魚の血脈なない

 

 

 


 背中から凍った鉄の匂いがした。
『ありえない美男子? あれが?』
 木枯らしが踊り、その度に枯葉と密かなざわめきが巻き起こる。
 校門をでる生徒たちは二種類の格好をしていた。男子学生服と女子学生服。校門の脇で待ちつづける彼は、ひときわに浮いた存在だった。他校の制服、青みがかった髪色と色鮮やかな朱色のマフラー、その容姿。どれもが目を引いた。
『噂の君だ。やった、見れちゃった。まだ見つかってないんだ』
『睫毛長いし、鼻筋もアメリカ人みたいにくっきりしてるけど。アリエナイのレベルか? これだから女のいうことは当てになんねーんだよ』
『イヤミな男に違いないぞ。校門で待ち伏せするなんざドラマかっての』
 す、と、少年が目を開ける。
 謙遜して見つめていた視線が、一斉に釘付けとなった。
 アジア系統の顔立ちをした少年は、左目が青く右目が赤いのだ。
『オッドアイ、て、やつ?』
『……これはアリエナイ』
 渦中の少年は、ショートカットの少女を指差した。
「そこの貴女」
「ハイハイ! なんですかっ」
 が、校門をでたばかりの彼女を押しだして、背中にいた少女が飛び出した。
 目を丸くして、紅潮した頬を隠すようにマフラーをたくしあげる。
「ま。また、あの質問ですか?」
 ニコリと笑い返され、固唾を飲んだ。
 動じることなく、少年は学生カバンを小脇に抱えたまま少女に向き直った。
「ご存知なんですね」
「噂になってますもん。今日も待ってるんですか?」
「ええ。なかなか、どなたも見つけてくださらなくて」
「はぁ……」一瞬、瞳がオレンジの混ざった青空を見上げた。
『くるわきゃ、ないっての。バカか』
『でもいいもん。頭ン中が花畑でもカッコイイなら許されるもん』
 グっと両手に拳を作り、短く息を吸い込む。 少年が、笑んだ表情を変えることはない。漂う気配は彼が確信じみたものを抱えていることを物語っていた。
『賢そう。頭はきっとイイのよ、花畑はちょっとずつ摘んでいけば……!』
「あれってどういう意味なんですか」人差し指をたてる。真っ赤なマニキュアの映える指先だった。
「ズバリ、実は謎解きなんでしょうっ?」
「クハハ。いいえ、そのままの意味ですよ」
「死なない魚を飼ってる男の子、が? このままなんですかぁ」
「ええ。まんまです。そのまんま」
「エェ〜。無理だよォ。フツー死んじゃいますって」
『それよりもお茶。お茶に誘わなきゃ』
 鉄壁の笑顔のままで、少年は背後を見上げた。白塗りの校舎がそびえていた。
「しかしこちらにはいるはずです。死なない魚も、それを持ってる男の子もね。恐らく世界にただ一人ですよ。私はずっと捜していました。今も、待ちながら捜してるんです」
「ふーん。とってもロマンチストなんですね」
「くふ、お伽噺の勉強はしましたねえ」
「ば……」『ワイルドかつインテリ系統のイケメン。逃しちゃ勿体ないって!』
「スッテキィ! アッ、アタシもロマンチストですよ。夢があるってスバラシーじゃないですか」
 やや間をおいて、色互いの瞳は猫のように細くなった。
「そうですか?」
 少年と少女の周りにはにわかな人だかりができつつあった。
 その垣根の向こうで、ひとつの影が行ったり来たりを繰り返す。
「時に、夢は残酷な未来を引き寄せますよ。無知と合わさるとさらに酷い」
 食い入るように見つめる少女だが、眉根を顰めた。
 赤目の奥で、何かが瞬き、蠢いているように見えた。
「知れば未来は明るくなるかと言うと、そうでもないのが世の中の悲しいところでしょうかね」
 憂いを帯びた横顔が、フウとため息をつく。女子生徒もため息をついた。
「彼ならよくわかるでしょうね、魚が」
「そこのあなたっっ!!」
「私ですか?」
 いっそ嬉々とした声だった。
 人ごみを掻き分け肩を弾ませる少年がいた。肩には級友が手をかけていた。引きとめようと後方に引っ張る形だ。「ごめん、変なつもりで割り込んだんじゃないんだ」
 気まずげに告げて、カバンを引っかけなおした。薄茶の髪にブラウンの瞳。いささか大きく丸まった瞳は幼い印象を与える。少年は脂汗をこめかみに滲ませつつ、俯きがちに尋ねた。
「いろんなヤツが噂を……。この三日間」
 はぁっ、と一息、大きく吐きだす。
「魚……。魚は。そのサカナは本当に死なないんですか?」
「ハイ」にんまりと目が笑う。間近で見上げる少女だけが、頬を青色に染め替えた。
  細くしなるオッドアイから視線が外せなかった。爛々とした熱が赤と青の両方を焼いて、焦げ付いた煤を奥でゆらめかしている。獣の色だ。――そして、やはり『右目が』
「その魚の肉は、神の舌にのる一品とも神そのものとも言われます」
「俺」
 周囲の人垣が秒刻みで輪を広げていく。
 見回し、ついでに校舎から教師が駆けてくるのを見つけて、口早に言い捨てた。
「俺。そういうバカなこと言ってる男の子を知ってますよ。家まで案内してあげましょうか」
「それはまた。ありがとうございます」
「おい、そこ! 集まって何やっとるんだ!!」
 茶髪の少年は、オッドアイの彼とは意図的に目を合わせようとしなかった。引きとめようとする級友の呼び声すらも無視して、だっと走り出す。教師が怒号をあげた。
 あとに続けた足をとめて、一瞬だけ、朱色のマフラーが振り返った。
「ほら。やっぱり、見つけてくれる方がいたでしょう」
 二人は交差点を過ぎた。便乗して追いかけてきた生徒を撒いて、人気のない住宅街に曲がりこんだところで足が止まる。少年は背後の彼を睨みつけながら、肩越しに振り向いた。肩を上下にゆらめかしながら、開いていた手のひらをゆっくりと握り込む。
 頭ひとつ分、小さい影を見下ろしてクスと口角を吊り上げた。
「自宅へ案内してくれないんですか」
「あんた。何のつもりだよ!」
「君が沢田君ですね。下の名前は?」
「どうして知ってるんだ。どうする気だよ。何者なんだ? 言っとくけど――」
「名前は? 僕は六道骸です」
「っ」薄く下唇を食んだ。「沢田綱吉です」
「いくら俺でもピンときました。死なない魚だなんて……。どこでリボーンを知ったんだよ」
 オッドアイがしげしげと眺め回す。やがて、骸は仰々しい仕草で腰を折りまげた。綱吉が半歩を下がり、持ち上げられた顔面には昏さを称えた笑みが貼り付いていた。
「綱吉くん。よろしくお願いします。必ず、僕らは永い付き合いになりますよ」
 路地に他の人影はなかった。

 

 

 

 

 

 

 


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