リングとミリオン:ターン4
「セカンド・ユース」
あ然とする綱吉を写しとる瞳が縦の幅を歪める。きらいですか?
問われて、瞳の輪郭がふくらむ。
(き、嫌いって、)
そんなはずない、が。
(……ガイさん――?)
ささくれだつような不安感が先立ち、胸が沈んだ。
本能が片足をさがらせて、――青年がゆっくりやろうとした唇へのキスを防いでいる。真っ正面から目と目を合わせながらの口づけだったはずだ。
青年は微笑んでいる。喉のおうとつ。成人している肉体。
それらが、壁として真ん前にそびえる。
逃げると判断したのか、ガイは、左右から綱吉の二の腕をがっしりとわしづかんだ。
赤面する綱吉の喉が、しゃっくりするように竦んだ。
「――――!?」
「ふざけてる訳じゃ、ありませんよ? 綱吉くん」
「…………っ」
(なっ。な、な、なっ?)
「……何してんですか」
「!!」
つっけんどんに、声が邪魔をした。
廊下に、柳眉を顰めて骸が立ち、リビングに連なるドアを半開きにさせて立ち止まっている。
土鍋などは置いてきた様子だ。六道骸の頭のちょっと下に、緊張気味のパープルの瞳があって、さらに好奇心に色めき立つ水色の瞳が続く。トーテムポールか! 胸中にツッコミする綱吉は、だが、空気を飲んでしまう。
ガイが、微笑みまじりに応じた。
「聞いたなら話が早い。どうです、骸? 乗り気じゃないなら、許嫁の役は僕が交代してあげます」
「……ハァ……?」
房つき頭の弟は、兄にではなく、
「綱吉」幼馴染みへと矛先を向けた。
反応は、実際に刃を向けられたケースと大差がない。
「ひいっ!? ええ!? や、オレは――っっ!?」
三つの青い眼球が、綱吉に集中する。数秒のうちに絶叫した。手ぶらであるのが幸いする。
「――か、かっ、帰ります!!」
口を丸くする青年の脇をぴゅっと抜けて、沢田家へと駆け込んだ。
ばたんっ! 玄関の扉を背に、忙しなく全身を弾ませる。自らの顔は片手で支えた。指先が震えて、末端神経がじんと痺れる。
(……お、おいおいっ、ちょっと。なにを動揺してるんだよオレは、ナニを!)
ガイさんにちょっとからかわれただけだ。
こんなに動揺するなんて。おかしい。自分に言い聞かせるが、だが、視界は急速に竦み上がってせまくなる。
(昔っから傍に居た、おと、お隣のお兄さん、なんだぞ。なんでこんなに、)
ばくんばくんと爆速で騒ぐ心臓に、自分自身ですら驚愕する。
(や、てか、……てか、……っっっっくり……びっくりした――!!)
結局は、綱吉は、まっ赤っ赤に変わる自分の顔を抱えてその場にうずくまった。
玄関がせまい。
いやに熱が篭もってカッカと浮き足立った。
ガイが触った箇所に違和感がある。腕やら口の周りやら、あちこちに触れられたものだ。目をぐるぐるさせながらも綱吉はブラウン色の両目を呆然とさせている、と。
ぶぶぶぶ!
「うぎゃああああ!?」
尻ポケットのバイブレーションに兎のように跳ねた。
ケータイの表示名は例の従兄弟だった。あの主夫だ。
夕飯への呼び出しだった。
「……あ……、や、……あ、こ、今夜は……オレ、やっぱ一人で食べてきますよ。なんかそんな気分なんでっ――」
(や、ヤバイ。どんな顔してガイさんに会ったら……? いや意識する意味あんのか? なんなんだ。なんなんだ〜〜〜〜っ!?)
