うさぎの時間が来る2:1


 

「特異体質?」
 背の低い中学生はうさんくさげに上目遣いを送る。サングラスをかけた目の前の青年はカップコーヒーを下ろして頷く。
「君は狙われているんです。変わった体質だから」
「はぁ……。どんな体質なんですか」
「それは言えない」
「はあ」
 ハア、とは、思いっきり不審に満ちた相槌である。
 綱吉はまじまじとした眼差しを無遠慮に注いだ。190センチはあろうかという長身の青年は、歳の頃は25歳頃に見える。尖ったあごと、薄く伸びた唇の造形からかなりの美形なのではと思えた。真っ黒いジャケットにエナメル質のブラックパンツなんて恰好だからこの上なく怪しくもある。しかも髪は腰の下まで伸びていて、今も、カフェチェアーの足元あたりまで垂らしている。
「…………」
 黙りこんで、上目遣いで見つめながら、リンゴジュースをごくごくとやっていると青年は苛ついたようなため息を漏らした。
「信じられないというんですか」
「だって……。変わったキャッチセールスだなぁって思いますよ。何か売りつけなくていいんですか」
「僕のこの両手を見てくださいよ。物売りに思えますか」
 何もない手をひらひら泳がせて、青年は、足を組み替えた。
 綱吉はなんとなく察した。
 態度を変えることにしたようだ。腕を組んで、あごをあげて高圧的に見下ろされると少し心胆が冷える。この青年は自分にどんな用件があるのかサッパリわからなかった。
「僕は君を救いたいと思ったからこういう行動に出てるんです」
「すくう? 何から……」
 と、そこで、綱吉は身動ぎをした。
 制服のズボン、そのポケットに携帯電話が入っている。取りだしてみると馴染みのクラスメイト――六道骸からのメールだった。ああ。綱吉は文面を見て思い出す。宿題を教えてくれるというので、数学はワケがわからないので、答えを教えてもらいに行くつもりでいたのだ(骸は答えじゃなくて勉強を教えてくれるつもりかもしれないが)。
 ちらりと、視線を送るがサングラスの青年に動じた様子はない。おずおずと綱吉の方から尋ねた。
「返信してもいいですか? っていうか、あの、オレ、約束があるんで」
「九尾の狐」
「え?」
「……そういう妖怪、知ってますか。動物変化を舐めない方がいいですよ」
 ぇええ? 濁った疑問声をあげながら綱吉は眼を見開かせる。青年はゆったりした手つきでサングラスを外した。
 両目が、真っ青に染まっている。真ん中の瞳孔は黒いがその回りが鮮やかな沖縄の海みたいな色をしている。綱吉は思わず声を忘れて魅入った――瞬間、ピッと何かが脳裏にはじけた気がした。この男の顔を見たことがある気がする。
 鋭い双眼に、色白の肌。この男と数ヶ月前に――何かがあった気がする。
「? あの。会ったことがありますか」
 青年は小さく頷いた。カフェの外をあごでしゃくってみせる。
 会計は彼が持った。まぁ当たり前だなと綱吉は思う。外に出ると、青年は路地裏に向かうのでついていくのは躊躇われた。携帯電話を持つ手に力がこもる。
「ついてきなさい。知りたいんでしょう」
「やっぱりいいです。オレ、帰ります」
 怖くなってきて、綱吉は、踵を帰すなり走り始めた。
 追ってくる足音はしないのでホッとした。


 骸の家に行くと、彼は、綱吉を見るなり眼を丸くした。そして一言尋ねる。
「誰かとキスしました?」
「ぶふぅっ! な、何いってんだお前?!」
 まだ玄関先で靴を脱いでもいないが綱吉は足に力をいれてぶるぶる震えた。
 同級生は疑わしげに黒い瞳を細めて、全身を眺め回す。
「アヤシィ。アヤシイ、アヤシイ」
「? 骸?」
 奇妙なイントネーションで発音しているよう聞こえた。まるで異国の言葉だ――インドネシアとか、そちらの方面の言語を早口でまくしたてたような。なじみ深い日本語のはずなのに骸が何をいったのかすぐには理解できなかった。骸は黒目を細くしながら自らのあごを引く。睨むように綱吉を見つめた。
「怪しくないっていえよ。今すぐ喰われたいんですか」
「はぁ? なに、お前の声、ぜんぜん聞き取れないんだけど……」
 猛烈に不機嫌な顔をしたあとで、骸は、フッと微笑を浮かべた。憑き物が落ちるほどの激変ぶりで綱吉に笑顔を見せる。
「まあ、いい。いいってことにする。綱吉くん。教えてあげましょうか」
「? うん。あの、それなんだけど」
 答えながらも綱吉は骸に捕われた右手首に鳥肌を立てた。
 不思議そうに自分の右腕を見下ろし、玄関にあがりながら呟く。
「答えだけ教えてくれたりとか――」
「しませんよ。だから馬鹿なんですよ君は!」
「だ、だってさー!! わけわっかんないんだよ!!」
 手をあげてぶつ素振りを見せてくる骸に、わぁわぁと声を荒げながら逃げる素振りを返す。少年二人の勉強会は遅くまでつづいた。

 ところでその夜、綱吉は、自分が兎小屋で勉強している夢を見た。



→ 02 へ

 




>>もどる