リングとミリオン:ターン6 


「変化する日常」









 理不尽――そんな概念は、昔っから死んでいる。
 若者社会では顕著なものだ。法律がなく、警察の介入もなく、単純明快なルールだけが存在する。
 突きつまれば、弱ければ死ぬほかになくなる、のだ。死者に対する憐憫は存在しえない。
 千鳥格子柄のロングマフラーが白く発光して――、一絡げに束ねられた後ろ髪とともに、輪っかを描き、浮き上がる。目に見えない力によって槍がはじかれた。
 長槍を手にする少女は、めげず次々に穂先を突き上げる。
 息つく間のない攻防を前に、平々凡々たる中学生は、
「んなっ、なっ、な!!」
 幼馴染みにひっつくのが精々だった。
 彼ですら立っているのがやっとの様子だ。
「おい!? あんたたち!」
 綱吉と骸の脇を二名組の警備員がすり抜ける。
 彼らは床に転がされて戻ってきた。飛び上がって「んぎゃあああああ!!」綱吉が、絶叫する。
 受付からも悲鳴が続き、逃げる足音が院内にこだました。
 頭が煮えたようになってしまい、綱吉は慌てて骸の袖を引っぱる。
「に、にげ、逃げなきゃオレたちも!」
「……どうして」
 脂汗を額に浮かべて、骸が後じさりながら呟く。
 オッドアイは家族だったはずの少女と青年を凝視する。
 槍をふるうクロームに、かわしてみせるガイ。わけがわからないが綱吉は混乱して罵声を浴びせた。
「ど、どっかだよ!! よくわかんないけど!!」
「不思議――そう、不思議だった。ずっとなんだか奇妙な……僕って家族なんていましたっけ?」
「ハアアッ!?」
「幼馴染みは、君なんだが」
「な、んなっ、なななななにを馬鹿言ってンだよぉっ!? 変だぞお前!! に、逃げるんだよとにかくオレたちもっ!」
「だからどこへ? 転ぶ、つなよ――」
「どぁえああっ!?」
「綱吉!!」
 足がもつれて顔面からのスライディング、とはならず、骸が突き出した左腕を頼りにして抱きついた。
 荒っぽく、彼自身も体勢を崩しながら綱吉のニットベストを引っつかんで罵倒した。
「何してんだ!! バカだな、おとなしくしてろ!」
「ご、ごめっ――」
「!?」
 骸のオッドアイが緊迫に揺れる。綱吉も気がつき、自分たちをふり返って戦闘を中断しているクロームとガイを見つめ返した。
 そのすきに、怒号をとどろかせたのは幼馴染みの彼だ。
「兄さん、クローム。何なんですか!」
「……逃げてください、骸様」
(『サマ』ぁ!?)
「ここは、食い止めます」
 体の小さなクロームには似合わない、ギザギザ模様の厳つい長槍がその手によってふりかざされる。扱い方も身のこなしも熟練者のそれだ。
 くすりと。ガイが挑発的に口角を上げる。
「言ってくれますね。男も知らぬ、生娘の分際で」
「私は、ここに、賭けたんです。だから例えあなたも骸様だとしても退かない……、骸様、ボス! 私を信じてください!」
「ぼ、ぼす? ってオレぇえっ!?」
「じゃないですか? 流れ的に」
 困って骸を覗くと、骸も同様に困った様子で眉宇を寄せた。
 と、ガイが視線を流して沢田綱吉へと訴える。
「綱吉くん、僕を信じてくれてますよね。少女の戯れ言を鵜呑みにするなど、とんでもありません」
 花綻ぶほどの笑顔のもと、懐に手を忍ばせて抜き取ってみせる――それは、綱吉も骸もテレビでしか知らないものだった。
 くの字のフォルムからして凶悪な、鉄の悪臭漂う拳銃だった。ごくすんなりにグリップを握って指を引き金にかけて、その仕草を前にして六道骸が劇的な方針転換を敢行する。
 綱吉の手首をつかんで、率先して全速力で走り出した。
「綱吉! 行こう」
「が、ガイ、さん!?」
「やめて!!」
「手っ取り早く――わかっていただきましょうかね……」
(あ、…)綱吉に自覚はない。
 が、人一倍にダメ人間だという自覚は強く持っている。幼馴染みは、そんな自分とは正反対な、将来を望まれている男だった。
(――やべぇっ――!!)