混乱しながら、ひとまずは自分の部屋へと戻った。
貯金箱をひっくり返して中身を確認する。
数枚の硬貨をポケットにねじ入れて、駆け足で階段をくだった。とにかく、頭冷やそ――、それが結論となる。逃げるとも言える。
今日はファミレスにしよう、決心が固まって急ぎ、玄関を飛びだそうとする。
何かがいきなりに弾けて、綱吉の目の奥を串刺しにした。
「っぎゃあああああああああああああああああああああああああ!?」
「…………」
のっぺらぼうのような生首が、廊下に浮き上がっている。
六道骸だった。彼は、パチリとスイッチを消して、非常用の懐中電灯を壁の器具へと取りつけ直した。
腰を抜かして階段にくずおれている沢田綱吉には、シニカルな笑顔を向ける。
「クハ、腰が抜けちゃったんですか?」
「……な゛っ――!!」
尻もちする綱吉は、階段の手すりをつかむも、膝が笑って立てずにいる。
「な、なあ、ん…なああっ!?」
「なんですか。本格的にビビりました? からかっただけなんですけど」
「な、んじゃそりゃあああああああああああああああああああっっ!!」
全力で気力を総動員して叫ぶ。
骸は、朝から同じストライプのパーカー姿でいて、カンガルーポケットに両手を突き入れた。
気怠げに立っているが、お見通しですよ、と得意げな表情になる。
「ダメツナはワンパターンなんですよね。逃げると思いましたよ、っと」
「お、おま……っ!! か、階段から、落ちるかと思ったわ!?」
「逃げるからじゃないですか?」
尻もちした拍子に、五百円玉が廊下を転がった。骸がそれを拾って綱吉へと返した。
そうこうしている間に、再びぶぶぶぶとポケットは震動する。
目前の骸になんとなく引け目を感じてしまい、綱吉は着信相手を確認せずにケータイを開いた。
「はい! デイモンさ、…――あ、あえ!? あ、や、ガイさんのせいじゃ、ガイさんっ!? あ、気にしてないですよ!? ああああ今、今、やっぱそっちで夜ご飯いただきまぁーっす……!!」
「…………はん」
パーカーの懐に、縦に入っている切り目のマフポケットに両手を入れている骸が、どこぞの不良のような醒めた目つき。
綱吉が通話をきると、すぐさま、悪口を言うような声で言った。
「君って――」
「い、言うな、なんも言うなよ!」
「ガイが好きなんですか?」
言うなってのに……! 奥歯を噛んで赤面する綱吉に、骸は容赦がなかった。
同じ年頃の少年として、素直に嫌悪感を表明して眉を寄せた。
「男色の気があったとはね。どこが良いんですか? あんな変態のような男、髪型も笑い方も奇妙ですよ」
「お前がそれ言っちゃう!? あ、あのな……、お前が……なんでオマエに怒られてばっかなんだよオレはっ。そもそも、許嫁だとか親が決めてるとか、なんなんだよ! 男同士でバカげてるだろ!?」
「同感ですね」
「だろ!! 誰が誰を好きとかどうだとかもう全然意味ないだろ!」
「同感だ」
「だろ!? そうだろ!!」
「――で、どっちにしとくんですか?」
「オレの話のどこを聞いてたんだオマエはあああああああああああああああああああ!!」
赤面を発汗させて上書きして、綱吉は両手で頭を抱えて仰け反った。
骸はとことん冷めた態度でいるから、余計にからまわりしている感がある。それがさらに綱吉を屈辱的な気分にさせる。
(じゅ、十年以上もいっしょにいるやつ相手になにを、なにを話してんだよ、おれは!)
うんざりするが、骸が玄関のドアに立っていて返事を聞くまでは外に出る様子がないから、仕方がなかった。
靴をわざとトロトロと履きながら、言い訳した。
「〜〜〜〜っ、や、……いや、ガイさん、電話で謝ってきたから……、冗談だろ。あんなの。オレが困ってるのが面白いのかもな。お前みたいにさ」
「別に面白がってはいませんよ」
ふん、鼻を鳴らして、骸は平然と口にしてのける。
「君が、おもちゃ体質なだけだ。ダメツナ」
「…………き、鬼畜!!」
改めて恐怖して、率直な感想を声にしてしまいながら、綱吉は幼馴染みの顔を直視した。そこで綱吉は停止した。
そこに有るのは――、外国由来の血を連想させる、青色の瞳だ。
ガイとまったく同じ色の目玉。
片方を医療用眼帯で閉じているから、ガイのような親しみやすさはなく、代わりに、独特なお人形めいた端正さがある。明るい色なのに灰色を思わされる。
表現しようがない、薄気味悪さ、ぶきみさ……、それらが滲み出るかのような単眼だ。
どろっとぬかるみに足止めされるように、綱吉は阿呆のように単にじーっと骸の目を眺めてしまう。
骸は、相変わらずの不機嫌ぶりで、綱吉を糾弾した。
綱吉はそれにも違和感があった。
「冗談とは断言されなかったんですよね? では答えが出るまで引き下がんないですよ、あれは。あれはそういう男です。僕の兄なんだから」
「どおゆう理論……だよ」
変に真実味はある。その点は黙っておいた。
「ガイさんはちゃんとした大人の人だよ、こんな馬鹿な話になんか乗らないだろ」
「どうだか。はっきりさせましょうよ、君の口から」
「なんでまたそんな……」
(な、なんだ、この展開?)
