番外:空孵4話後:閑話

焔の陽炎



 季節が変わる。イタリアにも四季がある。
 ベンツの助手席に腰かけながら、綱吉は紅色に包まれた枝葉を見上げていた。
 頬杖をついて、ふさふさした毛皮――本物のヒョウの体毛を使った毛皮で、白の中にまだらな黒が混じっている。その毛筋が、風がなびく度に頬をくすぐる、それに身を任せていた。
 真っ白いスーツに身を包んでいた。運転手を振り返れば、耳朶につけた純金のイヤリングが金具をぶつけあう。カチャン。
「あと、どれくらい?」
「もうすぐでさァ、ボス」
 片手でハンドルを握り、運転手は窓の外に腕を垂らしていた。車を舗道に寄せながら、苦笑混じりに返してくる。
「ボス。テーブルマナーには気をつけてくださいよ。前みたいなのは、」
「心配すんな。今度はオレがいる」
 むくれた呻き声は、後部座席から届いてきた。獄寺隼人だ。
 ボンゴレ十代目ほど華美ではなかったが、彼も全身を着飾っていた。銀髪の中から、きらりとエメラルドのピアスが光っている。
(あー。ひっくり返しはしたくないな、さすがに)
 毛皮をむにむにと揉みつつ、綱吉は口角を引き攣らせた。
 スープを派手にご婦人に投げつけたことを彼はいい加減に忘れたかった。綱吉は、くつくつ笑う運転手を軽く睨みつけていた。
「堅苦しい場所って苦手だよ。オレ、そういうの向かないんだ」
「社交界ですよ、ボス。愛人の一人でも捕まえなきゃ」
「……十代目はずっとオレの傍にいらっしゃる!」
 やや強張った声音で返したのは、獄寺だ。運転手はひゅうと口笛を吹いた。半年ほどの付き合いだったが、彼は、その軽薄さが仇になることの方が多いと獄寺も綱吉も理解していた。小さく、呟く声。
「おうおう、熱心なファンがいると大変だな」
「ああ……、そうなのかもしれないな」
 六道骸。その名前を、唇だけで囁いていた。
 毛皮を首元に引き寄せる。己を守るような仕草だった。
(骸。まだ、どこかで生きてる)
(オレもアンタも。終わりは近い気がするのにな)
 半ば直感的な予言だった。じんとした痛みが額に沸き起こる。眉を八の字に寄せながら、綱吉は熱に浮かされたように囁いた。その屋敷は、人里から離れた森の中に建っていた。
「でも、ファンで形容するには生易しいよな。アンタには!」
「…………」意外そうに唇を丸くさせて、骸は綱吉の足元から頭のてっぺんまでを見つめていた。
「外に出ろ。後ろを向くんだ」
 他の客に見えないよう、毛皮で隠しながら銃口を突きつけていた。会場となったシャンデリア付きのホールに通されてから、まだ五分と経たない。
 脂汗を滲ませた獄寺の後ろで、運転手が不可思議そうに眉を顰めていた。
 骸の後ろでは、千種と犬が何かを話すように目配せしている。考えるように自らの顎を撫でてから、骸が尋ねた。
「君も招待されてたんですか」
「アンタは、何でこんなとこに――、ガーレッテと知り合いなのか」
「おやおや。僕の個人的な交友関係に興味がおありで?」
 骸はシニカルに笑ってみせた。
「嫉妬ですか。大丈夫、僕には君以外ただのゴミ」
 チラ、と、ボンゴレファミリーへと顔を向ける。庇うように綱吉が部下と骸とのあいだに入った。
「ふざけるな。今夜がどんな日か、知らないでここにいるわけじゃないだろ?!」
「……ガーレッテファミリーが筆頭となり、ボンゴレファミリーが影から支える。そうしてイタリアにある九つのファミリーが不可侵条約を組む」
 小声が、素早く畳み込むように言葉をつなげていく。綱吉が怖気づいた。
(コイツ。どこまで調べてるんだよ?!)
