空孵


2.
 首ナシになった彼は、その巨体を横に倒した。
 階段の手すりにぶつかり、バランスを崩して落ちていく。ドオンッと重い音がした。吹き抜けの階段の、一番下の床の上で首のないまま大の字になった。
「ヴォンディ……? ヴォンディ?!」
 手すりにしがみつく。先ほどのヒョロ長男までもが、呆然として階下を見つめていた。混乱しながら、綱吉は叫んでいた。
「なんだ! 今、何した?!」
「オレじゃねえよ!」
「僕ですよ」
 語尾に重なって、別の声がした。
 ギクリとして、綱吉が震える。すぐ後ろから聞こえた。
「こんばんは。夜遅くでも仕事なんて、因果な商売ですね」
 穏やかな声がかえって不気味さを増長させる。その少年は、天井から降ってきたように、唐突に綱吉の背後に立っていた。
「骸……?!」
 愕然として、綱吉は壁に向けて後退りした。
「お、ま、お前。何のつもりだ?!」
「おや。それは、僕に対する愚問に等しい」
 涼しげに答えて、六道骸は首を傾げた。
 闇色のオーラを纏った槍を一振りする。すると、ビシャッと鮮血が床にこびりついた。
「…………!!」
「久方ぶりです、と、言いたいところですがホントは五分ぶりくらいですよね? あれはいただけなかったですよ。あの子供、病気の親を抱えて苦労していたのに」
 同情するような声をだしながら、前髪を耳へと引っかける。髑髏の形をしたピアスが三つほど耳朶に並んでいた。
 黒尽くめの格好だ。黒い上下に黒いブーツ。黒と紺を混ぜたような頭髪は、かつての――それこそ五年くらい前の様子から、襟足だけを伸ばして胸の下まで伸びていた。
「何を……! アンタがけしかけておいて!」
 叫び返しながら、足首から体温が抜けていくのを感じた。
 それを突かれると、痛くなる。直接、心臓を針で突付かれたような気分になって泣き叫びたくなる。
(でも守れたんだ――、オレの仲間は)
 ひくりと目尻が戦慄く。
(守れたはずだった!)
 兄のヴァレンティと弟のヴォンディ、彼らをボンゴレ十代目直属のボディガードにしてからまだ一ヶ月しか経っていない。弾かれたように、両腕が跳ね上がって骸へと銃口を突きつけた。
「許さないからなっ。こ――、後悔させてやる!」
「君からそんな熱い眼差しを送られると興奮しますね」
 くすくすして、綱吉とのあいだに槍を持ってくる。
 槍の先、三叉の剣のひとつに黒いビニール袋がぶら下げられていた。グリップを握りながら綱吉は奥歯を噛んだ。オーラで銃弾が弾かれるため、容易に手を出せない。
(鞭――。イクスグローブか? でも、また筋肉痛になったら)
 その間に骸に何をされるかわかったものではない。最悪、殺される。
 奥で揺らぐものを滾らせる茶色い瞳と、超然としながら氷を浮かべるオッドアイとが交差する。割り入るように声がして、骸が神経質に片方だけの眉毛を動かした。
 先ほどのひょろひょろした男だ。馴れ馴れしい喋り口だった。
「あんた、いつでも突然だな。ビックリするじゃないか」
「それはどうも。本当に、ボンゴレファミリーを呼んだんですね。用心深いおばあさんだと思ってましたが、存外、簡単に僕を信用してくれたものだ」
「おまえの容姿が好みなんだろ。いつでも女は色男に弱い。それより、おまえさん手伝う気か?」
 骸が薄っすらと微笑む。唇が蠢き、男を振り返った。
「僕に無料奉仕なんて言葉が似合うと? 安心しなさい。そんなつもりで来たんじゃないから」
「はぁ?」「……マヤの首」
 喉から、掠れた悲鳴をだしたのは綱吉だ。
 壁に後頭部を擦り付けるようにして、最大限に距離を開けようとする。骸は槍の先からビニール袋を取り上げ、その中身を男の足元に転がしていた。
「ぎゃっ。ぎゃああ、ぎゃあああ!!」
「くくっ。くはははっ。やっと警備が手薄になったものでね! まあ、護衛に僕を指名したんだから――。手薄になったも何もないんですが。くははは!」
 狂人でも見るように骸を見返し、男は喉を震わせた。
 腰を抜かしたまま、シワだらけの腕を血で濡れた老婆へと――、綱吉は両手で口を覆っていた。
「な……、何を考えて……?! ジューイッシュ・マフィアだぞ。ここがイタリアだっつっても!!」
「ああ。すいませんね。僕はお国同士の諍いには興味がない」
 冷えた声。殺る、と、目眩に怯えながらも綱吉は確信していた。
「貴様らのようなクズは国境を越えて存在するでしょう? だから、僕も跨いで潰していかなくちゃならない。面倒ですが。死ねばいいんですよ、死ねば。全てがね」
 息を呑んだ音か、悲鳴を噛み殺した音かは綱吉にはわからなかった。カツンとブーツが踵を鳴らす。ァ、ァ、と、言葉にならない言葉の後で、倒れる音がした。
 手のひらが汗で滑る。
 銃身を落としそうになりながらも、綱吉は視界を開けた。
(腰を抜かすな。だめだよ。立てよ!)
 罵倒じみた言葉を自らに投げかける。震えながら、ベルトの内側に銃口を押し込み、鞭を取り出した。これは、ベルトから伸ばした金具に引っかけている。
 骸は、男の肩に足をかけて、男の腹を刺し貫いた槍を一息で引き抜いた。
 また血飛沫があがる。彼の身体を包む闇色の衣服が、まるで生命そのものを吸収しているように見えて、強く両目をこすった。
「アンタには……。もう人間らしさってものが残ってないのか」
