「――なんで何もしてないんですか!」
綱吉の右腕が、虚空を凪いだ。
「たった二人の兄弟じゃないんですかっ?!」
「何を言ってるのさ」
「アァアアアアアアアアアッッ!!」
空気がひしゃげた歪みを訴えながら骸の怒鳴り声を体に伝えてくる。ドラゴンにすれば周囲を飛び回る羽虫の一体を捕獲し、食べようというハラだろう。
「ヒバリさん!」綱吉には、ヒバリの後ろに腹部を上下から噛まれ、今にも切断されそうになっている骸が見える。
体の下半分を持って行かれるのはさすがにマズイのか、骸は両手をドラゴンの歯茎に突きたてて抵抗していた。
「…………!!」もはや、綱吉には彼の叫ぶ音波が言葉として聞き取れない領域に入りつつあった。
「ヒバリさん!」
「?」
(?! んなっ、なんで?!)
ぎょっとしてしまう。ヒバリは何で僕が怒鳴られるのという顔で怪訝に反応するだけだ。
「……っ、何があったんですか。あれ食べられちゃうんじゃないですか?! 骸は平気なんですか!」
「ヘマしたアイツが悪い。詰めが甘いんだよね。いい気味だろ?」
「どこがですか!!」
「綱吉? 骸は嫌いだろ?」
「な、なにをいってるんですか……。死んじゃいますよ?!」
ケンタウロスは、上空に弧を描いた後には地表に着地する。カツッ。綱吉は、地表から青空を仰いだ。
「見殺しにする気ですか?!」
「それが問題でも?」
「んなっ。心配じゃないんですかーッ?!」
「僕と骸は殺し合いをする仲だって君も知ってるだろう? バカ同士で命の削り合い、けっこうじゃないか。最後は二匹まとめて殺すんだから」
「ヒバリさん!!」
喉がわななき、目玉がせりあがる。内臓が煮えるような戦慄きで綱吉が震えた。
(何言ってンだ?! こ、こいつ――ら――やっぱり!!)
右手の指先が、ぴくりとする。
(……化け物なんだ!!)戦慄が、爆発みたいに膨れあがって、気が付けば綱吉は牙を引き抜いていた。
すちゃり!!
向けられた銃口を、黒髪の美少年は静かに見下ろす。
「君は身の程を弁えないガキだな。僕にそんなものを向けるなって――前も忠告してやっただろう?」
ヴヴヴヴヴヴヴ!
大翼が、威嚇を打ち鳴らす。
「…………っっ!」
ピストルを抜いたものの、綱吉はヒバリの不機嫌に当てられて我に返った。逡巡を向けたところで避けられるのがオチだ。
(ちくしょっ……!)八つ当たりに似通った、自暴自棄な衝動に襲われたがグリップを握りしめた。どうにか手は下ろさずにいれた。
「……兄弟でしょう。肉親でしょう? 二人きりの血の繋がりじゃないですか」
「君を殺すしかないのかな? 綱吉」
あっけらかんと言い放たれてしまい、固唾を呑んだ。
その後ろではドラゴンが唸り声をあげた。骸も何かを言っているらしいが綱吉の耳にはもはや聞き取れない。
氷みたいに冷たい脂汗が、シャツの下で滑った。
と。
「ツナ。アイツが本気でくんなら守りきれねえ可能性がある」
暗いトーンで耳打ちされた。
鼓膜から心臓まで、トクンとした痺れが走る。
ケンタウロスの上半身をふり返れば、優しい瞳が自分を見据えていた。
「ディーノさ……ん。守ってくれるんですか」
「放っとけねえだろ」
こんな場面なのにおかしいな。そうは思ったが綱吉は涙ぐんできた瞳を笑わせた。
「へいきです。……そうだ、そうでした」
「ツナ?」
「ディーノさんはわかってくれたんだ。これは、必ずしも必要じゃない」
自省するように呻いて、綱吉は拳銃をホルダーに仕舞いこむ。
そして両手をあげた。
ヒバリもディーノも、怪訝に眉を寄せる。
(――深呼吸っ)海面に急上昇した潜水者の気分で、綱吉は大きく息を吸った。すぅっと耳に呼吸がこだまする。
「オレの話をきいてください。ヒバリさん! 助けがあるのに見殺しにした、なんて経験はですね、後悔するんですよ!」
「君、頭がどうかなったわけ?」
ヒバリの周囲は黒いカスミのモヤが包む。
胎動するそれらが、綱吉とディーノに触れそうな距離にまでなびく。ヒバリがその気になれば、一瞬後には体に無数の風穴を穿つべく襲い来るだろう。
モヤ越しに、綱吉。
「骸が死んでいいんですか。兄弟でしょう。誰よりも強い結びつきが骸とあるはずでしょう?!」
「不愉快だ。兄弟っていうかね、天敵――」
「後悔します! 頑張ればできたかもしれなかったとき、頑張るのを躊躇ったらずっと後悔するんです!」
遮ってのセリフに、ヒバリが眉目を顰めた。そのものズバリを指摘してくる。
「君、誰の話をしてるの?」
綱吉の中で、ピンが音を立てて外れた。
ディーノの背中に手をついて身を乗りだす。
「――そうですよ。オレの話だ!」
開き直った叫びは、悲鳴に近い。
(そうだ。だから、ヤなんだよ。見捨てるこたぁないだろ!!)