 弾道も何も知らず、狙撃がどういった痛みであるかも知らなかったが、綱吉の本能はそば立った。夕焼けの色が透ける自動ドアをめがけて、出口に一直線に走る骸の背中はガラ空きだ。蒼穹の双眸はその背をまっすぐに見据えている。
 緊急時に、正しく警告できるほどの国語力も応用力もなく、綱吉は単に飛びかかる。
「っぎゃあああああああーッ!!」
 情けなく、断末魔の叫びを上げた。綱吉にタックルされた骸が地べたに滑って、頭髪を乱しながらも起き上がればその胸に沢田綱吉の華奢な肉体はぐったりと沈み込んでいる。
「……な、」
 骸が喉を詰まらせて静止した。
 数秒遅れで形相一面が耐えられないと歪んで震える、――シニカルに嗤笑するのは発砲した張本人、ガイである。
「残されては、悲しいですね」
 ぱぁんっ! 二発目。
 ちょうど、むくりっと起きたのは綱吉で、入れ違いに倒れてきた骸の上半身に潰されてさらには背中が痛むために苦痛の呻吟を漏らした。
「いっ痛ぅ! あ、……ああっ? あぁぁぁぁぁぁぁぁああーっ!?」
 何かに接続されたように激流の情報量が流れてきた。
 信じがたくてまた絶叫した。ああああ! うわあああ! 喚き散らしている間に、六道骸も復活してとりあえずはこうるさい綱吉の口を手で塞いだ。
「……ッ、っ」
 忌々しげに、オッドアイではガイを睨みつける。
「……なんですか、コレ」
「んんんんんん!?」
「…………。何をしたの?」
 クロームは、言外に非難を含ませて尋ねた。
 綱吉は目が飛びでんばかりで、敬語抜きで憤怒している骸をもふり払って、クロームとガイを指差しして驚愕する。
「――しら、しらな、あんとき見た知らない人たち!!」
「うるさい綱吉、わかりきったことを!!」
「ごぅえっ。ぐっ、うあああ、だ、だって、骸はずっと一人暮らししてきてて――」
「そおだ、どうりで、どーりでおかしかったワケだ! 僕に家族なんていない!!」
 目覚ましのように綱吉の頬を容赦なく張り手したその手が、びしっと人差し指を突きつける。やることは綱吉と同じだった。
 ガイはしたり顔でピストルを懐に戻し、立ちまわる間に崩れたロングマフラーをばさっと一周分ほど首に巻いた。
 にやりと捲るように口唇は嗤わせる。
「記憶野を少々。あの日、僕に出会った瞬間のものならデータがあるので。クロームとデイモンは僕より一足遅かったでしょう? クフフ」
「……あなた、どこの骸様なの……?」
「それより、不可侵との密約はどうなりました。急襲するとは穏やかではない」
「骸様の右目を弄っていたなんて、聞いてない」
「おっと。それは、時系列が違いますよ。君達との密約のほうが後だ。実際、その後は僕は何も手を出していません」
「ボスを何度も呼び出してご飯をいっしょに食べてた!」
「御法度ですか? それに楽しかったですよね? 綱吉くん」
「……でぇえええ……っ!?」
「おまえら……」
 瞠目する綱吉に、たじろぐ骸。
 ふたりに彼女と彼も訴えた。
「私を信じてください。骸様! ボス!」
「僕だけを信じて。ね? 綱吉くん」
 紫の瞳を潤まされても、にこやかに手を差し出されても、もはや以前のようには応えられない。
 綱吉は、怯んで後退して、特におっかなびっくりに六道ガイだったはずの青年を確認する。
(……ぴ、ピストル、持ってるんだよな……?)