少女マンガや昼ドラなどが思いつく。
頬が熱っぽくなるのは致し方がない。なんせ綱吉自身の好意が話の中心にあるのだ。異常すぎて、体の反応もおかしくなってくるというものだ!
(っていうか――…)
端然と顔立ちはすっきりと整っている幼馴染みに、本当に、不思議な気持ちにさせられる。
「骸、それ……、」
(僕にしとけ、って言ってる?)
喉まで出てくる推察は、だが、度を超している。
骸の逆鱗に触れかねない。が。
他にどう言っていいかわからず、綱吉は考えあぐねるだけで苦痛を覚えた。
反射神経のように頬はますます赤っぽく染まる。困ったものだ。本当に。綱吉はこのところ延々と困り続けている。
当の幼馴染みは、得意のポーカーフェイス顔に収まっているから余計に困った。
(……て、照れんな、テレたら、ますますおかしーからなっ!? オレ!!)
「…――――」
「…………」
(……てっ……レッ……!)
心臓が、どくんどくんと喉元に迫ってきて、綱吉も根をあげる。もうムリかも。だってダメツナだ――。
湯気立って赤面しながら、ぷいっとあからさまに、顔の向きをそらした。
「――じゃ、ムクロでいいよ……」
「ふん」
旧知の幼馴染みは、肩を下がらせる。
眼球に薄く目蓋を載っけて、すると睫毛のサイズ感が際立った。蒼い目玉に爛々と下生えしているようで色艶がある。
ふん、と、短い間隔で二度も鼻を鳴らして骸は沢田家の玄関の扉にようやく手をかける。
冷たい夜の下に出て行き、さもついでのように、綱吉に念押しした。
「それ、君の口から兄に伝えておいてくださいよ。こじれる前にね」
「……ぅあーい……」
シャキッとしてない、ダメダメな返事だった。
だが、骸は黙って頷くばかりだ。
六道家の食卓に着席した綱吉は、ナナメ前に座っているガイにごにょごにょと許嫁の件の話をした。デイモンが、割烹着を着て台所に立って、土鍋を煮込ませている。
ぐつぐつぐつ、煮え立つ音がこだまするなか、骸によく似た青目の美男はイタズラっぽく自らの下顎に指の関節部を当てる。
「綱吉くんの意志なら尊重しますよ。……でもまさか、骸。部屋に篭もったと思えば……、まさかお前、窓から外に出たんですか」
「なんで僕がそんな野蛮なことする必要があるんですか」
「あ、どっちかっていうと、ガイさんのが好きなんですよ。オレ。ほんとに」言った瞬間、微妙に食卓の空気が変わった気がしたが、綱吉はよくわからないので困りながらも続けた。
「でもやっぱり変なコトですから……。オレ達のよくわからんやつにガイさん巻き込んじゃ申し訳がないです。な、骸?」
「くふふ」
「くふふ」
ぴったりと重ねて骸とガイが薄く喉を転がした。
両者を見上げる綱吉だったが、骸はもう立ち上がって台所に向かっている。デイモンの料理に口を挟んだ。
残るガイは、綱吉と目が合ってただ静かに、――にこっとした。
「……?」
寄せ鍋の、醤油ベースの香ばしい匂いが漂ってきた。
×××
夜が抜けたように白くなった。
自分の足はこんなに長かったっけ、真っ先に疑問を抱く。
誰かの膝の裏を蹴って誰かが転ばされた。すかさずに頭をブーツで踏みつけ、何事かを口にする。――「傷付くところなんて見たくないんですよね、ほんの一瞬でも」。
唇が独りでに動く。
「殺したっていいんですが」――掌底を突き出して、横から反撃に出ようとしたもう一人を抑えた。
首のど真ん中に次なる掌底突きが突き刺さりそのまま転ばせて、腹に蹴りを叩き込んだ。
「顔写真の報道をされては面倒ですからねぇ」
しばらく、地べたに転がっている彼ら二人を好き放題に蹴りまわした。
