リングとミリオン:ターン11 

「閑」




 

 雨色に濁った窓ガラスに、うさぎ、くま、魚類などのイラストシール。おおもり遊園のマスコットキャラが貼ってある。
 その日、おおもり幼稚園は崩壊していた。
 そこらじゅうで園児が泣きわめき、教諭たるはずの大人の女性までもが大泣きしてひとりの園児を前にうずくまった。
「無理しないで! ねっ? 帰りましょっ? ねえ? ねえ? 六道くん!」
「……僕、ムリしてないですよ」
 無情に返事をする。その子の肌は土気色で瞳は凍ったように青かった。
 お人形然とする容姿の彼は、元々は園内きっての人気者だ。が。
 外に留めてあるバスを眺めて、ちいさな手のひらを窓に当てながら、
「なんで僕をないがしろにするんですか?」
 わんわんと叫び声がこだまするなか、まっすぐな観察の眼差しを先生へと返した。
 続けて、淡々と詰問する。
「父がいないから? 母さんも轢かれたから? お母さんのお腹にいる妹も一緒に死んじゃって僕が不幸だから? 不幸な人間がこんな場に来たらジャマなんですか」
「……ち、ちがうのよ、六道くん、でも皆がびっくりするから……」
「遠足でしょう? 前から決まってたじゃないですか。おおもり遊園は雨も営業してますよ、先生。もう時間ですよ。いけませんか?」
「そうじゃないのよ、でも今日は、今日は六道くんお休みするって聞いたから」
「僕はそんなこと言ってません」
「でもおうちが忙しいのは本当でしょうっ? ねっ!?」
 辛抱強く唱えるのは、反対側に膝をおろしている年配の女性である。若い先生は、えぐえぐと嗚咽して号泣させられていた。
 彼はきっぱりと、はっきりと大声で質問する。
 視線に不純物はなく怖いほど透き通っていた。
「僕は忙しくない。わかりません。なぜ、僕はいけないんですか? 教えてください」
「先生! わたしもう……!」
「もういいから! 他の子をお願い」口早に命じて、頑として動こうとしない六道骸の肩に手をかける。
 揺すられても、骸は足を踏んばらせる。
「骸くん。教室じゃなくて、あっちに行きましょう。ねっ? それから、お話。骸くんだってもちろん遠足にきていいのよ!」
「嘘吐き。先生。僕の家族が死んだばっかだから――」
「とにかく行くわよ! 骸くん!」
「僕がジャマなんだ!!」
 先生の手をぶつように払って、後ずさりをする。
 と、隣に居ながらずっと泣いていた園児が窓ガラスと骸に挟まれて「ふぐう!!」叫んだ。
 その声にさらに連鎖して他の子たちも大きく叫ぶ。「うわああああああああん!!」「あーん!!」
「卑怯だ。大人はみんな卑怯だ!!」
 うぇ、うええ、挟まれてる男子が泣きながら骸の園児服を両手で引っぱる。
「ツナ! きみだって。一ヶ月もまえから楽しみにしてた。イヤなんだろ。いけない子が居たら。どっか行け!!」
「うえええええええええん……、やめてよぉおおおおっ……!!」
「でも、合同遠足は一年に一回ですけどね!」
「むく、むっく、……が行かないなら、ツナも遠足行かなぁああああいっっ……!!」
「行きゃいいでしょ、好きに! 僕はひとりでかわいそうなんだから。ジャマなんだ、ツナだってほんとは!」
「ちがううううううううううううう」
「骸くん、ツナくんは悪くな、」
「うるさい!!」
「ちがうーっ!!」
 骸とともに、ツナと呼ばれた園児も、先生を突き飛ばした。
 きゃ、やめて、疲れ切ったようになだめる先生を無視して骸が綱吉に鋭く視線を投げた。
「ずっと、ずっといっしょにいるよぉ……!!」
「……うそつき!」
「おとなりだもん、ずっといっしょだもん、ずっと骸といるもん……!!」
 眉間を寄り合わせたその下では、口が一文字に引き締まった。ぐっと唇の下に縦線が浮かんだ。
 音もなく回転をゆるめる独楽のように、骸の声がか弱く細く、頼りなくなる。
「うそ、つき…っ」
「うそつかないもおおんん!!」
 かんしゃくを起こした綱吉が地団駄を踏んで、園児服のポケットをひっくり返して中身を持ち出した。
 ぐすっ、ぐすっ! 泣きながら、幼馴染みの手にそれを握らせる。
 半透明の――きらきら輝く、碧色のおおぶりの苺ほどの飴――
 それは、ダイヤモンドをまねしてカッティング加工がしてある。
 内部にピンク色の土台が見える。土台の下にプラスチックの輪っかがついて、指輪のように指に嵌めながら、おしゃぶりのように舐めていられる宝石タイプの飴玉だった。
 ジュエルリング、とその商品名を骸は知っていた。近頃の幼馴染みが好きでよくしゃぶっているおやつ。
 ぐずぐずしながら、綱吉は握らせたその手を骸の胸へと押し返した。
「これあげる!」
「……なんで……」
「遠足、おやつ。むく、食べて」
 ――――、骸の喉が奥側へと萎んで声が堰き止められる。口内の圧力が上がった。
 眉をひしゃげて、骸がジュエルリングを力の限りに握って黙り込んだ。泣き出す寸前のように青い両の目が涙膜に包まれた。
 その瞬間に、
「骸くん!」
 がらら! 横開きの戸をスライドさせて、外から女性が入ってきた。
 水飛沫が室内にシャワーのように乱入する。
 ピンクの花柄の傘を肩に引っかけている彼女は、傘があるにも関わらず足と肩をびしょ濡れにさせている。髪は乱れきって頬は紅く、目元も泣き腫らしていて、しかし肌色は青白く、緑色のエプロンを身につけていてまだパート先の名札を胸に挿していた。――『沢田奈々』
 両腕を差し伸べて、彼女は隣の家の一人息子を抱きしめた。
「幼稚園からお電話もらったのよ。もうだいじょうぶよ。今日はもう、特別に帰っていいんですって。遠足は、日曜日に、わたしが連れていくわ」
「…………帰り、たく、ない」
「ううん! こっちのうちに帰るの、ツナといっしょ!」
 骸は、目をぱち、と怯ませて年若い母親をまじまじと見る。
 ぎゅうーっ。両腕で背中を抱きしめて、手のひらで自分の息子の後頭部も奈々は抱き寄せる。
「三人一緒よ。ね? 骸くんのおじさんにも電話したから大丈夫よ。あったかいお風呂にはいりましょー? みーんなだいじょうぶなの、平気よ。骸くんはわたしとツナの家族なのよ!」
「うぇぇえ……っ、かじょぐう……!」
「…………」
 触れ合う首筋が水でぬかるむのに温かく、居心地が感じられる。
 …、浅い呼気をはずませながら、ようやくの深呼吸を吸い込んだ。寒い空から降りしきる雑音が鼓膜から遠ざかっていく。
 頬に、水滴が落ちていく感触があって、骸は両の目で盛んにぱちぱちと瞬きを打った。





>>ターン12 「 休 
>>もどる