「イタリアゴって何だよ?」
「ヒトを生き字引に思ってんじゃねーよ、クソガキ」
「リボーンはわかってるんだろ」
「待てっつっとるだろが」
 辞書のページをめくった手を止めて、半眼で兄を仰ぎ見る。
 本を読む速度も読解力も段違いなので、そっちが調べてくれた方がすぐわかるのに。無言の非難である。
 弟の後頭部にはリボーンの平手がかかり、首を、開いた本の向きへと修正させた。
(あの兄弟から聞き出せたらいちばん手っ取り早いのになー)
 試すまでもなく、命がけになるのだが。
 宿に着くと、リボーンはすぐに使いを飛ばして本家の書庫から資料を持ち出した。これが今朝には届いたので、朝の食堂で兄弟揃ってブックタワーとの格闘と相成る。
 宿の主人が、手を焼かされている下宿生でも見るような目つきで、食べ終えた食器を下げた。
「ボンゴレさん。牛じゃなかったって本当ですか。この村、大丈夫ですかね」
「え――」
 きょとん。と、リボーンが空咳してから呟いた。断定的に。
「天下のボンゴレに任せてくれ」
「……ま、任せて下さい。ご心配しなくて大丈夫です!」
 慌てて追従するも既に遅い。主人の背中を見送り、リボーンが舌打ちした。
「り、りぼーん……!」
「オドオドすんなよな。信用されなくなるぞ?」
「う、うう。わかってるよ!」
「甲斐性ナシのボンゴレ十代目だな」
「けなすのかフォローすんのかどっちかにしてくれよ!」
「けなしてやる。ダメツナが。死ね」
「うわあああん!」
「どっちかにしろって言ったのはテメーだろ。バカツナ。もうあんま手伝わねえからな。楽を知ると、すぐ頼りにしまくる」
「ンなっ……。仕方ないだろ。オレがやるよりリボーンの方が――」
「今はツナがボンゴレ十代目だろ。今はな」
「それで困ってるんだよ!」
 リボーンが、開いた状態の本をスライドさせて寄越した。
「読んでみろ」
 大きく瞬きをしてから、目を落とした。
 文字が滲んでいる。丁寧に扱わないと、背表紙の方からほつれて壊れてしまいそうだ。かなりの年代物である。
「イタリア語。聞いたことがあるワケだ、旧文明の主要言語の一つだ」
「ゲンゴ……」
 聞き慣れない響きだった。
 古い文体を読みくだしても、概念がいまいち掴めない。記号の体系と言われても、それがどうして『声』になるのかわからない。
「ほれ、いちお、オレ達が今使ってる言語は――、コレになるんだぜ」
 言語一覧の一箇条を、リボーンが指で示す。
(家庭教師リボーン……)
 のんきにそんなことを思いつつ、綱吉は兄のゴワついたツメを眺める。人差し指。オレのとは違って大人の手だなとか思えた。
「日本語を喋ってる、ってこと?」
「そーなるな。沢田綱吉。雲雀恭弥。こーゆう名前も日本語の言語法則に則ってるっつーこと」
「オレの名前って日本語だったのか」
 言ってはみた。分かったフリはたやすく看破されてしまい、綱吉は軽蔑の黒眼から逃れるよう身振りをつけて尋ねた。
「り、リボーンの場合もそうなの?!」
「オレのは違う。伝統ある大家は、旧文明の人名をご丁寧に継承させたがるからな」
(あ、あー……)綱吉は、なんとなく呆れた気持ちになれた。リボーンに対する、周囲の――というか祖父の期待だ。ズバ抜けて高かったと幼心に強く感じていたのだ。
 なので、わざと、話を逸らした。兄を気遣う程度のことは綱吉にだってできる。
「大昔の人間は違う言葉をしゃべってて困らなかったの?」
「さぁ? 国がいっぱいあったから、構わなかったんじゃないか? その国にいりゃ困らないだろ」
「なんで、ヒバリさんと骸はイタリア語を知ってるんだろう。水没でロストされた知識だよなぁ」
「アイツらは規格外だ。……感情面も含めてな。人間と同じだと考えると寝首掻かれるぜ」
 特にどっかのバカはお前と楽しいことがしてーみたいだし。何気なく足された一言に、綱吉はぎょっとした。
「な、何いってんだよ!!」
 他でもないリボーンにその話題を出されると、両方の頬に血が昇った。
「ばばばばっ、ばかやろっ。リボーンの変態っ!!」
「はっ。こんなガキのどこがいーんだか」
 椅子の背によりかかり、リボーンは冷めたコーヒーカップを口にする。そのときだ。
「うぶで可愛いところが?」
「だあびゃぎゃあああああああ?!」
 後ろからあまぁく囁かれた誘い文句に、綱吉が跳び上がる。
 テーブルに飛び乗った弟と、その絶叫に近い悲鳴のせいでリボーンはコーヒーを噴き出した。シャツの襟に黒い雨だれが走る。
「……なにしやがる」
「だああああぁっ――――?!!」
 テーブルを乗り越えて奥に逃げこむが、しかし階段を下りてくる少年が逃げ道を塞いだ。
 冷めた黒い瞳は無感情に食堂を見渡す。まばらにいる他の客は睨んだし、綱吉たちにも冷たく告げた。
「揃って何してるのさ。そこのいやらしいヤツは、お出かけかい?」
「僕のことですか」
 ニコニコしながら、骸は全身をすっぽりと包んでいる膝丈外套を手でただしてフードをかぶる。
「そろそろ、君が動きだすのではないかと思いましてね」
「ワオ。ストーカー宣言?」
「いやがらせ宣言と受け取って欲しいですねぇ、くふふふふふふふ」
「ひ、ヒバリさんと骸は何でここにいるんですかっ?!」
 あたりに渦巻く暗雲が恐ろしくて、適当に叫ぶ。
 言われてみれば、なるほど。彼らの目的は一つしか有り得なかった。綱吉は、一時でも彼らが自分を心配したと思ったことを羞じる。
「このあたりに強いエネルギーを感じるんだよね。頂いておかないと」
「クフフフフ。僕のしもべにならないのなら殺すまで」
「……で、ですよねー……」
 肩を落としている綱吉の横を、颯爽とした足取りの兄が横切っていった。
 両手に、古本を抱えている。
「アホらし。オレは部屋にいるぜ」
「オレも……」
「アホか。仕事があんだろが」
「ちょっと。綱吉。君が遭遇したヤツがいちばん怪しいんだから話を聴かせなよ。なんでヤブの下に寝っ転がってたの。何か他に思い出せないの?」
「で、でええええっ。うわっ、む、骸っ。お前はオレに触るなよ!」
「あれ? 僕には差別ですか? 冷たいですねー、これほど君が好きだと公言してるのに!」
「誤解を招くよーなことを言うなぁあああああああ!!」
「ほら、思い出せないなら、姿形を紙に書いて! ねえ、そこにいるのは宿のご主人だろ。紙と書くものちょうだい」
 化け物兄弟に左右それぞれの腕を掴まれて狼狽えている――そんな弟を盗み見たが、リボーンは浅く嘆息を吐いただけで宿泊部屋へとつづく階段をあがっていった。
「置いてくなよぉっ!」
 綱吉が、哀れっぽく呼びかけた。



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