自分はまったく心配していない。それどころか、くつくつと薄く嗤い始める。
手首がすっと後頭部の襟足の毛に伸びた。一絡げにしている長髪が、暴行の拍子に前へと落ちてきて、これは何気なく後ろに払っておさめる所作。
自分の足元で、虫の息の若い男が悶えている。
「ぐ……え……」
若い男のほうを入念に、無防備な土手っ腹を足の甲に蹴り上げる。つんざく、悲鳴。
「ギャアアッ!!」
頭いっぱいのBGMが最大音量になる――瞬間、綱吉は目を開けた。
朝がきていた。
天井が、緑葉色のカーテンの色を淡く散らしてゆらゆらしている。
反射神経がそうさせて綱吉は目覚まし時計へと手を伸ばした。
「な、なんつー夢……っ! あ、……、れ?」
目をこすって、定時前の盤面に驚く。まだ起床時刻じゃない。
そうしている間に夢は溶けてしまい、恐いものを見たとの印象だけが残った。
「ん!?」
半日も過ぎると、そんな印象もおぼろに霞んだ。だが背筋はぞくりとした。
襟足の毛に相当する部分……、後ろ髪を金属製の装飾品で一絡げにしている男性。今日も、彼はそこに立っていた。
校門に入らず、校門前に立ち止まって、適度に着崩したスーツの襟元に千鳥格子のマフラーを巻きつきさせている。
その青瞳の水面を見つめる――、妙にぞくぞくするが、綱吉は呆れた顔になってガイの隣を軽く睨んだ。そりゃゾクゾクするわな、なんて思う。
「……デイモン。なんだ、そ、その……なんだ?」
「ヌフフ。今日は、時間が余ったもので私も来てみました。どうです? 綱吉。ご一緒におやつでも」
「言っておきますが、僕は着替えてきてはと提案したんですよ。綱吉くん」
「ん〜っ? パリコレ的な近未来図、わかりませんかね?」
「わかるかっ!! うわぁっ……」
袖にフリルに、肩章のついたジャケット、それにカボチャパンツのようにふくらんでいるボトムス。どことなく中世っぽい感じがある一張羅だ。
ガイは、やれやれとした眼差しでデイモンを横目にするが、それ以上は話題にしなかった。
いつもの笑顔を浮かべて、同じくお茶のお誘いだ。
「えっ? きょ、今日も? 大丈夫なんですか、ガイさん……仕事は」
「休日ですよ。そろそろ下校時間かと思いまして、足を伸ばしてみました」
「おやおや! んーっ! 先約は私! ですが?」
「では三人で」
こだわりなく、ガイ。
大の男達は左右から躊躇う綱吉のその腕を捕まえた。デイモンがにやにやする。
「今にも逃げたそうに見えますね、この子犬君は?」
「いかにも変質者な風体は子供を怖がらせるだけですよ、デイモン。綱吉くんには刺激が強いでしょう」
「ほほう、貴男はそんな顔をしておいて、よく言えるもんですねえ」
(な、なんか、カモにされてる気分っつか犯罪臭がするのはなんでなんだーっ!!)
びくつく中学生の頭越しに、ガイとデイモンが会話をする。
歩く十八禁では? などデイモンに問われてもガイは笑っている。険悪なムードとも思えるが、彼ら当人はまったく気にせず、唐突に綱吉に話をふった。
「ふたりっきりはお預けですが、綱吉。食べたいものがあれば申告なさい」
「スイーツでいいじゃないですか」
「パフェ屋がありましたねぇ」
「パンケーキもまだ食べてませんね」
「あ、あの……、……オレ、安っすいファーストフードとかでも」
連行される宇宙人のようにふたりの間に収まって歩かされつつ、綱吉は汗して彼らをそれぞれ見上げる。
青の目と水色の目は丸くなった。
「遠慮深いですね。では、パンケーキで」
「決まりましたね」
(どおいうリズムの会話なんだ、この二人は……!?)
