リングとミリオン:ターン10 

「ミリオンワールド」







「つなよし。寝られない?」
 浅い暗闇にトーンの弱まった声がする。
 ほんの少し前に、母親はこっそりと毛布から抜け出た。
 今は水の流れる音が台所から聞こえる。
 うん、答えながらぬくもりを期待する。向こうもうれしそうに歌った。
「いけない子だ。ダメな子ってやつだ」
「……うん!」
「そういう子は添い寝するんだよ。知ってた?」
「うん……、いいよ、きてー」
「あまえんぼさんだー」
 毛布をめくったそばから、人肌のぬくもりが抱きつく。こちらも抱きつき、体温の心地好さに目を閉じる。
 よしよし、頭が何度も撫でられる。
「ダメなんだから……でもいいよ、そのぶん僕が完璧になってあげるから」
「かんぺき?」
「ツナとはちがうってこと」
 満腹になっているように、満足な声だ。
 きっとやさしい顔がある。それが見たくて目を見開くと、闇の色が突き刺さってきて目玉が染みた。
 思った通りに、安らかにふわっと笑う頭はあった。
 その頭を抱きしめればパイナップルの房が飛び出すみたいにして、両手のすき間から柔らかい髪の毛が漏れた。
 鼻で胸元が押されて頬ずりをされる。――「ちがうからずっといっしょなんだよ、ツナ」
 目を丸めながら目蓋を開き、
「…………」
「…………」
 少年たちは、目と目を見合わせた。
 がばっ!!
 毛布を引っ剥がしてベッドから転がり落ちる骸に、飛び上がるようにして壁に貼りつきになる綱吉――、両者ともに顔色を青くして口を絶叫の形にさせる。
「ふっっ、服っ! 綱吉!!」
「はぁひっ!!」
「きゅ、急に……っ、どういう現象だほんとに! って綱吉! これパジャマじゃないですか!?」
「下着、トランクスでいいのか!?」
「ハアアッ!? 君の下着なんて――、…ってまて、ノーパンでいさせるやつがあるか! 貸しなさい、君のパンツ」
「パンツって言い方すんなよ!! 恥ずかしくなるわ!!」
 目を剥き、複雑そうにツッコミする綱吉に、骸も複雑そうに眉と口角をひん曲がらせる。
 体に巻きつけた毛布の下は、ごそごそと着替えをはじめた。
 綱吉は、自分の頬っぺたを掻きながら、それを遠巻きにする。汗が滲んだ。
(……骸ってオレが好き――…、て、マジで……?)
 昨晩。兎化も一日限定だと夜の町を帰りながら教えてもらった。
 二十五歳の容姿を保っている青い瞳の男は言う。
『今朝は、君達が眠っている間に撃っておきました。サイレンサーをつけてね。しかし綱吉くん、一緒に寝るのはどうかなと。アレは君に劣情を抱いてるんですからね?』
「そ、そうなんですか、……そうなんですかぁ……!?」
『それに、仕組まれた約束であるにも関わらず、許嫁なんて与太話を真に受けはじめている。君は、――六道骸にとっては天使……どんな人間よりも、魅力的ですよ』
『んなああっ!!』
 大人びた骸のようで実際に骸本人であるガイに、にっこりとまっすぐに言われてしまうと、カーッと頬は発火した。
 褒め殺しのようで、居たたまれない気持ちを抱えて逃げ出したくなった。並んでゆっくりと帰宅した。
 帰れば、綱吉にはクロームが飛びつく。デイモンも感想をきいた。兎は、その間は食卓にてレタスを囓っていて、綱吉が自宅に連れて帰っても目も合わせてこず、むすっ……としていた。ガイとのデートですっかり機嫌を損ねてしまった。
 綱吉といえば、おおもり遊園での衝撃の告白を経て、足の裏がふわふわし通しだった。
 コーヒーカップの遠心力がぐるんぐるんっと頭に居残り続けた。
(――許嫁を真に受けてるって……オレも、かーっ!?)
 思い当たる節はある。
 骸はイライラしているし、兎になっていようが、ガイとのデートには怒った。
 そうされると、綱吉も知らず知らずに六道骸を意識してしまう。せざるを得ない。
 今朝方、ベッドにて互いの肌をあたためあうような行為すらも、思い出せば幼少期はクセみたいにしてしょっちゅうやっていた……、そう、昔はしょっちゅうだ。
 夢の残滓のようなものが記憶を洗った。
(……そうだった、っけ。骸は、オレのために『完璧』に……なろうって、してくれてたんだっけ?)
 ひいっ! 泥沼に嵌まったように全身がカッカしてきて綱吉は両頬を手に抑える。視界がしらばんで揺れた。
(ヒッ!! な、なんでオレこんな感動するみたいな気分―っっ!? まてよ、骸なんだぞ!!)
「……ぱっつんぱつん……」
 骸は、諦めがちに嘆息した。
 毛布が足元に落ちていて、オレンジ色のパーカー、黒ジャージが、それぞれ七分袖と七分丈になって体をぱんぱんに詰まらせていた。
 彼は分け目がいつものジグサグ模様ではないし、前髪も後頭部の房もごっちゃになって、単なるぼさぼさ頭になってしまっている。
 面構えすら、覇気がなくて疲労が色濃かった。
 やれやれと視線を向けられて、目がばちんっと交差するなり綱吉は仰天する。
「そ、そんな目で見るなぁああああああああああ!?」
「……はあっ……?」
「あ、ふ、風呂、風呂いれてやる!!」
「…………」
 これには、オッドアイが輝いた。
 入浴を終えると、ぱっつんぱっつんの服装でも彼はいくらか清々して見えた。スポーツタオルを首に引っかけ、沢田家の台所にてジュースをぐびぐびと飲む。
 台所のテーブルにて、トーストを囓っている沢田綱吉には苦情を申し立てる。
「そんで君、のんきにメシ食ってる場合ですかね?」
「あんだよ。……お前だって食べるだろ」
 半分まで食べたトーストを咥えながら、綱吉は骸の分をトースターにセットする。
 後ろ頭と分け目を手ぐしで整えながら、骸が半目の目つきになる。食卓の向かいには着席した。
(ていうか!! どこがのんきじゃ!!)そんな彼に、綱吉の胸中はツッコミしまくっている。
(死んじゃうらしーんだぞ!? オレ! それにおまえは右目がゼロになったら死ぬって話だしガイさんは結局はお前だったんだぞ、しかもオレが昔っからずーっと大好きだってさ! おい!! ――オレにこんな情報どーやって説明しろってのさあああああああ!?)
