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魚の血脈

 

 

 


 
 六道骸はドアを蹴りつけた。
 かげった廊下に白光が注ぎ込まれる。後ろ手で扉を閉め、玄関に倒れこんだ。
 後頭部がウチと外の両側からガンガンと引切りなしに叩かれるようだった。無理やり靴を脱ぎ、ほふく前進で寝室に向かおうとした。
 研究室の扉が開いて、八頭身の大男が姿を見せた。
 彼には合鍵を渡してあるのだ。思い出して、骸は舌を打った。
「細身の巨漢って、変な言葉だと思いませんか」
「オレに言ってんのか?」
 切れ長の瞳が吊りあがる、が、すぐに丸まった。
 リボーンはまじまじと骸の見下ろし、やがて、ニヤリと口角で笑った。
「ずいぶん滑稽だな。なんだ、その手形は」
 骸の右頬は腫れ上がっていた。
 五本指がクッキリと形となって張り付いている。少年の眉間にシワが寄った。
「勝利の証ですよ。一組の男女を破滅に追い込んでやりました」
「おまえ……。ツナと買い物に行ってたんだよな? どこをどう間違ったらそうなる」
「そんなこと、僕こそ聞きたい。言っておきますがあちらも自業自得だ」
「妙な遊びにアイツを巻き込んだのか? まさか飲酒までさせたか」
 語尾に冷気が混ざっていた。骸はつっけんどんに返した。
「ご心配なく。綱吉くんは逃げちゃいました」
「逃げた?」怪訝な顔をするが、返答がないのを悟ると、頭に帽子を被せた。
「その様子じゃ今日の採血はナシか。ツナにも伝えとくぜ?」
 日曜に血を採ることに決めてあるのだ。やはり返答はない。
 靴をはく前に振り返ると、骸は額を床につけて沈黙していた。肩を竦め、黒い革靴を引き寄せる。朝日の中に去ろうとしたところで、「待ちなさい」と、うめく声がした。
「帰るなら……。僕をベッドに運んでからにしてください。なんか、もう疲れて面倒臭くなってきました。でもここで寝て風邪ひくのも寝違えちゃうのもイヤなんです」
「酔ってんのか?」
 あからさまに眉を顰めるが、今度こそ骸は沈黙した。
 ゆるくため息をついて、リボーンは少年を肩に担ぎ上げた。
「度胸がいいのか図太いのか。どっちかにハッキリしてほしーもんだぜ」
 寝室に踏み入るのは初めてだった。ベッドと本棚、小さなテーブルがあるだけの狭い部屋だった。ベッドに放り込むと、少年は礼もなしに布団の中へと潜り込んでいった。
「嫌な予感がしたぜ。もしかして、ツナもこんな状態ってか?」
 予測が真実であるかどうかは骸の知るところではなかった。
 しかし、昼を過ぎたころにチャイムが鳴り、さらには扉の向こう側から沢田綱吉の声を聞くと、骸はリボーンの言葉が脳裏にこびり付いていたことに気づかざるを得なかった。
 脱いだ服を洗面所に放り込み、汚れていないスウェットを引っ張りだす。幸いにも頬の腫れは退いていた。ドアを開けるまでに十分は経っていたが、少年は根気よく扉の外側で待っていた。
 挨拶より先に、新聞紙と白封筒とが骸の鼻先に突き出された。
「あ、あの。これがポストに入ってました」
 綱吉がペコリと頭だけをさげた。目を頷かせ、少年をリビングへ通した。
 客間と兼用している一室である。ソファーに腰掛けながら、綱吉はテーブルに郵便物を広げた。所在のなくなった指先は、数秒を宙でさ迷ったが、やがてパーカーの袖を握りしめて落ち着いた。
「アルコールの匂いがしますね。あの後、お酒を飲んだんですか?」
「未成年の飲酒はダメだとでも言うんですか。煩くしないでくださいよ、まだ頭に響きます」
「だから採血しないんですか? そんな、俺たちって呑気にしてられる状況じゃないと思いますよ。骸さんやリボーンは一刻を争うんじゃ」
「蓄えがあります。一週くらいは補える。君は、そんな忠告をしにわざわざココまで?」
 トゲの立った喋り方だった。
 綱吉は目を伏せた。テーブルにココアの入ったマグカップが置かれた。
