黒い――塵のような生き物の大群が、一斉に走っていった。
 ぎゅるぎゅるぎゅるるるるるるるるるっ!!
 アスファルトにタイヤを空振りさせたのに近い凶悪な轟音が起つ。思わず、自分の身にその荒々しい衝動が走るのを想像して綱吉は青褪めてしまう。
「ひ、ひえーっ……?!」
 山ガメドラゴンが、悲痛な咆哮で山野を打ち鳴らした。
 ぎゅるるるるるっるうっごごががが!
 激烈な肉との摩擦音がするのに、ヒバリ本人は、ヴァイオリンか何かの弦楽器を鳴らすときの指使いで穏やかに操縦を続ける。甲羅のスキマにねじ込んだ粒子は次々に肉を裂いていく。
「注意が他に向かってるなら、これくらいはね」
「最初からこーすればよかったのでは?!」
「言っただろ。二匹まとめて僕が殺す――、ま、将来的に」
 綱吉がハッとしてふり向いたのと同時に、ヒバリが声を濁した。ディーノが叫ぶ。
「ツナ! どうするっ!」
「――山ガメドラゴンの顔の真ん前まで!」
 ディーノが馬の下半身で踏んばっているのが腰に伝わる。
 次には、綱吉は、ケンタウロスの超脚力に打ち上げられて空高くまで上昇していた。
(ごめんなさいッ。でもどっちにしろ村に行かせるワケにはいかない――せめて楽に――今、楽に――)
 ドラゴンの鼻先にきたところで、綱吉は両手でボンゴレの小型散弾銃をふり下ろした。
 そこで、呆気に取られる。
 奇妙な色にくすぶるオッドアイと出会った。今までのやり取りは聞いていたので間違いなかった。
「…………?!」
 何とも言いがたい怖気が、綱吉の全身を走る。
(あ……)少なくともコイツに感謝されてない。むしろ怨まれたみたいだ。第六感がかろうじて感知したメッセージに、混乱した。
 ぎらつく眼差しに怖くなってきても、しかし言わねばならない。綱吉は震えながら哀願する。
「口を……開けさせて……」
 眉間には深々した縦皺がずっと刻んであった。しかしオッドアイは無感情だ。不自然な表情だと思った。
 紫と赤の中間色である血液で――骸の顔も全身も濡れている。
 と、満身創痍であるにも関わらず、彼の両手はドラゴンの歯茎にめり込んで、それらを上下に割ってみせた。骸の両手がつっかえ棒になる。
 引金を、引いた。
 打ち出したのは特殊な設計と魔力を籠めてある弾丸だ。魔物の体内で爆裂する。
 インパクトが、綱吉と骸を吹っ飛ばした。
 甲高い囃子声をたててディーノが地上に逃げる。右手では綱吉の二の腕をしっかり掴んでいた。
 ドラゴンが砂塵を空にどおおんと打ち上げてひっくり返る。
 空に放たれた骸は、瞬きよりも早く、血の上から自分の全身に黒い粒子を貼りつかせた。腹部は皮一枚で繋がっている。
「やった――?!」
 ディーノに抱きつきながら、綱吉。
「死にな!」鋭く叫んだのはヒバリだ。口から頭目掛けて打ち込まれた弾丸が致命傷になっているだろうに、トドメを刺すべくトンファーを構えて急降下していく。
 彼が叫ぶのとほぼ同時に綱吉も叫んでいた。
「のわぁああああぁあ――――っ?! なんじゃあぁあああっっ?!」
「へへへっ。様子見で正解っ!」
 ディーノが、落下中隕石のような猛進ぶりでドラゴンの胸元に突っこんだ。
 地表から飛びだして、前脚二本揃えての、強烈な馬蹴りを叩きつける。ドラゴンの皮膚も臓器も破り――。
「いよっしゃあ!! いっただきィ!!」
「ひぎゃあぁああああああ――――っ?!!!」
 結果的に、その日一番の絶叫がこだました。
 地面に叩きつけながら放ったその一撃が、ディーノの技の中で最大級の破壊力があるとか……綱吉は後で知る。





「ツナ? しっかりしろよ。びっくりさせちまって済まねえなぁ」
「あ、あばばば、うばばば……っ」