「君、昨日……」
「!!」
「どうだったんですか? あんなにめかし込んで本当に女子のようにデートなんざ出かけてしまってまあ……、しかも相手があの不審者ですよ。何してきたんですか?」
 つんつるてんのパーカーとジャージでちょっと窮屈そうにしながらも、ヨーグルトを取り分けてジャムを投入している。
 心底、軽蔑するようにして深刻に愚痴った。
「それにあの後、僕がクロームとデイモンにどんな屈辱を受けたかわかるか? ペットにされましたよ文字通り!」
「……元気そうにレタス食ってたくせに……」
「なんか胃袋ちっちゃくて消化が早かったんですよね。とんだ恥辱ですよ、ちじょく! 漢字わかりますか? 君!」
 勝手知ったる我が家とばかりに骸は冷蔵庫を開けてナッツの袋まで出した。
 ばさーっ、それもヨーグルトに投入する。
 よく出入りする台所なので使い勝手も朝食の食べ方も身に染みついているのだった。
「電波ばりばりに浴びて気分が悪いです。大っっ変、不愉快だった。六道輪廻だなんだ、僕の知らない話をしてきて撮影会だわお腹からひっくり返されるわ妙なポーズを強要させられるわ大迷惑でした、精神的に衰弱死しますよ!」
「……うさぎになってる間は、おま、あんなに無口だったのにな……」
 たった二日間だが、綱吉は遠い気持ちになる。
 スプーンを口に入れながら、骸は気に障ったように嫉視をする。
「なんですか、それ。その溜息は。被害者は僕なんですがね?」
「うだああああああば!! ケンカは売ってねーっつうのおおおおお!?」
 ついでに食卓越しに胸ぐらをわしづかみにされて悲鳴を上げた。
 ちっ、と強かな舌打ち。乱暴に尻をイスに戻し、足組みして高飛車に朝食を摂るようになる。
 綱吉は、自分の口を抑えて、つい絶叫しそうになるセリフを耐えた。
(そ!! それが!! 好きなやつに対する態度なのかお前ぇえええええええええ!? ってゆかお前ほんとにガイさん!!?)
「ちっ! 本当、鬱陶しいな」
 さらなる舌打ちまで漏らして、ガイの若い姿でもあるらしい骸は堂々と綱吉を蔑視する。
「……大体、……なんなんですか? なんでそんな。たまに気の毒そうな目で僕を見る? 綱吉」
「うええええっ!? お、オレそんな目ぇしてるか?」
「してます、思いっきり。やっぱり君のせいで兎にされたんですか僕は?」
 愛想が尽きたような表情で綱吉を眺める。綱吉は無言になるしかない。
 しかし、頬は染めた。こ、こいつ……!
(こ、こんな態度のくせに、ガキの頃からずっとオレが好きだったってガイさんは証言してるんだけどなあ……!?)
「……なんで赤くなるんですか?」
「へああっ!!」
 奇声を上げて、イスごと後ろに下がった。
 トーストの香ばしい匂いは漂う。
「なんっつーかやりづらい!! お前めっっっっちゃやりづらいわ!!」
「あ゛あ゛?」
 オッドアイでガンをつけられて、綱吉はますます自分の口を両の手で封じた。
 骸は、綱吉の全部が気に入らなさそうに、ガンをつけながらトーストを皿にあげてバターなどを塗布している。
 今にも殴りたそうに、綱吉を注意深く睨んでみせながら。
「理由がわかりませんが? なんで赤くなるんだか気の毒がられるわ涙ぐまれるんだか! いえ、結局はあの男、ガイでしょうが。うさぎの呪いを解くように彼に話をつけてきてくれて、感謝して欲しいってんですか?」
「おっま! おっまえの態度……っっ! 今にはじまった話じゃないけどな!?」
「はあ? ……ありがとうございました、君のおかげで人間に戻れましたー、これで満足ですか?」
「こ、このひねくれ者―っ!! おっまっ……昔っからそういうやつだよ!!」
「はあ?」
 トーストをさくさくと囓る六道骸は、イスの背もたれに寄りかかりながら、怪訝に眉宇を寄せる。
 綱吉は額の汗を拭い、手こずったあとのように歯噛みする。
(な、なんだ、これ、おれが……オレがひとりで焦っちゃってもどーにもなんないんだぞ!! なのになんでオレばっか……!!)
 ムードがおかしい。反応がおかしい。
 そんなことは、綱吉本人だって分かっている。
 が、暴君のような骸の態度でさえ、ガイの告白を経た今では綱吉は額面通りに受け取れなくなっていた。六道骸が沢田綱吉を好きだった……というなら、確かに、その態度は昔っから一貫しているように感じる。
「すな、……素直じゃないんだよっ。お前は……っ、ひねくれ者!」
「はあ」
(でも多分、それってオレがダメツナすぎたせいで――…、のああああああああ!!)