「実に、君らしい――お人好しすぎて阿呆な条約だ。でも、この条約への署名も、ブタ共が祝杯をあげに駆けつけたのも、結局はただの腹の探り合いにすぎないってわかってるでしょう? マフィアは慈善事業ではない。他を潰さないと、市場を奪うことができない」
「……黙れ! ガーレッテはオレに同調してくれた。少なくとも、彼はアンタが言うようなマフィアとは違うんだよ」
「クハハ! ボンゴレ。そんな夢見がちなことをよく言えますね」
 芝居がかった口調で、骸は腕を広げてみせた。
 唐突だったので、茶色い瞳が見開いていた。後退りながら、グリップを握り締める。
「山本武をガーレッテに渡したでしょう? 真に信用している関係ならば、部下を預ける必要がないと思いませんか。人質って言葉がわからないわけじゃないでしょう」
 意味ありげに、骸がボンゴレファミリーの運転手へ人差し指をつきつける。
 男は、ギクリとしたように骸を見つめ返した。
「なっ……。なんなんだ、おめーは」
「くく、くふふふ……」
 全てを見通したかのように骸が笑う。
 俄かに鳥肌をたてつつも、綱吉は頭を振った。
「――アンタがさっき言っただろ。用心するに越したことはないんだ。こんな世界だから」
「言い訳が苦しい。と、いうことは、君も少しは気に病んでいるということ。ボンゴレ、僕に隠し事なんてするだけ無駄ですからね」
「黙ってなよ。骸、それ以上は喋るな!」
 六道骸は、全身に吸着したようなタキシードを着てサングラスをつけていた。白いシャツの襟首を立ち上がらせ、それが、どことなく陰のある風貌を引き立てる。
 クス、と、笑って、骸は胸の前に垂れていた毛筋を摘み上げた。
「でも、真っ先に僕に気付くなんて、さすがですよ。これでも変装したつもりなんですけど」
 襟足の先をいくつかに分けて、ゆるく三つ網を編んでいた。止め糸にはダイヤとおぼしき純白の宝石を括りつけて、耳朶の髑髏の両目にもダイヤらしき石を嵌め込んでいる。
 右に一つ、左に二つ。三つの髑髏が両目をぎらついて、骸の気迫を増していた。
「……外に連れ出して、どうするんですか? 殺す? それとも、君のその可愛らしい衣装を脱いで僕を跨いでくれるんですか」
 嬲るように、愉しげに囁きながら、ペロリと三つ網の毛先を舐める。
「このあいだの……。リボーン先生の一件では、結局してくれませんでしたからね。ここで、招待客を前に君を見世物にするのも僕には容易いということをお忘れなく。ここにはかつて敵対した輩も集っているんじゃないですか。そいつらに痴態を晒すのも、そうしてプライドをずたずたにされる君を見るのも愉しそ……」
「十代目」青褪めながら、獄寺が銃口を抑え付けた。
「お気持ちはわかります、けど、ここでは」
(わかってるよ!)眉間に深いシワを刻みながら、歯を剥き出しにしながらも綱吉は引鉄から指を抜いた。強引に、ベルトと布地とのあいだに銃口を突き入れる。そして、その上に毛皮を被せて見えなくさせた。
「君のペットもずいぶん頭が働くようになったんですね」
 満足げに鼻を鳴らすので、ギラリと茶色い瞳がまたたいた。
「骸。敵地にそうやって堂々乗り込んでくる度胸には感服するよ。でも、無傷でこの屋敷をでられるとは――」
「ほう。でも、僕がココにいるなら君の同じような立場だと思いますけどね」
 骸が前髪を耳にかける。それから、素早かった。
 目を白黒とさせて後退りをしていた。鼻より低いところでグラスが突きつけられている。上唇に何かが当たっていた。骸はすぐさまグラスを自らの元へと引き寄せた。
「乾杯」
 つ、と、琥珀色の液体が色素の薄い唇に吸い込まれていく。
 何が起きたか、すぐに理解できずに綱吉は唖然としていた。飲み干した後で、骸はからかうように喉を鳴らす。
「……っ変態!」ゴシゴシと口を拭ったが、堪えた様子はない。
「せっかくのパーティでしょう。どうですか、ダンスでも」
「女を誘えよ!!」
 数歩をさがるが、骸はグラスを置いてにこやかに微笑んだ。
「その衣装、似合っていますよ。毛皮との取り合わせもなかなかいいようだ。そのままで笑って見せてくれませんか? ああ、それでも、もうすこし毅然としていた方が衣装に似合う。そんなに怯えてはダメだ、綱吉くん」
「なっ……、何を」
 口説くかのような言い方に、狼狽が浮かぶ。
 運転手が獄寺に何事かを尋ねていた。さっと顔を青褪め、獄寺が首を振る。綱吉はそれにも気がついた。妙な勘ぐりは避けたいところだ――、歯軋りして、とにかく骸を強く睨み返した。
(怯えてなんかいられるもんか!)