――ヒバリも、その後ろでばたついている骸も、魔物だろうが綱吉には目に余るのだ。放っておけない。自分とリボーンに少しだけ重なるところがあるから。
雲雀恭弥はいよいよ分からないなという表情で肩を竦めた。
ヒバリの黒い瞳を射貫き返すと、野生動物の目を睨むような恐れで臓腑が縮んだ。
「……リボーンの右目が見えなくなったのはオレのせいだ。そのとき、オレさえしっかりしてたらリボーンは無傷でいられた」
「綱吉が助けたんだろ?」
「違う! 助けてなんかないっ」
(助けられてたら、オレはボンゴレ十代目にならなかったしリボーンの目を見て息が苦しくならなかった!)
急に恥ずかしくなった。こんなことをヒバリにいってもしょうがないとは、綱吉だってわかっているのだ。
「――もし十年経ってもしかしたら二十年が経ってそのときにはヒバリさんが魔王の玉座についていたとしても! 必ずっ! 今日を忘れない!!」
「ピーチクと煩い小鳥だね」
「ヒバリさん!」
「ツナッ、くるぞ!」
ディーノが後ろに跳ねて、黒いモヤがあたりを包む。
「――分かり合えるとか分かり合えないとかじゃないんです! いちばん、情けをかけなきゃいけない相手に、情をかけられるかどうかなんだ!!」
「不快極まりない」
単に不満を口にするといった体で、ヒバリが親指で自分の首を掻ききるマネをした。死刑宣告である。
「っ」下唇を噛んだが、すぐに言い返した。
「ヒバリさんは――、お兄さんじゃないですか。見てるとそんな気がします」
「双子。どっちが兄か弟かなんて」
「でもヒバリさんの方が大人びてる!」
「ツナ、危ねえって!」
胎動する粒子から逃れつつ、ディーノが身を乗りだす綱吉の胴体に腕を回した。
ヒバリの片眉が、神経質にピクリとする。
「……思想の違いだよ。あいつが自堕落に過ぎるというだけ! それでどうして僕が面倒見ろって道理が生まれる!」
「でも」
「うるさい。まさか綱吉、自分が殺されはしないって幻想を持ってるんじゃないだろうね?!」
「ツナ?!」
ケンタウロスの背を飛び降りて、綱吉は宙を泳ぐ彼に向けて両手を伸ばした。
「――ヒバリさん」
胸がシクシクと傷んだ。
「降りてきてください……。あなた達にずっと言いたかったんだ。兄弟で憎みあうなんて悲しいこと、やめてください……」
「……その手に持ってるピストルは何?」
「戦いたくない。争うのはイヤです。でもヒバリさんが、オレの前で、兄弟を殺して平然としていられるなら……、あなたが魔王としてこの国を統治するのは納得できません。あなたは敵だ」
人類の、ボンゴレの、オレの。色々な意味を籠めた。
ヒバリにもその意思が伝わって彼は瞳を正円に近く丸める。
「僕とやり合おうって? 骸のために?」
「違う。ヒバリさん。ヒバリさんがそんな人じゃないって、どっかで思ってました。だからオレ……悲しいです」
「ツナ」ケンタウロスのディーノが、綱吉の片腕を掴んだ。だが綱吉は小型散弾銃を握ったままヒバリの足元を離れない。
あたりを包んでいた羽根は、空に後退した。
「…………」
ヒバリの黒目は何も映さない。丸くなって初めて見るものに驚いている。
「悲しい?」その感情の答えを求めるように問いかけたが、しかし、すぐにヒバリは言葉を濁した。つい鸚鵡返しにしたのを恥じ入って矢継ぎ早に貶す。
「人間の心はわからないな。骸がハナから理解を放棄してるのもわかる」徐々に普段の彼らしい平静さが声に戻った。
「阿呆だな、君は。慈悲深いというのかな?」
そこから、綱吉の顔が明るくなる。
「いいよ。じゃあアイツに手を貸してあげる。ただし綱吉へのツケだよ。アイツがもし君に害をなそうが毒牙にかけようが、僕は関与しないから」
「だ、大丈夫です。自分の身くらい、自分で守ってみせます」
精一杯の意地だがヒバリは容赦なかった。
「本気で言ってんの? アイツがちょっかいをなぁなぁで済ませてンのは僕とかリボーンが君に気をつけてあげてたからだろ」
「そ、それはそうですけどーっ!! 大丈夫です!!」
「わお、根拠のない自信」
鼻で笑い飛ばして雲雀恭弥は背中を丸くした。両手両足を胴体にくっつけて、――一瞬後、手足をぐぐんと広げる。
その動きは、彼の背負ったカスミと密接に連動していた。
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