 懐にしまったのを見たが、ジャケットはどこもふくらんでおらずスリムなものだ。
 クロームを軽くあごでしゃくって、ガイが弁明してみせた。
「君にかけられた魔法を解くにはリセットしか僕には方法がなかったんですよ。しかし綱吉くん、僕とのデートを覚えてますね? あれは僕の本心です」
「……綱吉、……綱吉!?」
 隣で、骸が驚きと非難を半々にして喉を荒らげる。
 綱吉は伸ばされた手から逃げはしなかった。目尻は細めるが、大きな手と長い指先に肩を撫でられるままにする。
 どうしても聞かなくちゃいけない気がした。
「が、ガイさん、オレをだまして……?」
「あの時は、違いましたよ。君を誰よりも大切に想っています」
「ボスっ……ツナさん! 危険です、そいつは!」
「…――でもクローム、オレ……何回も二人っきりになったけど、ガイさんは悪い人じゃないよ……。オレがどんな失敗しても、笑って、優しく励まして……、くれたんだ」
 話ながら、青褪めていく。隣の骸がオッドアイを拡げて異様に驚いているからだ。
 そして骸は無表情になって綱吉に観察眼を向ける。異形のカラーリングの瞳と相成って普段の鬼畜ぶりもなぜだか思い浮かんで、綱吉はぞっときた。
 頑なな断言は、クロームである。
「だめです」
 悲痛な声色だ。
 両手にぶら下げる武器を、強く握った。
 決意と衝動が入り組んだ紫瞳が綱吉をうかがい――、骸を見定め、そして沈めたはずの武器を沢田綱吉へとふりかぶった。
「――ボスと骸様でなきゃ!! 貴重な両思いなんですっ、ここで普通の結婚しなかったらどこでするのボス!?」
「!!?」
 感電したよう絶句する、が。
 制服の下からぼふんっ! 煙が抜けていく感覚が残った。
 鼻先に突きつけた槍はすぐ背中側にさがらせて、クロームは頭を下げた。綱吉にぺこりとする。
「ゴメンナサイ、……ツナさん」
「――えっ!? え? い、今、何したの?」
「…――――」
 黙っていた骸が顔面蒼白となる。ガイも面を食らった。
 え? え? ひとりで綱吉は狼狽する。
「ええっ!? な、どうなったんだ!? なんかまた記憶? っを? いじられ……えっ、そもそもガイさんもクロームもなんなんだよ……? な、なんだよ? 骸。なんだよその目は!? どうなってるんだオレ!」
「女になりました」
「何じゃそりゃぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
 答えたクロームに、全力でツッコミする綱吉の背後から腕が伸ばされた。
 骸だ。恐る恐る、脇の下から両腕を忍ばせて揉んでみる。
「――――ひっ…」
 彼らしくない悲鳴が洩れる、が。
「オレのがヒィーッなんだけどぉおおおおおおお!?」
「……おっぱい、ついてます」
「んぎゃひいいいいいいいい!!?」
「これはこれは……。悪趣味、な?」疑問符を微妙そうにくっつけながら、ガイが半分ほどに目を細める。
「君らのスキルはどうも目的が明瞭ではないな」
「骸様。ボスが、女の子だったら骸様はボスが許嫁だって胸をはれますよね。胸をはってください、どうか。男友達で終わっちゃうぐらいならボスには女になってもらいますから!!」
「何を堂々と言っちゃってるンだぁああああああああああああああ!?」
「し、信じられない……」
「お前もいつまで揉んでんだっ!? ゆ、指っ、食い込ませんな!!」
 悶える綱吉をガイも骸も覗き込んでいた。
 男子制服のまま、紺色のネクタイを垂らしてニットベストの姿。ボディラインに起伏ができていて流線が変わっている。
「しかし、これはこれで――」
 ガイがなにやら言いかける、そこで全員の目が同じ方角へと流れた。
 遠く、こだましていたサイレンが遂にタイヤを止めた。病院にパトカーが到着する。院内はもはや、見渡す限りに無人になっていた。
