天濫



3.
 二週間が経った。
 骸たちが並盛に転校してからは三日。先日の事件から、急遽、転校が決まったのだった。彼ら三人は、綱吉たちよりも学年がひとつ上だ。三年生の校舎は上階となる。校内では、いまだ顔を合わせたことがなかった。
 それでいいのだと綱吉は思う。
 骸もそう思っているはずだと、決め付けていたが、遭遇は唐突にやってきた。
 校舎の玄関口、その正面で二人は互いを見つめた。
「…………」「…………」
 並盛の制服に身を包んで、六道骸はカバンを小脇に抱えていた。
 数秒ほど見詰め合った後、骸は無言で先へ進んだ。あ、と、小さくうめいて綱吉も追いかける。同じ家に住んでいるのだから、帰宅の方角も同じなのである。
 帰宅路を並んで歩きながら、無言だ。
 綱吉がおずおずと声をかけた。
「千種さんと犬さんは……?」
「遅くなるので先に帰ってもらいました」
「あ。もしかして日直だったンですか。オレもそうです。だから、獄寺くんたちには先に帰って……もらって……」
 尻すぼみになる声音を、繕う気力はあんまり残っていなかった。
 骸は振り返りもせず、むしろ歩調を速めていた。
「む、骸」大股で歩かれると、綱吉はリーチの差を意識せざるを得ない。
 小走りになりながら、彼の前へと回り込んだ。
「お、オレは別にいいけどさ。せめて母さんにはぶっきらぼうな態度やめろよな」
 色の違う瞳が、ぐにゃりと歪む。
「へえ。家族が傷つくのがイヤなんですか」
「母さんは何も知らないし、善意でお前をホームステイさせてる気なんだよ。お前が、オレたちの誰とも口を効きたくないってゆーのはわかるけど、でも母さんとはちゃんと話してやってよ」
「は……」骸は、これみよがしに肩を竦めた。
「ディーノちゃんに言われたことですか」
「お前のことを気にかけてるんだ」
「ちゃんと飼い慣らせるかって?」
「骸!」ヒヤリとしたものが、綱吉の腹に落ち込んだ。
 骸の推測はほとんど正解しているからだった。
 動揺した茶色いまなこを満足げに眺めて、骸が哄笑した。
「まだ僕をナメているんですか。気付くさ。ディーノの部下が一日中張り付いていれば」
「お……、お前に悪意があるわけじゃないよ。ディーノさんは」
 呻き声に似ていて、骸には聞き取れないほどの声量だった。綱吉の足は、無性に歩くのをやめたいと訴え始めていた。
 やっぱり、六道骸との同居は無理だったと考えが飛躍していく。歩調を落とした綱吉だったが、ふと、前を歩く影がないことに気がついた。
 骸の方が、とっくに歩くのをやめていた。
 夕日は消えて、夕闇が彼の周りを漂っていた。
 眉間にシワをよせて、骸は不快を剥き出しにしていた。
「さっき、わかるって言いましたね。僕のことが? ウソだ、君には何一つとしてわからない」
 憎しみを受けながら、綱吉は自らの右足がグンと先へ伸びたことに驚いた。体のほうが骸から逃げたがっていた。
「ど、どうして――」体に力を込めた。
 ここで弱虫になってはいけない、理性が必死になって呼びかける。
 リボーンの横顔とディーノの言葉。それと、話し掛けても無視されつづけて、傷ついたように俯く奈々の眼差しとが脳裏に行ったり来たりした。
「どうして、そう思うんですか。オレはあなたを理解してるつもりですけど」
 おぞましいというよう、骸が首を振る。
「その考えが愚かしい。他人の心がわかるわけでもないでしょう。見えないものなんだから」
「感じることはできるじゃん」
 笑うな、と、綱吉は自らの膝頭に命令した。
「骸が研究所で実験材料にされてたことも、六道輪廻の記憶を植え付けられてることも知ってる。人を信用しないことも――、できない環境にあったことも、知ってる。これって、オレはお前のことを理解できてる方ってことじゃないの?」
 両方の眉頭をくっ付けそうなほどに醜く歪ませて、骸が先ほどよりも大きく首を振った。
 その瞳は、右が赤、左が青の炎を宿す。
 夜の始まりに紛れて、今は、共に真っ黒く縁取られていた。
 沢田家へと続く細道には電灯がない。両脇を固めた壁の向こうから漏れる明かりは夜を拭うほどではない。二人は黒く濡れていた。
「そうじゃない……」怒りで震えながら、唸る声がする。
「わかるわけがない。誰もわからないとは思っていますけど、でも、君がわかると言うのだけは見過ごせない。僕の苦しみがわかるはずがないんだ」
 間を挟んだ末に、骸は力強く眉を吊り上げた。
「君だけは、絶対に」
「オレが」綱吉は、固唾を呑みこんだ。
「おれが、マフィアの十代目だから?」
 骸が小さく頷く。
 綱吉の横を、サッと通り過ぎた。
 やりきれなくなって綱吉が両足を踏ん張らせた。
「……おかしいよ!」
 何でもよかった。胸にふつふつと沸いた怒りを表せるなら、どんな言葉でもいいから投げつけてやりたい気分になっていた。
「被害者ぶるつもり? あんたな、あんただって酷いこといっぱいやってきてるじゃないか。ランチアさんに何したと思ってるんだ!」
 ランチアと呼ばれる彼は、今ではディーノのもとで療養しているはずだ。
 骸が、神経質に目尻をひくひくとさせた。
「センパイのことは覚えてますよ。別に被害者だとは思ってない。僕にはその言葉が似合わない。僕は加害者になる、常に」
「ど……。どっちでも――いやどっちも違うだろ。今は、オレんとこに下宿してる学生ってシナリオだろ?! 演技くらいしてあげてよ!」
 足を止めて、骸は綱吉に向き直った。
 細められた夜目には感情らしきものが見当たらなかった。
「ボンゴレがマザコンだとは知らなかった。そんなに膝を笑わせて」
 見れば、左右の膝がガクガクと上下に震えていた。
「そんなに大事ですか。家族が」
「お、まえだって。千種さんと犬さんが」
「ハ。あれが家族? 君は知らないからモノが言える。僕は一人きりです。ずっと」
 氷を浮かばせたような双眸が歪に軋む。
 綱吉は骸とのあいだに空いた二メートルばかりの距離を見た。
 遠い。この遠さが、そのまま彼との距離に思われた。少年はこれみよがしにため息をする。触れただけで鳥肌が立つような、殺意めいたものが取り巻いていた。
「ハイハイ、やってあげますよ。僕の能力を知ってるでしょう? 演じることくらい、何てことはない」
(もう、黙れって、言ってる――)
「オレが」
 綱吉の意思とは別に喉が震えた。
「全然マフィアと関係ない人間だったら――」
 骸の眉根がピクリと動く。驚きか、軽蔑か。
 綱吉にはわからない。自らの言葉に驚いて綱吉は口唇を抑え込んだ。やめたら? やめたら、どうなる。(骸が気を許してくれる? ……そんな、バカな。そんな単純な人じゃない)
 黒に呑まれて行く彼は、やがて、足音すらも闇に呑みこませた。
 綱吉は静寂のなかで棒立ちになる。まだらな星空が頭上に広がっていた。
 骸は、綱吉にだけは自分の苦しみがわからないと言った。絶対に、と、言った。
「……それが本当なら……」
(オレの苦しみだって骸にゃわかんないってことになるじゃんか)
 帰宅すると、骸は、台所で夕食の手伝いをしていた。



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