 テーブルに突っ伏し、頭を抱えてのぼせて赤面する綱吉に、骸がまた剣呑に顔をゆがませる。
 綱吉をまんべんなく眺めて、なんらかを見極めようとする。
 手をぶんぶん、左右にふりまわした。
「な、なんでもない、なんでもないからっ!!」
「君がさっきから勝手に騒いで、わあわあと人の顔を見ては態度を変えてんですが? ……ガイと何があったんだか」
「キスしたぐらいだよ」
 目線を逃し、呟く。
 ガイさんの正体をどう話したら――、なんて思案しながらだ。
 イスを蹴った骸に両手で胸ぐらを引っぱりあげられて、綱吉は前方へとつんのめった。素っ頓狂に目を愕然とさせた。
「!?」
「――――」
 オッドアイが大きく見開かれて、窓辺に溜まった朝陽すらも写しとっていた。
 恐ろしく低く、わずかな声量。
 聞き取るのが精々だった。
「充分……、されてるじゃないですか」
「む、……くろぉっ!? んぶ!!」
 風呂上がりの彼は、自分の首にかけてあるタオルを取ると、それでごしごしと綱吉の口元を拭いた。
 んぐ、んうう! 目を白黒させる当人にはお構いなしに、
「――っ、あほか、きみはっ」
 やや甲高い声色で吐き捨てた。
 綱吉はおろおろしてすき間から呻く。綱吉にすると正直な心情だ。
「……だってガイさんが、させてくれって……」
「は? 君、頼まれたら何でもやらせるような男なんですか? なんだそれはセックスでもするのか? アナルでも見せるんですか? ゲイか? …――『んな!』とか叫ばなくていいんで?」
「…〜〜〜〜っっ!!」
 綱吉には、絶句するほどの発見があった。食卓が緊張感に包まれているが、だが、
(な、なに)ぞくぞくっと臓腑がふるう。
 この怖気が一体、どんな感情に属するものだか。綱吉自身でも判別がつかない。
 昨夕、目の前の少年と同一人物であるという未来の男は、青いその両目に愛おしそうな万感を載せて綱吉を掻き口説いたものだ。優しく、熱烈に。そして、――キスを受け容れた。
 その目の青は、今は半分だけのオッドアイになっていて、さらには若返っている。
 骸はさらに罵倒したそうに軽蔑とも嫉妬ともよく似ている怒気を瞳にみなぎらせて、肩を怒らせている。
 けれど、赤面して声を失うばかりの綱吉には調子が崩れる様子だ。
「なんで君、いつもみたいに……?」
 濡れる綱吉の眸子に、オッドアイが近づく。
 くらくらと顔全体が落ちてきて蜜に吸い寄せられる蝶のようにして接近する。綱吉は体が先に理解した。この空気は……
(――オレたち、お、男なのに、――)
 省みてみれば、頭の片隅にそんな意識はずっと停滞している。
 骸はなにかにつけダメツナ呼ばわりして、同性としての立場から綱吉をバカにする。その男性性を否定するように。
 あと少しの距離に迫る唇は、手慣れている男のものにしては、ぎこちなかった。
 ぎし、と蝶番が軋むようにして、短い距離を保ったままで止まる。寸前に踏みとどまるように。
 咄嗟に、綱吉は骸の目の色を凝視して、その右目が『三』から『二』へとぐるんっと数字を減らすのを見た。しゅっとした変化だった。
「…ぎにゃあああああああああああああああああああああああああああああーっ!?」
「うわ、…っ」
 夢から醒めたように骸が間抜けに声を漏らすが、綱吉がその頬につかみかかる。
「目!! 目ぇええええええ!!」
「っ!?」は、と血の気を引かして骸は右目を片手で抑えた。
 指の間から、しかし綱吉にははっきりと『二』の数字が読める。足音をこだまさせて骸は洗面所へと駆け込んでいった。
 どっくん、どっくん、やや遅れて心拍音が鼓膜に貼りつき、綱吉は途方に暮れた。
(い、今っ――……? いや、いや、今!!)
 今、変な気があったようにも思うが、それよりも骸の右目だろう。
「骸っ! もう、次ないぞ!? 次は『一』だよ。その次はもう死んじゃうぞお前!!」
「これ、今の瞬間に、ですか!?」
「ああ! それってお前がオレに、…………」
 カウントダウンの発動条件を口にしようとして、綱吉は気まずくなって視線をそらした。床を覗いて顔を引き攣らせる。
 ……っ、同様になんでもない壁を向き、骸も顔が引き攣っている。
 二人で顔色をころころと変えてしまいながらも結局は骸が口を割った。
「これはそんなもんじゃない。違う!」
「……あ、……ぅあ」
「不良品の苦情出してきます!!」
「……あ、待て、が、ガイさんの発明品なんだって、それは。失敗はしないだろガイさんそれに命懸けてるそうだから」
「ハア!?」
「憑依弾って、いう、らしいぞ」
「綱吉」
 喉元をあ然とさせる幼馴染み。は、一瞬で豹変して奥歯を剥き出した。
 綱吉の背中が、壁に押しつけられた。
「君、――道理でおかしい態度な訳だな!? ガイから何を聞いてきた!! 僕から隠れて二人でどおいう関係になってきたってんだ!?」
「……ちょっ……おおおお……!? く、首絞ま、しま!!」
「吐け!!」
「くびしまぁあああああああっ!?」
 頭部が前後にがくんがくんとなるまで拷問のように揺すられる。
 目が回って膝を崩すと、骸は綱吉は捨てやって廊下を突っ切り玄関を飛び出ていった。ばあん!!
