うさぎの時間が来る:1


 

「お母さん、お兄ちゃんのお目々が赤いよ」
 そう言って青年を指差したのは五歳ほどの児童である。ふわふわした明るいブラウンの頭髪にそれより少し濃い色をしたダークブラウンの瞳が可愛い。青年にはその声が聞こえたようで、ピタリと足を止めた。
 デパートの催事場で親子はお弁当を物色していた。
「ツナ、人をお手々で指しちゃダメ」
 母親がやさしく諫める。
 首を左右に振ったのは青年だった。近寄ってくると、膝に両手をついて、ダークブラウンの宝石を覗きこんだ。
「僕の眼が珍しいですか」
「うん」
 素直に頷いて、子どもは、じぃっと青年の右目を見つめた。母親は困惑した顔で子どもの手を引いた。
「すみませんねえ。ツナ、失礼よ」
「いえいえ。いいんです。そうですか。気に入ってくれました?」
 青年は美しい顔の造りをしていた。女のようで、人なつっこく白歯を見せてくれると辺りは明るくなる。彼が髑髏のプリントがついたシャツを着ているとか闇に似た色のパンツを履いているとか、ウソのようになる。
 子どもは喜んで頷いた。
「うん! あのね。よーちえんのね、ミミちゃんと同じ目をしてるの」
「うさぎのミミちゃんですか?」
「そうだよ。オレがお世話してるの。お兄ちゃん、同じだ。ミミちゃんと同じぃ」
 楽しげに、母親とつないだ手をぶらぶらとさせて、児童は青年に手を伸ばした。彼は差しだされた手のひらの人差し指だけを摘んで握手をした。
「かわいい息子さんですね」
 母親は、声をかけられてニコリと笑う。
 立ちあがると百九十センチに近い長身がために親子を見下ろせる。
 赤と青のオッドアイで彼は親子を吟味した。
「攫ってしまいたくなる」
 冗談めいた言葉に、くすくすした笑い声が返る。
 子どもの頭をポンと撫でるように叩くと、踵を返して、青年は雑踏に消えていく。
 しばらくして児童は一つのお弁当を選んだ。
「これがいい! うさぎさんなの」
 ウサギの顔をした容器におにぎりやハンバーグがつまっている。母親は、曖昧に微笑みながら息子のうわごとを聞いていた。
「さっきのお兄ちゃんの同じ顔してるの。うさぎさんのお顔だ」
 児童の顔付きは真剣で声の調子もふざけてはいない。けれど子どものいうことだ。そうなの。うん、そうなの。そうしたやり取りを交えながら親子はデパートを後にした。