 そして全員がエスカレーターを仰ぎ見た。
 ベルトコンベア式に階段が降りてくるなかで、分け目二本の果てに房をはやした奇っ怪な髪型の男性が拍手喝采を叩いている。
 洒落たロングコートは深緑色でフードつき、白いボトムスに膝丈のおもたげなブラックブーツ。現代的な服装だ。
「ちなみに、コレは第八の炎と呼ぶのですよ」
 エスカレーターもなかばでデイモンは、手のなかより黒々した炎を産み出してみせる。
 両手のすきま、指と指のすきま、藍とも闇ともつかぬ色が溢れてきた。
「夜の炎とも呼ぶ」
「……はっ?」
 綱吉は、度肝を抜かれるあまり、デイモンにちゃんと敬語で話しかけた。
「な、なにが起きたんですか?」
「一言であらわすなら――、時空移動。ぬふふ。テレポートにはこの炎が最適です。私って便利な者でしょう?」
「……なんで、大盛スーパーの前に……?」
「夕飯の支度がまだなので」
 あっさりとデイモンは質問に答える。
 茜茂る寒空の下、大盛スーパーは、病院での警察沙汰など知らずにいつも通りに営業している。
 主婦、会社帰りの人々で入口が混んでいる。クロームとガイがデイモンに続いて駐車場を出て、骸もよろけながらも彼らに続き、骸に手をひかれて呆心状態の綱吉もついていった。


×××

 ばんっ!! 力の限りにテーブルに両手を貼りつけ、自分自身はイスを立ち、その剣幕の激しさから置いてあったアイスの蓋が跳ねた。
 これ以上はない、とまで眉間が拗くれている。さ、……最大の不機嫌だ。と、綱吉には判る。
 綱吉自身、もはやなにがなんだか、不安とパニックが胸中でブレンドされてツッコミする元気も失われつつあるなかでのブチギレだ。
 綱吉も骸も、顔色は青いし、頬に大粒の汗は流れている。大混乱なのだ。
 反して、彼らはこれまでとほぼ同じだ。
 デザートまで待ちなさい、とデイモンが主張しても、いつものノリで受け容れてしまった。
「つまりは……、お前らは僕と綱吉を欺いていた。そうですね?」
「まあ、そうとも言う」
「こことは違う別の世界では、私は本当の妹のように、骸様の妹分なんです。交通事故にあったところを、精神世界を歩けるという骸様の特殊能力に救われました」
「知りませんよ、そんなの」
 すげなく否定する骸は、次なるセリフではちょっと頬が赤らんだ。
「ぱ…パラレルワールドから訪れたというっ…魔法…使い、など…なんですか、そんな。非現実的な話をして犯罪行為を誤魔化してないですか? いや、綱吉にしたことも病院でのこともこの眼で見ましたけど……、ですがね? 突飛が、すぎるでしょうが! アホじゃないですか? ありえないですよこんな展開!!」
 ばーん! またしても食卓が両手で叩かれる。
 綱吉は、意気消沈してバニラアイス乗せのスプーンを口に入れた。あまい。せめてもの癒やしだった。
「僕はずっと……! ずっと、一人暮らしだったんですよ! 兄妹などない! 君ら赤の他人など顔も名前も知らないっ、土鍋買っちゃったりバカ丸出しじゃないですか!?」
「お金は私が出したのですから、どっちかというと、お得なのでは?」
「そーいう問題か!!」
「ン〜、ま、錬金術ですがね」
 にやにやするデイモンに、綱吉は改めて呆気にとられた。
 金銭すらも思いのままか。スケールも価値観も本当に違うらしいと、実感を持ってして恐怖を感じた。
 骸まで息を飲んでしまい、綱吉はまぎらわせるように、一言だけを呟いた。
「アイス溶けるぞ、骸……」
 ぱく。やっぱり甘いアイスにだけ、安心する。
 ……同じような気持ちだ、着席すると無言でぱくぱくとアイスを食べ出す骸の姿に確信してしまう。
 どうにもできないが、腹が立つし苛立つし恐いし、とにかく毛が逆立って収まらない心境である。
