リングとミリオン:ターン1 


「幼なじみ来る!」




 理不尽――そんな概念は、昔っから死んでいる。
 若者社会では顕著なものだ。法律がなく、警察の介入もなく、単純明快なルールだけが存在する。動物っぽくてわかりやすい。
 つまるところ、弱ければ死にざまを無残に晒すしかなくなる、のだ。
「ツナ、パスいったぞ」
「ぶっ!?」
 ベチャッ!
 バスケットボールがパンチのように横っ面に決まる。
「あいたー!」など叫ぼうが彼も晒し者だった。またかよ、たのむぜ、ヤジのように罵声が飛ぶ。
 さらには当たり前のように、
「おまえのせいで負けたんだからなーっ」
「……ご、ごめん」
「とゆーことで」
 ずずい、掃除用具のモップは迫る。
 体育館に居残るのは、敗北チームである。
 同級生はあからさまに意地悪な顔をするが、他のチームメイトも似たり寄ったり、渋面でいたり面倒臭そうでいたり。助けてはくれない。
「お掃除、たのめる? オレ達、貴重な昼休みは遊びたいから」
「えっ」
「んじゃたのんだぜーっ」
「ファイトだ、ダメツナ!」
「ちょっ。まってよっ」
 誰かが悪い遊びのように叫びはじめる。
「テストは!?」
「入学以来全部赤点!」
「スポーツは?」
「ダメツナのいるチームはいつも負け!」
 ギャハハハッ!!
 盛大な笑い声に取りのこされる中学生は、ひとり、モップを握りしめる。本当に他の皆は行ってしまった。
 打つ手はなしだ。肩をさがらせ、モップを片手に引きずった。
「……ヘイヘイ。どーせオレはバカで運動おんちですよ」
 両目をひがませて小窓を見やる。
 足元のそこは、柵に囲まれてボールをはじくようになっている。白いそこを超せば陽差しの泡立つ別世界がある。少年は、ぼんやりと頬を青褪めさせる。
(……こんなダメなオレがなぜ学校に来るかといえば、)
 がごんっ!
「!!」
 打撃音に、悲鳴。
 直後にがららっと体育館の扉が横にスライドされる。細長くて色白な指が扉を押さえていた。
 息を止めてふり向く――、革靴がまず入ってきて、膝までが長い足が続いた。背高な、モデル体型の少年がするりと姿を現した。顔面も端然とし、髪型のシルエットは特徴的、鶏冠のような房が立っている……
 何気なく、ぽい、ぽいと。
「ゴミの時間でもないのにゴミがありましたね」
(…………!!!!)
 床へと、彼の言う『ゴミ』が投棄された。顔や腹を抱える男子生徒たちだ。
 顔面美麗な少年は、眼帯を貼っつけた半面をきょろきょろさせる。
 こちらを見つけると、独特の低い声帯でしゃべりかけてきた。
「クラスメイトでしょう?」
「あっ……!」
(な、なぜ学校に来るかといえばーっ! こいつっっ! 六道骸が幼馴染みだから!!!!)
「ゴミは互いを管理しあって欲しい。困りますよ」
 青い目玉で床を覗くと、「ひい!」床の男子たちが哀れっぽく叫ぶ。
(なんたってワガママで――)
「どこぞの間抜けが僕の足を引っぱる。そのために画竜点睛を欠く。タマにキズ。完全無欠とは程遠いだなんて僕が哀れじゃないですか? 完全犯罪でしょう?」
「は、はい!! 犯罪です!!」
「ですよねぇ」
 にこりっ。男子たちに、美人な笑い方をしてみせている。
 が、
(ひひひひ皮肉な笑顔はマジ怖ェエエエエエー!!)
 幼馴染みの沢田綱吉はよろめいた。
 膝をふるわせてモップにしがみつく。彼は、あくまで朗らかに。口角を高い位置に保っていた。
「では、おわらせてくれますね?」
 フローリングが波打つように磨かれた。男子がモップを奪い合うようにして一斉に渾身のモップ掛けをやりはじめる。
 骸は、腕を組んで背中を壁に立てかけて、開けっぱなしの扉から吹く風に紺色ベストを揺らしていた。髪型がちょっと変わっていてもスマートな全貌だ。
「揃いも揃って使えないんじゃ、話になりませんね。あと一分です」
「かッ、会長!! 今すぐにー!!」
「おわりますぅううう!!」
「あぁ!? ま、まってよぉっ」
 ズザザザーッ! モップの群れの最後尾で騒ぐ、少年。
(ひぃっ!? 見てンじゃん!! こっちばっかーっっ!?)
 男子が焦れて叱責した。
「ダメツナ! モップかたせよ、はやくしろ!」
「うわぁああ! まってまって!」
 理不尽――そんな概念は、昔っから死んでいる。
 若者社会では顕著なものだ。法律がなく、警察の介入もなく、単純明快なルールだけが存在する。しかしサバンナのハイエナもライオンがやってくれば道を譲るのである。
 彼らと彼らの違いは、ひとつ。彼らは人間であると、そのひとつだ。




×××



「――綱吉」
 足元のフローリングはつやつやに磨かれて反射している。
 ――しょぎょうむじょう。ってどう書くっけ?
 など、自問したので反応がズレた。
 逃げ去る足音やら悲鳴が、体育館にこだまする。会長ヤベェ! 怒ると鬼ッてマジ! など。
(お、おおおおいコラぁああーっ!?)