「ありますよ。僕だって怪我をすれば血が出る」
「そういうんじゃないっ。骸――、人類を皆殺しにでもする気か?! 本気で?!」
 彼は今年で十九歳になるはずだ。両眼を徐々に細くしならせ、終いには昏く歪ませた。百年を生き、俗世に絶望した老人ならばそんな目をするかもしれなかった。
「価値があると思うんですか? 人は皆、等しく死ぬのですよ」
「違うっ。だからって殺していい理由になるわけないだろ?! しかもアンタがやるのは悪い人だろうが善良な人だろうが関係がないっ」
「綱吉くん。やっぱり君は僕の想像を越えてしまいますね。もう二年近くマフィアをやってるのに、ちっとも僕の考えに追いつかない」
 残念そうに囁くが、その瞳は力強い。綱吉は鞭を強く握りしめた。
 骸は細く小さく唇を開き、微かな声で告げる。
「常に同じじゃないんですよ。悪人が良い事をするときもあるし、善人が悪い事をするときもある。例えば、さっきの子供――、レヴィという名でしたが、彼は母親の手術費のために盗みを繰り返した。僕はその手助けをたまにしてた――。さて、君の観念でいうと彼は悪人ですか? 僕は善人ですか?」
「黙って。骸、黙れ!!」
 漆黒を纏って男が笑う。
 苦悩を読んだかのように、突然に甘い声をだした。
「いじめるのはこれくらいにしましょうか。綱吉くん。久しぶりに二人きりなのに、こんな話題しかないのは悲しいと思いません?」
「誰の、誰のせいでこうなってると――、思って、ん、だぁっ!!」
 振り被る。この数年で鞭の腕もずいぶんと上達した。ひゅんっと一秒と置かずに、鞭の先端が骸の足元へと伸びた!
「僕は悲しいと思いますよ」
 軽く言い捨て、槍の尾っぽに絡みついた鞭をオッドアイが見下ろす。
 両足を踏ん張らせ、綱吉は両手で鞭を引き上げた。階段から落ちるほどの勢いだった。だったが、彼はこだわることなく槍を手放していた。
「っ?!」バランスを崩し、数段、階段を落ちる。
「君があがいて、震えて、それでも僕の手中に落ちてくる瞬間というのは最高なんですけどね」
「だっ、あっ、わっ!」
 上半身が傾いたところで、素早く寄ってきた骸に腿を掴まれた。
 そのまま、骸は綱吉の足首まで手を伸ばす。天地を逆さまにされて、階段の踊り場まで転がり落ちていた。なす術がない。立ち上がるより早く、骸が目の前に迫っていた。
「…………っっ!」
 綱吉の両手首を掴んで、捻る。
 喉で悲鳴をあげて背筋を仰け反らせると、骸は仄かに微笑んだ。
「君は僕には勝てませんよ。わかる。本質的には僕を恐がっているから」
「や、め……っ。触んな! 離して!」
「昔からそうだった」こつんと、額が当たった。
 猫がするように、顔をこすりつける。あやす意図が篭もったような、優しい触れ方だった。鼻筋に鼻頭を押し当てられ、愛撫するように動かされて綱吉が小さく掠れた声をあげた。
「君の、匂い……。最近わかるようになった気がする。甘い。雨の中でもよくわかった……」
 至近距離での睦言。また、掠れた声がでる。嫌悪と嘆きが混じったような声だ。
 その苦悶すら楽しげに見つめ、唇に軽く吸い付くと、骸は茶色い瞳を正面から覗き込んだ。口を近づけられ、咄嗟に目蓋を閉じた左目。それを上からべろりと舐めあげる。
「君を殺したあとは食べてあげましょうか。ねえ、僕に後悔させてやるって言いましたよね? さっき。しばらく会っていなかったから、そんな生意気な口が訊けるようになったんですか」
「ひャっ」左目に違和感が走った。
 義眼なので感覚が鈍い。間を挟んでから、目蓋の上から噛まれているのだと気がついた。軽い力だった、けれど、気がついた途端に四肢がぶるぶると悲鳴をあげだしていた。
「かわいい綱吉くん。今は、安心するといい」
 ちゅ、と、音をたてて左目蓋に吸い付いて、骸は腰を持ち上げた。
「まだ殺さない。君が、僕の愛を骨身に染み込ませないと意味ないですから。何ででしょうね。たまに、君が僕を疑ってるように思えてしまう。こんなに愛してるのに」
「ばっ……、ぁ、う。だ、」
 ブーツのカカトがこつこつ音を鳴らし、遠ざかっていく。
 綱吉は必死になって呼吸を整えていた。目の前が黒く反転しそうだった。
「誰が……。アンタなんかに、殺されるもんか……!」
 うわ言のような呻き声をだして、腰元へと腕を伸ばす。関節を極められかけたので、放っておいても手首がぶるぶると震えていた。
「哀れですね。でも、そういう君も好きですよ」
 平然と、笑顔すらみせて、骸。
 銃身を握ると同時に、黒衣が翻った。速い。
 ダァンッと銃声が響いたが、手すりの一部に陥没を生んだだけだ。手すりの上を進む人影はすぐに上階へと消えた。それから、一分と経たない内に聞こえるものがある。
 階下から。綱吉が知った男の悲鳴だった。
「ヴォンディ?! な、何があって――」
(ごめん……。ヴァレッティ。弟さん、守れなくて)
 壁に背中を預けつつ、綱吉は手中の銃身を見つめた。
 氷のように、冷えた感触が手のひらを侵す。ひょろひょろしていた男の亡骸と、老人の首と、咽かえるような血の匂いで意識が遠のきそうだった。
 



>> 3. へつづく


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