 デイモンは、自分のバニラアイスのカップのど真ん中にスプーンを突き刺した。
 手を広げて見立てのようにする。
「要するに、こうです。ガイは科学で、私とクロームは幻術及び炎――まあ魔法です。魔法であなた方の記憶を改竄してこの世界に侵入していたのです。その正体はパラレルワールドの人間! 訳あって、貴男方おふたりを見守る為に遠路遙々やってきたのです」
「い、いつまでいるんですか?」
 スプーンを含みつつ、綱吉。
 スプーンは引っこ抜き、肩は上げ下げさせるデイモン。
「さあ? 事の次第によっては直ちに。あるいは、数年後ですか。ガイが仕込んだレッドアイがなければもっとスムーズに事を運べたでしょうに、その眼、目玉そのものと合体しているようです。私やクロームではどうにもねぇ……」
「骸様をいたぶる。許嫁の座も奪おうとする。あまつさえ命をすり減らすようなものを骸様に仕込み、この世界の骸様までオッドアイにさせる……ガイ、あなたは排除されて然るべきだと思う」
「話を聞いてますとあなたは六道骸を信奉しているようですが?」
「骸様を傷つけるムクロさまは別!」
 青年による横やりにアメジストの睥睨が飛んだ。
 神妙な面差しで、胡散臭げに困っているのは六道骸だ。
「その許嫁の件ですが……」
 数秒を躊躇ったのちに、
「……どうも……まさか……、クローム、口ぶりからしてクロームが仕込んだものじゃないでしょうね?」
 びくん!! 少女がイスの上で動揺する。
 冷や汗を浮かべて、骸の呆れたオッドアイを前にして固唾を飲み込んだ。
「……だ、だって。骸様っ……」
「許嫁もかぁああああああああああああ……!」
 ついに、綱吉は上半身をテーブルに投げ出した。
 そんな綱吉を横目にはするが、クロームは見惚れると表現して差し支えない顔になって、オッドアイに妙に感動していた。複雑そうに、眉は寄せている。
「きっかけが……必要と判断しました。骸様とツナさん、には……」
「だから言ってやったじゃありませんか」
 ほぉら、見なさい、そんなニュアンスで二十五歳の青年はスティックのフォークをひらひらさせる。
 そのフォークは、生チョコレートアイスを刺すのに使用しているものだ。
「魔法ってね、言いましたよ? 僕は何度か助け船を出してたんですがね。気づきもしませんでしたが」
「気づく訳がないでしょーがっ!?」
「ガイ、骸様の言うとおり。……あなたは、どこから来たの? 骸様ならボスが好きなはず。ここで妙な悪さをしてないで、早く帰ってください」
「いえいえ? いたいけな綱吉くんと愚かな弟を結婚させるなど、くだらぬ妄言を聞いては帰れません。お前、僕の命令にも従ったらどうですか」
「私は骸様のものだけどガイのものじゃない……。どこの骸様なの? ガイ……いえ、ムクロ様……?」
「くふん。少なくとも、僕は君を知りませんね」
「このデイモンも?」
「デイモンも」
 にっこりして、艶やかに、穏やかにガイが頷いてみせる。
 フォークでは生チョコアイスを突き刺し、あーん、と新たに口元に含ませる。しごくようにして咥内からフォークを抜いた。
 睨むクローム、くふくふしているガイとの間に口が挟まれる。食卓にノビて、自分の頭を抱えている綱吉だった。
「あ、あのぉ〜っ……! オレ、いつまで、女のコでいればっ!? ま、まほうつかい……っていう話は恐ろしいほどよくわかったんで……! そろそろどうにか……!!」
 ふり向く紫の瞳がすばやく瞬かれる。
「そのままじゃダメ?」
「ダメだよ!!」
「駄目ですよ!?」
 幼馴染み組がツッコミをハモらせた。
 頭が痛そうに、自らの側頭部を手で抑えている骸が軽く綱吉にアイコンタクトを送る。怒りと躊躇いをオッドアイにさ迷わせて、食客を親の仇のようにして下目遣いに睨んだ。