「お、っおい、ま、まへぇ……っ!」
 へろへろするが、綱吉も死にもの狂いで後を追う。
 と、
「――どういうつもりだ!!」
「おや……」
 その行き先は、彼の自宅である隣家のリビングだ。
 房つき後頭部、手入れの行き届いた長髪は金具で束ねて膝下ほどの長さ、流麗な整った容姿。
 二十五歳の兄としてこの家に入り込んだ男、ガイが居た。
 白シャツに千鳥格子柄のロングマフラーをゆるく巻きつけ、明るい黄緑のカーディガンに袖を通している。
 膝に雑誌を広げて、ココア入りのマグカップを右手に持っていた。
 ゼエハアして駆けつけた綱吉を、リビングに仁王立ちする骸がビシッ! 指差した。
「憑依弾、だと? なんですかそのワケわからんものは! いい加減に僕を愚弄するのは止めてもらう、警察だってなんだって呼ぶぞこの不法侵入の犯罪者が!!」
「骸。……話が通じそうにありませんね?」
「なんだと」
 眼頭に危うい光をうつろわせ、オッドアイは吊り上がる。
 綱吉は、知っている。骸はなにをやらかすかわからない。普段、ですますの敬語使いで穏やかな物腰を保っているが、当然、あれらは演技なのである。
 青年と少年の間に、慌てて身をねじ入れた。
「やめろよっ!? 同じ人同士で!!」
 叫びながら、ガイが目を丸くして骸がぎょっと目を剥くのを目撃する。
 ん? 一瞬の間。
 数秒してから脂汗とともに全身をきゅんっと怯えさせた。
「んげぇっ!? い、今のナシ!!」
「……おなじ……!?」
 喉を嗄らして、言葉をつっかえさせて、動揺して骸は真っ正面からガイを見据えた。
 そうして綱吉へと睨みをきかせた。
「どういうことだ」
「あーと、えええっと……!!?」
 しどろもどろして舌を噛みそうになっては一人でわたわたなどして、綱吉はリビングの出入り口へと後退する。
 くす。笑ったのはガイだった。
 マグカップをもう一度、口まで運ぶ。
 喉仏を上下させたのちに、サイドテーブルにそれを緩慢に置き、立ち上がった。
 上背と足の長さがあるので数歩で綱吉の隣に立つ、と綱吉の肩には手を置く。にっこり。
「いいんですよ。そろそろか。君になら曝かれても悔いはありませんから」
「す、す、すいませっ……!!」
「な、……」
 またも驚きに目を瞠る骸は、だがガイと綱吉の空気にあてられたように閉口した。
 青い両目とのアイコンタクトに照れる綱吉であるが、こうなったらガイの後押しには感謝するしかない。手の内側を天井に向けて、ガイと名乗る青年をよいしょするように、身ぶりでジェスチャーをつけた。
「え、えっと。こちらな、あの。七十年ぐらい先の未来からやってきた、お前だってさ」
「…………」
(お…おお、宇宙人でも見るような目!!)
 目、口、顔の要所にしわを寄せて遠くのものを見るように顰めっ面になる六道骸。顔面をしわくちゃにさせて怪訝な反応だ。
 そんな少年の前で、ガイは自らのあごの下の喉へと人差し指を宛てる。
 他の四指は広げて、妙にサマになったポーズで挨拶した。
「はじめまして。未来の君です。僕は、自主的な旅の途中でして……、僕の生涯において最大の失敗を止める為にここに来ました。この身にはもう十年も余命はありませんが、自分自身の断罪ぐらいはこの手でやりたいと考えていますよ」
 綱吉も骸もガイへと目がくぎづけになる。
 ガイがばっと右手を抜き放ったとき、五本指で握られているものは鉛色の拳銃である。
 オッドアイの少年に、銃口はふり下ろされた。
「――お前を殺します」
「が、が、ガイさんっ!?」
「わかってくれるでしょう? 綱吉くん」
 飛び上がっておののく綱吉に、感傷的な流し目が送られた。
 こんな局面になっても色香があって穏やかで、これまで通りにやさしかった。
「潮時です。君と居るのが楽しくって僕はいつまでも夢に浸っていそうでしたよ。ですが、限度がある――例えば僕の寿命のように。骸、お前を殺して良い権利がこの世にあるとするなら僕が唯一、それを所持している。おまえ自身なんですから」
「…――――っっ!」
 虚を突かれてはいるが、目の前にピストルを向けられて骸はさすがに賢かった。家具を盾にするようにしゃがんで、手早くリビングから逃げようとする。
「!!」それに気づき、綱吉は綱吉でガイの胴体にダイブして抱きついた。
 自分の声は遅れて耳に届く。
「――逃げろ、骸っ!!」
 頭上からは、胃酸が逆流するような圧迫感が……、迫った。殺気を知らない綱吉でも殺人のイメージが走って背筋が凍る。
 ぱ、空気が炸裂する。
 病院でも聞いた発砲音であるかに思われた。
 が、実際は『パキィンッ!』といった弾いた音で、銀色に研ぎ澄まされたぎんぎらの刃物がきらめいた。
 それは、二つ折りの三日月のような形状をしていて、空想上の死神が持つような大鎌にそっくりだった。
 それを片手にふりきって、エプロンのフリルを一斉にびらびらとなびかせる青年が、転んだ骸の前に鮮やかに着地してみせた。
「ヒィイイッイッイイイイイイ!?」
 混乱して絶叫する綱吉。
 ものともせず、異常なほど冷静に、伶俐な面持ちで彼はエプロンとフリルを揺らし、大鎌は両手で構えて警戒態勢に入った。
 ここしばらく、六道家の台所を預かっていた男――、デイモンだ。
「貴男はこの世界線上の骸でしたか!」
「……奇っ怪ですね」
「同じ穴の狢ではないですかね? 監視は私の仕事! 思い人にほだされて胸の裡まで明かすとは、いくら齢を重ねようがさすが人間といったところでしょう」
「まるで自分は人ではないようですね。あのクロームなどという小娘はともかく……、お前は、誰なんですか?」
 珍しく本気で疑問がっているようだった。
 うすく微笑み合って、ガイとデイモンはそれぞれの武器を手に距離をわずかに詰める。
 ぬふふ。不敵に鼻を笑わせて、デイモンがむしろ嬉々として自己紹介をした。
「私はこれでもボンゴレの名を背負っていますから。見抜かれてはとんだ名折れでしょう! 好きなふうに、どうぞ、先駆者とでも先輩、同僚、友人、あるいは下僕など。どれも正解でもあり不正解でもある。あの少女との師弟関係は一昼夜で語るのはとても困難な話です。が、私個人としては」
「っ?」
 水色の瞳が刹那的に綱吉を見つめる。
 綱吉が目線を返すより先に、ガイへと戻された。
「――…ある男への贖罪の過程です。我がドンの安息こそが我が幸福、この世界の顛末もまた彼へのすばらしき寝物語となるでしょう」
 笑っている顔のガイが、一言でまとめた。
「つまり、相容れない。と?」
「そのとおり」
「そうか。許しません。骸は殺す」
 年長者同士、独特の交流があったように綱吉には見えたが、ガイは素っ気なく感慨すらもたずにデイモンを敵として認めた。
 手の内でちゃっちゃと弾丸を入れ換えている彼に、さすがに傍にはいられず、綱吉はドアへと後じさる。
「そ、そん、な、骸…さん――、っだ!?」
 乱雑に、プルオーバーパーカーの首根っこがわしづかみされて、半ば引き倒して持っていかれた。幼馴染みの少年の手だ。
 顔面を蒼白にして、しかし眉の間は険しく隆起させて、骸は悔しげに奥歯を噛んだ。
 耐えかねたように、綱吉を自陣へと引きずり戻していく。
「君、一体、どっちの味方だ!?」
「骸っ!」
 そのオッドアイをふり返り、綱吉はなぜだか心臓が切なく締めつけられた。骸にそんな顔をさせてすまなく思える。
(……っ!?)