「…………っ」
「くふ」
 火に油を注ぐ、というのか。
 六道骸はくふくふやってみせる。骸は幼き頃からそう笑う奇妙な癖があって、テレビヒーローに素直に憧れた綱吉とは違って、悪役好きの子どもだったものだ。
「クフフフ。ご苦労。君、肩で息をしている」
「……ど、どーも……」
 人差し指をくいくいさせての手招きに、視線はそらす。
「た、たすけてくれた、んかな? あんがと。それじゃ!」
「クハハハハ! クマ牧場のエサです、決定」
「この熊好きめぇえええええええーッ!?」
 横をすりぬけようとした綱吉は、バックから羽交い締めにされた。腹の前に伸びた手がジャージを鷲掴み、ぐるんっとその場での一回転をさせる。
 正面から向き合うと、綱吉は心胆が冷えきった。
 迫りくるのは笑顔だ。先程のモップがけ、いじめまがいのイビリより、よほど、おどろおどろしい。
「君は〜ねぇ〜えええええ?」
「うああああああああ骸っっ!? み、右目、どーした!?」
「そーやってすぐ他人に舐められてされたい放題、他人の靴でも舐めたいのか媚びを売ってバカの安売りか! いっそ僕がイビッてお前を破滅させてやってもいいんですよグズがどうやったら矯正されるんだ君は!!」
「しっ、知るかっぁあああああああああああああ!?」
「ナマケモノに乗っ取られでもしてるのか!!」
「仕方ないもんは仕方なぁああああっらっめ頭がくがくぅ!?」
「大昔っから! 君は、ほんと――、……」
 胸ぐらを揺すられ、綱吉はつま先立ちを強制されているが。骸の両手は急にパッと離された。
 彼の左目の動きで事態を把握する。彼女らと入れ違うように、骸を押しのけて体育館から逃げようと試みる。
 ――大盛中学校、青色の指定ジャージ姿で女子達がやってきた。
「あれ、六道くん!? 早退したんじゃ」
「……こんにちは。戻ったんですよ。……放課後、綱吉くん! 君んとこの母親をよぉーく思い出すんですね!」
「お隣くん? いんの? どこどこ!」
「今、走ってった子じゃん?」
 骸くんもバレーやらない、いえボクは、など三年生同士の会話が聞こえる。綱吉はグラウンドを突っ切ってひた走った。
 教室のドアまできてやっとだ。溜息して、気持ちも追いつき、落胆した。
「あ〜…っ、骸怒らせたらもう学校にいる意味ねーなー…っ」
(それに。あーああ)
 予想は楽にできた――。教室では、すでに女子が弁当を広げている気配。
 これでは、とてもじゃないが着替えられない。
 一発アウトだ。なにあいつ、きもい、蔑まれながら制服を回収して、男子トイレの個室で便器の上などを活用しながらこそこそとみじめに着替えなくちゃならない。
 それに、売店にだってもうめぼしいお昼ご飯は残ってないに違いない。半目になって白目を剥いた。
 結論は、ひとことで終わった。
「……帰ろ」
 二年A組の戸をピシャンッと閉める、そのとき。
 スクールバッグにはぐちゃっとまるめた制服を詰めている。
 自主早退する綱吉を呼び止める友人もなく、取り立てて特徴があるわけでもなく取り柄もない綱吉に誰が注目するわけもなく、簡単に帰宅できた。
 コンビニに寄って、作りたてのオムライス弁当を見つけると『むしろオレってツイてんじゃん』など、独語する。ほかほか弁当は学校では叶わぬ夢だろう。
 そうして、馴染みの声は――、
「つなよし?」
「…………!!」
 ぎしぎし――、二階への階段を軋ませて上がってきた。
 扉の向こう、に、いる。
 ベッドを揺すって綱吉は跳ね起きる。
 テレビを見ながらオムライスを食べて、自室にひっこんでゴロゴロしながらマンガを読むなどしていたヒトコマである。
「きみってどこまで、」
「ああっ!? か、かってに部屋はいッちゃわないでぇえええええ!?」
「並、以下……!!」
 ドアノブがまわり、幽霊屋敷さながらにギィーッなんぞ蝶番がきしむ。どんより雲にお思われる面輪がでてきた。
 綱吉からしても顔の良い男だとは――たまに本人も、「僕は、顔はね」などと暗に認める――思うが、その分、表情筋が壊死していれば負のオーラは尋常ではない。
 取り乱して壁にへばりつく綱吉に、淡々と彼は告げる。
「しかも直前に会ってるってのに何をお考えで? お前ってやつは。クフフフん…」
「おおおオマエ!? ちょっ、まっ。待て!! 怒んなーっ!? な、なんでここに!! 学校は!? もう五時間目始まってンだろ、生徒会長ぉ〜!!」
「病院帰りなもので」
 顔の右側、右目を覆っているガーゼに指が触れる。
 四角く切ってあるガーゼの上に、二重構造になってもう一つの四角形が貼り付く。そこからゴムが伸び、形の整っている耳に引っかけている。
 白い眼帯を掛けて、顔半分を隠したようなポーズになっている、六道骸。
 ――を、見て、綱吉は苦い味を覚える。
 後頭部に房がある髪型、光が当たると青みが出てくる黒髪、抜群に整っているがアクがある容姿。よく笑っている男なのに悪い噂は絶えない生徒会長――。
 元から中二病っぽい素質のある学生に大ウケしていて、そうでない者にもウケているのが彼だ。
 そして綱吉はそんな彼の幼馴染みだ。
 一応、聞くべきかと考えた。
「目、か? どうしたんだよ」
「今朝ちょっとね」
「オマエが、そーゆーのつけてるとさ。オレにはナルシストも遂にそこまでかッて感じする。まさか演出か小道具じゃないよな」
「僕をなんだと思ってます?」
「や、やりかねないだろオマエ!!」
「このクソガキ!!」
「うぎひぃイイイイイイイイッ!?」
 頬を引っ掴まれ、ぐいーんっと伸ばされて綱吉は目を剥いた。
