リングとミリオン:ターン12 

「休」






 彼の寝室は家具が少ない。
 スチールと木材により組まれた机が、ぎちんッ! 独特に軋んで引き出しを開いた。
 少年の色白の手は、底部から板をはずした。
 二段目の引き出しは、二重底の仕組みがあった。
 幼馴染みや、彼の母親などを気にしての仕掛け机ではなかった。
 自分自身が――、自覚があるだけに、見下ろす両瞳がぼうっと暗闇を宿らせる。
 えぐられるような痛覚が独りでに働く。胸が苦しむ。
「…――――」
 整頓してある机の上に、取り出した写真を並ばせる。
 明かりは机にそなえてある読書灯のみ、室内は薄暗く、オッドアイもその原色を鈍らせていた。
 ……幼稚園服の子どもがふたり、ショートカットの若い女性もしゃがんで両手に彼らを抱えて、おおもり遊園のゲート前での写真。
 小学校の校門の前にて、片方の子と手を繋ぎ、もう片方の子とも手繋ぎして桜の花びら散るなかを笑っている写真。
 手繋ぎしているのが一人だけになっていき、写生大会のもの、運動会のもの、文化祭のもの……、卒業式の花を胸に挿して泣き笑いしている彼女を真ん中に、記念撮影をしているもの。
 少年ふたりは立ち位置などを入れ替わりさせながら少しずつ大きくなって、外見が現在に近づいてくると、沢田綱吉はふて腐れたようなぱっとしない表情が増えていく。半目になった一瞬を撮られてしまったような、運のないその写真では、にこにこしている沢田奈々と六道骸に挟まれて大盛中学校のおろしたての制服を着ていた。
 すべての写真に、綱吉か、あるいは奈々が写っている。
 机の隠し収納部分は狭く、奥にあるものを出すにはひとつずつ、すべてを取り出す必要が生じる。
 どんぐり。松ぼっくり。正体すら定かではない、なにかの木の実。ぴかぴかした小石。チョコレートを包んでいた金紙。えんぴつ、ねりけし、バトルえんぴつに紙を巻きつけてあるもの、へたくそな字でなにやら走り書きがしてあるものメモ書き。
『ん』だけ、正確に読める。
(……『かたたたきけん』……、小二んときの誕生日プレゼント…――、…………)
 ごろ…ん…、と、指に目当てのものが触れる。
 読書灯のもとに差し出せば、それは古びた緑の飴玉である。
 エメラルドのような、碧色の乱反射が走るが、安っぽくて錆っぽい光り方をする。
 昔、流行ったおもちゃのようなもの。飴玉が宝石に見立ててカッティングしてあって、プラスチックの指輪にくっつけてある。
 きらきら! ジュエルリング! 透明な包み紙に印刷があって、包み紙はどこも破損がなく、未開封。
 骸にとって、これが食べ物だった瞬間は一度もない。
 正直な感想は、わざと口に出した。
「……リングには、見える……」
 耳で聞き、確かに、と改めて判断する。
 リングだろう――、確かに。
 骸の柳の眉がゆがんで、視界は濁るようによじれて、頭の裏はがんがんと響いた。
「……、…――――」
 脳、視野、感覚、すべてが白ばんで眩くホワイトアウトして、全身に怖気が走る。現実であるのが信じがたくて、目蓋の上を人差し指で抑えた。
 中指で左目も押して、手の震えで全身に及んでいる症状を自覚させられる。
 なにもかもが、傷手だった。
(……なんで、間違えた? 魔法だろうが科学だろうが真実はここにしかなかった。記憶を弄られるなんて、そんな……バカな話が……)
 胃液が硫酸のように喉元に焼きつき、吐き気が呼ばれる。
 自己嫌悪だ、と苦々しく認知した。
 常日頃。あの幼馴染みと居るとしょっちゅう沸き立ってくる情感だ。
 なにを。なにを手放したとしても、譲れないものは六道骸にもあるのだ。
 隠した箱から溢れ出たような絶望感にしばし感覚が失せて、ただ、立ち尽くした。胸が苦しくて息ができない。
 なんで、なんで、よりにもよって、こんなものを欲しがるんだろう……、虚ろに自らの裡から声はする。
(……ぼくには、……これしか……――)
 これしか、無い、のに。
 胸に呟いてしまいそうになる言葉をぐっと耐えて打ち消した。
 肩で呼吸する自分の体には怒鳴る。頼むから止まって、落ち着け。
(……こんな……世の中なんて大っ嫌いだ……)
「滅んで、いいのに…」
 うらみがましく虚ろに囁き、それが却って骸を怯ませる。
 ばからしさで心臓が冷える。これだから、だから、僕はダメだ。綱吉よりもよっぽど。本当は。この腐っている世界で、いつからか諦めてしまうようになった――
 喉がひりひりする。胃酸の味がする。
 両手を重ねて飴玉のジュエルを庇って握りしめると、それはまるで祈りの形になる。
 机の上には、思い出ばかりが並んでいた。
「……僕は、……ずっと、……でも、君、は……」
 カサリと包装紙が音を鳴らした。
 読書灯のほかに、明かりが点くことはなかった。

 

×××

 

