天濫



7.
「…………」
 反射的に、少年は時刻を確認した。
 夜の八時。帰宅するには遅めの時間だ。だからといって彼が負い目を感じることはなかったが、視線を下向けた。
 見慣れない靴がいくつもあった。
 リビングを覗きこみ、見知った顔を数えて、骸は鼻腔でため息をついた。
 綱吉の知り合い――というよりも、取り巻きという認識のが強いが、ともかくも彼の連れの少年少女だ。奈々が骸に気がついた。彼女に対してだけ声のトーンを変えるのも、もはや意識せずにできるようになっていた。
「すいません。今日は夜ご飯、食べてきました」
「アラ。お友達と?」
 ランキングのフゥ太が、綱吉の隣で強張った面持ちを浮かべていた。気がついて、綱吉が子供の頭を撫でる。獄寺が毒づいた。
「チッ。邪魔なのが帰ってきたな」
「? ランボちゃんも様子が変ね……」
 京子が瞬きをする。頓着しないまま、骸は「ごゆっくり」と低く呟いた。
 自室にこもれば、しばらく、階下の喧騒が響いてきた。風呂上りにようやく、骸は帰宅していない少年が残っていることを知った。
 綱吉の部屋から、タオルを持って山本武が飛び出した。
「あ。コンチハ」
「……こんばんは」
 半眼を返す骸だが、山本は涼しげだ。
「あっ。やまもとー。先に問七までやってるから――、っと」
 扉を飛びだして、綱吉が目を白黒とさせる。
 骸とぶつかる寸前だった。
「彼らは帰らないんですか? もう十時ですよ」
 不満げに囁き、骸は首を伸ばした。
 室内では、あぐらを掻きながら獄寺がノートを広げていた。夏休み明けに提出するテキストであることはすぐに察した。
「あ。今日は、泊まってくことになったんですけど……。宿題が終わんなくて」
「ほお……。テキストの隣にお菓子つみあげてお勉強ですか」
「そ、それは、ホラ、栄養補給に」
「どこに?」
「え」
「どこに泊まるんですか」
「オレの部屋ですけど――。あ、骸さんには迷惑かけないようにするから。大丈夫です」
「大丈夫……?」
 うわ言で繰り返して、骸は眉間を寄せた。
(どこが……)じりじりしたものが腹の底を焼いた。
 窄められた両目から隠すように、綱吉は素早く扉を閉めた。怯えた茶色い瞳を睨みつけるオッドアイは、その態度も気に入らないと切々と訴えた。
「お、……おやすみなさい」
「おやすみなさい」
 冷淡な声、しかし骸は動かない。
 綱吉は冷や汗混じりに背中を扉へ押し付ける。骸は、まだ動かない。
「まだ何か、オレに?」
「なんか君ってヤワそうですよね。意思が弱そう」
「は、はあ」「本当に勉強するだけ? そもそも一晩中も一緒で大丈夫なんですか」
「ご、獄寺くんってああ見えても頭イイんですよ」
「僕が言ってるのはそうではなくて……」しかし、骸は自ら首を振った。
「どーせ遊んでるんじゃないですか、ってコトですよ」
 無益な時間の使い方だと気がついたからだ。剣呑な目つきもそのままで、踵を返す。間もなく、部屋へと戻る足並みがいつもよりも重いことにも気がついたが。
 翌朝の朝食は、七人で食べた。
「ざけんな! このアホが! 地獄の果てに送るぞ?!」
「まーまー。獄寺、相手はガキだぜ。カワイイじゃねえの」
「へっへーん。ランボさんに恐れをなしてるんだな。おれっち最強っぽくねこれ? へっへ〜〜っっ」
「お、っと。ま、オレの目玉焼きはやらないけどな」
 ニコニコとしながら、山本は目玉焼きの乗った皿を空中に掲げる。べしゃりっと、突撃したランボがテーブルに顔面を打ちつけた。
「もうっ。ご飯のあいだも仲良くしなきゃダメよ?」
 ずるずる、子供の腰を掴んで、奈々がイスへと座らせる。獄寺は不服げにランボを睨みつけた。
「そもそもコイツまで十代目の部屋に寝るって言うから終わンなかったんじゃねーか。自覚あンのかバカ牛」
「途中からお前もノリ気でゲームしてたじゃねーの」
 白米をつぎこみつつ、山本。
「……でも、さすがに十代目はお強かったですね。やりこんでらっしゃる」
 自慢げに胸を張る獄寺の横で、照れたように綱吉が頭を掻いた。それを見て意地悪げに目を細めたのは奈々だった。
「まっ。宿題しないでゲームしてたのね」
「あー、ほらほら、イーピン! こぼしてるって」
「つっ君、逃げる気ね……」
 慌てて綱吉がテーブルの下へと潜り込む。
 骸の膝頭に、こつんとぶつかるものがあった。綱吉の後頭部だ。ひくりと眉を動かすが、それだけで、骸はフォークで目玉焼きを切り分けた。
 そ知らぬ顔を保つ彼へと、這いでた少年が気後れした視線を向ける。食べこぼしを、ちょこんとテーブルに乗せた。先に玄関へ向かえば、追いかける足音があった。
「骸さん! 怒ってる?」
「そんなことはないですけど。いいんですか、彼らを放っておいて」
 賑わうリビングを半眼で見つめ、骸。
「あ、でも一応、半分は終わったんですよ」
「どうでもいいって言ってるじゃないですか」
「いや、昨日からなんか様子が変だなと思って。どこか具合でも悪い?」
 ツナァ、と叫ばれて、綱吉が肩越しに叫び返した。
 骸は少年の足元を見る。返事をするまで待つつもりでいるのか、しっかりと自分に向き合っているのを確認して、瞳を上向けた。
「綱吉くん。学校で教える範囲ぐらいのことなら、僕にだってできるんですよ」
「……。教えてくれるんですか?」
「君に理解する気があるなら」
 頷けば、綱吉が目を丸くする。
 まじまじと見上げる眼差し。綱吉は、秒刻みで面持ちを一変させて嬉しげに口角を引き上げた。
「じゃ、お願いしちゃおうかな」
「どーぞ」「十代目? トイレ長くないですか」
 獄寺がリビングから顔をだした。綱吉が肩を竦める。獄寺に睨まれながら、公然と無視を決め込みながら、(邪魔だな)と率直な感想とともに少年は玄関に向かった。今度こそ。



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