■ ■ ■




 社会的な目で見れば中学生はまだまだ若い。だが、彼らが、歳を取ったとかもう老人だとかの話題に興じる場面は珍しくない。
「もういいよ、オレももう歳なんだよ!」
 少年は机に突っ伏して嘆く。
 イスを跨いで、背もたれと向かい合わせになって座る男子が向かいから覗いている。彼はヒラヒラとテスト用紙を虚空になびかせる。
「それが赤点の言い訳ですか」
「記憶がもうだめだ〜。おじーちゃんだよ。前日に徹夜までしたのに!」
「一夜漬けっていうんですよそれは。自業自得だと思いますけど」
「……オレの答案とお前の答案一緒にするなよ」
「赤点と百点満点、奇蹟の邂逅! なんちゃって」
 少年は自分の分を引ったくる。
「イヤミな冗談はやめろよ。もうっ。あっちいったら、あんた」
「冷たいですね。……なんですか、綱吉くんは自分が歳を取ったと思うんですか」
「オレの出来の悪さは老化現象が説明してくれる……」
「フレッシュさがない子ですねえ」
 机に肘をついて、彼はまじまじと向かいの男子を見つめる。切れ長の黒い瞳がまたたいた。
「こんな話を、知っていますか?」
「んあ?」
 彼が顔を寄せてくるので少年は頭を後ろに下がらせる。
 頬杖をついて、気だるげな様子で語られる内容には眉を寄せた。ダークブラウンの瞳が困惑を深めていく。疑いの目を向けられても同級生は構わずに一人で勝手に喋る。ので、ついに、沢田綱吉はしびれを切らした。
「何言ってんの、あんた」
「だから、いるんですよ。世界は広い。宇宙はもっと広い。肉食性のウサギがいるんですよ」
「馬鹿じゃないか……」
「酷いこといいますね」
 どっちかだ、と、綱吉は思う。
「作り話にしてももうちょっとマトモなのにしろよ。そんなウサギがいるなんて聞いたこともない!」
「綱吉くんが無知だからですね」
「あ〜の〜な〜っ。じゃあどこに生息してんのさ、そのウサギ」
 その質問には彼は奇妙に含み笑う。
 ふっふっふ、と、勿体ぶった声をだすので綱吉は呆れた。やっぱり作り話だと思うのである。
「ナルホド、あんたの頭ン中な」
「そのウサギは変わっていて生命本能に縛られてはいないんです。子孫を作ることに興味を持たない。交尾をしながら相手を食べてしまうこともあるという」
「……あんたの頭ン中はエグいな!」
 黒目が、獲物を見定めするかのように綱吉を見つめた。
 頬杖の手を変える。ツメを研ぐ手を変えたような仕草でもあった。綱吉は話しにつき合うのが馬鹿らしくなってきて同級生を睨みつける。この天才児は、自分が馬鹿だと思って途方もない空想話で騙そうとしているんじゃなかろうか。
「あんた、そんなんだから友達がいないんだよ」
「そういう君こそ僕以外に話し相手がいるんですか」
「…………」
 この少年が転校してきてから、すっかり、仲間と思われてしまって綱吉には他に行き場がなかった。
 黙ると彼が笑みを深める。
 ホラねと、自分の優位を自慢するような態度なので悔し紛れに毒づいた。
「そのウサギ、いいとこナシだな」
「一つだけあるんです」
 彼はすぐさま早口で述べていく。
「非常に一途なんです。一目惚れをするタチということです。でもね、一目見ただけではこの相手というワケでもない。相手を決めたら、近くを歩いて相手を吟味するんです」
「ふーん……。それ、本当にウサギなの? なんかそんな狡猾なのヤダ」
「生き物を何だと思ってるんですか。生きている限り、狡猾なんですよ。生きるのを諦めてる君みたいなのがお人好しとか呼ばれて搾取される馬鹿な存在になるんです」
「おま、ぐっためたに言ってくれるな」
 居心地の悪さを紛らわすため、答案用紙を手で折る綱吉である。
 同級生はその手つきをジッと見つめる。
「そのウサギはね、この人だと確信したらしかけるんです。つまりは相手を自分のものにする。繁殖はしたくないのに執着とか恋とかはするんです。面白いでしょう。でも繁殖目的ではないので食べてしまうこともある。ご飯には誰だって気を遣いたいですもんね」
 答案用紙を二十分の一ほどのサイズにし終えると、綱吉は、飽き飽きとした眼差しを少年に返した。同級生は六道骸とかいう変わった名前をしていた。
「で?」
「…………」
 彼は小首を傾げる。
 ニコニコとした愛嬌のいい笑顔だ。頭上のトサカとか、藍に近い髪の色とか、変わった毛色の男児である。本人はブラジル人の血が混じってるとか親戚にオランダ人がいるとか、聞く度に妙なことを言う。
「テストと同じですよ」
「ああ?」
「予習。した方がいいですよ。綱吉くんは」
「? なんだよ……。よーするに、説教ね。はいはい頭が悪くてすみませんでした!」
「僕に謝ってもねえ」
 窓の方を向いて、骸は、楽しげに口角を吊り上げる。
「ちなみに、僕はきちんと予習をしてるので百点が取れるんですよ。がんばってるんですから」
 その眼は遠く雲の向こうを見る。前髪がふわりと動く。骸の左耳に嵌った髑髏型のピアスを注視してしまって、綱吉はどこか気味が悪くなった。
 骸が段々と『ニヤける』としか形容できない笑みを作りだしたからか。



■ ■ ■



 同級生はある時にはこうも言った。
「幼い時には霊感があった子どもが成長と共に感覚を失うことがある。神童と言われたが今は無惨……とか……ですね。でも僕はそれでいいと思う。秘められればそれだけ体の内にこもる甘露は美味になるでしょう」
「そういうワケのわかんないことをさァ……」
 こめかみをヒクつかせて、綱吉は足を踏んばった。
「どーしてこういう場面で言うの?!」
 半泣きである。後ろでは、女生徒が一目散に逃げだしていった。綱吉は彼女からの呼び出しを受けて校舎裏を訪れたのだが。
 六道骸は胸を張った。
「僕にカノジョはいません」
「作りゃーいいだろうが! どうすんのさ人生初の快挙だった……のに! 三浦ハルちゃん!」
 呼び出しの手紙を握って綱吉がぶるぶると震える。
 顔は赤い。先程まで、点描を飛ばしたムードを女子生徒と二人で醸しだしていた名残だ。骸は鼻で笑う。唐突に顔をだして弁舌をはじめた彼に綱吉はつらく当たる。当たり前である。
「あんたにはオレの気持ちがわかんないんだ! なんだよ。あんた、ホモか?! モテるくせにオレにばっかくっついてるし邪魔するし!!」
「ふ……。くふふ」
 骸は特徴ある籠った笑い声をこぼす。
「自惚れないでください」
 キッパリした言い方なので、勢いをつけてまくしたてた分が反動として綱吉に返る。頬に血を昇らせて後ずさりをした。妙な気まずさを覚える。
「なっ……!」
「僕にはね。心に決めた子がいるんですよ」
 生い茂るほどの笑顔で、綱吉は骸が本気で言っていると悟った。
「…………そ、そう」
「ええ」
 饒舌な骸が、反応を待って沈黙しだしたので、綱吉は困り果てる。この少年は何を考えているのか――たまに密林にでも迷い込んだ気がするのだった。


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