「……チワワに蹴られたのかい、君は」
「クハアハハハハハハハ!!」
呆れている目つきの悪い少年、腹を抱えてウケているタチの悪い少年の二人を背にして、綱吉は宿を飛びだした。
「もういいじゃないですか!! 絵がヘタですいませんでした!!」
「役立たず」
「食べちゃいたいですねー、ほんと」
ろくでもない見送りの言葉から逃げて、向こう側の通りに走っていく。
(そろそろきてる頃かな)
リボーンとは別に、綱吉が頼んだ荷物があったのだ。
村は長閑で道の幅が広かった。
やわらかい風を感じながら、綱吉は頬の火照りを自覚する。さらに恥ずかしくなった。言われるがまま、あの夜の残像をイラストに起こしてみようなんて、ばかげていた。
(ひ、ヒバリさんって苦手かも。我が道を行くって感じがリボーンに似てるんだ。逆らいにくいよ)
まあ、苦手どうこうと言ったら骸が別の意味でダントツトップになるが。
「ちぇ。あー、はやく、やめたいな。ボンゴレ十代目なんて重い看板がなければあいつらとも知り合わなかったんだしなー」
昨晩、村の外れから伝書鳩を飛ばした。
本家の人たちはヒトガタを使うから、もう届けにきているはずだ。そして綱吉は度肝を引っこ抜かれた。
今の服は、村で新調したものだ。質素な素材で作られた半袖に、褪せた色の古着チノパン。兄とあの二人を除けば、見かける人々もそんな感じだ。
それが、井戸の前に立っている男は高級そうなホワイトスーツ姿である。
小走りになって、綱吉は唖然としながら大きな声をあげた。
「おじいちゃん?!」
「おお。綱吉」
杖を片手にした初老男性は、元は麗しかっただろう造形に皺を寄せて微笑む。
「待っていたよ」
落ち着きを払った仕草で、左手にしている布のカバンを差し出した。
「綱吉が伝書鳩で注文していたものだ。弾丸の補充に、煙筒も花火もいれてある。確認してくれ」
まさか、九代目が届けにくるとは綱吉も思っていない。
想像できる筈もない。
見たことのない大型鳥のヒトガタが、木々に寄り添いながら羽根を畳んでいた。
「なっ……! なあっ……!!」
絶句することたっぷり一分間。
九代目はただ綱吉を見下ろしていた。青褪めながら急いで言葉を探す。頭が真っ白になった。直角に、腰を曲げて謝罪した。
「すいませんでしたっ。かっ、簡単な仕事を斡旋してくれたのに――てこずってしまって――!!」
「顔を見せたまえ、綱吉」
「……っ」言われてすぐには反応できなかった。目を見開かせて固まってしまいながら、もしかして怖いのかなと一人で自問する。
肺の浅いところで、静かな呼吸をしながら綱吉は面をあげる。
白髪をポマードでなめした老人は背筋をまっすぐにしていた。顔立ちがリボーンに似ている。普段は猫背のこの人が、別に背中が悪いから猫背というワケではなくて、威圧感を与えないために好々爺を装っているのだと綱吉は知っていた。
リボーンと肩を並べるほどの長身の影に隠れてしまうと、綱吉はいよいよ畏怖を自覚できた。
(なんで)この人がここにいるんだろうと疑問になる。幼少時より、祖父にはあまり好かれていないと何となく感じていた――昔の記憶が泡みたいに皮膚直下ではじける。
(リボーン――っ)
無意識に、いつも仲介を買ってくれていた人物に呼びかけていた。
今はきてくれる筈もなくて、綱吉の耳には祖父の低い語り声がこだまする。
「久しぶりに綱吉と二人きりで話がしたくなってね。魔王の息子どもの件ではご苦労だった。愛らしい我が孫に、レストランの食事でもおごってやろう」
「え……」
い、イヤです。
そんな大それた一言は、例え本音だとしても一生言えそうにない。
口角を引き攣らせながらも頷いた綱吉の頭に、しわくちゃの手が乗せられた。綱吉は自分がドーベルマンかダックスフントにでもなった気がした。
(この……農村のどこに、おじいちゃんが気に入るようなレストランがあるんだろう)
怒り出すんじゃないかと、心臓のあたりが痛くなった。
と、その恐れはすぐに消えた。
祖父を連れてきた怪鳥は、綱吉すらも乗っけて大空飛行を始めた。最寄りの街に着地すれば、駐車場にヒトガタを停まらせて祖父はいちばん背が高い建物に向かった。
支配人に通された部屋は、いちばん高等な部屋なんだなと綱吉にも分かるほど内装にインパクトがあった。
食前酒に口をつけ、祖父は喉でうなる。
「ポルシェでもっとイイところに連れていってあげたいがね。綱吉、たまには実家に戻ってきなさい」
「は、はい……」
浅いところに腰掛けた綱吉は、所在なさげな上目遣いを祖父に向ける。
スープや前菜、それによく焼けた羊肉のメインディッシュが順に運ばれた。
「胃袋は小さいほうかね」
「あ、朝ご飯を、いっぱい食べて……きてしまいました……」
(ついさっき……。十時に起きてからブランチしたもんな。リボーンとオレだと大抵は朝も昼もごっちゃに食べてるから)
祖父にすれば規則正しい昼食なのだろう。今は十二時を少し回ったところだ。
気弱に相づちを返す程度だったが、祖父はそれでも楽しげに見えた。
観察中なのかなという被害妄想のせいか、綱吉は落ち着かない。
(相変わらずだな。おじいちゃんは。元気そうなのは良かった)
実家には絶対に行くな。特に一人で行くな。
リボーンがよく言ってくる。実際、さしたる用事がなければ綱吉は実家に近づきたいとは考えていなかった。怖いから。
だが、両親が死んでから、祖父が自分達の面倒を見てくれたという事情もわかっている。滅多にない祖父の真心をむげにするのは申し訳ない。
「あの。あんまり食べられなくてすみません……。おいしかったです」
精一杯に微笑んでみせる孫に、ご老人は両眼を窄めた。
「甘いものの方が、ディナーよりも好きかね?」
「? 甘くておいしいです」
深いブラウンの瞳に宿る感情は、綱吉には難しすぎてよくわからない。
「私の分もあげよう。かわいい孫を喜ばせたいからね」
「え……?」
(あ。おじいちゃんだから、胃が……)
お腹いっぱいになったんだな。一人で合点して、綱吉はまたもや一生懸命に笑顔を浮かべた。ありがとうございます。デザートのバニラアイスを譲り受ける。
「いいこだね」
祖父は、バニラアイスを口に運ぶ綱吉を眺めながら、しわくちゃの手で嬉しそうに下あごを触った。
別れ際の気遣いは、綱吉には少し意外だった。
「綱吉、無理をしてはいけないよ。ボンゴレ十代目の仕事も大事だが君の体も大事だ。同じくらい――いや、もっと大事かもしれない」
「あ、ありがとう……ございます」
疲れたときにはコレでぐっすり眠りなさいと錠剤を渡された。睡眠薬。
祖父を乗っけた鳥が、村から飛び去る。
見送りながら綱吉は内心でガッツポーズしていた。
祖父には悪いが、マジメなタチではないしボンゴレ十代目も早期引退させてもらいたいのだった。
(……ヨシ。今日は、もう四時だ。夕方! 夜がくる! 夜がくるから化け物退治にはいけないな仕方ないなしっかたないなーコレは!!)
真っ当なズルも棚からボタ餅も大好きだ。そして祖父はやっぱりよくわからん人だと思った。
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