 青筋を額に浮かす骸の瞳は、獣のように瞳をぎらぎらさせる。普段、ぶ厚く被っている猫の皮が剥げれば、六道骸の素の顔はこんなものなのだった。
「そもそも感謝でしょうが? 感謝が足らない! イジメから救ってやったのが何十分前のことですか!」
「ひぎゅぅうううううううううっっ!?」
 幼馴染みでもなければ、憶病で鈍くさく内気で卑屈、平凡をさらに下回るようなダメダメな綱吉が近づける相手ではない。
 骸は徐々にサディスティックに口角を吊り上げる。
「わざわざ君んちのボロ家にきてやってるんですよ? 職員室で先生と話したらですね? 教室から、君が消えてるというお話を聞かされたんですよねぇ? そのときの僕の気持ち! くふくふ、なんて度胸ですか? 学習性の無さですか? この僕に公衆の面前で恥辱プレイかなんかですか? え〜?」
「ふぉふひふぉお……っ、ぉおめ、んっ」
「そもそも、君の母親もですよ」
「かっ!? か、かあはんが何言ったあは知らなひへど、へいき、へーひ! がっほぉあ、もひょっ、ひゃいれひょおおおおおぉおぉぁああああああうううぶぅぶぶ」
「何言ってンでしょうかねこの小僧は? うーわ、間抜けなカオだ」
 幼馴染みを見下す目は一切の容赦がなく、ブリザードが渦巻く。
 綱吉は泡をこぼすように唾を飛ばした。
「――わっ! わるはっ、わるはっは!」
「君という男はすぐ怠ける。すぐ忘れる。その場限り、いい加減、浅ましく、タスケテーって叫べば猫型未来ロボットが助けてくれるとでも期待してるかのようだな? 君にはだぁーれもきませんよぉ? ダメのなかのダメ男です。わかってます? 自覚してようが直さねば意味ねぇーですからねぇ?」
(オマエの幼なじみやれてるだけでスゴくねぇええええかオレぇええええええ!?)
「ぎうっ、ぎうっ、ぎふぅうう!!」
「岐阜? 阿呆」
「ひうあっぷううううう!!」
「……ギブアップすんなら最初からサボらなければいいのに。ダメツナの極みだ」
 ほっぺたをつねる指が、こめかみに突き立てられてそこを強く押し込んだ。
 綱吉が動けないのは、冷たい温度の左目のせいだ。
「君には罰が必要でしょうね。さ、まだ六限があるんですよ」
 うすい唇が、陰険にめくり上がる。
「たった一時間の為に学校に戻されるなんて……、君には地獄でしょう? だから戻します、学校に行きましょう」
「い、今からぁああああああっ!?」
「くっはははー」
 笑う声を棒読みさせて、骸が自分の頬に人差し指を当てる。
「小二の頃でしたかー? 沢田綱吉くんのユルユルな膀胱がお漏らししたのは? 我が家のアルバムにあると思うんですよね。ベッドでべそ掻いてる君に、黄色いシミが日本列島のようになってるアレ――、うん。傑作でしたー。全校生徒に知って頂くのもやぶさかではないですぅー」
「――――……!!!」
 グゥの音も出せなくなる。
 真っ青になった綱吉は、よろめきながらもスクールバッグを開けた。丸めた制服を出して、Tシャツや短パンは脱ぎ捨てると、脱ぎ捨てたものは骸が拾う。
 主婦のように丁寧に畳んでいきながら、「わかりゃーいいんですよ」と呟くなどした。
 万事上手くいったときの満足げな流し目は片方をガーゼに蓋されていても健在だ。
 そのしたり顔は完璧と言える。……性別が違っていたらば、何をされても骸が好き! なんていう幼馴染みが生まれても、おかしくはなかった。
 しかし綱吉は男である。動揺することもなく、胸を掻き分けてくる骸にされるがままにされた。
「綱吉、ネクタイ、曲がっている」
「あ〜……、ども……」
 しゅるり。衣擦れが響き、骸の指先によって蕾はゆるまった。
 器用に手早くネクタイが巻かれる。死んだ眼になる綱吉の前で、骸は長い睫毛の下に、物憂げな吐息を洩らした。
「……君、一人で生きていけないと思われても、仕方がないな」
「あー。もー。わかってるから。ダメツナですよーだ」
「髪が入っている」
「あー、どぉもお……」
 シャツと素肌との間に指がもぐる。
 一周、ぐるりと首回りをなぞる。その手指は服を抜け出ると綱吉の頭に着地し、ブラウンヘアーのハネをなでつけて直す。
 眼帯の反対側では、眉が持ち上がっている。
「君。将来、どーするつもりですか?」
「べつにィ」
「君、そんなだからヒエラルキーの最下層なんですよ」
「骸が言ってもさぁ。説得力ねーだろ。芋虫が鷹に説教されてもどうしようもなっぶぼぉ!? ひッ、平手打ちッ!?」
「ではヘッドロックです」
「あギャぁぁああああああああ!?」
 ぱんッと平手打ちしたかと思えば、ホールドしながら頭を引きずって綱吉は廊下に出された。骸は怖い顔をする。
「そもそも僕でさえマジメ腐って学校通ってるというのに、お前ときたら。僕の目が黒いうちは絶対に楽させませんから!」
「ど、どっからツッコみゃいーんだよその本音ぇええええっっ!? お、おまっ、学校でもそおいうツラしてみろ!? 女子なんて半径五メートルにも近寄ンねーよ!!」
「君、僕が貰ったバレンタインのチョコを一緒に食べたでしょう」
「なぁ!? いっ、今は関係ないだろぉーっ!?」
「ずるい男。知ってますがね」
 皮肉に鼻を鳴らす少年に、取りつくしまはない。
 玄関で監視のもと、スニーカーを履かされながら綱吉は見えない角度にて舌打ちした。
(メンドくっさ〜〜!! 骸が絡むとロクなことねーんだよもう)
 先に、骸がドアを開けた。
 外界の白っぽい明かりが差し込む。
 かかとを踏んづけて軽く足踏みして綱吉も続こうとする、と。
 骸が、驚いたふうに青い目を大きく拡げた。
「……――――」
