魚の血脈

 

 

 


 
 能面のような顔をして封筒を見下ろしていた。
 ゆっくりした動きで腕を伸ばすが、危ういものを感じた綱吉は胸元へ封筒を引っ込めた。
「つまらない内容ですよ。渡してください」
 色のない青目が向けられた。
「誰からか、骸さんはわかってるんですか?」
「わかりますよ。筆で、わざわざ僕の名をカタカナにして送る。あの方はそうやって揶揄するんです」
「やゆ? 悪口って意味ですよね。友達とかですか?」
 骸が手のひらを差し出した。
 渡さなければ話さないということだ。
 封筒を受け取ると、骸は無造作に両端を摘んだ。ぶっと綱吉が体を折り、マグカップに額をぶつけた。少年の手の中で封筒は二つに破られていた。さらに四つに破く。さらに六つ。
 繰り返すうちに、テーブルには紙片の山ができあがっていた。
「な、なにやってるんですか……?!」
 少年が目を丸くして身を乗りだす。
 前髪がココアで濡れていた。至ってまじめな面持ちで、骸はティッシュを差し出した。
「母親、という位置に相当する女からの手紙ですよ」
「い。位置にそうとう?」素っ頓狂な声をあげ、髪を拭った。
 薄くため息をつくのは骸だ。
 前髪を掻きあげながら、もう一方の手でカップを取り上げる。
「僕が家をでたのは、小学を卒業してすぐのことです」綱吉は目を丸くした。
「輪廻の記憶がありましたから、幼子が時とともに形成していくはずのものが最初からありました。異常に早熟した子供に見えたでしょうね、十歳のころからインターネットを利用して商売してました」
 じゅっさい、と、呆けた声で絶叫する。骸は頷く。
「研究を進めるにも家を借りるにも資金が必要でしたから。赤子の時期すら煩わしかった。ろくに動けないし頭も回らない」
「は、はあ……」
『もうほとんど、別次元の話だなぁ……』
 ブラウンの瞳は、呆けて骸の頂点から爪先までを見つめた。骸は悪戯っぽく微笑んだ。
「海外製品を日本に紹介するバイヤー業をやってましたが、聞きたいですか?」
 慌てて綱吉が首を振った。さらに微笑みを深くして青目は黒い水面を見下ろす。
(粗悪品は苦いだけ。この話も同じに苦いだけなんですよ、綱吉くん)
「中学二年の時に事態が変わりました。父親の事業が失敗した。借金だらけになった。彼らは僕のマンションにやってくるようになりました。心配だからいい加減に戻って来いと、言ってましたけど……魂胆がみえみえでイヤですよねえ」
『そういえば、確か、前に骸さん』
『家族の人には酷いことを言われて、今は金をせびられてるって言っていたっけ。それで、心が。心なんか見えないって叫んだんだ』
 青い視線が細められた。
 綱吉へ向いているが、見てはいない。
「その内、親の権限だといって、無理やり通帳を持ち出したりマンションに上がりこむようになりました。派手な喧嘩をやらかす事態になりまして、咄嗟に魚人の能力を使ってしまった。彼らは本格的に僕を怖がるようになりました」
 骸は脳裏に浮かんだ光景を見つめていた。
 頭の禿げた男に少年が殴られていた。女が二人、男が一人、遠巻きに眺めている。
『親を見捨てるとは、おまえはそれでも人間か!!』
 父親、と、そう呼ぶべきはずの人物を、少年は仇を見るほどの眼差しで睨みつけていた。姉と弟と呼べるはずの人間は、ふたりで、ひそひそと何事かを耳打ちしあっている。
 喉を通って発する声と、魚人の能力ゆえに聞き取れる心の声。
 人間味のカケラもない。鬼のようなガキ。ヒトの心をもっていない。
 そうした言葉の羅列が四方から聞こえて、顔面を殴られて、少年は口角から垂れる筋に気がついた。あたたかい。体をめぐる真赤は、彼自身が呪う生き物の魔力によって武器となる。
 何度か壁に叩き付けられるうちに、その筋を掬っていた。
 闇夜を悲鳴が切り裂いて、刺された男はもんどりを打った。
(殺してやろうと思った。でも、できなかった)
 女の一人が泣き喚いて男と少年の間に立った。
 雷に打たれた気がして刃を下げた。髪をふり乱して泣き叫ぶ姿に感じたのは、恐れと羨望だった。
(これが、母親という存在なんだと思った。例え彼女が僕を化け物と罵っても)
