旧文明には――カメラというものがあった。撮影した写真はまずフィルムに焼き付けられて、現像するには暗闇が必要だった。本で得た知識を想起しつつリボーンは室内を眼球だけで見回した。
 暗闇の部屋。暗室。そう、ここは、そう呼ぶのが相応しいのだろう。
(念写っつー便利なもんを知らなかったんかね)
 沢田綱吉が持って行ったものと、同じ写真が手中にある。
 片方の少年は、鼻に丸みはあるが充分に整った顔立ち。眼差しが特にすばらしく、異彩を放っていて、美しい。
 もう片方も申し分のない造形だったが、面差しには一癖も二癖もありそうな皮肉めいた色合いがにじんでいる。
 リボーンは、呼びかけられて浅く頷いた。チェスの駒を進める。歩兵だ。
「ふたりの魔王、ってか」
 向かいの老人は目を細める。
 深いブラウンの瞳はチェス盤に釘付けになっていて、ヒョイとクイーンを動員させた。動いたばかりの歩兵を搾取していく。
 リボーンは、特に動揺せずに、次の駒を動かしにかかった。
「じじい。てめぇ、年々クセモノになってくじゃねーか」
「老いは人を変える。……人間とはそういうもんだよ」
 深く腰掛けている椅子の背もたれに体重をかけると、老人はワインを口に運んだ。
「世の中を知るたびに狡猾になる。子供が純粋なのは何も知らないからだね」
「口癖だな。耳にタコが住むぜ」
 青年は指で自らの右目を撫でていた。
(罪深い)数年前に得た罪悪感が去来すると、リボーンは少しばかり呆けた目つきをする。弟よりも仕事を優先した報いがこの傷だ。
 チェス台に立てかけた鏡面を覗きこんで、彼はしゃがれた声に歓びを混じらせる。
「おお。首都がスミまみれだ。はじまったぞ」
 腕を組んで、指の先で肘を叩いた。
「首都はまだまだ魔王信仰が根強いぞ。はてさて。旧文明の救世主の末裔は、うちの末裔とどのような末路を演じてくれるのかな」
「神話なんていまどきのガキは信じねーよ。ツナが息子どもを殺せなかったらどうするんだ」
 かつての、魔性の栄華を知るものは少ない。
 ボンゴレにはその記録を闇へと葬るという使命もあった。今は人の時代だからだ。
「さあ? そのときに考える。性転換でもしてもらって、君の子供でも産んでもらうかね」
 げほ。咽せているリボーンに、老人は喉の奥までみせる大笑いを披露する。
「冗談だよ!! ただ、ボンゴレの一族には他人の血は混ぜられないのでね! やぁ、今の代で女子がいないのは本当に残念だ」
「クソ喰らえな一族じゃねーか?」
「まったく。君たちの両親が早くに死んだのがいけないよ」
 リボーンは、こぶしを握った。しかし素速くほどいてワイングラスを取った。
 微笑みと共に、老人が赤い液体を注ぎ入れてやった。
「さあ。どうする。どうなると思う?」
「ツナが勝つ」
 グラスを持たない腕を懐にいれて、取りだした札束をチェス盤の隣に投げた。老人も同様に束で取りだした。
 上に積みあげて、何かを楽しみにした待つ者の嘲笑を浮かべる。
「勝つ? それは、綱吉がわたしに勝つということかね。殺されもせず、魔王どもを殺さず、生かしもせずに、戻ってくると?」
「命令通りに殺せたら、アンタはラッキー程度に思ってるんだろ。手間が省けるし魑魅魍魎の恨みはツナに集まる。魔王を生かして――、仕事をまっとうできなかったら、アンタはそれを口実にツナを手術にかける。いまいち、ここがわからなかったが、ナルホドな。本気でメスに仕立てる気か」
「しょうがないだろ。君を女にさせるより、彼のがまだ可愛らしいし勃つ気になるだろう」
「……怖気がたつな」
(伝統なんて壊れちまえばいい)
 同族結婚を貫いてきたとかボンゴレの伝統だとか、リボーンには比較的どうでもよかった。
 問題は、弟が帰ってくるか否かだ。いざというとき、目の前のご老人を殺せる力量が自分にあるかどうかだ。
 ボンゴレの九代目を二百年もの昔に襲名したその男は、腕を組んだ。そしてチェスをすすめた。
「では、わたしは綱吉が負けるほうに。賭けは成立しないとつまらない」
「……はん。くそじじい」
 クイーンとクイーンが、チェス盤で睨み合いを始めている。
(ツナ。じじいが考えてもいない結果を選べ)
 それしかお前が生きれる道がない。言ってやってもよかったが、あの弟は気が弱いので余計なアドバイスをすれば自滅するだろうとリボーンにはわかっていた。
 綱吉の直感が頼りだった。
 自然とまたリボーンは光を失った眼球の眼瞼の上から触っていた。後回しにしたはずの弟に助けられて、右目だけの負傷で済んだ。……なんとなく危ないと思ったから。どうして助けたとの問いに答えたときの横顔は今でもリボーンの脳裏に焼き付いている。三年前の思い出だ。

>>10へ