空孵
1.
「躊躇うな! 撃て!!」
土砂降りの雨だ。叫ぶと共に、少年は最後の弾丸を使い切った。転がりながらも、垣間見えたビルとビルのあいだに身体を押し込める。
だあんっ! 発砲音と共に、コンクリートが抉れた。
「ボス! でも相手はまだガキ――」
「いいから! 出来ないならっ」
オレがやる! 言いかけたところで、銃声と悲鳴が重なった。
鼻腔でため息をついた。ずるずる、雨で淀んだ路地裏で尻餅をつく。呼吸が収まった頃に、影が差した。互いにそっくりな大男が二人、居心地が悪そうに肩を縮めていた。
「残酷すぎやしませんか? まだ十歳ぐらいだ」
痛ましげな眼差しは、路地の入り口で倒れた子供に向けられている。
綱吉は、首を振った。きつく唇を引き合わせる。眉を顰めたままだったが、二人組みの片方が手をだした。少年を立ち上がらせ、スポーツウェアにこびりついた泥を叩き落とす。
「ありがとう……」
「ボス、腕を。手当てしますよ」
「助かる。ヴォンディは見かけによらないな」
懐から、赤十字のついたポシェットを出すので綱吉は苦笑した。並みのマフィアならば、その空間に武器を詰め込むだろうに。
ヴォンディの傍らで、彼とほとんど同じ顔をした男が笑った。
「弟は看護士になりたかったんですよ、ボス」
「どうしてこの世界に?」
「それしか選択がなかったからですよ、ボス」
冗談めかして答えてみせる。自然と、視線が往来に転がる子供へと赴いた。堅気を志したとは思えない、正確な射撃だ、見事に子供の頭部だけを貫通させている。
簡易包帯を巻かれた腕を抱き寄せながら、綱吉は手早くカートリッジを入れ替えた。
傘は吹っ飛ばされ、ずぶ濡れになるだけだったが、それでも雨に感謝する気になっていた。
星を見たい気分ではない。特に、赤味を帯びた星は。
「死体の始末を任せてもいいか? ヴァレッティ」
「了解、ボス」
ヴァレッティに担ぎ上げられて、子供がぽろりとリボルバーを落とした。一ヶ月も着替えていないかのように、衣服はほとんどボロ切れに見えた。
「……何かの間違いで発砲したのかもしれなかったですね」
ああ、そうだな。答えながら、しかし綱吉は目を細めた。
子供は、出会い頭に発砲をした。その子供の右目に『六』の文字が浮かんでいたとしても、綱吉はその危険性を詳しく説明できる自信がなかった。
(オレを狙ったんじゃない。……狙いはオレが守ろうとする奴だ)
暗い眼差しをヴォンディに向けてから、綱吉はベルトの内側にオートマティックを差し込んだ。
(……近くにいるのかな……)
イタリアに渡ってはや二年、沢田綱吉は十八歳になった。
スーツを着るのがいまだに慣れない。普段は、紺と白との縦じまのストライプ模様がついたスポーツウェアを愛着していた。中に着るシャツは、右腕である獄寺隼人が、いそいそ用意したものを適当に選んでいる。
肩を過ぎたところまで襟足を伸ばしていた。ボンゴレ十代目にしては貫禄がないということで、リボーンが特徴付けろと言って伸ばすように命令したのだ。誰か、例えば自分の左目を潰した誰かを思いだすスタイルなので、綱吉はあまりこれを好んでいなかった。
前髪を掻き揚げて、綱吉は前を見据えた。深夜だ。
自分たちと、逆の方向に戻っていく部下以外には存在がない。人気のない通りの真ん中に立ったまま拳を握った。
(動揺するな。これから、仕事だ。あの子……、今の、憑依されてた子は死んじゃったけど)
どきどきとする。部下に気付かれないよう、深呼吸をした。
(あっちは死んだけど、でもこっちは生きてる。部下は、守れた)
だから、大丈夫だ。ふとした拍子に苛もうとする黒い影を振り払って、綱吉は前へと歩み始めた。
「行こう。マヤ婆さん待たせちゃう」
「二人だけでですか。増援は?」
脳裏に影が過ぎる。自らの左目を覆いながら、綱吉がうめいた。
「いや……、時間がかかるんじゃないかな。約束を違えるのだけは不味いよ。行こう。でも、救急セットじゃなくてピストルの方をいつでも取り出せるようにしておいて」
「ほお。わかりました。お若いのに誠実ですね、ボス」
「だからこそ、だよ」
(リボーンに叩き込まれたことだけど)
綱吉は肩を落とした。遠い目をして雨の降りしきる空を見る。雲が分厚い。
(変な難題、突きつけられたらイヤだなぁ……)連れてきていい部下は二人だけ、の、時点で相当に奇妙ではあったが。彼女の人脈はボンゴレファミリーにとって大いにプラスになるはずだった。
「マヤは信用できるんですか?」
「さあ。あ、ジューイッシュ・マフィアって何か聞いていい?」
「ジューイッシュ?」
素っ頓狂な声で、彼は手を止めた。
その手のひらは、トランクからマシンガンを引っ張り出していた。ボンゴレ十代目はそこまで用意しろとは言っていない。半眼を返しつつ、だが、ボンゴレは文句は言わなかった。
「そう、そうなんだってさ。それの親戚なんだって。だから、今までなかった人脈が……」
「そりゃあそうだ。マフィアっつってもあっちはユダヤ系ですよ」
へえ。素直に感嘆をこぼすと、大男が胡散臭げに眉を寄せた。
「知らないのか? 基本ですぜ、ボス」
「はは。なんか、すぐ忘れちゃうんだよね。他にいろいろ考えてることがあるせいかな……。あ、あと、最近リボーンいないし」
「そういえば、タケシは帰ってきませんね」
「山本は貸してるんだ。ガーッレッテのとこに」
(山本がいれば……、大丈夫だとは思うけど。まだ一粒くらいの情はあるみたいだから)
この二年でわかったことがある。彼は、獄寺や山本といった昔馴染みには手をださないのだ。
彼。……六道骸。キャバッローネが巻き込まれた事件は、日本で言うところの都市伝説のようになって広まってしまった。綱吉にはそう思えた。
――思い知るがいい! 貴様らが生み出した悪魔の姿を!!