「そもそもお前ら! なんなんですか? ひとんちに勝手に、普通に居座るなんざどうかしている。異常だ。明らか狂ってます」
「クローム、頼むよぉ。戻して、お願い!!」
「一刻も早く出て行ってほしいんですが!」
「…………」
「…………」
 クロームとガイがアイコンタクトを交わす番だった。
 ちゃきり――、どこからともなく金属音がして、美少女は三叉の槍を急にしゅんっと手のうちに出現させる。青年はピストルを利き手にひっかけてぶら下げた。
 両者ともに、犯罪者のように据わりきった覚悟の目つきである。
「……申し訳ありません。そこは、力尽くでも。骸様」
「致し方がありませんねぇ」
「…………!!」
「…………!!」
 ヒ、ヒィ……、かすかに喉が鳴る。綱吉はイスごとガタガタと後ずさった。
 骸は、テーブルにつけた腕と肘とをぶるぶるさせている。汗して瞠目しては美少女と青年を直視する。
 脅された旅行者が、パスポートは見逃してくれ……とでも懇願するような、弱々しい声音ではあった。骸が、自分にすり寄ってきた沢田綱吉を指差した。
「……百歩を譲って……、綱吉の、この……この? 女性化のぶんだけでも?」
「そ、そそ、そう、そうだよ! オレ男っ――」
「ううん、ダメ」
「なんで!?」
 クロームがそっぽを向いた。耳は両手でふさぎ、我慢をする。
「ちょっ!? ちょお、クロームッ!? あ!? 眼まで閉じて!? ちょおおお、が、ガイさあん!? たすけてっ、くださ、」
「綱吉くん。この状況は――僕にしてもいささか有利……なんですよねぇ……」
 考えつらねる声で、しかしそう結論してガイは手を広げる。
 すると、ピストルが泡のように薄くなって溶けた。
「しばらく、僕も様子見させて貰います」
「そ、そんなぁあああ……!?」
「んなバカな……」
 綱吉と骸が揃って立ち竦んだ。
 と、
「明日も学校ですね」、しばらく話を聞くだけで居たデイモンが、切り出した。バニラアイスの最後の一口をまさに口に入れんとする。
「今日は疲れたでしょう。もう帰ってお眠りなさい、綱吉。骸も」
 ゆっくりにスプーンを舐めてアイスを食べた。
 クロームとガイは各々に退席した。改竄された記憶が元に戻れば、彼らの寝室に相当する場所は単なる壁があるに過ぎない位置だ。
 摩訶不思議なことに、どうやら空間を創造している……。綱吉には、途方に暮れる世界の話だ。
 とてつもない。並から外れ過ぎて、大盛すぎる話――
 ……よろよろと六道家の玄関を出て一歩目で、綱吉は、急激な睡魔に襲われた。
 疲労がおもぐるしく、額は指で支える。
「……なんで、こんな、ことに……」
「……はあああー……」
 骸が、胴体をふくらませて限界まで新鮮な空気を吸っている。
 目は閉じ、なんらかの精神集中。夜の寒空の下で何度も深呼吸した。
 そんな哀れな姿で、だが納得できるはずもなく、口をもごもごさせる。控えめではあるが文句である。
「……おまえっ……。なんとかしろよ。クロームもデイモンもお前の言うことは気にしてる感じだったぞ。要するにガイさんだってパラレルワールドのお前のひとりなんだろ? そういう話だったよな!?」
「知ぃぃりませんよお、んなこと……」
 馬鹿らしそうに顔を手で覆い、骸は深呼吸を繰り返している。
 ほとんど表面化せずとも、その実、六道骸は綱吉を遙かに凌いでデリケートで繊細な一面がある。妙な脆さがあるのだ。
 それは、昔から傍に居るぶん、記憶の蓄積があるだけ、綱吉はこっそりと承知している。
 幼馴染みを気の毒に思わないでもない、が、
「……まあ一緒に住んでたんだもんな、お前は。ビックリするよな、あんな……あんなん反則ってか異常だし、これからも同じ屋根の下みたいだけどな……」
「……………………」
(お、おおおお、オレってフォローしたいのか下手なのかダメツナなのかなんなんだ!!)