「あ」
 綱吉も目を大きくさせた。
 界隈は、一軒家が続くベッドタウンである。
 沢田家の隣。黒い屋根、グレー塗装のお洒落な家が六道骸の自宅となる。そこを、いましがた出たようで、彼はドアの方に手を残していた。
 呆然を声音に含み、骸がうなる。
「――兄さん」
 ぴくりと垂れた髪が揺れる。
 青年の後ろ髪は、金具で束ね、ふくらはぎに当たるほどの長さがある。シッポのようなシルエット。
 髪のほかは骸とうりふたつだが、面長で骸よりさらに身長が高く、大人の姿の骸と言えよう。
 彼は、洒落た白シャツ姿で白と黒の千鳥格子の大判マフラーを首に巻いている。ちょっとしたポンチョのような大判マフラーで、左半身からは飾り紐が枝分かれしながら垂れていた。
 編み上げブーツの先は少年らへと向き直り、ジャケットの裾をはらりと踊らせる。節くれある、硬そうな手のひらがマフラーを口許から下がらせた。
 にこ、唇の両端を引き上げる。
「こんにちは? おふたり」
「…――仕事は」
「半休ですが? ムクロと、綱吉くん……。学校は? 綱吉くん、またサボりですか。元気があって何よりですね」
「やめてください。調子づく」
「こんにちは〜…」
 綱吉はいくらか面食らうも、会釈をする。
 低く、甘ったるい低音バスが続く。
「お迎えねぇ。骸……」自らの下顎を人差し指でさすっている。
「……相変わらず仲がいいんですね、君たちは」
「そうでもないです」
「ンなことないですよ」
 声がダブる。
 下を――、上を、少年らは覗き合う。
 二人共に、すぐさまが目が泳いだ。微笑みを押し殺すのは兄である。
「本当、仲がいいですねー!」
「だから――」
「あの……」
「おにーちゃん!!」
 呆気にとられてふり返る。
 向きは、学校方面。カスタード色のブレザーを着る美少女が駆けてきた。骸が呆けているうちに、綱吉が手をあげる。
「クロームちゃん」
(いもうと、さん。骸の。あと、従兄弟の、デイモンさんだ)
 美少女の背後――、ゆっくりと歩いてくる従兄弟は存在感が凄まじい。
 彼も骸たちに似ている顔だ。が、似ていないと同時に断言もできる。
 どこがどんな仕組みか頭に分け目が二本ある。肩章のついたジャケットに、袖にフリルもつけて、パリ・コレクションばりの非日常ムーブを背負っている男性である。
 クローム髑髏が叫んだ。
「ツナっ…お兄さん! どうしたの。二人いっしょだよ」
「学校はどうしたんです」
「風邪で早退です、ンーッ。お迎えにこのデイモンが」
「――怒って、る? 心配かけてごめんなさい」
「いえ……、そんなつもりは……」
 喉を詰まらせる、骸。
 気まずそうに柳眉を寄せている。胸に寄り添う妹の頭は手で撫でた。妹も、頭に房がある。分け目もあるが、髪色は瞳のアメジストに近く、少女らしいボディラインの持ち主だった。可愛らしい少女である。
 ただ、顔の右を眼帯がカバーしている。黒い当て布はドクロの銀飾りが貼りつけてあって医療用品ではなかった。
(クロームは、弱視でたいへんなんだよな。イタリア人とのハーフで。お隣さんは皆、骸と同じなんだ)
 頭に思いつく単語を読みながら、ドギマギしてくる。
 脇腹は痛むように疼き、目が乾いた。
(やべぇ……、揃うとハンパねー、この家族!)
 なんとも変な空間だ。手を握って、すると汗でぬめっているのに気づく。骸は玄関を透かし見ようとしている。
 躊躇っていた。マフラーの青年が、視線で頷いた。
「わかっていますよ。僕が面倒みてあげましょう、おいで。クローム」
「……ガイ? いつからいたの」
「クフ、後でね。はいりなさい」
「風邪ってインフルエンザですか」
「さぁどうでしょう?」
 従兄弟のデイモンが上品に笑いつ、小首を傾げる。
 ガイがクロームを連れていき、扉を閉めても骸は自宅を心配そうに見つめた。
 眉と眉を中央に寄せて何やら思い馳せる。考えながら言うようにして呻いた。
「しばらく欠席ですね。デイモン、何かムチャさせたんですか? 体が弱いあの子の世話、みると言ったのは貴方ですよ」
「私が母親代わりでしたか。ガイといい君達といい、我が侭な方々だ。いいでしょう。病院等は私が手配しますのでご心配なきよう」
「当たり前だ。気をつけてください」
「…………」
 綱吉は、デイモンと目が会っていても黙っている。
 会話に混ざれる気がしないからだ。
(『ガイ』……骸さん、今二十五歳だっけ。骸のお兄さん)
 ガイとムクロは、漢字で書くと二人とも『骸』になる。
 変わっている兄弟だ。漢字の意味といい、出生届がよく受理されたもんだの次元であるが骸は骸の名で生きている。
 意図不明の謎センスといい、伝統ですかいとツッコミたくなる外見といい、六道一家は奇っ怪なファミリーだった。
 ヌフフ、としか文字に起こせない含み笑いが聞こえる。
 大げさに両腕を広げ、腰をくねるようにしながらデイモン・スペードは『六道』の表札を通って行く。
 骸やクロームと異なる、水色に澄んだ瞳をきらめかしながら、
「大集合と言うところですか」
 意味ありげに流し目をした。
「――おふたり、では、また。どうぞ、手遅れになる前に走り出してください」
「いわれなくても」
 デイモンが家に入るのを見届けずに、骸が歩きはじめた。
 ついていくと、しばらくして。
「なんで黙ってるんですか」
 大盛中学校の白塗りの校舎、埋めこまれている大時計が視界に見えてきた。
 困って、頬は指で引っ掻いた。
「や、圧倒されるな〜って……。おまえんちの家族」
「言わないでくださいよ。疲れる」
(自覚あんのかい!)