右目に『六』の文字をつけたキャバッローネの配下の一人は、そうして叫んだ後、確かに射殺されたが。それで終わりではないと理解できたのは僅かな人間だけだ。裏社会に顔が効く要人ばかり、この二年でよく死んでいた。
左目がごろごろとするのを感じながら、綱吉は足を止めていた。
「――――?」
「ボス?」
「今、人がいなかった?」
「さあ……。雨、ますます強くなってきましたから」
雨粒のカーテンは上下左右に揺れてさざめく。視界を遮られたが、綱吉は、建物と建物のあいだに見える細い通り道を見つめた。工場地帯の隣にある、古い建物や安アパートばかりの貧民街……。不審な動きをする人間なんて、ごろごろいるに違いないだろうが。
(でも、今のは……)昔、会ったことのある人に似ている。
と、そこで、綱吉は思考を中断させた。
レンガ造りのアパートが真前に聳えていた。
まだまだ十八歳だが、二倍くらい年が離れた人間に命令するのも馴れてきたし、素早くギアを入れ替えるのも馴れてきた。
細道を見つめても影がないのだから、仕方がない。
「ここだね」一息をついて、向き直った。
大男が、了承したようにマシンガンとトランクを持ち上げた。
「営業の準備、バッチリですぜ」
「よし。じゃ、行こう!」
古めかしい外装通りに、中もかび臭くて人が住むには苦労しそうなほどの湿気が満ちていた。
三階にあがると、扉を背にして男が立っていた。ひょろ長くて骨に皮を張り付いたような人相。好きなタイプじゃないだろうな、と、綱吉は胸中でうめいていた。
「約束どおりに少数で来たんだな。ボンゴレ十代目がお前か」
「ん。違う」ヴォンディは、馴れた様子で首を振った。
綱吉が前へと進みでる。こんな反応も、もはや慣れっこだった。
「オレだよ。こんばんは」
彼は、意外そうに綱吉の全身を眺め回した。
「細い上にチビだな。おまえが天下のボンゴレ?」
(これ、初対面の人には必ず言われるなぁ)
袖口で、びしゃびしゃになった顔面を拭った。 それと交差するように――、チリッとしたものが頭の中を駆け抜けた。
「マヤへ取り次いで――……」
風船から空気が抜けるように言葉尻がしぼむ。
飛び退いたのは、直感的な判断だった。
「おっ。どうやら本当だな。勘の良さは一級品だ」
「なッ。なんの、マネだ?!」足元に、銃弾がめり込んでいた。
「残念だな。おまえ、ジューイッシュに売られたぞ」
「は?!」
油断なく銃口を向け、後退る。硝煙の香りが鼻の奥を突き刺すようだ、ヴォンディがマシンガンを構えて綱吉の横に並んだ。
「マヤはテメーの領地を丸ごと分捕りたいんだと!」
聞くが早い、行動したのはヴォンディだ。ダダダと閃光が駆け抜けたが、男はにやにやしながら扉の影に飛び込んだ。弾丸は扉にめり込むだけで貫通しない。
「クソッ!」
舌打ちし、ヴォンディが追い縋る!
綱吉は彼を支援すべく両腕を振り下ろした。扉から少しでも出てきたら撃ってやる、その思いで眉根を吊り上げ――、た、が、数秒もしない内にポカンと口を開けていた。
視界の中に、おかしいものがある。唐突だった。唐突に、あるべきものがなくなったのだ。
「え…………?」