自分がどうなっているのかわからないが、大きな怪我はない。ひとつ挙げるならお尻が燃えるほど熱い。
「っつぅうう、い、いったぁ。げほっ。げほげほ」
砂煙が酷いし暗いので視界は麻痺している。呼吸も上手くできなくて、袖の繊維越しにムリに息を吸った。
「あっ――、あのふたりが絡んでくるとロクな目に遭わない!」
「誰かいんのか」
と、暗闇に問われて綱吉は息を止めた。
「ドジなヤツだなぁ。巻き込まれちまったのか。ケホッ」
「お、おにーさん……」
ケンタウロスのディーノも、無事ではあるようだ。
不可解な物音が連続する。砂煙が晴れてくると、楕円に開いた空が臨めた。どうやらここはドラゴンの寝床らしい。甲羅の背中がはみ出て、山と一体化していたに違いない。
ディーノが、片足を岩の溝に取られているらしいと、やがて確信した。
「だ、大丈夫ですか。……手伝いましょうか」
「アァ。んだよ、おまえ」
左前足を、人間の両手で引っぱっていたディーノが黄色い瞳でふり向く。怖じ気づいたが事実を言う。
「止血剤と包帯ならありますよ」
「おいおい。何いってんだ」
口角に薄笑いを乗っけて、ケンタウロスは自由な方の右前足で砂を掻いた。
ずる……。ボウル状の穴倉の底には、木や岩が無造作に横たわって山を作る。そちらには落ちないよう、注意しながら、綱吉はディーノへとにじり寄る。
「いや、やめとけ」
「でも――」
「俺はな。おまえさんに情を移すワケにゃなんねーんだわ。親切は別の誰かにやれ。その方がいい」
どういう主旨で話しかけられているのか、噛み砕くのに時間が必要だった。
綱吉は、目をきらきらさせた。
(こ、このひと……っ!)
見た目こそバケモノだが。言動も綱吉には意味がわからないものが多いが。
だがしかし、それでも確実に中身はマトモだ!
硬い決意に裏打ちされて、綱吉は岩のみぞに嵌っている馬蹄に両手をかけた。
「大丈夫です。今、だしますから!」
(ぜったいヒバリさんや骸よりも頼りになるだろ!!)
ぱからっ、ディーノは困惑して後退ろうとする。
「お、俺の話をきいたかよ坊主っ!」
「ディーノさんはイタリアからきたんですか?」
ナイフの刃先で岩の掘削を始めた。
新たな砂塵が浮き、天上からも戦闘の余波を浮けての土煙がなだれてくる。空気が極端に悪いが、ディーノが唇の中で囁くように喋るのは警戒心と戸惑い故に見えた。
「……まあな」
「さっき、出稼ぎって言ってたのは?」
「……っんだよ、話さねーぞ。ボンゴレファミリーの連中とはクチきかねー」
「ボンゴレだからダメなんですか」
今までにない事態である。自分と似通った常識を持ちあわせている――それは間違いないのに、こんな理由で拒否だなんて。
(お、オレはボンゴレやめたいんですよ)
一緒にしないで、と、その気持ちが伝わったかは定かではないが、打ちひしがれた目でジッとされるのはディーノも辛いらしい。
「俺をそんな目で見るな!」
「だ、だって……」
「しょうがねーよ。俺は、キャバッローネのディーノだ! この意味がわかんねーのか、十代目?!」
「わかりません」哀しい目をしながらも、綱吉は身を乗りだした。
蹄と、荒っぽい岩肌との間に慎重にナイフを滑りこませる。蹄を抉らないようにして刃先で岩を叩く。
ディーノは大人しくなって救出作業を見守っていた。
上では、相変わらず戦闘が続いていた。轟音、地響き、咆哮。ここもいつ埋まるかわからない。
(この蹄、ボロボロなんだな)
蹄に傷は多いのに蹄鉄は真新しい。頻繁に交換しているのだろうか。
ディーノが渋々として尋ねた。
「なんも教えられてねえのか?」
「はあ……?」
急に、事情を呑み込めないのが恥ずかしいことだと強く意識できた。
綱吉は頬をカァアアとさせて俯く。
「あ、あの、兄が……ついこの間までボンゴレ十代目をやってたので。交替したばっかだから、多分、何も」
(だ、だよね? おじいちゃん!)