ツッコミしづらい……のは、確かだ。
綱吉はやっぱり汗して何度も結論づける。ホットケーキの専門店に連れていかれた。
生チョコに生クリームにチョコレートシロップ、チョコレートアイスのチョコ生地のパンケーキ。それがガイのオーダー品だ。デイモンは抹茶白玉パンケーキを注文した。
綱吉にすると、どれもちょっと胸焼けするスイーツだ。
「甘いもの、得意なんですね、ふたりとも……」
「ヌフフ。そちらは、シンプルにホイップバターと生クリームですか。いかにも沢田綱吉だこと」
「綱吉くん、トッピングにバニラアイスくらい足しませんか?」
「へ、平気です、よ」ガイはナプキンを広げてわざわざそれを綱吉の膝に広げる。膝が撫でられた。
切り分けてあるチョコレート生地のパンケーキに、さく、とフォークが入る。
「なら、僕のものを一口でもどうですか。おいしいですよ」
ナイフで白玉を切り分けているデイモンも、白玉の断面図をフォークに刺して綱吉の顔の前に運んだ。
「私のモノにも遠慮はいりませんよ。懲りない男ですね、ガイ」
「くふふ。お返しに君のも一口欲しいですね、綱吉くん」
「ほう。なら私も所望しましょう」
「え。え? え、あ、ハイ…」
いつの間にやらニコニコし通しの大人たちの輪に加えられて、口を開け閉てさせる綱吉だった。
骸はパンケーキに生チョコを載せてくれた。さすが、甘味好きの彼のお眼鏡に叶った、どろりとした濃密な味がする。
デイモンは、半分に割ってある白玉に抹茶クリームをまとわせて、綱吉にさらなる要求をした。
「アーン、です。舌を出して、おおきく口を開けるんですよ、綱吉」
「……んあ」
視線を感じるので恥ずかしいが、乞われるがままに応じる。
舌の中腹に白玉がこすられ、なすりつけられ、たっぷりと開口したまま味わわされた。
「ん、っ!」
慌てて、綱吉は口の端の涎を拭った。
舌をくねらせて、危うく落ちそうになった白玉をひょいっと舌先で掬い上げる。そのまま口を閉じ、もぐもぐした。
「ちょ、もっと奥までフォーク届かせてくんなきゃ困るんだけど!」
「それは失礼を。もっと奥に、でしたね」
「きちんと入れてあげないと失礼ですよ。デイモン」
ガイが、何やら耐えかねて小さく噴きだした。
「?」なぜだか湿り気のある空間に目をぱちくりさせる。
彼らの試すような視線に、ややしてピンときた。
「あっ!! 今、切ります!!」
「……くふふ、綱吉くんって可愛いですね」
「ンー、まあ、お稚児さんですか。美味しそうではある」
「クフフ。綱吉くんですから」
「味はけっこう似てるとおもいますけど……!?」
自分のパンケーキを切り分けながら、綱吉は困惑して桜色のほっぺたになった。半分ツッコミするように呻吟する。
週末は近づき、金曜日である。
「迎えに来すぎじゃないですか?」
綱吉は、まじまじと、幼馴染みを下から見上げるのだった。
スクールバッグを肩に引っかけ、並んでの登校だ。
このところは登校時間は一緒になった。
「……えっと、ガイさん、とあとデイモンさん、最近は校門よりちょっと離れたところで待っててくれて」
「君が中途半端に相手なぞするから。つけあがるんですよ」
「んな! なんだよ」
「餌付けされて喜ぶだなど、頭がカメか幼稚園児ですからね?」
「なんだよ! その言い方! おまえって昔からそうなんだよ」
「ハア?」
「オレが楽しんでると横からああだこうだ、文句つけるんだよ。悪かったな、ダメツナの分際で!」
「君っ……、卑屈ですねー」
素っ気なく、平坦だった声のトーンが乱れる。
骸の顰めっ面が綱吉を覗き見た。
「僕はお前がのほほんと食い物にされてるから言ってあげてるんですよ? わかんないですかね。オモチャにされてるんですよ」
「ほらー、ああ言えばこー言う!」
「お隣のよしみを、なんて言い方しますかねー」
演じるように呆れた顔になって、骸がつんと前を向く。
綱吉も負けじと溜息するが、しかし吐いたのちに苦笑する。自然と肩の力が抜けていく。
「それ、小学生んときよく聞かされたわ」
「そうでしたっけ?」
「オレの靴のやつ、覚えてるだろ」
骸が目をすがめた。それは、綱吉も骸も小学生だった時分の事件だ。
鈍くさくてダメな子どもは靴を隠されて靴下を泥まみれにして校庭で泣いていた。そんな彼の手を引き、帰宅させたのはお隣に住んでいる一歳年上の幼馴染みだった。
その幼馴染みは頭の回転が速く、翌日には聞き込みを始めて、隠した犯人もその子分も靴も順次、摘発及び発見をした。綱吉の靴で犯人の横っ面をひっぱたいたと冗談のような逸話も残している。
思い返すだに笑えてきて、綱吉も骸と同じ方角の空へと目をやった。
「あれ、強烈だったよなー……。あれ以来、どんだけ失敗してもイジメはないんだよ、オレ」
「……君の失敗なんて星の数ほどありますよ。覚えてません」
(素直じゃないやつ!)