 姿を消していく相手へとツッコミする。
 下駄箱だ。三年生が奥の列になる。
 骸は、一階で別れようとした。三年生の教室は三階となるが、生徒会室は一階にあるのだ。
 以前は、専用の生徒会室はなかったそうだが、六道骸が応接室を改造させたとか――入学三ヶ月で校内を掌握したとか、教師も逆らえないとか。人並外れた綱吉の幼馴染みには様々な伝説が蔓延している。
 本日、二度目となるが下駄箱にスニーカーを突っ込ませながら、綱吉は前歯を口内でぺろりと舐める。
 骸は噂話も数知れない。
 いい人だよ、悪いやつだ、不良、人気者、いや親切だよ、いやあくどい、いや非道、鬼の化身、人によって評価がまるきり食い違う。それが六道骸という少年だ。
 霧のよう。えたいがしれない。ミステリアスな男――、結局はそんな評価で締めくくられる。
 が、綱吉にすれば、どれも真実の味がしない。
 神秘性? 気分屋……自分が大好き……捻くれた性格だからそれが歪んでそう見えるのか……しかも、骸はアレで、根っこが柔らかい人物だ。人物評も混乱するかも。
(……………………)昔――、六道骸と沢田綱吉は、姉妹ほどの距離感でいた。
 幼稚園にまで遡れば、ご近所で評判の仲睦まじい二人組だった。
 骸がいつしか、綱吉のダメダメなところを毛嫌いしはじめるまでは。
「ちゃんと六限でないと殺しますから」
「あー、ちょっと、おい……」
 そっけなく言うだけの少年は、飽いたように片眼を帰す。
 綱吉をふり向くなり、ブレザー制服のポケットに両手を突っ込ませた。陽が空を半分過ぎ、廊下にナナメに射してくる。
「何です? 生徒会室ではサボらせませんよ」
「ちがぁう! あのさ…」
(アー、何ていやいーんだろ? 骸……ガイさん達は。あー、何でこんな……)
 言葉をムリに抑えるとき、鬱々した靄は胸を詰まらせる。何が隠れているかわからなければ、不快感はひとしおとなる。綱吉はなんとなく骸が同じ気分なように感じられる。
 鬱陶しそうな左目をおずおずと見上げてみる。
「……腹が立ってる、だろ? オレ、バカだし間抜けだし……、なにやってもお前の足引っぱるけど……。別に邪魔してるつもりはないんだぞ?」
 骸の右目は、今は眼帯によって閉ざされている。
 眼帯の上の眉が持ち上がった。
「突然ですね。どんな意味なんでしょうか」
「オレを迎えにきたとこ、ガイさんやクロームに見られたくなかっただろ。わ、わかるぞ、オレは恥ずかしかったし」
 胃がむかむかするようで、壁を見やる。二人分の影が貼りついている。
 骸が、引き攣るような声でツッコミを入れた。
「は? ダメツナの自覚ですか」
「……や、お前。頭いーんだし、推薦とっくに決まってるし、でも生徒会長まだ引き受けてるだろ? どんだけ素が極悪でも人望あるしモテてるし友達もいる。オレなんかにかまうの、いい加減に時間の無駄だってわかってるだろ」
「体育館でのこと、引きずってるんですか」
 壁の影の一方が綱吉に歩んできて、手を伸ばした。
 目と目の間に、びしっ!
「ッでぇええ!?」
 デコピンした指は、まだ綱吉の額にくっつく。
「クソガキは生意気を言うもんですね」
「んなぁあああっ!?」
「僕に文句あるなら、自分で自分のケツを拭けてからにしてくれませんか? 今のが一番イラッときました、正直」
「むっ! むくろはまたすぐそう!!」
「呼び捨て」
「は!?」
「学校じゃセンパイでしょう、綱吉くん」
「――――〜〜っ」
 骸の青の片眼は、小さく幅を縮めた。
 口をぱくぱくさせる綱吉の言葉を待たずに彼は抑揚もなく言いつける。
「軟弱。グズ、クズ、馬鹿な君に視界の端をウロチョロされて僕がどれだけ目障りに感じてるか自覚があるのは結構なんですが、そーやってグダグダされるともっと邪魔臭いんですがね? わからないですか? なんもかもダメツナですよ」
「つ、ツメが、ツメが額に刺さってきてま、骸せんぱっ!」
「日本語も満足に喋れませんか?」
「骸先輩!!」
 ハハ。鼻先で失笑する。
 綱吉は、舌先にからい味がするし、目玉は飛び出しそうな気分だ。頬は赤らんだ。
 額に刺さっている指は、どう考えても『バ』『カ』などと書き文字している。
「〜〜っ、い、いじめ、加担するなよな、生徒会長っ」
「くは、被害妄想ですか?」
 生粋のサディストの気がある、絶対、綱吉は常々そう思うが、骸は水を得た魚のようにして笑い飛ばした。
 ちょうどよく響くチャイムの音で、やっと指先を引っ込めた。
「では。授業に出なさい。ああ、放課後は僕を待ってるように。夕飯の代金を預かっている」
「……母さんもわかってないよ……」
 額を手で抑えて、口を尖らせる。
「面倒を任せるのが骸――ムッ、ムクロ先輩なんかは、人選が最悪なんだよ!」
「おや、わかってるでしょうよ? 君を人間らしく生活させるにゃ僕が最良の男でしょーが、それでは」
(何なんだ、骸お前っ!!)