縋るような気持ちに、理性が水を差した。所詮はリボーンの代わりだ、リボーンさえ負傷しなかったら祖父は自分に目もくれなかった筈だろうと思うと手足が冷える。
「イタリアがどうなってるのか、知らないのか。ボンゴレファミリーがやったことも?」
「え。ボンゴレってイタリアに行ったことがあるんですか――」
そこで刃が音をたてた。
奥へと手が滑り、それとは反対にディーノの前足が引き抜かれる。
ぱからっ! ぱかぱか。ケンタウロスの四本足で歩いてみてから、ディーノはまん丸にした黄色い目で改めて綱吉を覗いた。
「こりゃ驚くな」
感慨を籠めたセリフは哀しげでもある。
「長い歴史の中で……。どこかの時点で忘れた方がいいって判断したのかね? 見たところバケモノとの交配もねーみてえだしな、こっちの人類は」
今更に、綱吉は身の毛がよだつほどの驚きに見舞われた。
「世界は水没したんでしょう? ディーノさん、イタリアはまだ沈んでないんですか?!」
「黙秘!」
短く叫ぶも、ディーノ自身が試みたような完全黙秘は彼自身の葛藤のためにできなかった。
ボンゴレファミリーが俺達を見捨てたんだろ。苦しげにすばやくチクリとやってくる。
「え、えええええ……っ?!」
もう綱吉は見ずに、ディーノは陽の差し込む方を仰いだ。
蹄を連続してかつかつと言わせるから、ジャンプでもして脱出するつもりだ。
「ツナって言ったか? ツナに……恨みはねーんだけど。すまねーな。ボンゴレファミリーを許すわけにゃいかねえ。キャバッローネファミリーの十代目ボスとしてな」
「……十代目? ボス? ボスなんですか?!」
それでは、綱吉と同じ境遇だ。
気がはやっていくつか質問を連続させる、が、ディーノはもう応じない。胸に疼く痛みは、綱吉にはごくごく自然に悲しみとして納得できた。すごく切ない。
もっと話がしたいのに。こんないい人なのに。
残念がすぎて、口が滑る。
「すいませんでした」
ディーノの人の上半身が、綱吉をふり向いた。
「オレはよく知りませんけど、祖先がディーノさん達に何かをしたんですね? 申し訳ありませんでした!」
ボンゴレ十代目になってから覚えた謝罪のやり方を実戦してみせる。腰を直角九十度に折って頭をビシッと下げるのだ。
興奮した絶叫があがった。
「ジャッポーネカルチャー!!」
「へ?!」
「何考えてんだっ! そこまでしなくてもいいんだよ、やめてくれ! そんな若いのにハラキリなんかさせらんねーっ!!」
「はいぃいいいっ?!」
(だれが切腹をやると言ったぁああーっ!!)
ガァンッとする余りに言葉を失うが、ディーノは動揺して綱吉に駆け寄った。
「おっそろしいなお前さん! 話にきいてた通りにジャッポーネの奴らは礼儀正しく思い込みがつえええな! 腹斬るこたぁねえだろ!」
「え? あっ」
手にしていたナイフを、取り上げられた。
なぜだかディーノは手で両目を覆って笑い出している。怖ぇえな、と、楽しそうに何度も繰り返した。
「ははっ、はははははっ」
「ディーノさん?!」
(な、何が面白いんだろ――、あ、切腹?! 切腹に期待されてんの?!)
ヒィーッ! やっぱ化け物!!
