天濫


2.
 跳ね馬のディーノは、跳ぶような速さでイタリアに舞い戻らねばならないという。綱吉と奈々は素直に残念がったが、出発直前にロマーリオは綱吉へ耳打ちをした。
「処刑人に干渉したもんでな。各方面のヤツらに協力させざるを得なかった。今はそのツケ払いの最中だもんで。理解してやってくだせえ」
「…………」
 納得する、以外に綱吉にやれることはなかった。
「……そっちの方は、どうなの」
「まぁまァ。千種って、なかなか面白いぜ。ウチにゃパソコンに強いヤツってあんまいねーから助かってる」山本武少年は野球帽を脱いだ。
 夏晴れがその頭上に広がる。今日も雲は高く積まれて白く光った。獄寺隼人がうめいた。
「アネキも気に入ってるみたいです。なんっか、未確認なんスけど、ポイズンクッキングも喰っちまうみてえッス。今のとこ、奇蹟続きで死体はあがってないですが」
「マジ? 今までどんなモノ食べてたんだ」
「あ、でも、骸もゴハンだけはちゃんと食べてくから案外ボロボロだったのかもね」
 山本と獄寺が揃ったタイミングで見下ろしてくるので、綱吉は笑いを引っ込めた。
「あ。あ、うん。うちもね、それなりに上手くいってるんだ」
 言っていて少し空々しい。
 あれから、家庭内の空気は凍り付く一方だ。
 六道骸は人当たりの良い仮面を被るような気遣いをしてくれなかった。下宿を始めて三日、誰とも目をあわせず一匹狼気取り。
 リボーンは注意をする様子もない。
(オレだけ弱音吐いたら格好悪いなあ、これ)
「ン」獄寺が小さくうめいた。
 鼻をヒクつかせ、首は動かさず、眼球だけをギョロギョロさせて下校路を確認した。
「何か、焦げ臭いッスね」
「そう?」
「そうですよ」獄寺の眉根が吊り上がる。
 野球少年もスポーツバックを抱えなおした。一点を見据えている。
「ツナ。ケムリ」
「は?」ますます意味がわからず、山本の視線を辿る。ギョッとして白目の面積を増やした。
「な、なにごとーっ?!」
 心拍が一気に跳ね上がる。
 黒煙だ。沢田宅から煙が舞い上がっていた。
「母さん!」走りだすと、すぐに獄寺と山本も走り出し、綱吉を追い抜いた。だが玄関経由ではなく庭へ直接行ったので結局一番乗りだ。庭とリビングは繋がっている。
 真っ先に黒煙が目に付いた。庭の一角で炎が燻り、近くに鍋が逆さまに引っくり返っている。
 庭を背に、仁王立ちになる少年がいた。
「骸! おまえ、何したんだっっ」
 振り向いた赤瞳には地獄道『一』があった。
 左右に開け放たれた窓の向こう側、台所でランボを抱えて奈々が倒れている。
 視界が音を立てて縮んだ気がした。
「母さん」
 酷く掠れた声が出る。綱吉は詰め寄った。
「骸、何をやったんだよ?!」
 六道骸は冷たく告げた。
「やれやれ。何を見ているのですか。眼の代わりにゴミでも突っ込んでンですか君は」
「えっ?! あっ!」
 室内にあがろうとして、イーピンに躓いた。
 虚を突かれて我に返れば、急速に視界が広がった。奈々が倒れているだけではなかった。見知らぬ少年たちが家に上がりこんでいる。
「くそぉ! こっち来るなぁ!」
目付きが異常だ。土足でテーブルにあがって両手を振り回して、例えば自分にたかった大量の虫を払うかのような仕草だ。
「なんだぁこりゃ?!」
 異様な光景に、獄寺と山本が目を丸くした。
 骸少年は再び黒曜中に通っているが、監視を意識して大人しく振る舞っていると聞く。襲撃事件当時、校内を牛耳っていた六道骸がそれだから、復讐を画策する連中がいても理解はできる。
 綱吉は思わず骸を見上げた。
「さてね」
 六道骸はしらばっくれた。
 ヴヴンッと音がした。右目の奥が羽音を立てているのだ。
「ひっ。ひいいいっ」
 イーピンを抱き上げて、綱吉は後退りをした。
「さあ、まだやる気があるならここまで来てください。場所を変えましょう」