 胸中でガガーンと背中にツッコミする綱吉である。
(――基本、他人なんかオモチャってスタンスのくせして――、平然とオレにも暴力ふるうってのに、なんでかそう――)懐に入れた身内には、過保護にもするのが彼だった。
 やさしさも思いやりも通常のそれとは違う気はするが。
(――――、……この自己中め。イイ迷惑だっつの……)
 綱吉はしかし、そんな骸にふりまわされるのが日常だ。
 ……誰がなんといっても幼馴染みなのである。

 

 約五十分後、綱吉はぽつんとガラス製の扉にもたれて立っていた。
 所在なさげに、空っぽの手の内をこする。
 教室に入ってから手ぶらでの再登校に気がついた。置き勉していることすら、幼馴染みの六道骸にはお見通しだったらしい。
 下校する生徒たちに、物憂げな視線は投げかけてしまう。
 皆、スクールバッグを肩にしている。
(……骸のやつ、オレがカバン忘れてること気づいてただろーな。指摘しろよな、中身に意味なくったってさァー……!!)
 くそう。することもない。仕方なしに、耳に意識を集中させる。
「…………」
 数分のうちに、それまでとはことなる喧噪は聞こえだした。
 きゃあきゃあ――がやがや、男子も混じる。
 六道骸を信奉する連中だった。『親衛隊』とか呼んでも差し支えなさそうな学生たちだ。
「先輩、目の代わりにいつでも呼んでくれていいんですよ〜っ」
「せんぱーい、もう帰っちゃうの?」
「六道さん! 次はいつウチの部にきてくれるんですか!?」
(……あー。予想通りでヤんなるー…、コレで傍に来いって? おい?)
 スクールバッグを左肩に引っかける少年が、下駄箱に現れた。人の好さそうな明るい表情をしていた。
 そして天使みたいに、にこっと笑う。
「――綱吉くん。待ちました?」
 颯爽と歩み寄ってくる天使に、綱吉は頬を引き攣らせる。
 視線をてきとうにずらしててきとうに答えた。
「んー。うぇーい」
「…………、あ、ネクタイ、直しますよ」
「あぁああああああ!? 首がぁ!?」
 キュッとさりげなく、とびきり親切そうにはにかみながら、ネクタイの結び目を奥へとスライドさせて首締めにとりかかる。骸の必殺の得意技の一つだ。
 取り巻きが、不満そうに本人を前にして陰口した。
「また、例のあいつ……」
「ネクタイなおさせてる……、わざわざ、会長の手で……」
「君は、仕方がない人ですねぇ。しかし待っててくれてありがとうございます。感謝しますよ、綱吉くん」
(超怖ェえぇええからあああーッッ!!)
 目と鼻の先に、恐ろしく端正ではあるが、なんらかの予兆を累積させる笑みは近づく。スゴ味は滲み、脅迫するかのよう。
 綱吉は、かふっと空咳しながら、あとずさるようにして踵を外に向けた。
「……ざ、ざき、行ってるがら……ッ」
 骸が綱吉のネクタイを手放した。
 タイミングを見計らって取り巻きが群がる。
「先輩!」「六道さんっ」柔和な、穏やかな面持ちでふり返る六道骸は、なごやかに片手を上げてみせる。さりげないが、断固とした口調だ。
「今日は用事があるので。さようなら」
「…………っ」
 きゃーっ、骸せんぱぁい、など歓声する女子たちを避けて、綱吉はグラウンドへと転がり出る。
 校門で、骸が追いついた。
 愛想もなく顔も体も前を向いたままで問い質した。
「で? 何です、その反抗期の息子のよーな態度」
「……骸こそなんだよ二重人格かよ? 一緒に帰んの久しぶりだけどさ、相変わらずお前って歪んでんのな、みっ、っにゃあ骸せんぱあい!?」
「ここ、豚のエサぐらいは役立つでしょうか」
 綱吉の脇腹を摘まんでつねり、骸が半眼をして睨む。左の肩にスクールバッグを提げていた。
 スーパーの自動ドアをくぐるときは、綱吉が両の手に大きなレジ袋を、骸は小さなレジ袋を右手にぶら下げている。
 身長と体格がある骸だ。筋肉量も腕力も、当然ながら綱吉に勝っている。が。
 反抗する気力がなく、綱吉は、ずっしりくる重みにただ耐える。
「……これ一ヶ月も続けんの? マジかよ……」
「僕が見捨てる可能性もあるんじゃないんですか?」
 骸は左指でスマートフォンの画面をタップする。視線もそこにある。
「続けて欲しいですか?」
「も、もう勘弁っ……! お前の取り巻き怖ェーし、二年生と三年生にまで目ぇつけられたらオレの学校生活は破滅しかないわ」
「連中を取り締まれって僕に言ってます? そんなことまで煩わせますかね」
「なっ!! そ、そんな気じゃ。別に、頼んではないぞ」
「そーなんですか? 僕は奈々さんに嫌われるつもりはないので、君にどう評価されようが止めないんですがね。大人しく僕に面倒をみられることですよ」
「――お、鬼かっ! おまっ、っ……!」
 と、住宅街を歩く綱吉は横へとよろける。指に食い込んだレジ袋を急ぎ、持ち直す。
「重いですか? くはは」
 いい気味です、とでも顔に記すようにいじわるに骸が笑う。骸はそんな性格だ。
「そっち卵ありますから。お気をつけて」
「おまっ――:」
「あらぁー。おかえんなさい、ふたり一緒なのねぇ」
「おや! ただいまですぅ」
 コロッと愛想をよくして骸が応えた。沢田家のはす向かいの住宅の奥さんである。
 骸はさも好青年のようにして話しかけた。
「ガーデニングですか。いつみても、ステキな鉢植えですね」