骸もすっかりリラックスしているとは、低くなった声のトーンからして、綱吉には筒抜けだ。
「君が脳天気すぎて苛める気がしないんじゃないですか。豆腐に釘を打つようなもんでしょう」
「おまけに学校休みたくてもお前が引きずってでも学校に連れてくしな。鬼畜男だよ」
「あ、小五んとき、まさかの皆勤賞を貰ってましたね、君。くはっ! アレは傑作でした」
「アレめっちゃ恥ずかしかったぞオレは!?」
ツッコミして、すると骸と視線がかち合った。
すると出会い頭の眼差しを丸くさせて、骸が口にする。
「今日はマックにしたらどうですか? 綱吉」
「あー? マック! いいな」
「そろそろ、いつもの味が恋しいんじゃないですか。君って貧乏舌ですもんね」
「毎度、買い食いしてるわけじゃあないぞ」
「奈々さんには黙っててあげますよ。僕も久々にジャンク食べたい気分です」
「あ、お前も、来るわけ?」
いいのか、生徒会長……、呟きかけて二人して足を止めた。
ニットベストにスカート、大盛制服を着用しているクロームが、全身を弾ませて走ってきた。
追いつくなり、頭を下げた。
「今日から、私も、学校、いきます!」
「風邪はよくなったんですか?」
「クローム。今日、帰りにマック行く?」
綱吉より年下の彼女は目を輝かせた。それを後目に、骸にも目配せしようとする。しかし、
「ちょうど今さ、骸と――」
声が途切れる。
骸が、強烈に綱吉を一睨みした。軽蔑すら連想させるそれは瞬時に消失して何事もなく、クロームに彼からも声をかけている、が。
こころもち、早歩きになって校門を抜けていく。
おはようございます! 会長! と、方々から挨拶が聞こえた。
骸が、ひとつひとつに丁寧に返事する。抜群に好印象を与える微笑みの生徒会長の顔だ。
綱吉は、逃げ腰にはなったが、下駄箱で別れたところを戻って骸に話しかけに行った。
「おい! 骸、なに機嫌悪くしてんだよ!」
「君が…」
「オレ!?」
脈絡を感じられずに、喉が裏返った。
冷然と左目を光らせる骸は、のっぺらぼうのような無の表情である。綱吉に機嫌を損ねた上に、心を閉ざしたときの六道骸だった。
「な、なんだよ……、お前」
動揺しながらも、綱吉は豹変する幼馴染みを責めた。
いくらなんでも、と思った。
「――思ってたんだけどさ、お前。クロームにまで冷たくないかっ? せっかくの兄妹だろ、そこは素直になっておけよ。後悔するぞ」
「素直? はは」
小馬鹿にしきって、骸は肩を竦める。自分の上履きを足元にぽいとした。
「僕に似合わぬ単語を僕に求める上に、後悔ですか? 後悔するって脅すんですか、君が? 僕を?」咄嗟に綱吉は六道骸の全身を確かめていた。
その姿、声、佇まい――、古くから見知っている幼馴染みの彼は、眦を吊り上げて綱吉をはっきりと睨み返した。
間髪入れずに、手首が握られた。
「――綱吉」
「うわっ……!?」
下駄箱の隅に、ちょこんっと顔を出し、二人の様子見をするクロームの姿があった。それきりだ。
生徒会室に改造された応接間が、その扉を閉ざした。
生徒会長がその特権として預けられている鍵を用いて錠までおろした。書類の詰まっている棚に、広々したデスク、赤い革張りのソファーなどがある。
骸の代で改装させたと、そんな噂の立派な生徒会室にたたらを踏むように進んで、綱吉は思わず自分のスクールバッグを抱きしめた。
「ちょ!! ここに来ていいのかよオレはーっ!?」
「朝は使ってません」
「そおいう問題かっ!!」
「今はいい、僕が許可した」
「えええええええ!?」
血の気が引き、胸騒ぎの予感がした。
――正反対に、生徒会室は、静謐がおしつのる。