 心臓が引き攣りながらドクドクしまくるので綱吉の顔は真っ青である。
 一度は、頭からドラゴンの鮮血を浴びたのだ。
 気分が悪いどころではなかった。臓器も何もかもを貫いて心臓を踏み抜いたとは見えない笑顔があやそうとする。
「怖かったのか? オレも怖ぇーか?」
「だ、だいじょ……」フォローしようとしたが、言葉がうまくでてこない。
 顔をあげればディーノが右手にしている白い光に視線を惹かれた。
 ドラゴンの死骸は消えてしまった。
 白い光が、山に寝そべって休養しつづけていたはずの神族の死体である。吸収しやすいように気化させた魔物は光になるというが、綱吉も本当の気化状態は初めて見た。
(血まで、気化すると光るんだ)
 うえ、と、口を手で抑えてしまう。
 生臭い血のプールを頭からブッかけられた今日の記憶は生涯覚えてそうだ。
「ゆっくり、息を吸えよ。落ち着くまで一緒にいてやるかんな」言い終えるか否かの素早さで、綱吉の華奢な腰回りがディーノの肩に抱えられた。
「っと。あっぶね!」
「どあああああ! 出た!!」
「ちょっと――」
「誰を囮にして成果を手にしていると?」
 飛来したのは、雲雀恭弥と六道骸だ。ヒバリは両腕にトンファーを貼り付けているし、骸は補修中の肉体に黒粒を貼り付けて――ブンブンした羽音といい、まるで群がる蠅を纏っているかのようで――綱吉は鳥肌をたててますます顔を青くさせる。
「うぎぃっ……、お、怒っとる。ヒバリさん、骸っ。今回はディーノさんに譲ってくださいよ!」
「納得できないね。ああまでさせておきながら……、綱吉?!」
「だってーっ!!」
 慌ててディーノの頭越しにボンゴレの拳銃をふりかざした。
「っ、もう争わないでくださいねっ。決着はついたでしょう!」
「僕はその光が欲しくてここにきたんだ。勝手に死にかけたどっかのバカを助けただけなんて、僕がバカになるだろ!」
「頼んでもいないお節介は目障りですがね」
 ポソリ。彼方を見ながら呟いた骸に、ヒバリと綱吉がぐるりと顔を向けた。
 ヒバリが、憎らしげに叫く。
「綱吉!!」
「お、オレのせいですけどーっ?!」
 ディーノが、蹄を鳴らして中間に入る。
「どーどー。落ちつけよ、暴れ馬」
「ヒバリさんっ。でもあのっ……オレはっ……。ありがとうございました」
(ホッとした……なんていったら怒るよな)ディーノの背中に隠れつつ、綱吉。余計に怒らせそうな続きの言葉は、しかし上目遣いの眼差しから漏れていた。
 ぴくぴくと、黒い瞳のふちが震える。
「…………!」
 押し黙るヒバリと、骸とも離れてから、ディーノは綱吉を大地に降ろした。
 ちょうど、骸が何も言わずに飛び立っていくところだ。
 粒状の黒羽を広げて、空をよぎろうとする後ろ姿に――絡まった糸を呑んだ具合の悪さが押し寄せる。
(なんなんだ、あいつは)
「阿呆らし。はっ」
 腰に手を当てたヒバリが、イライラしてあたりを睨みながらトンファーを服の袖に仕舞う。
 と、額に手がかかる。
 前髪を梳きながら差し込まれた大きな手が、綱吉の頭をわしゃわしゃとやった。
「ツナ、ありがとな。おかげでイタリアのみんなに胸が張れる。くぅー、イキのいい塊だぜこりゃあ」
「ほ、ほとんど何もしてないですオレ」
 横目でヒバリを窺う。
 ディーノは下心のカケラもなくニヘラッとした。
「んなことねえよ。ツナは頼りになるオレの弟分だな」
「……っ」綱吉の頬は熱を持った。
「もったいない、ですよ。ディーノさん。そんな言葉は……おれ、ダメツナだし……」
「んにゃ。本来はキャバッローネがボンゴレの下につくんだけどな。へへ。ツナみてーなやつがボンゴレだったら俺個人としてはかまわねーかもな。判断力もあるし俺ぁツナが気に入ったぜ!」