「骸くん、ツナちゃん、聞いたわよぉ」
 主婦は目をきらんとさせる。――夫に招かれてイタリアに旅立った母親について、だ、綱吉は直感する。
「ツナちゃん家はいよいよお引っ越しになるのかしらー? 奈々さん、旦那さんと会いたがってたもんねぇー。骸くん、そしたら寂しくなっちゃわない? どうなの? いつからなの?」
「くふふ。うーん、綱吉くん?」
「……おれは、知らない……ですよ」
 極端な猫背と、綱吉の手荷物を見て、主婦は早々に自宅へと引っ込んだ。じょうろを片手に。
 綱吉にそうさせている張本人は、あからさまな溜息を吐く。
「はぁ〜〜。これだから実の親に信用されていないグズは」
「オマエ、オレがだいっきらいなのかよ……何だよ、骸は聞いてるのか?」
「知るわきゃないでしょが」
「んなっ!!」
 そー言えよ、ヒヤッとしたじゃん! ツッコミに顔色を変えず、骸は綱吉からレジ袋をふたつ、左手一本で奪っていった。
 綱吉は自宅に直行して、骸も自宅に入った。
 太陽が沈むまでに一時間はかからず、宵闇のなかに綱吉は、パーカー、七分丈の裾を絞るタイプのボトムスを履き、黒い一軒家の呼び鈴を押してみる。ピンポーン。
 パジャマ姿の女の子が、胃を刺激するなんとも芳しい匂いとともに、綱吉を出迎えた。
「ツナお兄さんっ! こんばんは!」
「クローム。風邪もういいん?」
 パーカーのマフポケットに両手を突っ込んだままで、かかとを潰したスニーカーは後ろを蹴るようにヒョイヒョイと脱ぎ捨てる。
 骸は、リビングルームにて仏頂面でいた。
「君ってほんと仕度が終わってからきますよね」
「あのな。オレがいても邪魔だろ!」
「その通りですが……殴りたくなる……」
 如何ともし難そうに睨んでくるが、綱吉にも言い分はある。過去、手際の悪さでキレられた回数は数知れない。
「……」と、六道骸が腕にかけているエプロンは一瞥する。
 明るい青の色。クマの顔がちらばり幼稚園児ウケしそうなデザインだ。彼はその愛用品を丁寧に折り畳んでキャビネットにしまう。襟足の毛が当たらない程にネックラインが深いヴァイオレットの長袖Tシャツ、黒いスウェットパンツの後ろ姿。
 くるりと前に戻ると、顔が露出する。前髪を赤いパッチン留めふたつで、左右にぴちっと別けさせている。
(……信者にみせてやったらなんて反応するんだか……?)
 パチン、と片方が外された。
 落ちてきた前髪を指一本で耳に戻して、もう片方のパッチン留めは放っておくつもりだ。必然的に、それは眼帯の側となる。
 これは、自宅でのんびりするモードである。
「ン〜ッ」と、デイモンはもう食卓につき、来訪者である綱吉に手招きしている。
「イエスも晩餐は大勢でやりなさいと説いたものです。ささ、どうぞ。特別に貴賓席をご案内いたしましょう」
「綱吉。こっち」
 幼馴染みは、無表情になっていてイスを引いた。自分の隣のイスだ。
 綱吉が着席すると、ガイが箸を差し出した。骸とは反対側のイスにいる。黒のカットソー姿。
 ぬふー、横取りですか? などと嘆くデイモンの雪色のシャツには、フリルとギャザーがたっぷりに入っている。
 ツッコミはしたら負け、したら負け、胸中に言い聞かせて綱吉は口角を引き攣らせる。
 いざ、五人で食べると、鍋がちいさいのですぐに嵩が減った。
 立ち上がって、冷蔵庫を開けると骸は小難しげにうなる。
「買い換えどきですかね。これは小さすぎる」
「私もデイモンに買い物頼んじゃったから……ごめんなさい、おにーちゃん。冷蔵庫をパンパンにするつもりじゃなかったんです」
「……いえ。いいんですけど……」
「ヌフフ。明日の私が全てを消費してあげましょう」
「そういえばインフルって鍋つついていーんですか?」
 細かい疑問を口にする骸は、戻ってきながらデイモンを無視して菜箸を取った。
 ころん。ころころん。肉団子をパックより蹴り落とす。クロームとガイが追加した野菜にまじって、回転しながら沈下した。
 骸の青い左目が、食卓の全員を順繰りに見つめる――
 諦めたよう、嘆息を吐き出した。
「ま、誰も感染しなさそーですが」
「オイ……。今、オレをバカってカウントしただろ」
「おやおや? インフルはそんなの関係ありませんよ? 被害妄想ですね、かわいそうに。クローム、クロームはインフルじゃなかったんでしょう?」
「ウイルスは出なかったけど、お休みはするようにって」
「んなっ! お、陥れたな骸!!」
「今度は、妄想ですか? 沢田綱吉も落ちましたねー」
「ちょおおおっ!? オマエッ、絶対――!!」
「鍋の、前では、叫ばない」
 せせら笑って、菜箸をひょいと見事に操る。
 骸の両頬は紅潮していてイイ笑顔だ。
「黙っておきましょう?」
「アフひゃぁあああああああ?!」
 口中に茹で上がった肉団子がほうり込まれてきて、はじけるような感覚に腰を浮かせる綱吉だった。
 さりげなく迅速に、片腕を伸ばしてガイが腰を支える。同情した。
「かわいそうに、綱吉くん。これでは骸のオモチャだ」
「が、ガイさぁあん!」
「クフン!」
「賑やかな晩餐……んー、楽しいですね。クローム、お野菜は食べてますか? ウサギのようにたくさん食い散らかしたまえと言うものです」
「おいしい」
 白菜をかじるクロームは、染まった頬で綱吉と骸を見比べる。
 ――情熱を秘めた瞳だ。