遠く、登校してくる生徒たちの声がする。それが却って室内の静けさを引き立てる。綱吉は知らずにカーテンのほうへと後ずさり、踵を踏んづけた上履きを日光に晒した。
(き、……きみ、は? ぼくの……)
ほんの吐息のような囁きを、綱吉は必死の思いで拾い上げる。
それは。パズルのピースでも嵌めるようにして、胸中で音読された。
長年の付き合いがある、幼馴染みであるからこそ成立する、骸の口元を読んでの読み取り方だった。
けれど綱吉は疑問符が連続する。
(いいなずけの、くせに……? あれ、間違えてる)
両目をまばたきさせて、次なるチャンスを待った。
骸はそんな機微に敏感に反応する。
無表情を打ち消すように、顔色を変えて、皮肉そうに演技ぶった。ニヒルに鼻を鳴らしてみせる。
真ん中分けしてある髪を、前髪の片側を自分の指でわざわざ掻き上げた。
「――許嫁ってなんなんですかね、ほんと。イライラするな」
「……あ……」
(『許嫁』、は、正解なのか?)
「……母さんが帰ってくるまでの我慢、て話になっただろ……」
「そうじゃない」
キツい断定口調。詰るのに似ている。
目の前に迫られたのもあって、綱吉は口をつぐんだ。
「なんで君は平然としてるんだ。こんなの異常だろう? 君は馴染みすぎだ、僕の許嫁の役を我慢してると言うのならその行動はなんなんですか。あばずれですか、君は?」
「……はへ」
その言われように、喉が奇妙に鳴った。
なんだ。なんだ? 疑問符が連続しすぎて綱吉の思考回路では理解ができない。ぞく、と腹のうちは悪寒を走らせた。いやな感じを飲んだ。
骸は、その端正な顔をゆがませて、綱吉に顔を突きつけて最後通牒のようにして言い放った。
その眼差しの強さに、煮詰まった感情を思い知らされる。
「許嫁として失格なんですよ、お前」
「し、…………!?」
(しっかく? 失格!?)
い、いつの間に、審査制が――、ツッコミもままならず、喉が閉じてしまう。
真っ正面からぶつかる視線が耐え難く、なまつばを飲んだ。物怖じする。
刹那、うすい喉仏の上下運動を青い球体が捉えた。
骸が綱吉を覗き込めば、距離はぐぐっと縮まる。
常日頃から傍にいて接触する機会も多い相手としても、未知の距離感だ。心臓が痒くなるほどの近距離である。
背中が窓辺に追い詰められている事実もあって、綱吉は、びっくりするのと同時に片手を挙げて顔を庇っていた。
「う、わ、」
ほつれるようにして、小指に骸の頬が当たる。
なにやら引っかかる感触がして、直後にぶちんっ! 引き抜く手触り。
綱吉の指先に、医療用のガーゼが用いられた眼帯が垂れ下がった。
骸と綱吉は揃ってまずはその眼帯を見下ろした。そして綱吉は度肝を抜かれ、絶句してただ呆然となってしまう。
「――――」
骸の右目が剥き出しにされる。そこは、単に、偶然の追い剥ぎに驚いているが、
「は、はああっ!?」
素っ頓狂に綱吉は悲鳴を上げている。
右目の上の眉根が決まりわるそうに顰められるが、右目が問題だ。
鮮烈な――血を想起させるほどの真紅色が、その目の珠に宿っている。
さらには瞳孔が見当たらない。瞳孔があるべき中央箇所には『六』と漢数字が刻み込まれてある。
骸の目は西洋人形のようなブルーアイ、イタリア人の血が混じってるから青い! と、かつて幼稚園児だった綱吉は骸と一緒に帰りながら歌ったものだ。
それがどうにも、ぶきみな、悪魔のような赤い瞳に――。
右目が、豹変してしまっている。
「ど、ど、どどどうしたんだよ、それっ!?」
今度はこちらが食いつき、伏せられた顔面を覗き込む番だった。
>>ターン5 「あかいがいこつ」
>>もどる
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