リングとミリオン:ターン9
「くる」
生後六ヶ月以内の子牛から剥かれた、キメ細やかなカーフ革を屈伸させて、彼はやわらかに靴の先から着地した。
ふわり。
風を受けて、ワイシャツはシルクのように艶めく。
ジャケットの裾もわずかに浮き、すぐに戻った。
黒衣のようなきっちりしたスーツを着込んでいるが、身のこなしになんら支障はないと見て判る。どれもが最上級の品々だった。
彼は、高層ビルの屋上に足を着けるなり、下界を見下ろした。
灰色に汚れたコンクリート。雨水の跡。密集する雑居ビル。
高さが抜きん出ている、だがそれだけのテナントを詰められるだけ詰めた雑多なビルの屋上。
見下ろした果てに、彼はあごを高く持ち上げた。
――青い――
平凡な、よく晴れた空が広がっている。
彼は、まなじりを搾ってしばしの愛郷に浸る。
唇は音を洩らさずに横に伸びて、尖って、そして開いて終わった。――『なつかしいな』
出現とともにしんしんと立ちこめた白煙が引き始める。彼は耳にかけたヘッドフォンのボタンを操作した。
炎の文様が描かれた、小ぶりなヘッドフォンである。
「……新世界に到着。座標、エラー。目標までの距離と到達までの経路を割り出してくれ、スパナ。正一」
ぴ、ぴぴ、音漏れのようにアラームは聞こえてくる。
『待って、ボンゴレ』
『五分で終わらすよ!』
「了解」
ヘッドフォンにかける人差し指を放し、短く吐息を吐く。
幼さの目立つ童顔に疲労感が滲んだ。下でもなく上でもなくぼんやりに前方を見つめる。
町がある。車のクラクションが響く。歩く人々の流れは遅い。
人の笑顔、散歩する犬、子どもたちの姿……。
ありきたりの町並みを眺めるにつれ、眉根がゆがんで曲がった。一言のみを呟いた。
吹き荒んだ風が、冷たく乾き切った瞳をさらう。
「信っじらんねーほど平和……」
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