 骸を非難したい気持ちはあるのに、申し訳なくなってくる始末だ。綱吉はしまいには自分も黙った。
「…………」
「…………」
 頬をぽりぽり、後ろ頭をかりかりなどした果てに、ぽん。
 骸の肩に手を置き、無言で励ました。
 六道骸は黙っている。ちょっと呆けたように瞬きして、前の舗道の暗闇を見下ろしている。
 骸がぴくりともしないので、仕方がなく、綱吉はてきとうにしゃべった。
「そういえばお前。他人って、ぜんぜん、家にあげないよな。ホントは。……んあ、や、お前が中一んときのカノジョくらいか?」
「……セックスしてみようと思って。それは」
「い、いきなり何を言うかっっ!?」
 こんな状況下での衝撃の告白だが、それを受け止めるだけの余裕はもはやなく、綱吉は勝手に赤面して勝手に騒いだ。
「う、うわあああっ!? や、やめ、な、何人だよっ……何回だーっ!? うわあああ!! やめろよ突然!! オレご近所さんなんだからけっこう知ってるンだぞぉ!?」
「……この童貞がっ……、あ、つっても君、今はちんこもタマもないか……」
 仕方がなさそうにツッコミ返して、そして気がついたように面を上げて、骸は目を丸くしながら自分の乱れた前髪を直した。
 そして皮肉げに、阿呆らしそうにくすくすと笑い出した。
「じゃなきゃ、僕が他人なんか家に上げる道理がないでしょーが。純愛なんかしてるように見えたのか?」
「いやっ!! ぜんっっぜん!! でも……、でもおま、お、女の敵っ!!」
「上等だ。……いえ、思春期の男子としては普通じゃありませんか? くは、ははは」
 心底、くだらなさそうに笑って、しきりに前髪を掻き上げる。
 そうして背筋を正す――と、頭ひとつ分の身長差が浮き彫りになる。綱吉は骸を見上げた。
 そこには、いつもの表情の骸がいた。
「結局、僕の右目はどうなってるんですかね? 質問が多すぎて追求できませんでしたね。君の体ももちろんだが……ですが彼らは滞在すると言う。なら、やがて解決の道はあるんじゃないですか? ああ。一緒に住むのはそう苦じゃないですよ、僕の部屋には絶対に入れませんから」
「……骸さ、……魔法なんて信じたか?」
「きみ? そんな体にされて? 信じない?」
「む、胸を突っつくな、胸を!」
 薄っすらと、だが確実に盛り上がりはある胸部が人差し指で突っつかれるので綱吉は乱暴に手で払った。
 綱吉には奇妙な身体感覚だ。脂肪の塊を心臓のすぐ前に取りつけられたような、しかも神経の通った脂肪である。触られればすぐにわかった。
 骸も、綱吉自身でも、自分の体をじろじろと眺めまわした。
 その対象がいつしか六道の家となる。闇夜に沈んでどっしりと構えていた。
「……まるで伏魔殿ですかね……」
「お前んち、ギャングに征服されたとでも思ったほうが、いいかもな」
 よっこいせ、と制服の上からでも胸をすくいよせる。想像した以上にやわらかい。
 自分の肉体とはわかっているが、妙に舌っ先に唾液っぽい味がする。
「これ、さあ。オレを女代わりにしろって意味なのかな……? 許嫁だしさ」
「動機は謎ですけど、ね」
 綱吉が揺すってみている小ぶりな乳房を眺めつつ、骸が冷たそうな汗を一筋、新たに浮かべた。