 言うと、庭に下りて六道は嗜虐的な笑みを浮かべた。支配者然とした態度だ。相手を完全に見下して、逃げ惑うのを楽しんでいる。
 綱吉は黒曜生達にかけられた幻覚を想像して鳥肌を立てた。
「はやく来て下さいよ」
「うっ、うぎゃあっ、ぎゃあああ!」
 黒曜生は一斉に玄関向かって駆け出した。
 退路がそこしかない。獄寺隼人が後を追ったが、数分待たずに渋面で戻った。
「行かせてよかったんですか」
「わかんないよ」自信もなくうめく。
「おい、何がどーなってんだ!」
 獄寺が骸に詰め寄った。
「庭に今のヤツらが入ってきた」
彼は冷ややかな態度を崩さないまま手短に説明をした。喧嘩を売られた。奈々が仲裁に入ったが、揚げ物の最中だったことが災いだったと、
「当然、燃えた。パニックに乗じて殴られたので反撃をしたまでです」オッドアイは庭に打ち捨てられた鍋を眺めた。火はまだ燻っている。
「反撃って、なんで母さん達まで」
 綱吉が奈々を助け起こす。
「幻覚の煽りを喰らった。僕の前に出るからだ」
(な……んだよ、その言い方)
 まるで、だからこんな目に遭うんだとでも言うようだ。ヒヤヒヤした分までが腹立ちに代わった。綱吉は、奈々の額に手をかざす六道骸を睨みつけた。その横顔が憎たらしい。と、
「オレのせいだって言いてえのか!」
 喚声がして、二人は同時に振り向いた。
「そんなつもりないぜ。ただ、テーブルないとツナん家どうやってメシ食うのかなーっ、て」
 ビジネスライクに骸が割り込んだ。
「弁償しますよ。僕のせいですから」
(ボクのせい)綱吉は胸中で繰り返す。骸の発言全てにケチをつけてやりたくなっていたが、繰り返すことで、気が付いた。
 この少年、責任がどこにあるかは自覚しているのだ。六道骸は人の視線に気付くのが早い。オッドアイと茶色い瞳が交差した。
 あ、と、喉が唸った。
 目が合うのは久々だ。沈黙を挟んで、綱吉は言うべき言葉を決めた。
「ありがとう」
「なんで、感謝されるんですか」
「ウチを守ってくれたから」
 骸は何も言わなかった。庭を出て行く。
 戻ってきたのは二時間も後だ。沢田奈々が目覚め、綱吉たちが大掃除後の休憩を取っていたころである。彼は尊大に告げた。嘲りとも取れるような喋り方をする。
「これで文句はないでしょう。あと少しでほとんど同じ家具が届きます」
奈々が立ち上がって出迎えた。
「六道クン! おかえりなさい。ごめんね、さっきはちょっと取り乱しちゃったわ」
「コンロの替えも明日には業者が来る」
「そ、そんなことまではいいのよ」
「僕が買った喧嘩ですから」
 奈々は引き攣った。綱吉ですら久しぶりに見る顔だ。春の気配がしない顔つきだ。
「そ。そうだわ。お腹空いたでしょ? 今日の夕飯はこんなのなんだけど」
 冷めた眼差しに、奈々はウッとたじろぐように後退りをした。インスタントカップを持つ手がぶるっと震えている。
 それを無視して、骸は綱吉を名指しした。
「話を戻しますが。僕が原因ですから、感謝するのはおかしいと思いますけど」
 聞こえないフリをした。怖いからだ。
 十五分ほど経って、視線を向けてみると、部屋に戻ったらしく空のインスタント容器だけがイスに座っていた。
「山本。ウチ、うまくいってると思う?」
 インスタント麺をずるずるしつつ、訊いてみる。
「んあ? ……んん。まぁまあじゃん。奈々さんはどこまで知ってんだ?」
 何も。うめきながら夜空を見上げた。奈々は骸が敵だったとかボンゴレ十代目に負けたとか牢獄行きのオトコだったとか強引に連れてこられたとかは知らないのだ。喉を上下させると胃が熱くなった。
 かたん、と、寂しげに食器が触れ合う。奈々が空いた容器を片付け始めた。



>> 3.へつづく

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