 ばっ、と少年らを庇うように、デイモンが右腕を広げた。
「逃げなさい! クロームが貴男方を必ずや守るでしょう」
 ガイは、やはり薄く笑っていて、ひたっと貼りつく眼差しで六道骸を追尾している。そしてそれに気づいた綱吉からの視線は、すぐさま拾い上げた。
 両方が青い瞳。瞳孔は黒くて、今の骸にはない眼差しである。
 この渦中において、綱吉は自分でも不思議なことに、……腹が立ってきて反抗心が芽生えた。萌芽する感情に自分でも驚く。
(骸)オレたち、ただの中学生なのに――、なんでこんなめに!
 この短い期間に、幾度もそう思い詰めた。
 デイモンが駅ビル通りを口にする。
「彼女は今朝、そこに行った。走るのです!」
「……だってさ、骸!」
「綱吉……」
「行こう」
 自らの足で走って、綱吉はガイから顔を背けた。
 せまい廊下でごった返しながら、骸とは目と目を通わせてなんらかのシグナルをやりとりする。
 不安が残されたオッドアイが、決意の決まった瞳に困惑するように苦み走った色を浮かべた。彼の手は、素直に下へときて綱吉と手と手を結んだ。
 そのとき、照れて赤面しそうになるのを綱吉は必死でがまんした。
(で、でええいっ! テレるやつがあるかっ! お、オレには、こっちが現実なのは当たり前なんだから――っ骸は男だけどオレの大事な幼馴染みなんだ!!)
 ばん!! ふたりして玄関の扉を開け放ち、駆け出す。
 はずだった。
「な……っ?」
 目に沁みる青空が外界に広がっていた。
 その空の下にて、六道家の敷地へと踏み入って玄関に向かってくる男が既に居た。
 ――高級そうな革靴、全身に完全にフィットしたオーダーメイドらしきブラックスーツ姿、それでいて関節部にはサポーターを巻き、耳に小型ヘッドフォンが装着してあった。
 その顔立ち、薄茶色の瞳。
 綱吉は、見覚えがありすぎて立ち止まった。同じく骸もぎくりとして止まる。
 結果、そんな青年は、悠々として土足で玄関をあがった。
「なんだ?」
 目を細めて廊下に目を配る。
 青年――、青年になった沢田綱吉のような背格好と容姿の彼は、両手に嵌めているグローブとそこに刻印された紋章を掲げてその腕をクロスさせて、なにやら準備する。
「随分、ややこしくなってるんだな?」
 廊下に雪崩れ込んできていたガイもデイモンも交戦を中断していた。
「まあいい」早々に訪問者は疑問を流してしまう。
「――俺はリングを探している。骸、差し出してくれ。時間はない」
「…………!?」
 一同の視線が、オッドアイの骸に集まった。
 本人は、瞠目している。息を絶って新たな闖入者の名を恐る恐ると声にした。
「つなよし……?」
 青年が、単に頷く。
「な、な。……なんだ……、これも?」
 綱吉、ガイ、デイモンを順繰りに確認する骸だったが、誰もがなんらかの驚きと警戒心に顔をゆがめている。
 綱吉は、総身の毛が逆立った。
 本当に沢田綱吉だ。もう一人の自分。
(なっ……ん゛な゛――――っ!?)