「これ」
「これですね」
 少女と青年は示し合わせて頷いた。
 思念体となっている彼女は、淡い紫色の裸体を宙に泳がせて、その両手に三叉の槍を握っている。
 彼女を幽霊のように背負っているデイモンは、六道家の屋根の上にて、半透明に光る足元を覗き込んでいる。
 デイモンは、唇に人差し指を差しかけて、得心するように微笑んだ。
「にしても、本当によくできた六道骸だ。絶望してようが世界大戦などとは決して口に出さない。可愛げがあるではないですか、どこぞの世界線とは違って」
「……骸様を馬鹿にしているの?」
 横から顔を突き出しているクロームが、槍を持ち替えて、えいやっと刺せるようにして構えた。
 にこにこ笑顔で屈託なく、デイモンはかぶりをふる。
「いえいえ。誤解ですよ!」
 さりげなく槍から逃げて距離はとる。
 すっと、屋根の上の透明化された部分は元通りに暗くなった。
「美しさを讃えたのです! 綱吉はもはや思い出せもしないだろうに、骸ときたら健気に女々しくいつまでも覚えて! 果たして共有できない記憶とは妄想とどう違うのか、できるなら彼と小一時間の論議を交わしたいものですよ」
「ダメ、ゼッタイ」
「ん〜っ。私としては、……此方でのこの二人の関係、充分、蜜の味ですよ。納得できませんか」
「…………。話が違う」
 沈黙するのちに、渋々といった様子で、幽体の美少女は契約違反の一点のみを責めた。
 顰めっ面をする。
「本当に、骸様とボスは強く思いあってる……、おふたりとも、相手の幸せを心から、願ってる。でも、――デイモン、このままでいいって本当に思うの? 返答によってはボンゴレギアを破壊したっていいから」
「おや、怖い! まあわかりますよ、男と女であったらもう話が終わりますよ、骸のあの様子なら」
「……ボスは、骸様が好き。骸様は、ボスが好き。……こんな簡単な事がどうしてこんなに難しいの……っ?」
「ふうむ。それは、なぜ私とジョットが結ばれなかったかという、」
「そんな話は、今はいいの。ここで結婚しなきゃどこでするの骸様とボスは!」
「男同士ってのは難しいのです、んんん。私も――」
「骸様を一緒にしないで!!」
 マジギレのように叫んで美少女が槍をふりおろすが、デイモンはそれを避けて懐から懐中時計なんぞを取り出している。
 内蓋を開けて、感慨深そうに彼自身の遙か昔の思い出を見つめた。
「どちらにせよ、私が楽しい土産話になれればそれで好いのですが。それさえ満たすならば私のすべての力を貸しますがねぇ……、んーっ、結婚はどうでしょう、結婚は!?」
「デイモン!!」
 やはりマジギレするように叱咤して、裸体の少女は槍を突きつける。
 月夜は明るく、たったひとりで屋根に立つデイモンの朗らかな笑い声は、闇夜に溶けるようにこだまする。

 

×××

 

 その闇には、猥雑な色のネオンライトがピカピカと明滅する。
 大盛ビル通りは混雑していて、車も人も色鮮やかに行き来があった。活気は空気に混じって空へと届き、厚みが十センチ程にも足らないとあるビル看板の上にて、彼のブーツはつま先と踵をはみだしていた。
 編み上げのロングブーツに、黒衣。裾が長いジャケットが千鳥格子柄のロングマフラーとともにはためき、一絡げに結んだ後ろ髪とともに闇へと泳いでいる。
 ちゃき。青年は、右目にかざした片眼鏡を外してみせる。
「……そう、……あそこか」
 目的の民家は遙か遠方である。
 が、距離は関係がなかった。
「…………」
 両方、青く澄み切っている眼球が、自我をうすめるように柔らかに細められる。
 続く囁きは、重力が在った。
 木の根が既に腐っていてどうにもならない大樹のように、その枝先のように、渇ききって乾いた感想だった。
「どうしても思い出したくなくて……場所なんて、もう。僕では、わからなくなってましたよ」
 片眼鏡のレンズは、発明家の希望通りにすべてにピントを当てた。
 ――幼稚園。おおもり遊園。小学校。入学、卒業、折々のイベント。沢田綱吉と沢田奈々のすぐ傍にいる生活……。
 ブラックボックスのような日々の思い出がしまってある、隠し箱だった。
 両目が焼け落ちて、あるいはくり抜かれたように変異がある。俯けば、賑やかな町が遙か下から骸を照らした。
 こぼれていく、雫がある。ゆらりと伸ばした指先で涙を拭った。
「……………………」
 沈黙は虚無に近く、中身は空っぽである。
 やがて、「くふ」自嘲して鼻が鳴る。口角の両端すら上げられて、たおやかで穏やかな微笑みの形を象った。
 瞳孔をちぢめて拡がる真っ青な瞳は、どこにも焦点がなく、見る先がなかった。
「……あの子を死なせてしまったのは、僕、なの、だ、から……」
 宝石鉱物と同じく、感情が入っていない。
 青みの奧はどろりと沼のように不透明となる。
 六道骸は単に、平坦に、素っ気なく感想をただ捨てた。
「『君』が幸せになるなんて許しませんよ」






>>最終ターン 「ルール・ラン・リング
>>もどる