 オッドアイと薄茶の瞳は夜を隔てて、お互いに覗き見をしあう。
「……許嫁にされた挙げ句、女の子にされるってどう思う?」
「……不幸ですね。とびきりの。女体化って現実ではじめて見てますよ今」
 前例があってたまるかッ! 綱吉は、今夜の最後の大仕事のつもりでツッコミする。
 そして女体はその後、自宅に帰った綱吉にさらなる大冒険をもたらすが――、翌日である。
 風呂やトイレを経て、綱吉はいささか神経質になって、通学路に出てから呼び止めた骸をふり向いた。
「ネクタイ。曲がってますよ。……ああ、胸に当たってるからじゃないと思いますよ? 君は極力、席から動かないでやり過ごすんですね。あるいは保健室か」
「骸から保健室を薦められるなんてはじめてかもな。ハハ……」
「綱吉。お前も脳みそぐらいあるでしょう?」
「わぁってるよ!」
 ネクタイを正されながら、綱吉はニットベストを前に引っぱって自然に局部をならそうとしてしまう。
 不意に、昨夜の会話がなんとなく頭を掠めた。骸が昔、体目当てに女子を連れ込んだという与太話だ。
 傍から見れば、晴天下に何気なく並んで登校する男子学生たちだ。綱吉はこそっとして内緒話を持ちかけた。
「……昨日、確認忘れてたけど……。オレに変な気は起こさないよな、お前」
「何を言ってるんですか?」
 本気で神経に障ったよう、骸が喉を上擦らせる。
 頭の回転ははやく、即座に推理した。
「ああ。帰宅して、君は自分の体を眺めて変な気分になったんですね? さすが童貞ですよ」
「だわあああああああ!! ぶっちゃけるなよ!!」
「あのな。君がちっさくて華奢で女のようだなんて、僕には今更な話ですしどっちみち中身はダメダメなダメツナだって知り尽くしてんですが?」
「お、おっま!! それがいきなり女になっちゃった可哀相な幼馴染みにかける言葉かよーっ!? 鬼畜!」
「あ、風呂やトイレで自分に欲情してオナるとか禁止ですし人類の恥ですからね? よく気をつけるんですよ、ダメツナ」
「オレを猿かなんかだと思ってないかお前!!」
「女に餓えてる童貞と思ってます」
「ああ言えばこう言うぅううう!?」
 視界に他の学生がちらほら現れると、骸の嫌味もいくらか角が取れた。綱吉は少しばかりほっとした。
 安堵する自分に、胸中でツッコミもしている。いやなんも解決してない!
 ただ、自分たちの関係性は、再認識させられた気分だ。
「あー、ガイさんたちが来る前からこんなんだったな……。オレとお前って」
「許嫁なんて話がなくてもダメなもんはダメですからね」
「うん。なんか、変なかんじだよ……。でもよかった。お前、オレが女だったとしてもなんも感じなくって」
 オレ自身ですらどぎまぎしたのにな。そんな気持ちを込めて、上機嫌に笑顔をみせる。
 生徒会長のオッドアイは、きょとん……、となったように見えた。
 六秒ほど、空いてから、
「そりゃそうだ」
「だろ」
 満足して綱吉は貯まった息を吐く。
「…………」その隣には、生来の青い眼球が接している。視線の焦点を沢田綱吉にやって、その焦点をそこに置きっぱなしにした。








>>ターン7 「乙女のじかん
>>もどる