 童顔なような気はするが、面立ちは縦に伸びた。
 目線もちょっと高くなった。凜々しく両目を眇めて、感情表現もうすくてガラスに近い透き通った雰囲気のある青年。中学生の自分とはえらい差があるな、と率直な感想である。
 綱吉の未来の姿らしき彼は、何気なく手を開き、紋章入りのちいさな小箱を見せつけた。
「……異常を確認するために町に出たクローム髑髏がいただろう? 彼女はここだ。俺にリングを差し出さなければ、命は保証しかねる」
「!?」
 理不尽――そんな概念は、昔っから死んでいた。
 若者社会では顕著なものだ。つまるところ、弱ければ死にざまを無残に晒すほかない。
 彼の手にある筺は、中央に紋章が刻んであって、クロームの目のようなアメジスト色になっていた。
「……うわああああっっ」
「ぐっ!」
 がたたっ! 骸の首元にあっという間にスーツ姿の綱吉が潜り、その胸ぐらを片手で突き上げた。
 綱吉は、馬鹿のようにして隣で叫声をあげてふるえた。
「リングはどこだ! 素直に出すなら、命は奪わない。言え! お前、死ぬ気の炎を潤沢に吸わせたリングを所持しているだろう!」
「なっ、あ――…?」
「吐け!」
 壁に叩きつけられながら、骸は呆然とし通しで青年の顔に目がくぎづけされている。
 自嘲気味に、ニヒルに鼻が鳴らされた。
「おまえが、まさか俺を庇って真っ先に死ぬなんて、な。――残念ながら、俺は死体には慣れてるぞ。さあ、交換としよう。大人しく差し出して貰う」
「な、……んのことだ……か」
「ならば思い出せ、必ずここにある!」
「ぐぅっ!?」
 背丈こそは少年の骸と同じぐらいであるのに、青年は易々と腕一本で六道骸を宙づりにした。
 口先で遊ぶように「素直に吐くなら優しくしてやるよ?」と、誘惑する。
 なんとも婀娜っぽくふしだらな表情をする沢田綱吉である。
 しん、と思わず静まると、内部からなにやら叩く音が続いた。閉じ込められた少女の悲鳴だった。
『――だめ!! 白蘭に侵攻されてる世界!! デイモン!!』
「……おやまあ」
 必死の呼びかけに、デイモンが目をぱちくりさせた。
 彼なりに酷く驚いているとは、短い付き合いの綱吉でもわかった。
「時間が入り乱れてしまいましたか……、世界線が交わりすぎてしまった、ある種のバグですかね。美味しい飴に――、アリがたかるように!」
 大鎌がすばやく一閃すると、二十歳半ばごろと見受けられる、細いスーツの沢田綱吉は難なくナナメ上へと跳ねた。
 壁と天井に手をつき、玄関を背にして出口を塞ぎ、居並ぶ人間を視認する。
「どんな事情かは知らないが――、おまえらも現存するワールドに可能性を賭けてジャンプしてきたんだろ? 争奪戦か」
 そして最後には床にて尻もちしている六道骸を見据える。
 その視線の強さは並大抵の感情ではなかった。
(んなあっ!?)
 綱吉ですら肌身に実感して鳥肌が立った。
「かもしれませんねぇ。ここは、誰かさんと誰かさんが最も『普通』でいてかつ『両思い』でいられるワールド。確率はミリオンといったところなのですが」
 デイモンが笑いまじりに同調する。さらに、喉が太くなった骸の声が混じった。綱吉は背後に忍び寄った背高な影を見上げた。
「選択を誤ると、この地も焦土と化すんですけれどもね」
 廊下にでてきて、ガイは瞳の縁取りを拡げて酷く興味深そうに沢田綱吉へと視線を注いでいる。
 骸が、壁に手をつき、どうにか自力で立ち上がった。
「ど、……いう、どういうことだ。あんたらは何の話を……!?」
「「『普通』な貴男がたを褒めてるんですよ。ンーッ、素晴らしき友情! こちらにきてから私は感心したのですよ! 骸、特におまえは自分をよく律している」
「電波は、もう聞き飽きてるんですが……!」
「笑ってしまうよ」
 侮蔑のニュアンスも濃く、青年の沢田綱吉。まるでマフィアのように恐い感じがある。
「友達なのか? あの骸と俺が?」
「……お、幼馴染み……」
「ははは。どーせ、骸はチョコばっか食い散らかしてろくでもないんだろ? 幻術が使えないこんな世界じゃあ、ぶくぶく肥え太って見てらんないんじゃないか? 見物だよ」
「?」
 骸は不審げに眉間をしわ寄せる。
 その反応ひとつで、大方を察したらしく青年は目を細めた。ああ。そうか。短く、ひとり納得した。
「チョコレートは好きじゃない、か。なるほど別人だな。どいつも、……どこもかしこも変な世界線だな。だが、リングは回収する。俺の世界じゃリングの精製が盛んだ。六道骸の思いの丈が詰まった逸品なら、霧のボンゴレリング以上に有用なアイテムになるはずだ」
「……ゆびわ?」
 うつろにぽつん、囁く。
 それはガイだった。青年の綱吉がガイにも目を配った。
「なんで骸が二匹に増えてんのか、事情は聞かずに置こう……俺には関係がないからな。骸。クロームの命は惜しいだろ?」
「ドン・ボンゴレ。そちらの交換条件は私がお断り申し上げましょう」
 水色の瞳の魔法使いは、かしこばって会釈をしてみせる。主人を前にする召使いのようだった。
「白蘭は、いずれ壊滅する……。彼の能力の消滅はコチラでは既に確定済みの事象です」
「馬鹿を言え。いいか? こっちは今、戦争中だ。今にも終わりそうなんだよ、よその連中は黙って指でも咥えてろ! 六道骸!」
「!」
 呼びかけに足をふるわせる骸は、三者の誰にも近づけずに立ち尽くした。
 傍に居る綱吉は、口をぱくぱくさせて青褪めるだけだ。
「いいか? お前がリングの引き渡しを拒むのならば、例えこの世界が平和だろうが俺はなんだってやる。クロームは死ぬしお前を殺すしそこにいるもう一人の俺だって殺す。さあ、差し出すんだ」
「……ちょ……っ、ちょ、ちょ!! まってよ!!」
 干涸らびる喉の痛みに苦しみながら、だが綱吉はよろりと前に一歩進んだ。
「お、オレなんだろ!? オレがなんでそんなアクマみたいなこと言っちゃってンのーっっ!?」
「どけ!!」
「ぎゃあ!?」
「!」
 骸とガイが反応した。
 払いのけられた綱吉の肩を手で受け止めたのは骸で、首に巻くロングマグラーを一周分、首からはねのかして発光させたのはガイだ。
 がぎ、聞いたことがない硬い金属音が響き渡って、マフラーは千鳥格子柄がまったく見えなくなるほど白く光った。蜃気楼のような炎がゆらりと立ち昇って狼煙になる。
 ――がぎぎっぎぎっぎいいいいん! 
