天濫



8.
「綱吉くん、友達を選んだ方がいいんじゃないですか?」
 忌々しげに獄寺を睨みつけながら、骸は言った。
 焦って汗をダラダラ流し、綱吉は両手を胸の前に持ち上げていた。万歳の格好に似ている。降参、のポーズだった。
「あの……。ヒートダウン、ヒートダウン」
「僕じゃなくて彼に言ったらどうです」
 呆れた顔で指差す、その先には、ダイナマイトを抱えた獄寺が山本とディーノによって取り押さえられていた。ディーノの計らいで、神奈川県遠方のビーチが貸切で提供された。京子とハルとビアンキか、リボーンとランボの上に砂山をせっせと築いていた。
「リボーン、気持ちいい?」
「ランボ君、ほらほら。お砂ずざーってしてるよォ」
「…………」
 パラソルの下で横になったまま、ヒバリは動かなかった。暑いのは苦手らしかった。
「骸さァーん! カニ! カニいますよ! 喰えますか?!」
「小さいから、丸ごと唐揚げかな」
「イヤだわァ。ちゃんとお弁当、持ってきたわよ」
 奈々が冷や汗を浮かべる。骸は神経質に眉間を寄せて、獄寺に向けたのと同じ邪険にした眼差しを足元の少年二人へ向けた。
「後にしてくださいよ! こっちはそれどころじゃない――、情緒ってものがわからないんですね君は! 打ち上げタイプのが定番でしょう、花火といったら」
「文句あんならテメーがいけ! むしろテメーが夜空に果てろ!」
「ほお。六道輪廻にいきたいようだ」
「あ、でもほら、線香花火がいっぱい」
 わざとらしい現実逃避をして、綱吉が自らの顔面に花火のパックを持ち上げた。
 骸が睨むが、逆に、懇願するような視線を返された。図らずも質問していた。
「……センコウハナビって何ですか」
「ハッ。線香花火も知らねーでよく日本にいられるな! もぐり!」
「線香花火っていうのは日本の伝統的な花火で――」
 へえ。興を引かれたように感嘆をこぼしたが、しかし、綱吉の言葉は不自然に途切れた。骸が視線を上向ければ、いそいそとして白いワンピースタイプの水着少女がやってくるのが見えた。
「ツナ君、それって何時ごろにやる?」
「え、ええと。六時くらいかな。京子ちゃん、線香花火好きなの?」
「ウン! 大好き!」
 まさに花が綻ぶような笑顔を向けられ、綱吉が頬を赤くする。うまいことやったんじゃね? と、山本に言われて獄寺は不思議そうな顔をした。
「…………」唇だけを笑わせて、骸はいまだにカニを追いかけている犬の首根っこを捕まえに行った。花火は、十人ばかりで遊べばあっという間に底をついた。夏の終わりが近づくことを予感させるような散りざまだと、うっとりとして京子が言った。
 バケツを片手に、骸は苦々しい思いで振り返った。
 花火も終わり、それぞれが帰路についた。子供をつれて一足先に帰った奈々の残した荷物を運ぶのが少年二人の仕事だった。綱吉は水着の入ったバックを抱えていた。
「綱吉くん。いい加減、正気に戻ったらどうですか」
「はえ? あっ。は。いや、別にオレいつも通りだけど」
 どこがですか。うめいて、骸は綱吉の腕を引く。
 駅からの帰り道、階段を通る場所がある。段差に躓いて、そのまま綱吉が動かなかったのだった。唇をむずむずとさせて、綱吉は嬉しげに俯いていた。
「喜んでもらえて、よかったなぁ……」
 やはりおぼつかない足取りで歩いているので、手首を掴んで引っぱった。
「きびきび歩いてくださいよ。君のペースじゃ夜が明ける」
 イヤミにも綱吉はめげないようだった。住宅街のあいだを通ると、人通りは途絶えて、辺りは静寂に染まる。彼が夜空を見上げるので、骸も空を見上げることにした。
 むっとするような暑さは、大分遠のいていた。
 秋の近さを感じさせる空気の中で、やや西に傾きながら夏の大三角形が輝く。その中に赤い星を見つけて、骸は俄かに安堵した。何週間も前に綱吉と共に見上げた夜空を思いだすようだった。奇妙な違和感がこみ上がる――胸中で訝しがったときに、声。
「月って、こうしてると手が届きそうに思えますよね」
 ギクリとした。当の本人は、気楽に片腕を空に向ける。
「ま、掴めるわきゃないんですけど……」
「どうしたんですか。突然」
「なんとなく。あー、今日は楽しかった。骸さんも、楽しかった?」
「え…………」
 骸にしてみれば思いがけない質問だ。
「ええ、楽しかったですよ」何か、奇妙な衝動が喉元に競りあがる。通った個所にひどい焦げ痕を残しているように思えて、骸は軽く堰をした。
「きみは?」
「? 楽しかったですよ。京子ちゃん、来年もやろうねって言ってくれたんだ」
「ほう。よかったじゃないですか」
「ウン」
 屈託無く、綱吉が笑う。
(ああ、)骸が眉間を皺寄せる。
 世の中には気がつきたくないことがある。気がついても、絶対に言いたくないようなこともある。
 薄く唇が開く――、こぼれていた。
「前も、こんなふうに僕たち二人だけで夜空を見ましたね」
「うん。なんだっけ……、アンレス?」
「アンタレス。赤い星」
 言われて、素直に綱吉は星を探し始めた。
 あった、と、さほどの間を置かずに嬉しげに声をあげる。今度こそ覚えましたと綱吉が嬉しげに言った。そのまま、今度は皆に教えてあげようと呟く。
 腹の底が冷える。骸が、低い声でささやいた。
「僕は思うんですが。分かり合えたとして、その先は?」
「え?」
「その先に、何があるというんです」
 骸さん? 綱吉のだした音は震えていた。
「君は僕に言った。僕をわかると。今なら、僕も少しだけ君がわかったような気がしないでもない。でも、しかしだからって何がどう変わる」
 星を見上げていた。赤い星がある。骸の右目と同じく、赤く色づくものがある。
「人の一生は連続していく。今の言葉も、今の呼吸も、すべては刹那の中にある。……その刹那の中で、理解しあうということがどれほど有効だと言うのです」
 溢れかえるような空の黒に呑まれて、あるいは人の生み出す明かりに呑まれて、星の色はいつか消えるように思えた。綱吉が呆然として足を止める。構う気には、なれなかった。
「僕なら、それより確かなものを求めたい」
 左右で色の違う瞳。その奥で何かが生きていた。



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