「それで……、一人で暮らしてるんですか? お父さん達は骸さんの居場所を知らないんですよね」
「チチオヤは知らないでしょうね。知ってたら、目を血走らせて上がりこんでくることでしょうよ。僕はそれから何度か引越しました。最初の引越しで、父親と姉、弟は僕の居場所がわからくなったでしょう。……母親だけは、毎回、私立探偵を雇って僕の居場所を突き止めてくるんですが。今回も例外ではなかったようですね」
 ちらりと青目は紙の山を見据える。
 両手で掬い上げると、ゴミ箱の上に運んで散り散りにさせた。
「学校への出入りがあるんで、実際には難しくないんです。この女は毎回のように、怒ってないから帰ってこいと書く。それでいて僕が何十万かを銀行に振り込むと、手紙をよこさなくなるんですよ。面白いと思いませんか? これほど滑稽なことはない」
「骸さん……」
 ブラウンは、窄まって背中を見つめていた。
『達筆すぎて読めなかったけど、裏にあった名前は六道じゃなかった』
『ロクドウムクロって本名とは違うんだ。骸さんが、違う名前を名乗ってることをからかって、片仮名で書いて……そういうことなん、だ?』
 確認を窺うニュアンスがあった。
 振り向いた青い瞳は、無感情に告げた。
「六道骸は僕の魂にふさわしい名です」
「むくろ、さん。教えてくれないんですか。本当の――」
「いっときますが。君には尚更に教える気がない。あちらの名を僕に当てて考えるでしょう? それを思うのも嫌だし、聞くのも嫌だ」
 綱吉は沈黙した。アルミの底で紙切れが冷えていったが、骸は振り返らなかった。
 チェアに深く腰かけ、明日にでも金を振り込めば大人しくなるだろうかと、思いながらもコーヒーを淹れなおしていたところだった。沈黙しきりだった少年が、口早に告げた。
「でも。せっかく親御さんがいて、兄弟だってあるのに。悲しいですよ。仲直りはできないんですか」
「……綱吉くんには、リボーンがいるからそう思えるんでしょう?」
 骸本人が思ったよりも、投げやりな声がでた。
『あっ』と焦った声が少年から聞こえてくる。
 インスタントの細粒が湯の渦に巻き込まれていった。
「決定的な差だ。君達は人魚を分かち合える、けれど僕は分かち合えない」
『しまった……。また無遠慮なことを』
 にわかに汗を滲ませる綱吉に骸が浅く笑顔を返した。
 気にせずに、と、やはり浅く笑って語りかけた。力がない言葉に、綱吉は、自分より歳が上で、精神的には遥かに上で、しかし人間的には幼い面を多重に抱えている少年を傷つけたことを悟った。
 きゅっと唇を噛んで、綱吉は顔をあげた。
「どーして、そうやって変なところで笑うんですか」
「では泣けと? 笑えば君も少しは安心するでしょうに」
「そうじゃない……」ゆるくブラウンの髪が左右に振られる。
 再び沈黙が続いた。骸の意識は自然と悩みはじめた綱吉に注がれた。
『どうして、この人にはこんなことばかりなんだろう』
『これも魚人の呪い? そんな酷い――、ああ、でも同情されるのも好きじゃないみたいだし。なんて言葉をかけりゃいいのか、わかんないよ』
(言葉などいらない。そこにいるだけでいい)
 喉までせり上がった言葉を、しかし骸は無理やりに抑えつけた。
 深層に近い言葉だ、綱吉も無意識に呟いているのだろうと、そう考えた結果である。
 コーヒーに口をつけた。胸に苦いものがわだかまっている為だろうか、それともやはり粗悪品なためか、と少年は独りごちる。心地良いはずの苦味を感じなかった。
 二度、喉が上下したところで、少年が心中で叫んだ。
『そうだよ!』顔をあげてさらに叫ぶ。
「骸さん!」
 綱吉は胸を叩いた。
「俺とリボーンを兄弟と思えばいいんだ!」
「……はい?」
 満面の笑顔で綱吉が続ける。
「ウチにくればいいんです。二番目の兄貴になるんですよっ。一番下が俺で、真ん中が骸さんで一番上がリボーン! ものすごくピッタリくる組み合わせじゃないですか!」
「え……。兄? ぼくを?」
 今度こそ、コーヒーの味が吹っ飛んだ。

 

 

 

 

 


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