 この世のものとは思えない、異常な衝突音がこだまする。ガイのそれが防御壁を生んでグローブの手をはね返した。
 綱吉は咄嗟にどうしてか夜景が脳裏に再生された。
 おおもり遊園からの帰宅途中。それぞれの家に別れる前に、ガイは敵わなさそうに綱吉に苦笑した。
『なんだかツッコミが手厳しくなりましたね。幼馴染みと知った途端に』
『んなっ!! だ、だって、そんな、骸ならっ……!! なんだってそんな発明家になっちゃってんだよ!? しかもコーヒー飲めないしチョコ好きだし味覚まで変わって!!』
 ニコニコする彼は人差し指を立てて、格言のようにして言った。
『チョコはこの世で最も美味しい食べものですよ? 僕もう歳ですし、好きなものだけ食べてなにがわるいんですかね』
『しょ、小学生のとき、好き嫌いすんなってすっげー苛めてきたくせにーっ!』
『あー。してましたねー。ダメな綱吉くんをいぢめるのは趣味でしたねぇー…。当時はネタに事欠かなかったですねぇ』
『ほら! ほら!! 思い出話になるとやっぱ素で酷いこといってるよ骸だよ!!』
 両手の指をわなわなさせて、天地がひっくり返ったようにツッコミしまくる。
 さらに話は遡って、おおもり遊園から出るときだ。
『このマフラーは延命装置でもあるんですが充電器のようなものでもあって……。半分はもうタイムトラベルで消費しましたがね。でも君が寒いなら、貸しましょうか? 普通にマフラーとしても使えますよ』
 ――ばちぃいいんっ!! 視界が爆ぜて、衝撃波によって転ばされた。
 綱吉は即座に起き上がってガイを探した。
「む、骸!! 無事か!?」
 彼は、青年マフィアのような沢田綱吉の真っ向、真向かいにて自分の足で立っていた。
 沢田綱吉の質問に、簡単に答えた。
「……お前は、どこの六道骸だ?」
「ただの六道骸ですよ」
 はたはたと半分ほどいてあるマフラーが揺れて、それが再び光を帯びる。
 後ろ手に沢田綱吉が玄関の扉を閉めて、空気を制圧するように風を中断させた。両手に嵌めるグローブがなにやら突き出される。
 大急ぎで、綱吉はガイのカーディガンを後ろから引っぱった。
「骸!! お前も下がれって!! 骸っっ…戦わないで。っつーかウチんとこの骸を殺す必要もないですからね!?」
「…………」
 青年たちがちょっと驚いた目をして単なる中学生を流し見る。
 綱吉は、ガイの前に立って、自分と同じ顔ではあるが、自分とはまったく異質な青年にも叫んだ。
「おれ、オレだってそうだろ! おまえがオレなら、誰かを脅したり殴ったりするワケない! 難しいコトはわかんないけど、話し合えばわかるよ。相手を傷つけてでも奪うなんてオレならイヤだろっ!」
「……ムリだ。何を言ったところで世界線が違うお前たちには無意味。リングだ。リングだよ、骸。リングが手に入れば俺はそれでいい」
「……リング、など、知りません」
「それは嘘だ」
 すげなく吐き捨て、沢田綱吉はグローブの利き手をぎゅうっと握った。
 覇気が凄まじく、直視するとそれだけで神経が不安に共鳴してしまう。綱吉は尻もちつきそうになるが、ガイの手に助けられた。
 骸も圧迫面接以上の圧力に屈して絶句しているが、だが。
 熟考を搾るようにしてどうにか、一言を呻いた。
「……一晩。……時間をください」
「場所と時間は」
「あ……明日は学校が……」
 呆けている声に、その内容に、綱吉も冷や汗して驚いた。
 そんな普通のことしか言えない自分たちが、無性に切なくて哀れに感じられた。なんでこんな目に遭ってるんだオレたち?
 沢田綱吉は、動じずに、学校が舞台になろうがどうでもいい様子だった。
「校内での取り引きか。時間は?」
「……お……屋上の鍵なら持ってます」
「よし。オレに鍵はいらない。先にそこで待っている。時間は?」
「……昼休み、の、あとに」
「いいだろう」
「……や、ちょ、ま」
 おずおずするが、綱吉はやっぱり首を突っ込んだ。
 勇気が必要な局面のはずだ。大事な人が――、顔面蒼白になって震えているのだから。
「骸は……リングなんか知らないって言ってるんだぞ……!」
「仲が好いのは本当なんだな、このワールドの骸と俺は……」
 一欠片の温情も見当たらない、冷然とした声色である。
 綱吉は、ますます狼狽えて頭が真っ白になった。
 無力な自分。そして弱々しく追い詰められて、一方的に約束を結ばされる骸――。それに視界の端ではガイがまた首元に蛇のようにまとわりつくロングマフラーに手をかけている。
 ダメだ。彼にはあの道具は使わせちゃいけない。
 ふるえる膝を立たせてどうにか、綱吉は自分の足で進み――、六道骸を指差した。
(骸!!)ほとんど無意識に彼に助けを求めて、そして神様にすがるような気持ちで、理不尽に対抗しようとしていた。
「勝手なことを……勝手に、決めないでくださいっ……!! 骸は。骸は、オレの許嫁なんだからな!!」
「…、…っっ?」
「!?」
「!」
 さすがに、マフィアのような沢田綱吉がぎょっとなって顔色を変えた。
 骸もたまげてオッドアイを点にする。ガイも顔面ごと下向きにして綱吉を確かめる。
 デイモンも驚きを匂わせ、心なしか筺に閉じ込められているはずのクロームも反応があった。
 集中する、瞳、瞳、瞳、瞳――
 彼らへと、精一杯に青少年が絶叫する。
「だ、だから、勝手はしないで――くださいっ!! オレのっ、ほんとに大事な人なんです、傷つけたり脅したりもうやめてください!!」
「…………ぇえ?」
 青年綱吉は、丸い口から間抜けた声を漏らした。
 それはとても沢田綱吉の声色だった。
 つな、よし、と弱くも呼びかけが落ちる。骸がよろめくようにして綱吉に並んだ。そして、ぐいっとその身を自分に引き寄せる。