「う、うう……っ。うーっ、極めて人道的でおまけに優しいなんつったらどこに非の打ち所が?! まぶしいっ! ディーノさんを直視できません!」
「おいおい逃げるなよ」
「ヒィイイーッ! 眩しすぎます!」
「今度、なんかの用事でこっちきたらお土産もってきてやろーな。パスタどうだ?」
 二の腕を掴んでくる手を剥がそうと俄に暴れて、そこで綱吉は静電気に表皮をぞわぞわとされた。
 辛いもので喉が上下したような感じだ。
「イタリアで、人類は生きてるんですか?」
 この青年の言動はあるところで非常によく一貫しているが。
 綱吉は、彼自身の言葉で知りたかった。
「ここ以外で誰かいるんですか?!」
 笑顔が固まり、ディーノが形の良い唇を閉ざした。笑わなくなる。
「ディーノさん」
 不安に駆られ、綱吉が縋った声を漏らす。
「教えてくれないんですか……?」
 まっすぐに見上げると、青年の瞳の奥で不可思議なちらつきが繰り返されるのがわかった。
「ツナの知ってるコトってなんだ?」
(オレの習った世界史は――)根幹は、まずは水没史である。
 何百の国が沈んだ。首都では今も形式的な葬式が執り行われる。喪われた国々を弔うために国旗を風に踊らせる。
(……今の世界は、最後の楽園。だからボンゴレファミリーはここに住む人たちを守るために戦う)
「んーだなぁ……」
 ――ぱきっ。
 変な音が不自然に鳴る。
 綱吉は後退りをやっていた。ぱきぱき。ケンタウロスの前足が真っ直ぐに伸びて、骨格が矯正されていって、後ろ足は腰元に吸いこまれて強引に畳まれた。ケンタウロスの下半身がまるでオモチャみたいにして青年の体に成り代わる。
 ディーノは、シャワーでも浴びてスッキリしたかのような声で一人で納得した。
「ま、いっか。サービスだな」
「…………っ!」
 変形と、下肢のダボついたジーンズもなぜか復活している姿に綱吉が声を失う。
 ディーノは両膝に両手を乗せて、屈み込んで、綱吉の薄茶の眼球にうつる自分を見つめた。
「さっきのドラゴンの力を借りよう。ツナ、いいぜ。こいよ。俺ん中に潜れ」
「はひっ?!」
 前髪が触れあう距離感にも動揺して――不意に、叩きつけられたプレッシャーにも臓腑が怯んだ。
 すばやく目をやれば、ヒバリが怖い顔になっている。
(え、えええ?!)
 ディーノはおかまいなしに喋る。
「……この、ドラゴンの光はさ。大事な大事な、力の源だ……。でも俺はしゃべれねえんだ。だから、魂に触らせてやる。実はな、ツナの姿をみたときから気になってたんだ。これがキャバッローネの血なら、きっとお前に何かをしゃべる」
「あ……」
 光を握る右手に目がいった。
 その間にディーノの左手が前髪をくしゃりと畳んでしまい、露わにさせた綱吉のすべらかな額に口付けていった。音をたてた優しいキスだった。
 握られている光が、電流の伝達速度でもって広がり、キスを通じて綱吉にも渡る。
「なんでかお前さんが懐かしい。ツナも俺が懐かしくならねえのか?」
「っつ。あ――」
 ぴりぴりした痛みが、全身に広がる。
(なつかしい、って――オレが今――このどきどきしてるやつと?)自分の心臓が信じられないほどに心室で暴れている。キスされた額からカァッと茹だりそうだ。
「見せてやるよ」
 思わず閉ざしてしまっていた眼瞼を、持ち上げる、と、目の前にあるのはディーノの黄色い瞳ではなかった。
 頂を失った山野でもない。青空でもなかった。
 ばさばささっ!
「――――――?!」
 羽ばたき音の津波が、止まない太鼓として耳を叩いた。


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