けれど綱吉はすぐに羞じた。ディーノは朗らかに笑って綱吉の頭のてっぺんに手を置いて、人好きのするにっこりした笑顔を頬に寛げてくれた。
「こりゃ一本取られるぜ。そんなにカタく考えンなよ、侍ボーイ!」
「は……はぁい……?!」
ケンタウロスの尻尾が、機嫌のいい大型犬がやるようにフサッフサッと動く。
「まいったなー。ボンゴレは許さねーけどよ、俺りゃーツナは好きだぜ」広げた絹の布でそっと包んでくれるような言い方だった。
「…………!」
麻痺しかけた部分が、心の内で鼓動を始めるのが綱吉にはわかった。そこが動くと目が潤んできて頬に熱が登った。
「え……? ディ、ディーノさん?」
「ツナは好きだぜ」
もう一回言って、ころころと笑顔を転がしてくる。
「くぅーっ、お持ち帰りしてえな。イタリアにくるか?」
「え。おれっ……」
答えらしい答えはいらないのか、ディーノはひとしきりに含み笑って頷いている。
(や、やっぱ、いいひとだ……)
今や綱吉は誰の目にも見て取れるほど頬を真っ赤にさせていた。
こんな気持ちは初めてだ。
困るような嬉しいような、その中間をぐねぐねしていくような、細い穴に線を通していくのを思いだす繊細な気持ちだった。
ディーノの、逞しい青年の腕が少年の胴体を担いだ。降ろされたところで慌てる。
「い、いいんですかっ?!」
「こっから出る手段ねーだろ? いいぜ、運んでやるよ」
「でも……、えと……」
ケンタウロスの背中に跨りながら、必死に思いだそうとしたのは昔読んだ何かの文だ。背中に跨るなんて侮辱行為にならないのだろうか。
「遠慮すんな、兄弟」
ニッと白い歯が垣間見える。
驚きと感動が綱吉から言葉を奪う。ディーノが顔を近づけてきたので、綱吉は咄嗟になんでこんな胸が熱いのか理解できそうになった。
(し、しかもこのひとカッコいいなぁっ)
肩越しにふり向いている青年は、綱吉の右頬に浅くフレンチキスをしてから長い睫毛を羽ばたきさせる。
「どした?」
「お、おれっ、男ですよ……?!」
「そだな。……挨拶だぞ? なんだよ、ウブだな!」
「あいさつ? イタリアの?」
「なんでえ、カワイイなぁ。ほっぺたのファーストキッスだったか? そりゃーびっくりさせちまったな」
「え。え?」
キスされた頬を手で抑えて、その指先が小さく震えているのを感じると余計に恥ずかしくなる。
そんな反応にディーノは悪い気などまったくしない様子だった。前足で岩土を蹴りあげて、高く飛翔する。
「はいよォーッ!!」
天上から落ちる光の中へ、突っこんでいく。
そこで、綱吉は今までの浮ついた空気が穴底へ取り残されたのだと感じた。
緊張が張りつめている。飛びだした先では――降雨が起きている。
ただし黒い雨だ。
びちちっ!
キスを受けた柔らかな頬に、黒い点々が飛散する。空中にはヒバリが浮いていた。悠々と腕組みをして物見遊山の構え。
びちっ、びち!
また、黒い雨が跳ねた。
頭上からだった。綱吉とディーノは、小さく声をあげた。
「んなぁっ?!」
目にできたのは、巨大山ガメドラゴンの口から上半身を垂らしている骸の姿だ。
羽根であった黒のカスミが、蜂の大群と化している。蠢いてはドラゴンの鼻頭に体当たりして――びちびちっ! 黒い降雨があたりに走る。
「――骸!!」
ドラゴンのあごに、ボタボタと垂れている赤みがかった液体は彼の血に間違いがない。
牙に貫通されている肉体が、細かく痙攣している。上半身をもんどり打たせて彼はドラゴンに劣らぬ咆哮をあげた。
「クソがァアアアアアアアアアアア!!!」
「うわあああ?!」
綱吉の肌にまでびりびりきた。
黒い粒子がうねって目潰しにかかるが、硬い眼瞼に目玉が覆われると弾かれる。黒い降雨がまた――その中で、綱吉は愕然として王子の片割れをふり返った。
「ヒバリさん。ヒバリさんは?! ヒバリさんは何をしてるんですか!」
「綱吉か。悪運が強いね君も」
「ンなことより何してるんですかーっ?!」
「? 何も」
「なっ……。なんでですか!!」
「?」静謐を筆で描いたような柳眉が、訝しげに持ち上がる。
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