を細める。
「…………!!!!」
 唐突に訪れた生命の危機に混乱するばかりだ。めまいに襲われて口をぱくつかせる。
 まさか、そんな本当に――、
 綱吉の懇願を嘲笑うタイミングで骸が薬指の第二関節に舌をからめた。蛇がとぐろを巻くように締めつける。
 きゅ、と、感触を覚えたのとほぼ同時だった。
 バチン!
 容赦なく上顎と下顎が噛み合わされる。目の焦点すらも見失って綱吉が仰け反った。自分があげたとは思えないようなダミ声と共に脳天を貫く激痛が脊髄を駆けあがる。
「ギャアアアアアアアアアアア!!!」

 05 へ

 




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