 汗して、乾いたオッドアイの瞳孔を開ききって、頬をにわかに紅潮させるなどしている。
「……もしかするとリングって結婚指輪のことかもしれませんね……? ぼ、僕ら、親同士の決めた許嫁――なんですよ。もう一人の沢田綱吉さん」
「…………ぇえええ…?」
 やっぱり沢田綱吉的なツッコミ気質の悲鳴を漏らして、青年はちょっとだけ後ずさりする。
 骸はそれを見逃さなかった。胸に抱きしめられる綱吉は急ぎ、なんでもいいからッ! 胸中でも叫んで続ける。
「え、エンゲルリングってやつだよな。まだ下見段階だからなー、オレたちって! だ、だからどんなに脅されたって持ってないんだよな。指輪なんて!」
「エンゲル係数あたりと混ざってません!? も、もう一人の沢田綱吉さんの分までエンゲージリングを用意すればいいんでしょうかね僕は!」
 きらきら、と生徒会長モードの微笑みが骸の表情筋に搭載された。
 冷や汗はあるが、伊達に何年も日常的に猫の皮などを被ってきてはいないのだ。
 手を結び合わせてそんな会話をする彼らに、青年の沢田綱吉はさらにショックを受けていた。
「……んな……」
 かすかに、少年時代のようにして、『そんな馬鹿な……』の意思表示が呟かれる。
 同じように意識を攪乱される者は、もう一人居る。
「…………ぐ」
 毒物でも目に混入したように、片手で顔を覆ってガイが口角を引き攣らせる。
 デイモンは、きょとーんとして単に少年らの奇行を眺めた。
 誰も止めない。
 骸と綱吉は続けるしかなかった。
 愛情いっぱいの本物の許嫁同士のようにして、相手を見上げて熱っぽく会話してみせる。気合いと、根性だ。
「骸! し、式は、いつ挙げるっ?」
「君さえよければ……四六時中、いつでもどこでもどこだろうと喜んで」
「じゃあ、さ。早速明日か!? リングはお前が選んでくれるよなっ」
「僕の貯金は高くつきますからね? つ、綱吉の為なら惜しみなく使えます。そうです、ハネムーンもありますね。新婚さんならば!」
「オレもう骸がいいなら何でもいいよ!」
「君はほんっっとに可愛いんですから!」
 やけくそになって抱きつき、背中にかかる圧迫は思うより遙かに力強かった。そして密着する胸部が両者ともに爆速の早鐘を連打していた。
 指先の毛細血管に至るまでが羞恥に焼かれて全開になって、全身がどきんどきんと鼓動する。
 脳裏で悲鳴しては綱吉は骸をそぅっと盗み見する。
 ちょうど彼も次の行動に思い悩んで綱吉を覗き返していて、赤、それに青のオッドアイと正面衝突になった。
 ちかちかした明滅があって、綱吉は彼の整った容貌がよく見えないような気分になる。
 溺れるような――、自ら溺れる為に飛び込むかのような――、奇妙な高揚感が四肢を隅々まで満たしていく。
 どぎまぎしているオッドアイの熱の引力に負けて、綱吉がわずかに力を入れて結び合わせた手を握り返した。
 次の瞬間、赤い右目の球は、無情に『一』へとカウントダウンを刻んだ。
「ぎゃぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」
 ぴんぽーん! なぜか呼び鈴も押された。
「ッギャアアアアアアーッ!?」
 均衡が一気に崩れてパニックしまくって絶叫するが、ぴんぽんは繰り返された。
 デイモンがササッと台所に引っ込み、ガイはその場に立ちぼうけていて、沢田綱吉は大急ぎで手近な二階への階段へと飛びつき、駆け上がる。すり抜けざまに捨てゼリフがあった。「り、リング、結婚だか許嫁だか知んないけどとにかくリングは――っ用意しとけ!!」
 女性の声は聞こえた。わたしよ、骸ちゃん。その悲鳴はツナね、いるんでしょ! つーくん!
「……母さん!?」
 素っ頓狂にうめき、おそるおそる、綱吉はいつの間にやら閉められていた玄関の鍵を開ける。
 外の空は曇りはじめていた。沢田奈々は、黄色いキャリーバッグを引いて薄手のコートに身を包む。
 息子と隣人の姿を目で確認して、彼女は自分の胸をなでおろした。
「なに、ちゃんといるじゃないの! ツナ! 骸くん! ただいま帰ったわよ」
「ど……、どしたのいきなし!? 帰ってくんの急だよ!?」
 尋ねながらも冷や汗して横を覗く、するとガイの姿が消えている。リビングの方に足音はした。
「? お友達がきてたのかしら。さっきまでなにか――」
「あ、ああああ、オレが失敗して。いつもみたいに骸にヤキ入れられてたところ……だよっ、な!?」
「そ。そうです、ね」
 骸は、釈然としない感じに四方八方をふり返り、微妙そうに半眼をする。
 奈々は手招きして目を潤ませていた。
「骸くん。骸ちゃーん!!」
 ちょっと気まずそうに、だが素直に、骸は頭ふたつ分ほどちっちゃい隣家の母親に挨拶した。
 沢田奈々。髪はショートカットで綱吉と同じ毛色で、顔の作りもそっくりな女性だ。
「お久しぶりです、奈々さ……」
「ごめんなさい!!」
 奈々は、抱きついてすぐさま飛びのき、綱吉と骸に手を合わせて謝罪する。
「あのね、許嫁なんて、どぉーっにかしてたわ!! ちょっとお酒が強かったのかしら!? 電話だと繋がらないし酔っちゃうし、でも今頃は骸ちゃんもつーくんも困ってると思って急いで帰ってきたのよ!」
「……――!!」
「……!?」
 綱吉の目線が上方へと、骸の目線はあごより下方へと跳ねとんだ。
 目をまんまるにする。口元までまんまるい。
 自然と、右手が骸のぱっつんパーカー服の裾あたりに伸びた。
 丸いオッドアイの右側に潜む『一』の痣字――、それは気懸かりではあるが、それでも綱吉は本気で喜んで喝采を上げていた。
「ま、魔法が解けたんだ……!!」






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