 デイモンは大きく頷く。ただ一人、鍋のお供で紅茶カップを唇に宛てている。
「綱吉くん。ウーロン茶、ほら。僕のですが口を冷ましましょうね」
「あ。アリガトウございまっ……」
「ヤケドは後から痛みますよ」
「……、……」
 こく、こくんっ。
 ガイの美貌に気圧されながらも頭を縦に揺する。彼の親指が、綱吉の口の端から端っこまでを拭っていった。
 綱吉は、頬がむずむずとする。ウーロン茶を飲まされて咥内のあちらこちらが腫れていると自覚する。
 肉団子が入っていたパックが、ばんと食卓にふり下ろされた。
「兄さん。肉団子、作りすぎでは? 冷蔵庫ちっちゃいんですからよく考えてくださいよ」
 明日の朝ごはんですよ。難なく答えてガイは綱吉に返されたコップを受け取る。
 コップのフチに自らも口づけして、飲み干した。
「そうだ。綱吉くん、朝も食べにきませんか? 一ヶ月間も一人暮らしなんでしょう? なんならここに住んでもいいですし、お風呂もついでに入ってしまっては」
「えっ。ええ!? わ、悪いですよ〜」
「…………」
 唇をすっぱくさせて何事かを骸が言いかける。
 顰めた眉が保たれる――、口許では、結局はなんらかの中断を解いた。
「仕方ないですね。今夜からいいですよ」
「でぇえええええ!? い、いくらオレでもそこまで世話んなるのは」
「君のことだ。面倒臭くなって入らない、湯を替えない、いくらでもサボるんでしょーが」
「そ、……れは。そんな、ちょっとぐらいはっ!?」
「やっぱり。決定ですね」
「あのなぁーっ!?」
 後方では、二回もコールしないうちから、デイモンが電話の受話器を取り上げた。
 貼り付かせた笑顔のままリビングを横切って、受話器を綱吉の前に垂らしてみせる。
「君に、ですね」
「え?」
 …――、母さん、電話に出ると綱吉は声が呆ける。
 六道家の面々からの注目に、たまらない気恥ずかしさはわいた。つっけんどんな声になる。
「なんだよ? 大丈夫だよ、あー。まだ初日じゃん? あー、父さんはいいから。いいよ……や、照れじゃねーよ。マジいーから。ホント。やめて。遠慮じゃないからっ!? いいよっての! ……あ〜……よかったな、そりゃ……、そう、なんだ?」
 視界の端では骸が肩をすくめる。鍋からは白菜をとって、ポン酢につけた。白い歯を覗かせてかじり付いている。
 と、
「へぇえっ!?」
 素っ頓狂に叫び、綱吉が両眼をひん剥く。
「?」眼帯の反対側にある目玉も、疑問を浮かべた。骸と視線がぶつかるなり、綱吉は後ろによろける。
 つーくん、あのねぇ……、受話器からの音漏れがかすかに響いた。
「はっ――へ、な、何いってンだよ母さんっ!?」
「……なにか? スピーカーにしてはどうですか」
「うぇえっあっ、き。え。あ!?」
「失礼」
 セリフでこそ断ったが、実際には、骸は前置きなく受話器を引ったくった。
 綱吉が、骸の胸ぐらに突進する。
「うわあああああああああ!? ダメダメ!!」
「? はあ?」
『――どうさんちのご両親とね、やっぱり約束してたのよ! 父さんも覚えてたの。つーくん、私も父さんも六道さんとのお約束を守るべきって考えてるのよ〜、いいわね? ツナ! 今言ったこと、よぉーく肝に銘じておくのよ!』
「ちょ、骸っ、やめろマジで!!」
「こんばんは。奈々さん。骸ですが」
『骸ちゃんっ! まあー、私よ、今回は本当にありがとうね』
「いえいえ……」「骸!!」血相を変えて受話器を奪い返そうとする綱吉を、青い眼球が観察し始める。冷静な視線だが、興味は露骨なものだった。
 必死な姿をしげしげと見下ろす。最大限に、天井へと腕は伸ばされて受話器は遠ざけられる。どうやっても綱吉では背と手が届かない距離だ。
「オイ!! コラッ、冗談じゃな――ッッ」
『迷惑をかけてごめんなさいね。ツナがイタリア行かないって言いだしてホント一時はどーなるかしらって思ってたのよ〜。感謝してもしたりないわぁ』
「……いえいえ、いつものことですから……」
「かーさん!! やめてよ!?」
「……何をそんなに……」
 ぴょんっぴょんっと跳ねる綱吉の頭を、骸が手で押さえつける。
 食卓ではガイもクロームもデイモンも目を丸くするなか、大音量のスピーカー音声が早口でもって捲し立てた。
『私も、あなた達なら安心って思ってたのよ。そう、だから親同士で約束しちゃったのよねー。今からでもご両親も喜んでくれるんじゃないかって、たくさん話してね……ああっ、強制じゃないのよ〜? でも中学生の間だけでもいいの! そこで愛を育んでみて! 二人には意識しておいて欲しいのよ。これが私達と、六道さんちのご両親のご意志なんですもの』
「父と母が、何か…?」
「き、切ろう。電話きろーよォおおおおお!?」
『いーい? とぉーっても大切な、大事なことよ。骸ちゃんとつーくんはね……、』
 底抜けに明るく、奈々の声が六道家のリビングの隅々までこだまする。
 右側の眼帯までぴくっとするほど骸は両眼を見開かせる。彼が手に掴んだままの頭骨がミシッとか言わされる綱吉もまた、絶句した。
『ふたりは、許嫁なのよー!!』


 ――こうして、綱吉のもとに
 恋と隣あわせの生活がやってきた。――



>>ターン2 「骸骨に倣う」
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