「骸、殺してやる」
「お好きなように。可能ならばね」
「ボンゴレに、ミスター・ドクロ氏であられるのでしょうか?」
 やや甲高い声音。綱吉とその部下、骸とその部下が一斉に振り返った。
 一人の、物腰が柔らかな痩せ男が立っていた。クセ毛の金髪、穏やかなチャコールグレイの両眼。三十歳中頃の容姿で、ブラックスーツの胸には薔薇を挿していた。総勢千人のガーレッテファミリーを束ねる男、ガーレッテ・バウンドだ。あたりの招待客の視線すらも一身に浴びながら、彼は片腕を伸ばしてみせた。
「ようこそいらっしゃいました。お二人ともの力がなければこの度の同盟は話をまとめることができなかったでありましょう。この素晴らしい一夜、ともに祝えて至福でございます」
「……ドクロ? ガーレッテ、この男とどんな関係があるんだ」
 信じられないように、綱吉が目を見開く。
 骸はしれっとしていた。即座に中身の入ったグラスを掴み、ガーレッテに向けて掲げてみせる。
「乾杯。おめでとうございます、ガーレッテ」
「今日はいらっしゃらないのかと思ってましたわ。あなたは、人が集まる場では姿を見せないから」
 ガーレッテの隣には黒髪の美女が佇んでいた。スリットの入った深緑のドレス。左腕には一文字の痣のようなタトゥーが入っていた。その上には、薔薇が肌に刻まれている。
「……他でもないあなた方の主催ですから」
 曖昧に微笑み、骸は、閉じる直前にまで目蓋をおろした。
「…………?!!」
 敵意もなければ、殺意もない。
 しおらしくする骸に、綱吉は口をパクパクとさせていた。ガーレッテの眼差しを受けて、骸が軽く頷いた。
「ボンゴレとの商談が、残念ながら決裂してしまいましてね。まあ、別に、僕の個人的なことです」
「それはまた。ボンゴレ、ドクロ氏は上質の火薬をくださるよ」
「こ、こいつから買い物してるんですか……?!」
 美女が、からかうように綱吉へ声をかけた。
「ボンゴレちゃん。どうしたの、迷子になったみたいな顔をしてるわ。お母さんとはぐれちゃった?」
「なっ、か、からかうのはやめてくださっ……」
 綱吉はガーレッテの右腕たる目の前の美女を苦手にしていた。パーフィリア・ミュッテは若年にしてボスとなった綱吉を何かと引き合いにだして話題にする。
「ミュッテ。ボンゴレをからかいすぎるのはよくないよ」
 そう言いながらもガーレッテは婦人の好きなようにさせていた。
 ミュッテは、励ますようにパチンと綱吉の背中を叩く。
「相変わらず細いし、子供ね。しゃきっとなさい」鼻先には迫った豊満な双球が迫り、肉感的な谷間を突きつけている。綱吉は、引き攣りながら茹蛸の如く真っ赤になっていた。
(なっ……ん、なんだ。ホントに骸の個人的な友人だっていうの?)
 横目で見つめながら、ボソリとガーレッテがうめいた。
「それに、彼は悪気があってぼくへの挨拶を抜かしておられるのではないと思うのだ」
「……アッ?!」慌てて、近くにあったグラスを引き寄せる。ガーレッテ・バウンドは礼儀を重んじる男として有名だ。「ほ、本日は、喜ばしい日ですねっ。この度の尽力、ありがとうございますっ」
 両目をすぼめるガーレッテだが、彼が物をいうより先に、ミュッテの後ろから顔がでてきた。綱吉と獄寺が、同時に名前を呼んだ。
『山本!!』
「よう。久しぶり!」
「アラ、もう来たの。ミスター・タケシ。今日であなたとお別れと思うと寂しいわ」
「オレも。ガーレッテ、ミュッテ。お世話さん」
「バウンド。拗ねないで。タケシが帰ってしまうわ」
 右腕に肘でつつかれ、ガーレッテは咳払いをした。
「ウチには日本語がわかるものがおりませんもので、助かりました」
 タキシード姿の山本は、にかっとして白い歯を光らせた。ガーレッテとミュッテに手をふり、綱吉の隣へと歩き出す。運転手は、ガーレッテの隣へと歩き出した。
「ボンゴレ。快適に過ごさせてもらったぜ?」
「……うん。チェールも。今日までありがとう。元気で」
 ガーレッテの隣に、運転手が並ぶ。六人がそろってグラスを掲げたときだった。綱吉は、骸が黙ったままで鈍色のものを取り出すのを見初めた。
(なっ――)
 チュンッ。消音機が取り付けられている。
 運転手が横倒しになり、テーブルにぶつかりながら転んだ。ばあっと血の赤味が床に広がる。悲鳴が重なる。一同が絶句する中、ガーレッテが怒声をあげた。
「ドクロ?! どのようなおつもりなのですかコレは!」
「すいません。ドクロって偽名なんですよね。僕は、お祝いをしにここに来た訳ではないんだ」
 ニコリ。パーティに呼ばれた人間は百人を越すが、全員がマフィアに関連のある人間だ。綱吉も獄寺も、着飾った婦人も、武器のあるものは皆がそれを取り出していた。無数の銃口が骸を狙う。がしかし、彼は物怖じせずに嘲笑を浮かべた。
「パーティーの始まりですね。せいぜい、惨たらしく死んでいけ」
 ダンッ。お得意の、自害だ。
 綱吉は奥歯を食んだ。ガーレッテに気を取られたスキに、千種と犬が何処かに姿を消している――。招待客が、一斉にやんやと罵声をひびかせた!
「自殺したぜ?!」
「クレイジー! バウンド、ボンゴレ! なんだこれは?!」
「わたくしの知るところではない。ドクロ氏は武器の売買をしていた男だ――、こんなことは」
 ガーレッテが、周囲に向けて盛んに説明を試みていた。一人。綱吉だけが、愕然として天上を見上げた。ヒリヒリ、痛いくらいの緊張感で鳥肌になっていた。
「伏せろ! 落ちるぞ!!」
「?!!」「きゅああああ!!」
 がしゃあああ!! シャンデリアが落下して、十人ばかりが巻き添えになった。吊り上げていた鉄線が爆発したのだ。同時に、屋敷そのものが大きく揺れ動いた。

 

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