 インスタントコーヒーのパックを放り、向かいのチェアに腰かける。茶色い細粒を自らのカップの底に盛った。綱吉は、じぃと、少しばかり覚束ない動きをする骸の指先を見つめた。
「あの。昨日のこと、怒ってますか?」
「怒っていませんよ」
 力なく返して、カップに湯を注ぐ。
『本当に? 骸さん、インスタントってよっぽど疲れてるときしか使わないのに。いつも不味いって文句いってるじゃないですか』
「…………」スプーンで掻き混ぜ、口に含む。
 苦味はあったが深みはなかった。
『俺のせい。です、よね?』
『今日は行かなくていいってリボーンに言われてビックリしました』
『どうしたんだろうって思った。やっとわかりました。俺、自分のことばっかり考えてた』
(香りも薄い。引き伸ばしたかのように)
 青い両目を閉じて、骸はさらにカップを傾けた。
『骸さん。聞こえているんでしょう。無視しないで下さい』
「僕なりに気を遣おうとしてるんですけどねえ」
 綱吉は怯まなかった。グっと息を貯めてから、言い切った。
「ごめんなさい。一番辛いのは、骸さんだったんですよね」
 ごくり。喉を鳴らして、カップを下げる。
 青目は開いていたが、閉じる寸前のようにギリギリまで細められていた。
「気付かなくてバカでした。許してください」
 と、少年は不安に怯えた声音で告げた。
(僕は本当に怒ってはいないんですが)身を乗り出しながらも、綱吉の肩は緊張で凝り固まっていた。ブラウンの瞳を揺らめかして、骸の二の句を辛抱強く待ち構えている。
 再びカップを唇に向けて傾けた。
 綱吉に勘付かれないように、水面に向けて浅くため息を吐く。
(ただ、……ただ? ただ。そう、ただ、君が逃げだしたことが)
(それが)カップを下ろすなり、骸は頭を左右に振った。
(ただ、それが、ショックだっただけで)
「いいです。僕だって、この心の声が聞こえていたらと思うと動揺するでしょうから」
 内心で自らの言葉に強く頷いた。この心を聞かれるなど耐えられない。
「綱吉くんが気にしすぎることはない」
「でも、俺……。無遠慮すぎて自分がイヤになりましたよ」
 恐る恐ると上目で窺う綱吉に、ニッコリした笑顔を向けた。
「読心のスキルについては、僕はもう負い目を感じないようにします。綱吉くんもそうするといい」
『骸さん』「それよりも」言い募りかけた思考を骸が遮った。
「約束はまたすればいい。来週に、また行きませんか?」
「は」ブラウンの瞳が丸くなる。
「ハイ!」
 ニッコリを綱吉が返す。
 骸は満足げに目を細め、笑いを浮かべたままでコーヒーカップに口付けた。綱吉もマグカップを取り上げる。安堵してこのココアが呑めることを彼は心底から喜んだ。
 何度か通うあいだに、骸は正確に綱吉の好みを把握していた。
 甘味を抑えたメーカー製品を調達し、数種類のレパートリーまで用意してある。その中でも一番のお気に入りの味だった。甘味に、若干の渋みが混ざる。しかしカカオの深みは生きている。
 骸だけが作り出せる味で、綱吉には六道骸の七不思議の一つだ。
 秘訣は冷蔵庫の包み紙にあり、カカオ分の高いビターチョコレートを刻みいつでも取り出せるようにした仕掛けだが、骸にはさらさらに教える気がなかった。
 たまに、少年はココアを飲みにマンションへとやってくる。思い出したように骸が呟いた。
「昨日は絡まれたんですよ。カノジョなんてのもいませんから、本当に君とだけです」
「はあ……。そうなんですか。骸さんってよりどりみどりに思えますけど」
 浅く笑って骸は否定をした。来週の行き先を話しはじめて数分。
 ふと、思い出して綱吉は白封筒を持ち上げた。
「そうだ。これ、なんか変なんですけど……」
 達筆な筆文字で送り主の名があった。
「へん?」返す声が乾いていることを骸は自覚した。
 表には歪な片仮名が書きなぐられていた。ロクドウムクロとある。

 

 

 

 

 

 


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